迎え
浩二は、小学校の体育館で剣道を習っていた。週に二日、竹刀を握り、面をつけ、大きな声を出す。稽古のあとの、汗を吸った面の匂いが、嫌いではなかった。
帰りは、母が軽トラックで迎えに来ることになっていた。
母の運転する軽トラックは、乗る前に覚悟が要った。荷台には野菜の箱と浩二の竹刀が一緒に積まれている。母はアクセルを踏むとき、いつも全力だった。カーブではなぜか減速せずにハンドルを切る。
「母ちゃん、もうちょっと、ゆっくり」
「ゆっくりじゃ、これでも」
急ブレーキで、荷台の竹刀がごとんと転がった。葱の束が座席のほうへずるずると滑ってくる。浩二は葱を抱えて、ダッシュボードにしがみついた。
「ごめん、ごめん。ブレーキが効きすぎた」
「母ちゃんが、踏みすぎなんじゃ」
母はハンドルを握ったまま、からからと笑った。浩二もつられて笑った。笑っていないと、命が危ない気がした。
その日、稽古が終わると、友達が次々に親の車に乗り込んでいった。ヘッドライトが体育館の前に並び、一つずつ遠ざかっていく。浩二は防具の入った重い袋を抱えて、玄関の石段に座り、母の軽トラックを待った。
来なかった。
最後に残った友達の父親が、窓を下ろして声をかけた。
「乗っていくか」
「……ええです。もうすぐ来ると思うけん」
車が走り去った。体育館の明かりが一つ、また一つと消えていった。
浩二は立ち上がって、防具の袋を肩にかけた。家まで二キロ。田んぼの中の、暗い一本道だった。
歩きながら考えた。母は忙しい。畑も田んぼも家のことも、全部ひとりでやっている。知っている。分かっている。けれど足は重く、袋の紐が肩に食い込んだ。蛙の声が、やけに大きく聞こえた。
遠くに家の明かりが見えた。
玄関の戸が勢いよく開いて、母が前掛けのまま飛び出してきた。手は泥だらけで、顔が真っ青だった。
「こうちゃん」
母は浩二の前で、立ちすくんだ。
「忘れとった。ごめんね。ごめんね」
「……ええよ」
「ごめんね」
母は浩二の肩から防具の袋を取って、自分の肩にかけた。その手が、小さく震えていた。
「ええって。歩いて帰れたけん」
浩二はそう言った。本当は少し泣きたかった。けれど、母が自分よりもっと泣きそうな顔をしていたので、泣かなかった。
その晩の夕飯には、大きな卵焼きがついた。端が真っ黒に焦げていた。母の卵焼きは昔から、焦げているのが普通だった。
「いつもより、でーれー、でかい」
和也が言った。
「うるさい。食べんさい」
浩二はものも言わずに卵焼きを口に入れた。甘かった。
その夜、浩二が便所に起きると、台所の明かりの下で、母が柱の暦に何かを書きつけていた。翌朝見ると、火曜と金曜の欄に、母の字で「こうじ むかえ」と書いてあった。来週の分も、再来週の分も、その先の分も、ずっと書いてあった。




