八人きょうだいの正月
ある年の正月、母は三人の息子を連れて、山の実家へ帰った。正一の米寿の祝いを兼ねた集まりだった。
県北の山あいまでは、健一の運転で三時間かかった。門をくぐると、母屋の縁側は昔と同じように、つやつやと光っていた。玄関には、履物がずらりと並んでいた。一足、また一足。浩二は思わず数えそうになった。
座敷の襖が開いた瞬間、笑い声がどっとあふれた。
「おお、来たか」
正一が大きな声で手を振った。髪は真っ白になっていたが、声は昔のままだった。寿美が台所から顔を出した。茂は座敷の真ん中で足を投げ出している。キヨ、実、和江、トミ。それぞれが、それぞれの家族を連れて、座敷いっぱいに座っていた。
「おちび」
誰かが、そう呼んだ。
浩二は思わず、母の顔を見た。
母の顔が、ぱっとほどけた。浩二が一度も見たことのない顔だった。子どものように目を丸くして、頬を赤くして笑っていた。
「うん。来たよ」
返事の声が、少女のようだった。
母は座敷に上がり、兄や姉の輪の中に入っていった。茂が昔の自転車の話を始め、座敷が笑いに包まれた。寿美が干し芋の話を持ち出すと、正一が顔を赤くして否定した。
「あれは、ちゃんと人数分に割ったんじゃ」
「おちびのだけ、倍あった」
「倍はない。三割増しじゃ」
浩二は座敷の隅で、その光景を見ていた。母が笑っている。こんなふうに笑う人だったのか。三人の息子の母でも、門の家の嫁でもなく、八人きょうだいの末っ子に戻った母が、そこにいた。
誰かが昔の流行り歌を口ずさみはじめた。トミが、和江が、寿美が重なっていく。母が調子っぱずれに続いた。
「おちび、相変わらず下手じゃなあ」
「こら、そこ。歌は心じゃ」
母はそう言い返しながら、いちばん大きな声で笑っていた。健一は部屋の隅で、言葉少なに酒をちびちび舐めていた。ときどき口もとがゆるんだ。誰も気づかなかった。母だけがそれを見て、満足そうにうなずいた。
宴の終わり近く、正一が浩二を縁側に呼んだ。
「あんたら、ようけ大きゅうなったのう」
「おかげさまで」
正一は庭の暗がりを見ながら、しばらく口を結んでいた。
「おちびがな、あの家に残ると決めたとき、わしは、帰ってこい言うたんじゃ」
「……知りませんでした」
「あいつは、ありがとう、とだけ言うた。それで、わしは何も言えんようになった」
正一は湯呑みの酒を、ひと口飲んだ。
「あれは、昔から、ああいう子じゃ。泥の中から顔を出して、風になった、言うような子じゃ」
浩二には、何の話か見当もつかなかった。正一は説明しなかった。ただ、皺だらけの手で、浩二の肩を一度だけ叩いた。
その夜、座敷にも続き間にも二階にも、全員の布団が敷かれた。夜中、誰かのいびきが地鳴りのように響き、別の誰かが寝言で返事をした。暗闇の中で、くすくす笑いが、布団から布団へ、さざ波のように広がっていった。
母はいちばん端の布団で、目を閉じたまま、口もとだけで笑っていた。




