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いつか、君にただいまを――勇者一行の騎士は、ただ故郷へ帰りたい。  作者: puni0023


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第2話 約束


出発までの数日、ミアもシオンも、なかなか寝つけない夜を過ごしていた。


言葉にすれば、きっと涙があふれてしまう。そんな予感があったのか、二人とも、あえて何も言わなかった。


ベッドに横になると、シオンはミアをぎゅっと抱きしめたまま、離そうとしなかった。ミアもそっと、シオンの腰に腕を回す。いつもより、少しだけ強く。離れたくない、という気持ちを込めて。


そうして黙ったまま、ミアはいつも、二人が歩いてきた時間を思い返していた。


――全部、あの日から始まった。


*


五歳のミアは、母に手を引かれて初めて教会の孤児院を訪れた。その日を境に、パン屋で余ったパンを届けるのが、ミアの毎日の「おつかい」になった。


「今日はいっぱい余ったから、たくさん持っていってあげて」

「今日はちょっとしかないの……ごめんね、って伝えてね」


日によって重かったり軽かったりする籠を抱えて、ミアは毎日夕方になると教会へ通った。魔物の被害で親を失う子どもは少なくない。だからこそ村人総出で育てようという空気がこの村には根付いていて、パン屋の余り物を届けるのも、ごく当たり前の日課だった。


初めて中庭に足を踏み入れたとき、隅っこに一人だけ、輪に入らずしゃがみ込んでいる男の子がいた。


膝を抱えて俯いていたその子が、気配に気づいてふと顔を上げる。目が合った瞬間、ミアは思わず息を呑んだ。癖のない黒髪の下から覗く瞳は、薄紫色をしていた。夕暮れの光を受けて、ほんのりと透き通るような色に揺れている。こんな色の目を、ミアはそれまで見たことがなかった。


「……きれい」


思わずこぼれた一言に、男の子は驚いたように目を瞬かせた。ミアは我に返って、慌てて手にしていた丸パンを差し出す。


「あ……食べる?」


その瞳が、まっすぐにミアを見つめ返す。差し出した丸パンを、その子はしばらく見つめてから、おずおずと受け取った。


「ありがとう」


小さな声だった。それが、シオンだった。


その日の夜、ミアは母に、その日会った男の子の話をした。


「すごく綺麗な目をしてたの。薄い紫色で」


「あら」母は少し驚いた顔をしてから、優しく微笑んだ。「その子、シオンっていうのね? シオンって、お花の名前なんだよ。薄紫色の、綺麗な花」


「そうなの?」


「ええ。……名前にぴったりの色ね」


「見てみたいな、その花」


ミアがそう言うと、母はくすりと笑った。


「今度、一緒に探しに行こうか」


母のその一言を、ミアは、なぜだかいつまでも覚えていた。


その日から、ミアは毎日その子のところへ通うようになった。シスターに言わせれば、シオンはひどく人見知りな子で、他の子どもたちともなかなか馴染めずにいた。神父にもシスターにも、必要な受け答え以上のことはめったに口にしない。それなのに、ミアの前でだけは、驚くほど素直に言葉を返した。


「今日はパン、いっぱいあるよ」

「……多いな」

「たくさん食べて」

「うん」


そのうち、ミアはこっそり、ひとつだけ特別な分を用意するようになった。


「本当は、孤児院のみんなにあげる分なんだけど……シオンには、先にあげるね。神父さんとシスターには、秘密だよ」


しー、と人差し指を口に当てて笑うミアに、シオンは少し戸惑ったように、それでも、どこか嬉しそうに頬を緩めた。


そんな他愛もないやりとりが、毎日少しずつ積み重なっていく。同い年だということ。シオンには両親の記憶がほとんどないこと。ミアが少しずつ家の手伝いを任されるようになったこと。今朝、生地をこねる粉の量を間違えて、母に軽く叱られたこと。


その様子を、ミアの両親も、神父も、シスターも、いつも微笑ましく見ていた。


「あの子、ミアにだけは心を開くのねえ」

「ミアといるときだけ、ちゃんと笑うんですよ」


誰に言われるでもなく、村の大人たちは、パン屋の娘と孤児院の少年のあいだに芽生えたものを、静かに、あたたかく見守っていた。


*


十歳になったある日、ミアはパン屋の手伝いで、村はずれの林へ木の実狩りに出かけていた。ちょうど同じ頃、シオンも孤児院の食材集めで、同じ林に来ていた。顔を合わせれば、当たり前のように並んで歩く。そんな二人が、林の奥で魔物に遭遇したのは、ほんの偶然だった。


はぐれ狼のような魔物が二頭、茂みの向こうから唸り声を上げていた。逃げようとしたミアが転び、悲鳴を上げる。とっさにシオンが前に出て、木の枝を振り回して威嚇した。震える手で、それでも下がらなかった。


駆けつけた自警団に助けられたとき、シオンの手も足も擦り傷だらけだった。


「大丈夫か、坊主。無茶するな」


自警団の男――後にシオンの剣の師匠となるガイだった――にそう言われても、シオンは俯いたまま何も答えなかった。その夜、ミアが様子を見に行くと、シオンはぽつりと言った。


「俺が、もっと強かったら」


「シオン……」


「ミアを守れるくらい、強くなりたい」


その言葉通り、シオンは翌日からガイのもとに通い、木剣の素振りを始めた。誰に頼まれたわけでもない。ただ、自分の意志で。


その日の出来事は、すぐに村中の知るところとなった。まだ十歳の子どもが、我が身も顧みずミアの前に立ちはだかったのだと。


その夜、ミアの父と母は二人きりで長く話し込んでいたらしい。詳しい中身をミアが知るのは、ずっと後になってからのことだ。


「あの子がいてくれれば、ミアも安心だ」

「ええ。とっさに、ミアの前に出られる子ですもの」


まだ十歳の子ども二人に向けるには、いくらか気の早い話だったかもしれない。それでもその日を境に、ミアの両親も、神父も、シスターも、どこか二人の将来を見守るような目をするようになった。誰も声高には言わなかったけれど、村の中では、それはもう半ば公認のようなものだった。


*


十四歳の年、村は大規模な魔物の襲撃を受けた。


夜半、けたたましい警鐘が鳴り響いた。あの音が何を意味するか、村人なら誰もが知っている。魔物襲来の合図であり、同時に「教会へ集まれ」という合図でもあった。異変に気づいたミアの両親は、寝ていたミアを叩き起こすと、迷わず教会へと向かった。石造りの頑丈な教会には、既に何人もの村人と、そこで暮らすシオンの姿もあった。


けれど、安心できたのはほんの束の間だった。


「……来る」


誰かが叫んだ。教会のすぐ近くまで、魔物の群れが迫っていた。悲鳴が上がる。大人たちは迷わず武器になりそうなものを手に取り、子どもたちを奥へ押しやりながら、次々と外へ飛び出していった。ミアの父も、その中の一人だった。


「お父さん!」


追いすがろうとするミアの前に、父が膝をついて向き合う。強張っていた顔が、一瞬だけいつもの優しい目に戻った。それから父は、隣に立っていたシオンの肩をしっかりと掴んだ。


「シオン。ミアを頼む」


それだけだった。だが、その一言に込められた覚悟の重さを、当時のシオンはまだ理解しきれていなかった。父はミアの頭をひと撫ですると、母と共に、他の大人たちに続いて外へと駆けていった。


「さあ、こちらへ! 急いで!」


シスターと神父が、残された子どもたちを教会の裏手へと誘導する。シオンはミアの手を強く握り、泣き叫ぶ彼女を引きながら走った。振り返ろうとするミアの視線を、シオンは無理やり前へ向けさせた。


夜通し、教会の裏の丘に身を潜めていた子どもたちのもとに、朝日とともに知らせが届いた。


村は守られた。けれど、ミアの両親は帰ってこなかった。


*


孤児院を出るのは、普通なら十六歳になってからだった。けれど、両親を失ったミアを一人にしておけないと、シオンは神父に願い出た。


「ミアと、暮らしたいです。……少し早いのはわかってます。でも」


まだ十四歳のシオンの言葉に、神父はしばらく考え込んだ。それから、静かに尋ねた。


「暮らすには、お金がいるよ。わかっているのか?」


「働きます。俺。」


迷いのない即答だった。神父はその目をじっと見つめてから、根負けしたように頷いた。


その足で、シオンはガイのもとを訪ねた。自警団に、正式に所属させてほしいと。


「まだ十四だぞ、お前」


ガイは一度は渋ったものの、実際にシオンの動きを見て、考えを変えた。歳の割に、体さばきも、剣筋も、申し分ない。むしろ、大人顔負けの筋の良さがあった。


「……いいだろう。見習いとして置いてやる」


こうして、シオンは自警団の一員として、正式に働き始めた。


一方、神父とシスターは、ミアにも同じことを尋ねた。


「ミアは、どうしたい? あなたも、同じ気持ちなのかい?」


「私も、働きます」


ミアは、迷いなく頷いた。


「お母さんの仕事、ずっと見てきました。だから、あのお店を続けたいです」


その言葉に、神父もシスターも、微笑みながら頷いた。


それから、孤児になったミアとシオンは、教会と村の力を借りながら、二人で店を続けていくことになった。ミアはまだ幼い手で母のレシピを再現しようとし、シオンは配達から力仕事まで、何でも手伝った。二人で暮らし始めるのは自然な流れだった。もう互いしか、寄りかかる場所がなかったから。


シオンは鍛錬を続けた。ガイの下で剣を学び、十五歳になる頃には、見習いから正式なメンバーとして認められるようになっていた。強くなることだけを、ひたすらに願って。


けれど、いつからだろう。


「守らなきゃ」という気持ちの奥に、別の感情が芽生えていることに気づいたのは。


朝、寝ぼけ眼で厨房に立つミアの横顔。生地をこねる手つき。ふとした瞬間に見せる笑顔。気づけばシオンは、ミアのことばかり考えている自分に戸惑っていた。


告白したのは、どちらが先だったか、今となっては二人とも覚えていない。ただ、ある日を境に、二人は自然と手をつないで歩くようになっていた。


*


十八歳の夏、シオンはミアを連れて村外れの丘に登った。


「結婚しよう」


前置きも何もない、シオンらしいまっすぐな言葉だった。ミアは驚いた顔をしてから、それ以上に大きく笑って頷いた。


「うん」


その足で二人は教会に行き、シスターに報告した。シスターは涙ぐみながら二人を抱きしめた。牧師も目を細めて笑い、「おめでとう。……まだ十八だというのに、気の早いことだ」と言ってから、二人の頭にそっと手を置いた。「だが、お前たち二人なら、きっと大丈夫だろう」


「入籍は、来年の春にしようと思ってます」


シオンがそう言うと、シスターも牧師も、揃って嬉しそうに頷いた。町の仕立て屋に一度だけ、ドレスを見に行ったこともある。まだ買う余裕はなかったけれど、白いドレスを前にしたミアの顔を、シオンは忘れられなかった。


――そのはずだった。


すべてが、こんな形で覆されるなんて。


*


出発の前夜、ミアとシオンは丘の上で並んで座った。あの日、プロポーズを受けた場所だった。


「約束、守れなくてごめん」


シオンが絞り出すように言った。春になったら結婚しよう、という約束。その春を迎える前に、彼は旅立たなければならない。


ミアは首を振った。夜風に髪がなびく。


「守れなくなったんじゃない。……ちょっと、延びただけでしょ」


無理に笑ってみせるミアに、シオンは何も言えなかった。


「帰ってきたら、結婚しよう」


その言葉に、ミアは静かに頷いた。


「待ってる」


たった一言。けれどその一言に、これから先の途方もない時間の重みが、まだ二人とも本当の意味ではわかっていなかった。


翌朝、シオンは村を発った。

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