第6話 10年
「ミア。……ずっと、言えなかったことがあるんだ」
店じまいの後、いつものように薪割りを手伝ってくれたルイスが、少し改まった様子でそう切り出した。
「うん?」
「好きだ。ずっと前から」
まっすぐな告白だった。飾らない、けれど覚悟の滲む声。
ミアは、すぐには言葉が出なかった。
ルイスは村長の息子で、村の誰からも好かれている青年だ。この数年、力仕事を黙って手伝い続けてくれた。悪い人では、決してない。むしろ、誰よりも優しい人だと知っている。
だからこそ、余計に胸が痛んだ。
「ルイス……ごめん、少しだけ、考えさせてもらえる? 一晩でいいから」
「ああ、もちろん」
ルイスは頷いた。急かすつもりはない、というように。
その夜、ミアは眠れないまま、教会を訪ねた。事情を話すと、シスターは静かに耳を傾けたあと、ミアの手をそっと握った。
「ミア。どちらを選んでも、シオンは怒らないと思うわよ」
「シスター……」
「あなたがルイスさんを選んでも、シオンを待つことを選んでも。……大切なのは、あなた自身がどうしたいか。それだけ」
その言葉に、ミアは静かに頷いた。答えは、もう自分の中にあった。
翌日、ミアはルイスのもとを訪れた。
「ルイス……ありがとう。本当に、嬉しい」
「でも?」
「……ごめんなさい」
ルイスは一瞬だけ辛そうな顔をしたが、すぐにいつもの笑顔に戻した。
「わかってるよ、そんなことは。……でも、もし気持ちが変わったら、いつでも言ってくれ。俺、待つの得意じゃないけど、ミアのためなら、待てると思うから」
その優しさが、かえってミアの胸を締めつけた。
*
ルイスの告白を断った日の夜、ミアは思わず教会に足を向けた。誰かに、聞いてほしかった。
「あら、ミア」
顔を見せただけで、シスターにはすべてわかったようだった。
「……そうなの。断ったのね」
「うん」
シスターは、そっとミアの手を握った。
「ミアがそうしたいなら、それでいいと思うわよ」
それから、少しおどけたように付け加える。
「まったく、シオンったら。……頑張ってるのは知ってるけど、ミアを待たせすぎよね」
その軽口に、張り詰めていたミアの気持ちが、少しだけほどけた。
「シスター……」
「でもね」
シスターは、優しく目を細めた。
「どんな選択をしても、シオンはきっと怒らないと思うわ」
優しい声だった。責めるでも、急かすでもない。ただ、ミアを気遣う気持ちだけが伝わってくる。
それでも、ミアは静かに首を振った。
「ありがとう、シスター。……でも、私は待ちたいの。誰かに言われたからじゃなくて、自分で決めたことだから」
シスターは少し寂しそうに微笑んで、それ以上は何も言わなかった。ただ、ミアの背中をそっと擦ってくれた。
*
一時帰還から、もう数年が経っていた。二十五歳、二十六歳、二十七歳と、ミアは静かに年を重ねてきた。
シオンからの手紙は、以前にも増して間隔が空くようになっていた。魔物の被害が各地で拡大し、郵便の輸送そのものが滞ることも珍しくなくなっていたからだ。半年、届かないこともあった。
それでも届いた手紙には、変わらず「必ず帰る」の一文があった。ミアはその一文だけを支えに、また次の手紙を待つ日々を送ってきた。
村では、ミアの結婚適齢期はとうに過ぎたと囁かれるようになっていた。
「ミアも、そろそろ自分の人生を考えた方がいいんじゃないかい」
市場で顔見知りの女性にそう声をかけられたのは、つい先日のことだった。悪気のない忠告だと、ミアにもわかっていた。
「シオンさんが帰ってきたって、あの王女様のところに行っちゃうかもしれないしねえ」
それも、誰かに言われるまでもなく、ミア自身が一番よくわかっていることだった。あの一時帰還の日、出発の支度をしながらマリアがシオンの傷を気遣っていた光景が、今も時折頭をよぎる。
だからこそ――ルイスの告白は、ミアの心を、思った以上に大きく揺さぶった。
「……そう、ですよね」
曖昧に笑って受け流すことにも、ミアはすっかり慣れてしまっていた。
*
その夜、ミアは久しぶりに、送れない手紙を書いた。
*シオンへ
今日、ルイスに告白された。断ったよ。当然でしょ、なんて笑ってみせたけど、本当は、ちゃんと断れたことに、自分でも少しほっとした。
シオンのことが嫌いになったわけじゃない。それだけは、誓って本当。
でも、正直に言うね。
私……あと何年待てばいいの?
届かない手紙だから、書ける。誰にも見せられない、弱音。
十年経っても、二十年経っても、私はきっと同じことを書いてる気がする。それでも、あなた以外の人と生きていく未来が、どうしても思い描けないの。
ばかみたいだよね。
早く、会いたいよ。
ミア*
書き終えた手紙を、いつものように木箱にしまう。箱の中には、もう数えきれないほどの「届かない手紙」が積み重なっていた。
*
結局、ミアは誰とも結婚しなかった。
村の噂も、心配してくれる人たちの忠告も、痛いほどよくわかっていた。それでも、答えは変わらなかった。
シオンが、好きだから。
ただそれだけの理由で、ミアは待ち続けることを選び続けていた。
けれど、心のどこかで、静かに擦り減っていくものがあることにも、ミアは気づき始めていた。
待つことは、想像していたよりずっと、長くて、重くて、孤独だった。




