頭を下げる
健一が友達から煙草を差し出されたのは、中学二年の秋、校舎の裏手だった。一本ぐらい、と言われ、断る言葉を探しているうちに火がついた。吸い込んだ煙は苦く、むせて涙が出た。そこへ、先生の靴音が近づいてきた。
呼び出された母は、職員室の隣の応接室で、椅子に浅く腰かけた。畑から急いで来たのだろう、指の爪の間に土が残っていた。何度も洗ったらしく、指先だけが赤くなっていた。
先生が話すあいだ、母は一度も健一をかばわなかった。話が終わると立ち上がって、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。親の、いたらんところです」
健一は、そのとき初めて見た。母の後ろ髪に、白いものが混じっていた。
帰り道、用水路の縁を歩きながら、健一は聞いた。
「怒っとる?」
「当たり前じゃ」
母は歩みを緩めなかった。
「誰も見とらん思うても、お天道さんは見とるんで。先生に迷惑かけたことも、母ちゃんに頭を下げさせたことも、自分で考えんさい」
二人とも、しばらく口をきかずに歩いた。用水路の水の音だけがしていた。やがて母が言った。
「帰ったら、飯じゃ」
それだけだった。健一は、何度も謝らされるより、その声のあとを黙って歩くほうがつらかった。
その晩、健一は、母の茶碗にだけ、自分で飯をよそった。母は何も言わずに受け取った。健一が人前で頭を下げる母の姿を見たのは、それが最初で、最後だった。そうさせなかったのは、健一自身だった。




