第7話 魔王討伐
その報せが村に届いたのは、ミアが二十八歳になった年の冬だった。
「魔王討伐、成った!」
王都からの早馬が、村の広場でそう叫んだ瞬間、村中が歓声に包まれた。
「勇者エド様、僧侶マリア様、魔法使いリディア様、盗賊バルト様、騎士シオン様――全員、ご生還!」
その名前が読み上げられるたび、ミアの目から涙が溢れた。
「……生きてる。シオン、生きてる……!」
十年間、ずっと待ち続けた言葉だった。膝から崩れ落ちそうになるミアを、駆け寄ってきたシスターが支えた。
「よかった……本当に、よかったね、ミア」
村中が祝福に沸き立つ中、ミアはただ、涙を流し続けた。
*
けれど、その喜びから数日が経っても、シオンは村に戻ってこなかった。
王都からこの村までは、馬でも半月近くかかる道のりだ。すぐには戻ってこられないことくらい、ミアにもわかっていた。焦る気持ちを抑えながら、それでも心のどこかで、今か今かと村の入り口に目をやってしまう自分がいた。
風の噂によれば、魔王討伐を成し遂げた勇者一行は、今、王都で盛大な祝賀行事に迎えられているという。国を挙げての祝勝会。英雄としての褒賞。しばらくは、王都に留め置かれるのだろう――村人たちはそう噂した。
そしてもう一つ、別の噂も流れてきた。
「王女マリア様と、英雄の誰かが結婚するらしいよ」
その噂を耳にしたとき、ミアの心臓が、ひやりと冷たくなった。
――もしかして、シオンなのかもしれない。
戦場を共にし、傷を癒し合い、王女自らが心を寄せていた騎士。噂の真偽など、誰にもわからない。それでも、あの一時帰還の日、傷を気遣うマリアの横顔が、否応なく頭をよぎった。
けれど、ミアは静かに首を振った。
――もう、いい。
生きていてくれた。それだけで、十分だった。この十年、何よりも恐れていたのは、シオンが帰ってこないことだった。それさえ叶わなければ、他のことなど、どうでもよかった。
そう、自分に言い聞かせるように、ミアは繰り返した。
*
一方、王都では。
謁見の間で、勇者一行――エド、マリア、リディア、バルト、そしてシオンは、揃って国王の前に膝をついていた。豪奢な玉座から、国王が満足げに一同を見下ろしている。
「勇者エドよ、僧侶マリアよ、魔法使いリディアよ、盗賊バルトよ、騎士シオンよ。此度の働き、まことにあっぱれである」
まず、国王はエドに向き直った。
「エドよ。そなたは異界より召喚された身。元の世界へ帰るための魔道具の鍵と、相応の金子を授けよう」
「ありがとうございます」
エドは神妙な顔で頭を下げた。
次に、国王の視線はリディアへと移った。
「魔法使いリディアよ。そなたには、魔法団長の地位と、爵位、そして領地を授けようと思うが」
「――お断りします」
あっさりとした即答に、国王が片眉を上げる。リディアは、いつものふんわりした調子を崩さずに続けた。
「私、実は魔法を使うより、魔導具を作るほうが好きなんです。だから、地位とか領地とかより……魔導具の研究費をいただけたら、それで十分です」
国王は面食らったような顔をしたが、やがて小さく笑った。
「……変わった娘だ。よかろう」
続いて、バルトの番だった。
「盗賊バルトよ。そなたにも、爵位と領地を用意しよう」
「いや、俺は結構です」
バルトは軽い調子で手を振った。
「俺、ふらふらするのが好きなんで。……あ、でも金は貰っときます」
国王は、今度こそ声を上げて笑った。
「まったく、揃いも揃って欲のない者たちだ」
最後に、国王の視線がシオンへと向いた。
「騎士シオンよ。そなたにも、褒賞として爵位と領地、そして相応の金子を授けよう。加えて、王都騎士団において、然るべき地位を用意する」
「――お断りいたします」
「……お前もか」
国王は小さく笑って、片眉を上げた。
謁見の間がわずかにざわつく中、国王は興味深そうに続けた。
「理由を聞こう」
「私はもとより、名誉や地位のために剣を取ったのではありません。故に、それらを受け取る資格はないと考えます」
しばしの沈黙のあと、国王は興味深そうに目を細めた。
その視線が、ちらりとマリアへ向けられる。マリアが誰を想っているのか、国王は以前から気づいていた。
「では、マリアを娶る気はないか。あれほどの功績を挙げた騎士だ、王女の伴侶として不足はない」
「――ありません」
これもまた、迷いのない即答だった。国王は少し驚いた様子だったが、やがて小さく笑う。
「では、何を望む」
「故郷へ、帰らせてください」
たったそれだけだった。それ以上でも、それ以下でもない。国王はしばらくシオンを見つめたあと、静かに頷いた。
「……よかろう。よく戦った、シオン」
そう言ってから、国王はふと付け加えた。
「だが、何も報いぬというのは、こちらの気が済まぬ。褒美の品は、後日そなたの故郷へ届けさせよう」
*
謁見の間を出たところで、シオンはマリアに呼び止められた。
「シオン様」
振り返ると、マリアが静かな面持ちで立っていた。いつもの柔らかな微笑みではなく、どこか覚悟を決めたような表情だった。
「先ほどのお言葉……私との縁談を、お断りになっていましたね」
「マリア様」
「謝らないでください。ただ……少しだけ、聞いてもいいですか」
マリアは静かに続けた。
「この十年、あなたの隣で戦ってきました。傷を癒し、支え合って。……正直に言えば、いつからか、あなたに惹かれている自分に気づいていました。だから、陛下のお言葉を聞いたとき、少しだけ、期待してしまったんです」
シオンは、まっすぐにマリアを見つめた。誠実に、けれど迷いなく。
「マリア様には、心から感謝しています。あなたがいなければ、俺はきっと、この十年を生き延びられなかった。それは、本当です」
「……でも」
「でも、俺の心は、ずっと一人の女性だけのものでした。旅の間、一日たりとも、彼女を想わなかった日はありません」
その言葉には、迷いも、装いもなかった。あまりにもまっすぐで、あまりにも純粋な想いだった。
マリアはしばらく黙っていた。それから、ふっと小さく笑う。どこか吹っ切れたような、寂しさの滲む笑顔だった。
「……敵いませんね、これは」
「マリア様」
「実を言うと、私にも、かつて婚約者がいたんです。隣国の王族の方でした」
思いがけない告白に、シオンは口を噤んだ。
「でも、この旅に出ることが決まったとき、破談になりました。何年かかるかもわからない旅の間、待っていてくれるはずもなく……当然のことです。誰も、悪くありません」
マリアは静かに、けれどどこか寂しげに続けた。
「だから、あなたのように、十年経っても一つも揺らがない想いというものが、正直、羨ましくて仕方なかったんです」
そして、少し前に村へ立ち寄ったときのことを思い出すように、マリアは目を細めた。
「あの村で、ミアさんにお会いしたとき……かわいらしい方だな、と思いました。それだけじゃなく、お店を切り盛りする姿も、村の皆さんに愛されて見守られている姿も。誰に対しても、分け隔てなく優しくて。……ああ、この方だから、シオン様はずっと想い続けてこられたんだな、と」
「マリア様」
「羨ましいです、本当に。……ミアさんのことも、あなたのことも」
その声には、悔しさよりも、清々しさが滲んでいた。
「十年間、一度も揺らがなかった想いに、私が敵うはずないですもの」
マリアは涙を堪えるように、けれど晴れやかに微笑んだ。
「行ってください、シオン様。……あなたを待つ人のところへ」
「ありがとうございます」
深く頭を下げるシオンに、マリアは静かに首を振った。それ以上、何も言わなかった。
*
謁見を終えたシオンのもとに、エドが駆け寄ってきた。
「おい、シオン! 今夜、祝賀会があるんだぞ。俺たちが主役みたいなもんなのに、まさか出ないつもりか?」
「悪い。今日は失礼する」
「今日くらいいいだろ! 十年も戦ったんだ、一晩くらい――」
「十年、待たせたんだ」
シオンは静かに、けれどはっきりと言った。
「もう一日も、待たせたくない」
その言葉に、エドは一瞬呆気に取られたあと、諦めたように笑って、シオンの肩を叩いた。
「……そうだな。行ってこい」
そこへ、バルトがひょいと割り込んでくる。
「俺もあのお堅い式典、正直苦手なんだよなあ。主役じゃなきゃ出る気しなかったし……まあ、お前がいなくなるなら俺も抜けようかと思ったけど、さすがに揃って欠けすぎるのもよくないしな。褒美の金、俺が代わりに受け取って届けといてやるよ」
「バルト……」
「行ってやれって。ミアちゃん、待ってるんだろ」
にっと笑うバルトに、シオンは小さく頭を下げた。
「ありがとう」
少し離れた場所から、リディアがふわりと微笑んで手を振った。
「お疲れ様、シオン。またどこかで、会おうね」
飾らない、けれど温かい声だった。シオンも笑みを返す。
「ああ。世話になった」
礼を言う間もなく、シオンはすでに馬に乗っていた。王都の門を抜け、街道を、ただひたすらに駆けていく。十年間、焦がれ続けた場所へ。
夕暮れの光が、街道を赤く染めていた。




