第5話 気づいたら家の中だった
吾輩は、すっかり「チュール」という不思議な食べ物の虜になってしまっていた。
食べ物なのか。
飲み物なのか。
最後までよく分からなかったが、とにかく美味しい。
毎晩九時になると、ご主人の家へ向かい、ご飯を食べる。
そして、食後のお楽しみがチュールだった。
気が付けば、吾輩はご主人の勝手口のすぐ近くまで行くようになっていた。
最初は庭の隅で食べていた。
次は勝手口の前。
その次は勝手口のすぐ近く。
少しずつ。
少しずつ。
吾輩とご主人との距離は縮まっていった。
しかし、その頃、ご主人一家では別の計画が進んでいた。
「この子は、きっと誰かに飼われていた猫だ。」
そう考えたご主人は、まず飼い主が探していないか調べ始めた。
最寄りの警察署。
保健所。
近隣の動物病院。
迷い猫の届出や、「この子を探しています」という張り紙がないか、一つひとつ確認して歩いた。
それでも、吾輩に関する情報はどこにもなかった。
「やっぱり、捨てられたのかな……。」
ご主人は寂しそうにつぶやいた。
そこで、いつもお世話になっている動物病院の院長先生へ事情を説明した。
院長先生も吾輩の話を真剣に聞き、
「それなら、安全に保護してあげましょう。」
と言って、猫用の捕獲器を貸してくれた。
もちろん、ご主人は吾輩を傷つけるつもりなど、まったくなかった。
雨や風をしのげる場所で、安心して暮らしてほしい。
ただ、その一心だったのである。
そして、その日は突然やってきた。
いつものように夕食を食べ終えた吾輩は、ご主人からチュールをもらっていた。
ぺろ。
ぺろ。
ぺろ。
夢中になって舐め続ける。
気が付けば、チュールは少しずつ奥へ動いていく。
吾輩も何の疑いもなく、一歩、また一歩と後をついて行く。
「今日はずいぶん奥まで持っていくな。」
そう思ったが、目の前には大好きなチュールがある。
考える余裕などなかった。
ぺろ。
ぺろ。
ぺろ。
気が付くと、足の裏の感触が変わっていた。
土ではない。
コンクリートでもない。
ひんやりとして、つるりと滑るような感触だった。
「ん?」
そこで初めて吾輩は顔を上げた。
「えっ?」
そこは外ではなかった。
いつの間にか、ご主人の家の中へ入っていたのである。
「しまった!」
吾輩は驚いて高く飛び上がった。
知らない場所。
知らない匂い。
四方を壁に囲まれた空間。
頭の中が真っ白になる。
「逃げなきゃ!」
吾輩は部屋中を駆け回った。
テレビの裏。
棚の下。
カーテンの陰。
少しでも身を隠せる場所を必死で探す。
その様子を見たご主人一家は、誰一人追いかけようとはしなかった。
「怖かったね。」
「大丈夫だから。」
優しく声を掛けるだけだった。
吾輩は部屋の隅で体を小さく丸め、荒い息を繰り返していた。
心臓は今にも飛び出しそうだった。
しかし、その夜。
吾輩はまだ知らなかった。
この家の中が、これから先、
吾輩が「帰る場所」と呼ぶことになるとは。
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