第三話 断罪の天秤◆
綾人は椅子へ深く座り直し、自身の頬を数回叩く。
宿の窓の外では既に日が沈み出し、ランプの灯りだけが小さな部屋を照らしていた。
だが今の綾人に周囲の景色など見えておらず、視線は神託掲示板へ釘付けだった。
『断罪の天秤◆』
初めて見る名前だ。
少なくとも有名な論客ではない。
それなのにたった二回の書き込みで分かった。
「強いな」
今まで相手にしてきた連中とは明らかに違うことを確信した綾人は口元を吊り上げた。
「いいじゃねぇか」
久々に楽しめそうだった。
そして返信を書き込む。
『それは神殿じゃなくてもできるだろ?国営化すればいい』
数秒後、すぐに返事が来た。
『国営化する理由はなんでしょう?』
「は?」
『神殿が既に運営しているのに?』
綾人は眉をひそめる。
『神殿に権力が集中しすぎてる。健全じゃないな』
即座に送信するが、相手も早かった。
『具体的にどのような弊害がありますか?』
「うわ」
思わず声が漏れる。
逃がしてくれない、曖昧な言葉を許さないタイプだ。
『不正が起きる可能性や権力の腐敗』
綾人が返す。
『それは国営でも同じでは?』
返ってくる。
『むしろ王家の権力集中になりますが』
綾人の指が止まった。
「……なるほど」
指が止まり、少しだけ感心するが反論は思いつく。
だが適当に返せる相手じゃない。
ここら辺で雑魚なら勢いで押し切れるがこいつは違う。
一つずつ論理や事実を積み上げ、相手の逃げ道を確実に塞いでくる。
綾人は自然と笑っていた。
久しぶりだった。
楽しいと思えるそんな感覚は。
気付けば一時間が経過し、スレッドは異様な盛り上がりを見せている。
『レベル高すぎて分からん』
『何言ってるか半分しか理解できない』
『アヤティヌス押されてね?』
観客も増えていたが綾人は気にせず、目の前の相手にだけ集中する。
『神殿の独占が問題だと言ってるんだが』
『それじゃあ競争原理が働かないな』
綾人が書き込む。
『医療や福祉を競争させるということでしょうか?』
即レスを食らう。
『利益を優先する組織が出てきた場合は?』
綾人は思わず笑った。
「面倒くせぇなこいつ」
もちろん悪い意味ではない。
むしろ逆だ。
楽しくて仕方ない。
論点をずらせないし、誤魔化しすら出来ず、曖昧な表現を使えば突かれる。
議論が成立しているレスバは前世を含めても滅多になかった。
その夜、綾人はほとんど眠れなかった。
寝ようと思っても通知が来て気になって見てしまう。
返信してまた返ってきて気付けば深夜、さらに気付けば朝だった。
「やべぇ……」
窓の外が明るいが議論は終わらない。
『神殿批判そのものが目的になっていませんか?』
その書き込みを見た瞬間、綾人は思わず固まった。
「……」
数秒何も打てなかった。
痛いところを突かれたからだ。
確かに神殿には問題もあるが、綾人自身に最初から神殿を否定したい気持ちがあったのも事実だった。
「くそ」
しかし綾人は頭を掻きながら笑う。
議論なのに、そして負けたくないのに、それ以上に本当に面白くて楽しかったのだ。
二日後、神託掲示板では一つの話題で持ち切りになっていた。
『まだやってる』
『こいつら寝ろ』
『六百レス超えてるぞ』
『伝説すぎて草』
綾人はそれを見て苦笑した。
まさかここまで続くとは思わなかった。
だがまだ終わらないし終われない。
相手も同じなのだろう、綾人同様に返信速度が全く落ちない。
朝も昼も夜も、まるで相手がずっと画面の前にいるみたいだった。
「お前何者だよ……」
思わず呟く。
商人か学者か貴族か神官か想像してみるが分からない。
分かるのは一つ、こいつは強いということだけ。
そして三日目の夜、綾人は初めて自分が押されていることを自覚する。
議論の主導権が取れない、反論しても反論される、そして崩したと思えば立て直される。
「終わりが見えないな」
そう言いながらも綾人は笑っていた。
人生で初めてかもしれない、レスバがこんなにも楽しいと思ったのは。
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