第四話 二度目の敗北
三日目の夜だった。
綾人は宿のベッドに腰掛けながら神託掲示板を見つめていた。
窓の外は真っ暗な中、ランプの灯りだけが小さな部屋を照らしている。
しかし綾人の意識は目の前の画面にしか向いていなかった。
【議論】神殿は本当に必要なのか?
綾人自身が建てたスレッドのレス数は、既に九百を超えている。
最初はただの暇潰しだった。
少し刺激のある議論がしたかっただけだが、今ではそれが完全に意地になっていた。
理由は一つ。
『断罪の天秤◆』の存在だ。
綾人は画面を見つめながら小さく息を吐いた。
「何者なんだよ……」
とにかく強く、今まで神託掲示板で相手にしてきた連中とは次元が違う。
感情論で殴ってこなければ人格攻撃もしない。
論点もずらず、ひたすら議論だけで戦ってくる生粋のレスバ戦士。
そしてその精度が異常だった。
綾人が一つ主張する度に相手はその主張を整理し、本当に成立しているのかを確認してくる。
曖昧な部分は許されず、飛躍があれば突き、前提が間違っていれば容赦なく指摘してくる。
その度に綾人は反論し、また返される。
気付けば三日三晩、互いに引くことなく議論を続けていた。
神託掲示板の利用者たちも、いつしかこの戦いを見守るようになっていた。
綾人は新しい返信を確認する。
断罪の天秤の投稿だった。
『あなたは神殿に問題があることを証明しています』
『それについては私も概ね同意します』
綾人は眉をひそめた。
いつも通りの冷静や簡潔を兼ね備えた無駄のない文章だ。
だが続く一文を見た瞬間、綾人の指が止まった。
『ですが、神殿が不要であることは証明されていません』
部屋から音が消え、綾人は画面を見つめる。
そして何度も何度もその文章を読み返した。
「……はぁそうか……」
意図せずに声が漏れる。
すぐに反論しようとするが違和感、それも嫌な違和感のせいで文字を打つことすら出来ない。
綾人は反論をせず過去ログを開き、最初の書き込みまで遡る。
そして読み返す。
【議論】神殿は本当に必要なのか?
そのタイトルを見て綾人はようやく気付いた。
「……はぁ」
声が漏れる。
神殿の問題点は指摘した。
権力の集中も、腐敗の危険性も、改善案も散々語った。
だが神殿が不要であることは証明していない。
いや、そもそも証明しようとすらしていない。
綾人は相手を負かすことに夢中になり、神殿不要論を語るはずだったのに、論点はいつの間にか神殿改革論になっていた。
そしてその事実を多分、断罪の天秤は最初から見抜いていたのだろう。
綾人は椅子にもたれかかり、天井を見上げる
完全に負けた。
認めたくはないが負けた。
前世で一度。
そして二度目だ。
神託掲示板もざわつき始めていた。
『ん?』
『ティヌス止まった』
『寝た?』
『断罪の天秤勝った?』
『マジかよ』
『歴史的瞬間きた』
綾人は苦笑する。
「好き勝手言いやがって」
だが間違っていない、実際そうなのだから。
そして綾人は、適当な煽りを書いて誤魔化すことも論点を変えることも、人格攻撃に走り暴言を吐くことも無く負けを認める。
それだけはしたくなかった。
というか前世はそれが死因臭かったので少し抵抗があった。
この三日間、断罪の天秤は誠実だった。
ならば自分もそうあるべきだろう。
綾人は静かにキーボードへ手を置き、そして一片の迷い無く書き込む。
『俺の負けだ』
たった一行、それだけだった。
直後、スレッドは爆発した。
『!?』
『えええええええ!?』
『アヤティヌスが認めた!?』
『嘘だろ!?』
『明日はゴブランの雨か?』
『勇者もびっくり』
お祭り騒ぎだった。
そして綾人が椅子に寄りかかり天井をボーっと見つめた数秒後、新しい書き込みが表示される。
『良い議論でした』
それだけだった。
本当にそれだけで勝ち誇ることもなければ煽ることもない。
ただ一言、良い議論でした。
綾人はしばらくその文章を見つめ、そして頭を抱えて苦笑する。
「そりゃこっちの台詞だろ」
数分待ったが追加の返信はない。
神託掲示板を更新をしたり、端末を再起動したりしたがそれでも来ない。
「……終わりか」
断罪の天秤は去っていた。
まるで最初からそこにいなかったかのように。
そして綾人は端末を閉じようとするが、手を止めて断罪の天秤の過去ログを開く。
過去の発言、参加したスレ、議論の内容、それらを一つずつ読み始めた。
「何者なんだよ、お前」
負けたから気になるのか、強かったから気になるのか。
それとももっと別の理由なのかは綾人自身にも分からなかった。
だが一つだけ確かなことがある。
人生で二度目の敗北。
そして異世界で初めての敗北、その相手のことが綾人は少しだけ知りたくなっていた。
感想お待ちしております!




