刀を振るうべき相手
ソラ「……霣羅、さん……?」
さっきまで自分を刺そうとしていた人が今、必死に誰かを抱きしめている。理解が追いつかない。
霣羅は腕の中の顔を見る。煤で汚れた頬。閉じた瞼。どこにでもいそうな普通の青年。
でも胸が痛い。頭が割れそう。視界がチカチカする。
霣羅「…………は……?」
喉が震える。知らない、知らないはずなのに。知ってる。この顔、この匂い、この体温…
子供の頃ずっと隣にいた。手を引いてくれた。背中を追いかけた。誰より強くて優しかった
__兄。
霣羅「…………なんで、なんでだ……」
記憶の奥底に封じられていた何かが無理やりこじ開けられる。笑い声。手の温もり。
「霣羅、危ないぞ」
頭を撫でる手。守ってくれた背中。霣羅の呼吸が乱れる。
霣羅「……忘れてた……?」
違う。忘れたんじゃない。“抜け落ちてた”。意図的に削られたみたいに。
霣羅「……兄、さん……」
無意識に零れた言葉。
霣羅「……砮裏……」
ソラの目が見開く。
ソラ「……お兄、さん……?」
敵。冷酷。感情ゼロの、あの霣羅が今震えてる。抱きしめる腕が壊れ物みたいに優しい。
まるで子供みたいな顔で。
霣羅「……なんで……ここにいるんだよ……なんで……」
声が掠れる。怒りでも殺意でもないただの混乱で、ただの恐怖。そして失うかもしれないという必死さ。
戦場のど真ん中でたった一人、霣羅だけが完全に戦えなくなっていた。
欠けて抜け落ちていたものが鮮明に蘇ってくる。
薄暗い部屋の中。窓は布で覆われ光はほとんど入らない。少年はいつも目隠しをしていた。
霣羅は生まれつき目が良すぎた。常人の何倍も光を拾い遠くまで見えてしまう視界。
昼間は痛みすら伴うほどで、布で目を隠すのが当たり前だった。
それでも生活は幸せだった。最愛の両親。そして誰よりも優しい兄。
特別裕福でも特別不幸でもない。ただ穏やかなどこにでもある家庭、それで十分だった。
霣羅「兄さん、今日のご飯どうする?」
砮裏「残ってる野菜使い切っちゃおうか。買い出しも行かないとな」
そんな他愛もない会話が毎日の宝物だった。だがある日両親が遠出をした。帰りが遅くなると連絡が入る。
軽い事故に巻き込まれたらしい、と。命に別状はない。そう聞いて少しだけ安心して、兄弟二人で家事を回す生活が始まった。
自炊して、掃除して、働いて。
不安はあったが兄がいれば大丈夫だと思えた。兄はいつも前を歩いてくれたから。
そして食料が底をついた日、二人で紙にメモを書いた。必要な物を並べて
あれもいる、これもいる、これはご褒美として、なんて笑いながら。
砮裏「俺が行ってくるよ。霣羅は留守番」
霣羅「……気をつけて」
それが最後の会話だった。夜になっても帰らない。次の日もその次も。
一週間帰ってこなかった。霣羅の胸を不安がじわじわ侵食していく。
霣羅(狩に……襲われた?)
嫌な想像ばかりが浮かぶ。家にあった護身用の刀を掴み、外へ飛び出した。必死に探した。
路地裏も、通りも、森の中も。そして見つけてしまった。道端に転がる、買い物袋。
霣羅「……?」
近づく。中身を見る。心臓が止まった。野菜、調味料、日用品、全部二人でメモした物ばかり。
袋の底にはあの紙。二人で書いた買い物メモ。霣羅の手が震える。理解したくない現実が頭に押し込まれる。
兄はいない。ここで襲われた。
___________
知るはずがなかった。
その兄が小さな人形少女に攫われ、改造されていたなんて。
___________
霣羅「……あ……」
刀が落ち、喉が詰まる。
霣羅「……にい、さん……」
気づけば泣いていた。もう子供じゃないのに。声を殺すこともできずただみっともなく
……その時。耳元を掠める銃声。
霣羅「っ!?」
地面が弾け心臓が凍る。動けない、殺される。そう思った。
ヤグ「……うるせぇな」
不機嫌そうな声。振り向くと銃を持った男が立っていた。苛立った顔。血の匂い。明らかに普通じゃない。
でもその頃の霣羅は苛立ちに溺れ、持っていた刀で襲いかかった
…が数秒後、霣羅は地面に伏せていた。腹が痛い。脚に力が入らない。頭がぐるぐるする
ヤグ「弱ぇ。で、なんだお前」
霣羅「…………に…ぃ…さ……ん」
ヤグ「兄さん?」
ヤグは霣羅の頭を掴みあげて事情を聞こうと試みる。霣羅は素直に話した。
でも、話しているうちにまた涙が溢れてきた。兄がいないこと。袋のこと。全部吐き出した。
ヤグは面倒くさそうにため息をつく。
ヤグ「…その兄、襲った人外殺りてぇんだろ」
霣羅「……当たり前だ……」
ヤグ「なら狩になれ。そっちの方が手っ取り早い」
意味が分からなかった。でも胸の奥にあったのは、恐怖より憎しみだった。
兄を奪った何かへのどうしようもない怒り。
霣羅「……やる」
気づけばそう答えていた。それが、霣羅が“狩”になった日だった。
司令官に認められ、刀を握り、才能なんてなかった技を血と傷で無理やり鍛え上げた。
斬って。
斬って。
斬って。
気づけば、自分が何者だったか分からなくなっていた。
なぜ狩になったのか
狩になる前、どんな人間だったか
記憶が抜け落ちていく。削られるみたいに。残ったのはただ一つ。
霣羅(……絶対に、失いたくない人がいた)
だがその相手の顔も名前も思い出せない。どうしてこの感情だけ残っているのかそれすら分からない。
だから今の霣羅は空っぽだ。ただ刀を握り、命令に従い、人外を斬る……それだけの男。
感情も過去も意味もない。
ただの「狩」。
霣羅は今日も人外の館の前に立つ。それが自分の役目だから。
それだけが
自分に残った“存在理由”だから。
崩れた天井から差し込む光。舞い続ける粉塵。壊れた床に横たわる角灯―いや、砮裏。
その身体を霣羅は抱き留めていた。腕の中の砮裏はぐったりとしている。
呼吸は浅いが確かに生きている。胸の奥が妙にざわついた。
どうしてこんなに怖い。失いたくないと本能が叫んでいる。
トゥトゥ「えー、なんで?なんでー?なんで霣羅がここに?」
甲高い声が瓦礫の向こうから飛んだ。トゥトゥは、相変わらず楽しそうに笑っている。
トゥトゥ「というか何で助けるの!」
無邪気な声。子供みたいな純粋さ。だからこそ余計に気味が悪い。
砮裏を背に庇うように霣羅はゆっくりと立ち上がった。握る刀がぎし、と軋む
霣羅「…………なんでだろうな」
低い声。自分でも驚くほど怒りで震えていた。
霣羅「……なんで」
視界の奥にフラッシュバックする。暗い家、買い物メモ、落ちた袋、泣きながら名前を呼んだ夜。
忘れていたはずの記憶が無理やり脳をこじ開ける。兄の背中、優しい声、笑った顔。
霣羅「…なんで、俺の兄さんを奪った奴が……」
刀を握る手に血が滲む。
霣羅「……"ここに居んだろうな"_!!」
怒号。空気が震えた。殺気が爆発する。床がひび割れ、瓦礫が跳ねる。
それはもう“狩”の冷たい殺意
…ではなかった。
ただの弟の、家族を奪われたただ一人の男の怒りだった。
広場の空気が一瞬凍る。ララメでさえ目を丸くし、メアリーも困惑する。
ララメ「……あ、めら、?」
メアリー「……怖いのです」
対してトゥトゥは
トゥトゥ「……あはっ」
笑った。
トゥトゥ「あははははっ!!」
腹を抱えて楽しそうに。
トゥトゥ「そっかそっか!兄なんだ!へぇー!いいねぇ最高!!」
指をさしてケラケラ笑う。
トゥトゥ「じゃあさぁ、壊した甲斐あったじゃん!」
その一言で霣羅の瞳から感情が消えた。怒りを通り越した真っ黒な殺意。刀が静かに構えられる。もう言葉はいらない。
ただ斬るだけ。霣羅は地面を蹴った。爆音。
次の瞬間、霣羅の姿が掻き消えた。
轟音。黒炎を纏った刃がトゥトゥのいた場所を薙ぐ。
床が抉れ、一直線に黒い焼け跡が走った。コンクリートが溶け遅れて爆ぜる。普通なら跡形も残らない一撃。
__だが。
トゥトゥ「わ、はやーい♪」
声は背後。
霣羅の瞳が揺れる。
いつの間にかトゥトゥは数メートル後ろに立っていた。ぴょんと軽く跳ねただけみたいな体勢で無傷。
霣羅「……チッ」
即座に踏み込み二撃目。横薙ぎ、空気ごと斬る速度。トゥトゥの首を正確に刈り取る軌道。
トゥトゥ「うわっぶなーい」
ひょいっと。本当にただ首を傾けただけ。刃は髪の毛一本掠めず通過。そのまま霣羅の懐に潜り込んで
トゥトゥ「怒ってる怒ってる〜」
腹にトゥトゥの拳。小さな拳なのに
"ドンッ"と重すぎる一撃。
霣羅「……ッ!!」
砲撃みたいな衝撃で身体が数メートル吹き飛び壁に激突。瓦礫が崩れる。トゥトゥはけらけら笑いながら近づく。
霣羅「っ……」
トゥトゥ「ねぇねぇどしたのー?」
霣羅「…く、そ……」
トゥトゥ「さっきまで圧勝マンだったじゃん♪」
霣羅「……チッ、ゲホッ、」
トゥトゥ「お兄ちゃん出てきた途端よわよわ〜?」
霣羅「……………………、」
煽る。煽る。煽る。子供みたいな無邪気さで、悪意ゼロの顔。それが余計にタチが悪い。
霣羅は瓦礫を蹴り飛ばし立ち上がる。呼吸が荒い。青く透き通った目なのに、怒りで視界が赤い。
霣羅「……黙れ」
地面が黒く焦げる。足元から黒炎が噴き出し、温度が跳ね上がる。空気が歪む。
霣羅「……八つ裂きにする。」
低い獣みたいな声。トゥトゥは目を輝かせた。
トゥトゥ「きゃはっ♪ いいねそれ!」
両手を広げる。
トゥトゥ「ほらほら!もっと本気出してよ!」
霣羅「…お前ッ!」
トゥトゥ「お兄ちゃんの前でカッコつけないの?」
霣羅「…っぐ、」
トゥトゥ「守るんでしょ?助けるんでしょ?ならさぁ――」
にぃ、と歪んだ笑み。
トゥトゥ「当ててみなよ」
霣羅が消える。連撃。斬撃。突き。黒炎の嵐。部屋が崩壊していく。床が割れ、壁が砕け、柱が溶ける。
だが当たらない、トゥトゥは踊るみたいに避ける。
くるり、ひらり、ぴょん。まるで遊具。
トゥトゥ「おっそーい」
トゥトゥ「こっちこっちー」
トゥトゥ「わ、こわーい♪」
全部紙一重。全部余裕。そして霣羅が振り抜いた瞬間。トゥトゥが耳元にすっと現れる。
トゥトゥ「ねぇ霣羅」
囁き声。
トゥトゥ「怒ってるだけじゃ、弱いよ?」
ぞく、と背筋が凍る。
トゥトゥ「怒ってるやつってさぁ」
にこ。
トゥトゥ「動き、単純なんだもん」
次の瞬間。腹に全力の一撃。空気が爆ぜる。
霣羅の身体が一直線に吹き飛び、砮裏の手前を転がった。
床を何度も跳ねて止まる。トゥトゥはその場でくるっと回る。スカートを翻すみたいに。
トゥトゥ「はい一本〜♪」
無邪気な笑顔。まるでただの遊び。命のやり取りを心底楽しんでいる怪物だった
黒炎が荒れ狂う。床が溶け、壁が崩れ、視界が赤黒く歪む。
霣羅はもう「戦って」いなかった。
ただ、振るっていた。
ただ、壊していた。
ただ、怒っていた。
霣羅「……殺して…葬ってやる……!」
刃が暴風のように振り回される。重さも間合いも呼吸もないただの激情。
トゥトゥ「わーこわーい♪」
ぴょん。ひら。くる。全部空振り。トゥトゥは笑っている。遊んでいる。
その事実がさらに霣羅を焦らせる。
霣羅「当たれ……ッ!!」
振り抜いた一閃。大きく隙だらけ。トゥトゥの目が細くなる。
トゥトゥ「……はい、ざんねーん」
腹部に叩き込まれる衝撃。空気が爆ぜる。霣羅の身体が砲弾みたいに吹き飛び、砮裏のすぐ横に激突して瓦礫に埋まった。
黒炎が消える。静寂。トゥトゥはくすくす笑いながら近づいてくる。
トゥトゥ「もー終わり?つまんなーい」
その時。
かすかな声。
砮裏「……あ、めら……?」
霣羅の指が止まる。聞き間違えるはずのない声。
砮裏「……あめら……だろ……? お前……」
掠れた弱い声。それでも胸の奥を直接掴まれたみたいに心臓が止まる。
霣羅「……」
ゆっくり振り向く。砮裏が薄く目を開けていた。焦点の合わない視線。
それでも確実に霣羅を見ている。
砮裏「……でかく……なったな……」
霣羅の呼吸が乱れる。
砮裏「そんな……怖い顔、する子じゃ……なかっただろ……」
刀が揺れる。怒りで固まっていた身体が初めて震えた。
砮裏「……あめら……」
微笑む。
あの頃と同じ、優しい顔で。
砮裏「……もう、いい……」
その一言で。何かがぷつん、と切れた。霣羅の瞳から赤が消える。荒れていた呼吸が少しずつ落ち着く。
霣羅「……兄、さん……」
霣羅の刃を握る手は
気づけば、ゆっくり下がっていた。
しっっぬほどながいですわ、霣羅回に黒炎の如く熱を注ぎすぎました
でも最初はこのくらいの長さで進めていこうと思ってたのが怖いところ




