番外編 見送り
シオンが村に帰ってから、半月ほどが経ったある日のことだった。
「おーい、シオン! 生きてるかー!」
聞き覚えのある声とともに、パン屋の扉が勢いよく開いた。バルトだった。その後ろから、リディアもふわりと顔を出す。
「バルト、リディア! どうしたんだ、こんなところまで」
「決まってるだろ、お前の分の褒美を届けに来たんだよ」
そう言って、バルトはずしりと重い革袋をカウンターに置いた。
「陛下から預かってきた。……いや、思ったよりずっと多くてびっくりしたぞ、俺も」
「これ、本当に俺の分か? 多すぎないか」
目を丸くするシオンに、リディアがくすくすと笑う。
「シオンの働きに見合った額よ。ちゃんと受け取ってあげて」
*
一息ついたところで、バルトがふと表情を改めた。
「それと、もう一つ知らせがあるんだ」
「なんだ?」
「エドの奴の、元の世界に帰る日取りが決まったんだよ」
シオンは思わず息を呑んだ。エドが異世界からの転生者であることは、旅の間、何度も聞かされていた。魔王を倒したあと、いずれは元の世界へ帰ることになる――そう聞いてはいたが、実際にその日が来るとは、どこか実感が湧いていなかった。
「見送りに行こうと思ってるんだけど、シオンはどうする?」
バルトの問いに、シオンは即座には答えられなかった。
*
その夜、シオンは一人、考え込んでいた。
――ミアとは、もう二度と離れたくない。
十年間、離れ離れだった日々を思えば、当然の気持ちだった。けれど、同時に、こうも思う。
――十年、共に戦ってきた仲間だ。最後くらい、ちゃんと見送りたい。
相反する二つの気持ちの間で、シオンは珍しく、なかなか眠れずにいた。
「……眠れないの?」
隣で、ミアが薄目を開けて尋ねた。シオンは正直に、エドの話を打ち明けた。
「行きたいけど、また離れるのは……」
最後まで言い終わる前に、ミアは小さく笑った。
「行っておいで」
「でも」
「シオンにとって、大事な仲間なんでしょ。ちゃんと見送ってあげて。私は、ここで待ってるから」
その言葉に、シオンは苦笑した。
「また、待たせるのか。俺は」
「今度は、ひと月くらいでしょ? 平気だよ、そのくらい」
そう言って笑うミアに、シオンは、この十年で何度も救われてきたのと同じ温かさを感じた。
*
翌日、そのことをバルトとリディアに伝えると、二人は顔を見合わせて、揃って首をかしげた。
「なんで、ミアちゃん置いてくの?」
「え?」
「ミアちゃんも連れて行けばいいじゃない」
リディアがあっさりと言う。
「王都、まだちゃんと見せてあげてないんでしょ? ついでに、みんなにも紹介してよ」
「そうそう。エドの見送りついでに、ちょっとした旅行だと思えばいいだろ」
思いがけない提案に、シオンは目を瞬かせた。それから、隣にいたミアの方を見る。
ミアは、少し驚いた顔をしたあと、次第に頬を緩めた。
「……行って、みようかな」
「本当か?」
「うん。シオンの旅した道、少しだけでも見てみたい」
「じゃ、決まりだな! 王都まで、四人で行こうぜ」
バルトが陽気に言うと、リディアも隣でにっこり笑った。
「ふふ、なんだかダブルデートみたいね」
「……ダブルデート?」
聞き慣れない言葉に、シオンが首をかしげる。バルトが、まんざらでもなさそうに頭をかいた。
「あー……実は、魔王を倒したあとから、俺とリディア、付き合ってるんだよ」
「――は?」
シオンは思わず、素っ頓狂な声を上げた。
「いつの間に!」
「いつのまにって、お前が王都でバタバタしてる間だよ。討伐が終わって、気が抜けた勢いっていうか……国に戻ったら、なんかリディアがやたら可愛く見えてきてさ。もう、勢いで告っちまった」
明るくそう言ってのけるバルトの隣で、リディアも珍しく頬を赤らめている。
「十年も一緒に旅してたのに、全然気づかなかった……」
ミアも驚いた様子で、思わず声を漏らした。
「まあ、あの頃は生きるのに必死で、恋愛なんて頭になかったからさ」
バルトがそう言って、あっけらかんと笑う。
「まあまあ、そんなことより、旅の準備しようよ」
リディアが誤魔化すように話を切り上げる。
こうして、思いがけない形で、四人での旅が決まった。十年間、シオンが仲間たちと歩き続けた街道を、今度はミアも一緒に――王都を目指して。
*
旅の道中は、半月ほどの道のりだった。かつてシオンが一人で、あるいは仲間たちと共に、幾度となく踏みしめてきた街道を、今度はミアも並んで歩く。
初日の夜、野営の準備をしながら、リディアがふと思い出したように言った。
「そういえば、ミアちゃんは知ってる? シオンって、初めての遠征のとき、テントの立て方が下手すぎて、三回も倒したのよ」
「え、そうなの?」
ミアが目を輝かせて聞き返すと、シオンが慌てて口を挟んだ。
「お、おい、それは……!」
「おまけに、悔しがって朝までこっそり練習してたよな。翌朝には、誰よりも上手くなってた」
バルトが笑いながら付け加える。
「そうそう、そういうところ、シオンって真面目なのよね」
知らなかったシオンの姿が、次々と明かされていく。ミアは、それが嬉しくて仕方なかった。旅の間、手紙では語られなかった、たくさんの横顔。不器用で、真面目で、それでいて誰よりも粘り強い。ミアの知っているシオンと、旅の仲間が知っているシオンは、少しずつ違って、けれど確かに同じ人だった。
「もう、二人とも、それ以上はやめてくれ……」
耳まで赤くしたシオンに、三人は顔を見合わせて笑った。
*
道中、まだ各地に残る魔物の残党に、何度か遭遇した。
「せっかくだし、ついでに狩っておくか」
バルトが軽い調子で言うと、シオンとリディアも頷いた。魔王は倒れても、散らばった魔物がすべて消えるわけではない。旅の道すがらそれを狩っていくのも、かつての勇者一行にとっては、もはや当然の習慣になっていた。
あっという間に魔物を蹴散らす三人の姿を、ミアは少し離れた場所から見つめていた。
――私、何の役にも立ってないな。
戦いにおいては、剣も魔法も使えない。足手まといにならないようにするのが精一杯だった。そんな自分が、少しだけ情けなく思えてくる。
けれど、その日の夜。
「ミアちゃんのおかげで、今日も生き返った……」
野営の焚き火を囲みながら、バルトが心底幸せそうな顔で、スープをすすっていた。ミアが道中の食材で作った、具だくさんのスープだ。
「本当、これ絶品。旅の途中でこんなにちゃんとしたご飯が食べられるなんて、思わなかったわ」
リディアも目を輝かせながら、パンをスープに浸して頬張る。
「戦いのあとの飯が、こんなに美味いなんてな」
シオンも、しみじみと呟いた。
その様子を見て、ミアはふと気づく。
――剣は振れないけど、私にも、できることがあるんだ。
戦う三人を支えるように、疲れた体に染み渡る温かい食事を作ること。それもまた、立派な役割なのだと、ミアは初めて実感した。
「また明日も作ってくれよ、ミアちゃん!」
「うん、任せて」
笑顔で答えるミアの顔からは、先ほどまでの陰りが消えていた。
*
また別の夜、ミアは持参した小麦粉と道具で、簡単な野営用のパンを焼いた。
「これ……こんな短時間で焼けるものなの?」
リディアが驚いた顔で覗き込む。
「うん、旅向けに考えたレシピなの。硬めに焼くと、日持ちもいいから」
焼き上がったパンに、途中の町で仕入れたベーコンと香草を挟んで差し出すと、バルトが真っ先に頬張った。
「――うまっ!」
「なにこれ、旅の携行食のレベルじゃない……」
リディアも目を丸くしながら、次々と口に運ぶ。
「十年間、干し肉ばっかり食ってきた身には、天国だな……」
しみじみと呟くバルトに、シオンも小さく笑った。
「だろ。俺も、旅の間、何度これが恋しかったか」
「シオンが手紙でよく『ミアのパンが恋しい』って書いてた意味、今わかったわ」
リディアがしみじみと頷く横で、ミアは少し照れくさそうに、けれど誇らしそうに微笑んだ。
*
半月ほどが過ぎた頃、ようやく王都の門が見えてきた。
高くそびえる城壁、その向こうに広がる、村では見たこともない賑やかな街並み。ミアは思わず、シオンの袖をきゅっと掴んだ。
「大きい……」
「最初は俺も驚いた。今はもう慣れたけど」
そう言って笑うシオンの横顔に、ミアはふと、この十年、彼が見てきた景色の広さを思う。
*
その夜、王都の宿屋で、一行はエドを囲んでの夕食会を開いた。
「今日はとことん飲むぞ! なんてったって、明日で最後だからな!」
エドの音頭で、賑やかな宴が始まる。料理が並び、酒が注がれ、旅の思い出話に花が咲いた。
「そういえば」
ふと、エドがミアとシオンの手元に目を留めた。
「その指輪……もしかして」
「あ……」ミアが少し照れくさそうに、左手を持ち上げる。「うん。実は、村に帰ってすぐに、籍を入れたの」
「ええっ、聞いてないぞ!」
エドが大げさに声を上げた。
「水臭いなあ、シオン! 教えてくれよ、そういうことは!」
「タイミングがなくてな。……すまん」
シオンが照れくさそうに頭をかく横で、マリアが本当に嬉しそうに微笑んだ。
「おめでとうございます、シオン様、ミアさん」
心からの祝福だった。曇りのない、まっすぐな笑顔。ミアはその笑顔に、あの日、宿屋で感じた小さな棘のようなものが、いつの間にか跡形もなく消えていることに気づいた。
「ありがとうございます、マリア様」
「本当に、お似合いです。……羨ましいくらいに」
そう言って笑うマリアの横で、エドは、いつの間にかすっかり酒が回っていた。
*
「なあ、みんな、聞いてくれよ」
赤くなった顔で、エドが唐突に切り出した。
「俺、実はさ……ずっと、マリアのことが好きだったんだ」
一瞬、その場が静まり返った。
「エ、エド様……?」
マリアが目を丸くする。
「言わなかったけどな。だって、俺、こっちの世界には帰らなきゃいけないだろ。それに……マリアが、シオンのこと好きなの、知ってたし」
エドは、少し寂しそうに、けれど吹っ切れたように笑った。
「だから、ずっと黙ってた。弟みたいなもんだと思われてただろうし、ちょうどいいかなって」
「そんな……」
マリアの顔が、みるみる赤くなっていく。
「なあ、マリア」
エドは、まっすぐにマリアを見つめた。
「もし俺が、一緒に来てくれって言ったら……来てくれるか?」
その場の空気が、一瞬にして張り詰めた。バルトとリディアは、思わず顔を見合わせる。シオンとミアも、息を呑んで二人を見守った。
マリアは、何も答えられなかった。ただ、真っ赤になった顔を伏せて、黙り込んでしまう。
「……悪い、酔った勢いで、変なこと言ったな。忘れてくれ」
エドはそう言って、誤魔化すように笑うと、話題を変えた。宴は、それからも賑やかに続いたが、マリアだけは、どこか上の空のまま、その夜を過ごした。
*
その夜遅く、マリアは一人、王城の私室で悩んでいた。
――行くなんて、あり得ない。
そう思う一方で、心のどこかが、ずっとざわめいていた。
この国で、もうすぐ三十になる。貴族の女性としては、とうに婚期を逃した歳だ。けれど、勇者一行の一員だったマリアが、独り身のままでいたとしても、誰かに不当な扱いを受けることはないだろう。この国は、マリアにそれだけの敬意を払ってくれている。
――でも。
誰かに、心から想われること。それに、ずっと憧れていた。
エドのことは、ずっと弟のように思っていた。だからこそ、今日の告白は、あまりにも予想外だった。
考えても考えても、答えは出ない。マリアは、思い余って、父である国王の私室を訪ねた。
「……父上。少し、相談したいことが」
一通り話を聞き終えた国王は、しばらく黙り込んだあと、静かに言った。
「マリア。お前がしたいように、したらいい」
「でも……」
「王女である前に、お前はお前だ。この国のためにと、これまで十分すぎるほど尽くしてくれた。……最後くらい、自分の心に従いなさい」
その言葉に、マリアの目から、涙がこぼれた。
*
翌朝、マリアは決めていた。
――もし、エド様が昨日のことを覚えていなかったら。それはきっと、酔った勢いの、ただの戯言。そのときは、何も言わずに、いつも通り見送ろう。
そんな自分なりの答えを胸に、マリアは旅立ちの支度をする一行のもとへ向かった。
「マリア」
エドが、少し気まずそうに、けれどまっすぐにマリアを見た。
「……ごめん。昨日、俺が言ったこと、覚えてるか?」
その一言に、マリアの心が、静かに震えた。忘れていなかった。酔った勢いなどではなかった。
「……ええ」
小さく、けれどはっきりと、マリアは頷いた。
「覚えて、います」
エドの顔が、ぱっと輝いた。それから、少し真剣な表情になる。
「なあ、マリア。……ちょっと、聞いてくれる?」
エドは、まっすぐにマリアを見つめた。
「違う世界に行くのって、マリアが思ってるより、ずっときついと思う。言葉も、常識も、何もかも違う。心細い思いを、たくさんさせると思う」
「エド……」
「でも、俺がマリアを幸せにする。不安なことがあったら、全部、俺が取り除く。……約束する」
その真剣な声に、マリアの胸が、きゅっと締めつけられた。頬が熱くなるのを感じながら、マリアは小さく、けれどはっきりと頷いた。
*
エドとの別れは、王都の門前で行われた。
「みんな! 本当に来てくれたんだな!」
エドは相変わらずの快活さで、シオンの肩を強く叩いた。それから、隣に立つミアに気づいて、目を丸くする。
「――え、ミアさんまで!?」
「お邪魔してます」
「いやいや、大歓迎だよ! てか、シオンがちゃんと連れてきてくれて、俺、感動してる」
エドは大げさに目元を拭う仕草をして、皆を笑わせた。それから、隣に立つマリアへと視線を移す。
「――マリアも、本当にいいのか?」
「はい」
マリアは、迷いのない笑顔で頷いた。
「私、あなたと一緒に行きます」
その一言に、周囲からどよめきが起こった。
「元の世界に帰るのって、本当に、今日なんだな」
シオンがしみじみと言うと、エドは頷いた。
「ああ。……でも、今度は一人じゃない」
エドはマリアの手を取り、それから、まっすぐにマリアを見つめた。
「マリア。……絶対に、幸せにする」
「はい」
涙ぐみながら、マリアは大きく頷いた。
「十年、本当にお世話になった。みんながいなかったら、俺、絶対にここまでやってこられなかったよ」
「それは、俺のセリフだ」
シオンは静かに首を振った。
「お前が勇者じゃなかったら、俺も、こんな風に帰ってこられなかった。ありがとう、エド」
がっちりと握手を交わす二人を、ミア、バルト、リディアが、それぞれの想いで見守っていた。
「元気でね、マリア様、エド」
リディアがそう言って、二人と軽く握手を交わす。
「幸せにな」
バルトも、にっと笑ってそれぞれの手を握った。
「エドさんも、マリア様も、お元気で」
とミアが声をかけると、マリアは柔らかく微笑んだ。
「ミアさんも、シオン様のこと、よろしくお願いしますね」
微笑み合う二人に、もう、あの夜のような、ぎこちなさはなかった。
「じゃあな、みんな! 元気で!」
最後に大きく手を振って、エドとマリアは、光の中へと消えていった。まるで、最初からそうなる運命だったかのように、静かに、けれど確かに。二人分の影が、寄り添うように重なっていた。
*
王都の門前に、四人だけが残された。
しばらくの沈黙のあと、バルトがぽつりと呟く。
「……なんか、寂しいもんだな」
「ええ、本当に」
リディアも、珍しくしんみりとした顔で頷いた。
けれど、その沈黙を破ったのは、シオンだった。
「――帰るか、みんなで」
その一言に、皆が顔を上げる。
「まだ旅は終わってないぞ。ミアと一緒に、帰り道も、ちゃんと楽しまないと」
シオンの言葉に、ミアが小さく笑った。
「うん」
十年前、一人で発った道を、今度は仲間たちと、そして愛する人と共に歩いていく。夕暮れの街道に、四つの影が長く伸びていた。




