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土の匂い  作者: 畑野春樹
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朝市

土曜の朝、母は軽トラックの荷台に野菜を積んだ。トマト、胡瓜、茄子、葱。朝露のついた葉が、箱の中できらきら光っている。農協の朝市に出す野菜だった。浩二は、荷台の箱を押さえる係を言いつけられた。


朝市の広場は、人でいっぱいだった。テントの下に野菜や花や漬物が並び、威勢のいい声が飛び交っている。母は慣れた手つきで野菜を並べ、値札を立て、客に笑いかけた。


「いらっしゃい。このトマト、今朝採ったばっかりよ」


「ちょっと、まけてくれんか」


客の女が、トマトの山を指さした。


「まけるよ。そのかわり、まけた分、この葱を持って帰ってもらう」


「葱は、いらんのよ」


「いるよ。今晩、いる」


母は有無を言わせず、葱を三本袋に入れた。女はトマトを買いに来て、葱を抱えて帰っていった。トマトはどれも形がいびつで、ところどころに虫の齧った跡があった。台の端には、和也がクレヨンで書いた札が、朝露に濡れて反り返ったまま立っていた。


値引きした分を葱で取り返す。勘定が合っているのかどうか、浩二には怪しく思えた。母に言わせれば、損して得取れ、ということらしかった。


母の声は明るかった。畑にいるときより、少し高い声だった。


「あれ、浩二。手伝いか」


振り向くと、同じ組の友達が、親と一緒に立っていた。浩二はとっさに帽子を深くかぶり直した。


「……うん」


「えらいのう」


友達は悪気なく言った。浩二の顔が熱くなった。


母が気づいて、笑いかけた。


「あら、いつもうちの子がお世話になって。これ、持って帰り」


母はトマトを二つ、友達の手に持たせた。友達はうれしそうに礼を言った。浩二はその横で、ただ足元を見ていた。


母は悪くない。母は何も悪くない。それは浩二にも分かっていた。けれど、友達の前で野菜を売る母の姿を、見られたくなかった。見られたくないと思ってしまう自分のことも、嫌だった。


隣のテントでは、利平が不機嫌な顔で大根を並べていた。


「葱で値引きの穴埋めか。邪道じゃ」


「利平さんも、おまけしたらええんよ」


「うちは、品が違う」


胸を張った利平の台には、昼になっても客が寄りつかなかった。母はそちらを横目で見て、葱を一束、別の袋に入れた。


「こうちゃん。これ、あの人に持って行ってあげ」


「え、いや、母ちゃん、それは」


「ええから」


浩二は渋々、葱を持って隣のテントへ行った。利平は受け取って、ぎろりと浩二を睨んだ。


「……誰の差し金じゃ」


「うちの母ちゃんです」


「施しは受けん」


そう言いながら、利平は葱を、そっと自分の台の下にしまった。


そうして、浩二の顔をつくづくと見て、ぼそりと言った。


「坊主。あんたの母ちゃんの声はな、このへんの朝市で、いちばんよう通る」


何を言われたのか、浩二にはすぐには呑みこめなかった。ただ、悪口ではないことだけは分かった。


帰りの軽トラックで、母は缶ジュースを一本買ってくれた。


「ほれ。手伝ってくれた分じゃ」


「……ありがとう」


浩二は窓の外を見ながらジュースを飲んだ。甘くて、冷たかった。母は何も聞かなかった。ハンドルを握りながら、ラジオから流れる歌を小さく口ずさんでいた。調子は、やっぱり外れていた。

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