10 雲外蒼天・・・朝カフェ始動
馬場さんの家に倒れた大木は玄関先の屋根を壊し、2階の窓ガラスを割った。
幸いヨーコさんは2階を物置にして一階で暮らしていたので無事だった。
ミコさまは東京から戻り、私のいない時ばかりトラブルが起きると嘆いていた
(そしてここから事態は二転三転していくのだが次回最終回なので3倍速で再生することにする)
ミコさまは馬場さんに修理が済むまで社員寮の一室に住むことを提案してくれた。
玄関を直すにはちょっと時間がかかりそうだった。
借り住まいが確保された馬場さんは家を売りに出すことにした。
かえで不動産の若道さんは壊れたままの家屋で評価することで、不動産の評価額を下げ遺産全体の金額を少なくなるよう計算してくれた。
ところが事態は一転、住み込みで働いていた馬場さんの妹さんの雇い主が亡くなった。
篤志家のじいさまは遺産の一部を妹さんに残してくれたらしい。
そういう話はよく聞く、特に身寄りのない老人の世話をしていると情が移るのかちゃんと遺言を書いてくれているそうだ。(ほらね、やっぱり遺言って大事)
結局それが義兄への遺産相続の件に間に合い、留意分の現金が支払われ、家はそのまま残され、姉妹二人で住むことになった。壊れた個所のリフォームも済んだ
ミコさまは結局息子夫婦の希望を聞き入れ、思い出の会社を閉め、土地を売ることに賛成したようだ。下町でもどんどんタワーマンションが建っている場所なので、結構高値が付いたようだ、
工場の機械も金属として売り払い、社員の退職金やあちこちの支払いを済ませて息子夫婦は田舎へと引っ越して行った。
現在の別荘は当面はそのままで、隣の会社の厚生施設も同じということで一旦は生き延びた。
ただし名義を息子に変更したので、もしミコさまが亡くなった場合は売却するとのこと。
その時はカフェは半年以内に閉めるという条件付きだ。ミコさまが施設や病院に入ることになってもそれは同じらしい。なのでそれまで好きに使ってよいことになったらしい。
ところが事態は一転して、ジジころがしがうまくいったのかモーター会社のカイチョーさんが
社員寮の区画を買い取ってくれるという方向で話が進んでいる。変形地の故価格が安く、カイチョーさんにしてみれば車一台分くらいだろうか。(うまく転がってよかったあ)
さて、カフェの方だが、地元の建築会社が新人研修の一環でリフォームしてくれることになった。
屋根にはぺロブスカイトソーラーパネルが付けられた。メーカーの営業さんを通して、ここをデモ物件にして会社の宣伝に使うという、ウィンウィンの交換条件になった。
通りに面しているので宣伝効果は抜群だろう。モニターとして使い勝手や見学者を受け入れるなどの協力することでメーカーと話が付いた。これで色々な初期経費が削減できた。
衛生管理者の資格を持つ仙波さんは責任者として着任し、月に一度コスプレで登場するらしい
最近は痩せて、メイクもうまくなりすごく若くなった(ような気がする)
そしてなんと奥のシンママが、カフェの看板娘として手伝いをすることになった。子供は店内の一角の育児コーナーで見守ることにし、ママ友も時々バイトに来てくれそうだ。(若い女の子がいるとじいさん連中もハッスルしちゃうんだよね、今度イケメンもスカウトしよっ)
私たちも交代で料理や掃除などをするが、他のシニアにもボランティアでプログラムの講師や掃除や草取りなどをお願いした。
当初の予定通り、月一万円の会員制で朝食のみ、25人程度でスタートすることにした。
目的は安否確認なのでメンバーになると自宅にチェックに行き、片づけのアドバイスから安否確認の「否」の場合つまり、万一に備えての連絡先やその後の手配などの手順を確認する。
朝食後はカフェはサロンとなり、専門家を呼んで相続や遺言などの終活プログラムや防犯や詐欺被害の手口など地元の警察署生活安全課や消費センターのスタッフを招いて教育啓蒙を計画中。またお堅いものばかりでなくおしゃれ講座やメイク教室も開き、きれいになったところで遺影撮影などにつなげていく予定。
元宴会場では、ストレッチや太極拳などの体を動かすプログラムを作り、先生がいない時にはビデオ先生ということでいけるか試してみようということになった。
それぞれ試行錯誤で毎日改善していきながら、とりあえずやってみようということになった。
とうことでついに「朝カフェ」は始動した。カフェの名前は会員からの公募にすることにした。
当日は地元の新聞社やケーブルテレビが取材に来た
久しぶりに袋小路の入り口がにぎわっていた。(というわけで倍速原稿終わり、ふ~)
しかし、少し離れたところから見ていた私には満足感や達成感はなかった。
「なんか足りない、ちょっと違うんだよな、なんだろうこの違和感は・・・」
正直5年後のビジョンを考えたら、このプロジェクトは持たないなと直感した。
ミコさまはいずれ老人ホームに入るかもしれない。仙波さんも馬場さんもいつかいなくなる。
私もいつ死ぬかわからない。そうなるとこれでは持続可能なプロジェクトではないと思う。
たとえ志を同じくしたシニアが引き継いでくれたとしても脆弱さは否めない。
どうすればいいのだろう。やはりもっと全体を巻き込んだ包括的なハードソフトが必要だな。
やっぱりあの計画「ネオドミトリー」だと確信した
若道さんがお祝いの花の寄せ植えを持って駆けつけてくれた。
「今日はスーツではなくカジュアルね、お休みなの」
「あっ、オープンおめでとうございます、オフ日です」
「まだバタバタしてるけど、やっとだわ」
「会社のブログに載せますね、あとで写真いいですか」
「もちろんよ、うちの看板娘も撮ってね。あとで紹介するわ、独身なのよ」
「えっ」
「ほらあそこの看板娘、きれいでしょ、子持ちだけど性格もいいのよ」
(いっそ、つきあっちゃえよ~)
「はあ、どうも・・・それよりちょっとご相談があるのですが・・」




