垣根越し
田んぼのほかに、門の家には畑があった。
春江は、その畑が好きになった。土の匂い、虫の羽音、葉の裏の水滴。朝いちばんに出ると、昨日はなかった芽が顔を出していて、それだけで一日がうれしくなる。
トマトは支柱の立て方で出来が変わる。茄子は、水を朝やるか夕方やるかで味が違う。春江は野菜に話しかけるように世話をした。米ぬかを土に混ぜ、虫を一匹ずつ摘み、葉の色を見て水を加減した。台所ではいつまでも半人前だったが、畑では、手が勝手に正しいほうへ動いた。
「春江さん、あんたとこの胡瓜、えらいええ形じゃな」
垣根越しに、ふみが首を伸ばした。朝の畑で顔を合わせれば、この村では「精が出るのう」「おかげさんで」と言い交わすのが挨拶だった。ふみは、その挨拶もそこそこに、本題に入る女だった。
「ふみさんとこのも、ええ色よ」
「うちのは、つやが違うんじゃ」
「つやで野菜は食べられん」
「味も負けとらんぞ」
二人は同じ顔で、にやりとした。その日から、張り合いが始まった。どちらの茄子が大きいか、どちらのトマトが赤いか。採るたびに垣根越しに見せ合い、声を張り上げた。
「うちのが、一寸は大きい」
「それは、物差しが曲がっとる」
負けたくなくて、春江は夜、こっそり畑に水をやった。やりすぎた。翌朝、トマトの実がぱっくりと割れていた。春江は畑の前で顔を覆った。
「割れとるのう」
後ろから、ふみの声がした。春江は振り返れなかった。
「うちも去年やった。水はな、やりすぎるほうが、もったいないんよ」
「……教えてくれるん?」
「勝負は勝負じゃ。けど、割れたトマトは、割れたまんまじゃ気の毒じゃろ」
ふみは割れた実を一つもいで、その場でかぶりついた。
「うまいわ、これ」
春江は、とうとう吹き出した。
その秋、大きな台風が来た。
前の日、二人は朝から晩まで収穫に走り回った。できるだけ早く、できるだけ多く。ふみの茄子を春江が運び、春江のトマトをふみが抱えた。雨が畑を叩きはじめる頃、二人は泥だらけで、門の家の軒下に並んで座っていた。
「負けたわ」
「何がじゃ」
「今日は、あんたのほうが、ようけ運んだ」
「それは、勝ちとは言わん」
雨の音が、二人の笑い声をかき消した。
翌朝、村の畑はひどい有様だった。ただ、前の日に採り終えていた二人の畑は、被害がわずかで済んだ。
「全滅じゃ」
垣根の向こうの利平の畑から、うめくような声が聞こえた。自慢の大根が、根こそぎ風に倒されていた。利平は青いシャツのまま、畑の真ん中で呆然と立っていた。
春江は少し迷ってから、採っておいた茄子を籠に詰めて、利平の家の垣根の脇に置いた。
「……なんじゃ、これは」
「余ったんです。よかったら」
「同情なら、いらん」
「同情じゃありません。余ったんです」
利平は籠を穴があくほど睨んでいた。やがて、そっぽを向いたまま言った。
「……煮るなよ」
「えっ」
「あんたが煮たら、炭になるそうじゃないか。村じゅうの噂じゃ。そのまま漬けて食うわ」
籠は、翌朝、空になって返ってきた。底に、倒れずに残ったらしい小さな大根が一本、土を払って入れてあった。
春江はその大根を、手のひらに載せて、飽かず眺めていた。




