退屈の終わり
誰も動けなかった。
ララメは外れた腕を押さえたまま荒く息をしている。
メアリーの輪郭はぼやけ、今にも消えてしまいそうで、蒼柄は地面に縫い付けられたまま起き上がれない。
そんな三人を前に、トゥトゥはつまらなさそうに口を尖らせた。
トゥトゥ「えー、もう終わりぃ?」
そのまま、すぅっと身体が縮んでいく。
長かった手足が元に戻り、またいつもの小さな人形みたいな少女の姿になった。
たった1mほどの小さな存在…なのに誰もその前に手も足も出なかった。
トゥトゥは瓦礫の上にぴょこんと座り、頬杖をつく。
トゥトゥ「思ったより遊べなかったなぁ〜」
退屈そうな声。
その軽さが余計に絶望を際立たせる。
メアリーは震える指を握り締めた。
力なんてほとんど残っていない。それでも、諦めたくなかった。
メアリー(……先輩……)
脳裏に浮かぶのは最後まで戦ったヤグ…いや、レドの姿。
何度倒れても立ち上がった背中。
メアリー(わたくし……負けたくないです……)
声にはならない。心の奥で零れただけの願い。
その少し離れた場所でララメも唇を噛み締めていた。
痛い。
苦しい。
怖い。
ただの怯える少女の思いだけだった。
胸に浮かぶのは自分が失ってきた人
_霣羅。
ララメ(…だれも…もう誰も失いたくないよぉ、霣羅ぁ……)
視界が滲んでも涙を拭う余裕すらない。
トゥトゥはそんな二人を見ながら、ただ楽しそうに笑っていた。
トゥトゥは頬杖をついたまま、思い出したみたいにメアリーへ視線を向けた。
トゥトゥ「そーだ。まだこれ試してなかった♡」
小さな掌がゆっくり持ち上がる。それと同時に、どろりとした黒紫の液体が空中へ滲み出した。
煙みたいな毒気を纏いながら蠢くそれは、見ているだけで嫌な寒気を呼び起こす。
ララメ「……っ、それ……!」
本能であれは危険だと理解した。
あれは…触れたら終わる。
トゥトゥは嬉しそうに笑う。
トゥトゥ「私、“自由”だけじゃないんだよねぇ〜」
毒液がゆらりと浮かび上がる。その禍々しさは普通の毒なんて比べ物にならなかった。
空気へ触れているだけで周囲の瓦礫がじわじわ溶け、黒く腐っていく。
そして、その照準がメアリーへ向いた。
メアリー「……ぁ……」
身体が強張る。
幽体である自分には普通の物理攻撃は通じない。
けれど、“特殊なもの”は別だった。それにメアリーは液体状のものへ極端に弱い。
触れれば終わる。苦しみながら存在を崩され、そのまま消える。
__避けなければならない。
分かっているのに身体が動かなかった。輪郭はすでに不安定で、まともに立つことすら難しい。恐怖で呼吸が浅くなる。
ララメ「メアリーちゃん!!」
蒼柄「逃げ……ろ……!!」
叫び声が飛ぶけれど間に合わない。
トゥトゥ「じゃ、ばいばーい♡」
黒紫の毒液が撃ち出される。空気を溶かしながら一直線に迫るそれを見つめたまま、メアリーはゆっくり目を閉じた。
メアリー(……先輩……わたくし……)
怖い。嫌だ。まだ終わりたくない。
でも、もう避けられないのは火を見るより明らかだった。
力が抜ける。諦めが胸を埋め尽くしかけたその瞬間
乾いた発砲音みたいな音が響く。
同時に、毒液の塊が空中で弾け飛んだ。
メアリー「……え……?」
黒紫の液体は飛び散ることもなく、そのまま霧みたいに掻き消えていく。
誰も動けない。
ララメも蒼柄も目を見開いたまま固まっていた。
更地には四人以外の姿なんて見当たらない。発砲音の正体も、毒液を弾いたものも見つからない。
なのに、確かにメアリーは助かっていた。
メアリー「先輩、!」
反射みたいに振り返るが、そこには誰もいなかった。
崩れた瓦礫と夕焼け色の煙だけが広がっている。人影なんてどこにも見えない。
……それなのに。
メアリーは確かに感じていた。
ずっと隣で戦ってくれた、あの男性の気配を。
メアリーの目隠しの奥の瞳が小さく揺れる。消えかけた輪郭を震わせながら、彼女は静かに声を零した。
メアリー「…先輩…私に、肩を貸していただけませんか……」
届くなんて思っていない。
返事があるなんて思っていない。
ましてや、本当にそこに居るなんて考えてもいない。
それでも、弱々しく縋るみたいに呟いてしまった。
トゥトゥはそんな様子をまるで気にも留めず、退屈そうに歩き出す。
小さな靴音が瓦礫の上で軽く鳴った。
トゥトゥ「……なに。何言ってんのか聞こえないんだけど〜?」
ゆっくり近づいてくる。
もう逃げないと思っているのだろう。
実際、メアリーは限界だった。輪郭はぼやけ、立っているだけでも精一杯で、まともに戦える状態じゃない。
ララメ「……っ、メアリーちゃん……!」
蒼柄も起き上がろうとするが、腹へ突き刺さった短刀のせいで身体が持ち上がらない。
そんな三人を見下ろしながら、トゥトゥは楽しそうに笑う。
トゥトゥ「じゃあ今度こそ、おしまいにしよっか♡」
そのままメアリーへ向かって手を伸ばした。
__その瞬間。
メアリーの身体が、ふわりと横へ引かれる。
トゥトゥの手が空を切った。
トゥトゥ「……ん、メア――」
言いかけた直後、更地へ乾いた発砲音が響き渡った。
バンッ!!
トゥトゥ「……は?」
肩口が撃ち抜かれる。白い服が弾け、衝撃で小さな身体がわずかによろめいた。
トゥトゥ「あぁ、強化忘れてた」
失敗へ気づいたみたいな軽い口調だった。
トゥトゥが視線を向けた先。
そこへ立っていたのは確かにメアリーだった。
けれど、さっきまでとは雰囲気がまるで違う。
特徴的だった目隠しは、ずれて片目が露わになっている。
その奥から覗く瞳は、まるで“ヤグ”そのものだった。
冷たく鋭い視線。迷いを削ぎ落としたような目。
崩れかけていた幽体の輪郭も、今はしっかり人型を保っている。
そして細い指先には黒い銃が握られていた。
ララメが息を呑む。
ララメ「……え……」
蒼柄も目を見開いたまま言葉を失っていた。
メアリーは静かに銃口を向け続ける。
立ち姿までどこか“あの男”を思わせた。
トゥトゥ「……なに、絆とかそういうの言い出すんじゃないでしょーね」
嫌そうな顔で吐き捨てる。
メアリーは小さく首を横へ振った。
メアリー「きっと、そんな綺麗なものではないです」
その返答は静かだった。けれど迷いがまるでない。
トゥトゥ「……なに、じゃあ――って、ん?」
違和感へ気づいたように肩へ触れる。
撃ち抜かれた箇所から腐食がじわじわ広がっていた。
白い肌が黒ずみ、崩れるみたいに侵食されていく。
トゥトゥ「うわ、なにこれ」
すぐさま能力を発動する。身体を無理やり強化し、腐食の侵食速度を押さえ込む。
けれど、完全には止まらない。
トゥトゥはそこで初めてほんの少しだけ眉をひそめた。
その様子を見つめながら、メアリーは静かに息を吐く。
銃を握る姿は、もう居ないはずの“先輩”がそこへ立っているみたいだった。
メアリーは静かに銃口を持ち上げる。露わになった片目は鋭く細まり、その立ち姿には迷いが一切なかった。
メアリー「……さぁ、面と向かって戦いましょう」
トゥトゥは数秒きょとんとしたあと、ぱっと表情を輝かせた。
トゥトゥ「……へぇー、いいね、いいね!! 一方的じゃつまらないから!」
嬉しそうな笑顔。
けれど次の瞬間には、もう殺意へ変わっていた。




