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いつか、君にただいまを――勇者一行の騎士は、ただ故郷へ帰りたい。  作者: puni0023


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第8話 ただいま

その日も、ミアはいつも通りの朝を迎えた。


夜が明ける前に起きて、窯に火を入れる。生地をこね、発酵を待ち、焼き上げる。十年間、数えきれないほど繰り返してきた、いつもの作業だった。


魔王討伐の報せから、もう十日ほどが経っていた。シオンがいつ帰ってくるのか、正確なことは誰にもわからない。今日もまた、いつもと同じ一日になるのだろう――そう思いながら、ミアは店先の掃除を始めた。


「おはようございます、ミアさん」


「おはよう。今日もいい天気だね」


近所の人と、いつも通りの挨拶を交わす。焼きたてのパンの匂いに誘われて、朝の客がぽつぽつとやってくる。


いつも通りの、なんでもない朝。


昼が近づく頃、店番をしながら、ミアは少しだけぼんやりしていた。


――今頃、どのあたりを歩いているんだろう。


考えても仕方のないことを、つい考えてしまう。それも、この十年ですっかり癖になってしまったことだった。


からん。


店のベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」


顔を上げないまま、いつもの調子で声をかける。それから、視線を客に向けて。


――時が止まった。


戸口に立っていたのは、旅装のままの、あの人だった。


土埃にまみれた外套。記憶よりも逞しくなった体。頬に残る、見覚えのない傷跡。けれど、こちらをまっすぐに見つめる薄紫色の瞳だけは、あの日のままだった。


「シオン……」


声が、震えた。信じられなくて、動けない。夢か現実かもわからないまま、ミアはただ立ち尽くしていた。


シオンは、少しだけ笑った。あの、子どものころから変わらない、くしゃっとした笑い方で。


「ただいま、ミア」


その一言で、十年間、ずっと堪えてきたものが、音を立てて崩れ落ちた。


「――っ、う、あああ……!」


言葉にならない声を上げて、ミアはその場に崩れ落ちそうになる。駆け寄ったシオンが、そんなミアをしっかりと抱き留めた。


「おかえり……!」


「ああ」


「本当に……本当に、帰ってきた……!」


「ああ、帰ってきた」


シオンの胸に顔を埋めて、ミアは声を上げて泣いた。十八のあの朝から、ずっと我慢してきたもの全部が、堰を切ったように溢れ出す。誰の前でも見せなかった、本当の顔。抑えて、抑えて、抑え続けてきたもの。


「無事でよかった……! ずっと、ずっと心配してた……!」


「……ごめん」


シオンの声も、わずかに震えていた。


「十年も、待たせて。……本当に、ごめん」


その言葉に、ミアは首を激しく振った。何か言おうとしても、嗚咽ばかりが込み上げてきて、うまく言葉にならない。涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、ただ首を振り続ける。


「ミア」


「……っ、う、う……」


声にならない声だけが、シオンの胸元にこぼれ落ちる。何かを伝えたくて、けれど声が出なくて、ミアはただ、シオンの背中に縋りつくように腕を回した。


しばらくして、ようやく絞り出せたのは、たった一言だった。


「……帰ってきてくれて、ありがとう……!」


震える声で、それだけを伝える。その一言に、シオンの目からも、堪えきれなかったものが零れ落ちた。


店の外で、通りかかった村人たちが、何事かと立ち止まる。けれど、誰も声をかけようとはしなかった。ただ静かに、その光景を見守っていた。


十年という歳月が、たった一つの「ただいま」に、静かに溶けていく。


抱き合ったまま、二人はしばらく、そこから動けなかった。


*


少し落ち着いてから、ミアはシオンの手を引いて教会へ向かった。


「シスター! 牧師様! シオンが……シオンが帰ってきました!」


飛び込むように告げたミアの声に、奥からシスターと牧師が、弾かれたように顔を上げた。


「――シオン!」


真っ先に駆け寄ったのはシスターだった。目に涙を浮かべながら、シオンを力いっぱい抱きしめる。


「よかった……! 本当に、よかった……!」


けれど、抱擁を解いたシスターは、すぐに眉を吊り上げた。


「でも、シオン! いくら仕方のないことだったとはいえ、ミアちゃんをこんなに待たせて……! 十年よ、十年!」


「……すみません」


「まったく、この子は……!」


叱りながらも、シスターの目からは、次々と涙が溢れていた。喜びと、安堵と、これまでの心配の全部が、その涙に滲んでいる。


牧師は、そんな二人を見て、静かに目を細めた。それから、シオンの前に立つと、昔と同じように、その頭にそっと手を乗せた。


「……よく、帰ってきた。よくやったな、シオン」


かつて、行きたくないと本音を漏らした、あの日と同じ手だった。あのときと同じように、シオンはその手の温もりに、目の奥が熱くなるのを感じた。


*


知らせはあっという間に村中に広がった。


「シオンが帰ってきたんだって!」


「本当かい、よかったねえ!」


店の前には、次々と村人たちが詰めかけ、口々に祝福の言葉をかけてくれる。


その人混みの中に、ルイスの姿もあった。少し離れた場所から、シオンとミアを見つめている。


――一瞬、もらってやろうかと思ったこともあったな。


苦笑まじりにそう思いながら、ルイスは小さく息を吐いた。それから、いつもの明るい調子で、二人のもとへ歩み寄る。


「おかえり、シオン。……ミアのこと、ちゃんと大事にしろよ」


「ああ。ありがとう、ルイス」


短いやりとりだったが、二人の間には、確かな何かが通じ合っていた。


*


「うそでしょ、ほんとに帰ってきたの……!?」


人混みをかき分けて駆けつけたのは、あの幼馴染だった。結婚式のとき、悪気なく「まだ待ってるの?」と聞いた、あの友人だ。


シオンの姿を見るなり、彼女は目を丸くして、それからくしゃりと顔を歪めた。


「よかったね、ミア……! 本当に、よかった……!」


抱きつくようにして喜ぶ友人に、ミアも笑いながら、涙をもう一度溢れさせた。


村中が、まるで自分のことのように、ミアとシオンの再会を喜んでいた。


*


「こりゃあ、宴をしなくちゃならんな!」


村長が、腹を抱えて笑いながら声を上げた。


「英雄の帰還だぞ! こんなにめでたいことはない!」


その一声で、村はさらに沸き立った。誰かが酒樽を運び出し、誰かが即席の料理を持ち寄り始める。


「して、シオンよ。これから、どうするつもりだ?」


村長に問われて、シオンは少し照れくさそうに、けれどはっきりと答えた。


「ミアと結婚して、村で働こうと思います」


「おお、そうかそうか!」


その返事に、村長は満足げに何度も頷いた。


そこへ、人混みをかき分けて、見覚えのある大柄な男が近づいてきた。ガイだった。かつてシオンに剣を教えた、自警団のボスだ。


「シオン。……お前、自警団にはもう戻らんのか?」


真剣な眼差しで問うガイに、シオンは少し戸惑ったように目を瞬かせた。


「戻って……いいんですか?」


「馬鹿を言うな」


ガイは呆れたように笑って、シオンの肩を叩いた。


「お前の腕を欲しがってる村人が、ここにどれだけいると思ってる。元英雄がいたら、この村は安泰だ」


その言葉に、シオンは目を細めた。


十年もの間、旅から旅への日々を送ってきた。もう、自分の居場所なんて、この村にはないのかもしれない――そんな不安が、心のどこかにあった。


けれど、違った。


ミアの夫としても、自警団の仲間としても、シオンの居場所は、ちゃんとこの村に残っていた。


賑やかな祝福に包まれながら、日が暮れていく。長い一日の終わりに、ミアはようやく、静かな幸福を噛みしめていた。

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