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土の匂い  作者: 畑野春樹
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第三部 夫と三人の子 父親になる人

最初の子が生まれたのは、嫁いで三年目、稲刈りの終わった頃だった。


産婆が取り上げた赤ん坊は大きな声で泣いた。泣いて、泣いて、夜になっても泣きやまなかった。春江は慣れない腕で抱いて、部屋じゅうを歩き回った。


進は、少し離れたところから見ていた。


「抱いてみん?」


春江が差し出すと、進は背中を固くして、両手を前に出した。熱い鍋でも受け取るような手つきだった。赤ん坊は進の腕の中で、ぴたりと泣きやんだ。


進は声も出なかった。耳の先まで赤くして、赤ん坊の顔を見つめていた。春江は思わず吹き出した。


「笑うな」


「笑うとらん」


「笑うとる」


廊下から、イネがそのやりとりを見ていた。


お七夜の朝、山の母が、鶏を一羽提げて下りてきた。バスを二本乗り継ぎ、最後の一里は歩いてきたという。鶏は道中ずっと暴れたらしく、母の着物の袖には羽根がいくつもついていた。


母は赤ん坊を抱くと、何も言わずに長いこと顔を見ていた。やがて、春江の手を取った。


「あんたの手、荒れたのう」


「お母ちゃんの手ほどじゃない」


母は笑って、自分の手と春江の手を並べた。二つの手は、同じ形にひび割れていた。


母はその晩、門の家の台所で鶏を潰し、汁を炊いた。イネと並んで鍋をのぞきこみ、塩の加減をめぐって、ひそひそと言い合っていた。翌朝、母は来たときと同じように、ひとりで山へ帰っていった。春江が畦の端まで見送ると、母は一度だけ振り返って、早う戻りんさい、乳が張るで、と手を振った。


名前をつけるのは、大騒動だった。


「勇蔵がええ」


源蔵が、茶の間の真ん中で、半紙に大きく書いた名を掲げた。筆の跡は立派だったが、赤ん坊の顔には、どう見ても似合わなかった。


「お父さん、それは、お父さんの名前と一字違いです」


イネが冷たく言った。


「縁起がええ」


「そがいな古い名前、この子が学校でからかわれます」


言い争いは夜まで続いた。進は部屋の隅で膝を抱えて、貝のように口を閉ざしていた。ようやく口を開いたのは、日付が変わる頃だった。


「……健一、は、どうですか」


座敷が、しんとした。ややあって春江が、赤ん坊の顔をのぞきこんで目を細めた。


「ええ名前じゃ。のう、健一ちゃん」


赤ん坊は返事のかわりに、大きなくしゃみをした。源蔵は半紙をそっと畳んで、懐にしまった。翌朝、その名が飼い犬に回されたことを、家の誰も春江には言わなかった。


二年おいて浩二が生まれ、また二年おいて和也が生まれた。浩二の名は進が三晩考えて決めた。和也の名は、考えるのに疲れた進が、紙に書いて、断りもなく柱に貼った。


「手ぇ抜いたな」


源蔵が言った。


「抜いとらん。ええ名前です」


進はいつになく、きっぱりと言った。春江は台所で笑いをこらえて、味噌汁をこぼした。


疳の虫が強いのか、二番目の浩二は夜泣きがひどかった。母に教わったとおり、春江は寝間の柱に疳の虫封じのお札を貼った。それでも泣いた。夜泣きで起こされ、おむつを替え、乳を飲ませ、その合間に畑に出る。春江は背中に赤ん坊をくくりつけたまま、畦の草を抜いた。背中の子が眠ると、畦に腰を下ろして、束の間、自分も目を閉じた。


子どもたちは、みるみる大きくなった。


健一は、生まれたときからあまり泣かない子だった。大きくなっても口数が少なく、聞かれたことにだけ短く答える。そのくせ、弟たちの面倒はよく見た。


和也はその反対だった。どこにいても笑い声の真ん中にいて、兄たちの真似ばかりし、泥団子を本当に食べて大騒ぎになった。


「吐きんさい、吐きんさい」

「うまかった」


「うまかったんじゃない」


縁側で湯呑みを持ったまま、源蔵が肩を震わせていた。


その間に挟まれた浩二は、二人をよく見ている子だった。無口な兄の背中と、にぎやかな弟の声。どちらかにならなくていい。けれど、どちらにもなれない。そんなことを、まだ言葉にはできなかった。


家の裏の農機小屋は、子どもたちの格好の遊び場だった。耕運機の座席に座ってハンドルを回し、藁の山に飛び込む。あるときかくれんぼの最中に、和也の姿が夕方になっても見つからず、家じゅうが大騒ぎになった。井戸の中までのぞいた。見つかったのは、耕運機の座席の上だった。和也はハンドルを抱いたまま、よだれを垂らして眠っていた。


「寝とった」


「見りゃ分かる」


源蔵が、笑いすぎてむせた。


夕方、畦から戻った進が、泥だらけの手で三人の頭を順に撫でた。和也がその手をつかまえて、春江の洗いたての前掛けに押しつけた。前掛けに、大きな五本の指の跡と、小さな五本の指の跡が並んだ。春江は叱るより先に、笑ってしまった。

その前掛けを、春江はずっと洗わずにしまっておくことになる。そのときは、まだ知らなかった。

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