第9話 準備万端で
「食ったか」
航ちゃんが吸っていたタバコを灰皿に押し当て、私に問う。
私はパンパンになったお腹をさすりながら頷いた。
ニンニク嫌いな航ちゃんが、頑張ってチキンのガーリックステーキに挑んでいたんだけど、どうにも眉間がマリアナ海溝ばりに深まっていたので、大人な私が気を遣って、
「こ、航ちゃん、私、もう少しお肉食べたいなー……なんつて……」
と、助け舟を出したのだった。
といっても、デザートも頂いて、すでにお腹いっぱいだった私なので、航ちゃんの分までいけるか微妙だったけれど、恥を掻かすわけにはいかない。
そんな配慮ができる私に向かって、航ちゃんは大きく舌打ちをし(失礼!!)、自身のステーキの残りをザクザクと大振りに切って口に放り込み、アイスコーヒーと水で流して結局食べ切ったのだった。
たまには私を頼ってくれてもいいのになあと思いながらも、航ちゃんのどこまでも高いプライドに改めて感心してしまった。
そして食事後の一服が終わったらしい航ちゃんの車で、団地まで帰ってきた。
私たちの家の玄関まで到着し、私はぺこりと頭を下げた。
「今日は、色々ありがとうね。そんでもって、ご馳走様でした。とっても美味しかったよ」
「そうかよ。……お前、出勤初日の準備は出来てるんだろうな」
「へっ」
「初日に、そんなだらしねえ格好で行くつもりじゃねえだろうな」
えー!? だらしない!?
一応アパレルで働いていた訳だから、それなりの服を着ているつもりだったんだけど……というか、センスゼロの自覚があるので、マネキン買いだけど……。
それなりにお値段したし、店員さんからも、
「お似合いですよ! 凄く可愛い!」
なんて言われて、調子に乗って鼻息荒くお財布を広げた代物だけども。
アパレルの店員のくせに、自分のセンスで買えないとか……ましてや自分の働いた店で買えないなんて。
だって店長とかに、何言われるか分かんないし、
「お前の分際でうちの着んの?」
なんて思われたら怖すぎる。……本当に、情けない。
でも、そんなに言われるほど酷いかなあ?
そう思って自分の服を見下ろしていると、航ちゃんは深い溜息をついた。
「お前、仮にも今まで面接したことあんだろ。そん時に来ていたスーツは」
「あー、スーツね!」
そうかそうか、そうよね。面接はしなくてもいいとはいえ、初日はスーツよね。
いやあね、航ちゃんたら。そう言ってくれたらいいのに。
そう思っていたら、言葉にしないのに意思が伝わったのか、冷え切った眼差しが私を貫いた。
「お前の当たり前は、世間の当たり前とずれていることを認識しろ」
「えー!?」
ちょ、酷くない!?
「第一、そのスーツ最後に着たのいつだ」
「え、えーっと……二年前かな」
今回切られたアパレルの職場見学は、私服でいいとのことだったので、素直にその言葉を信じて私服で行ったのだった。
……無論、その後航ちゃんにバレて罵倒の限りを受けたのは言うまでもない。
なので、スーツを着たのはその前の派遣の職場見学だった。
「断言してやる。それ、もう着れねえ」
「へっ」
「お前、太ったろ」
「ちょ、デ、デリカシー!」
思わず憤慨してそう言うと、鼻先で笑われてしまった。
「あんな夜な夜なビールかっ食らって溜息ばっかついて、チョコだか何だか甘いもんばっか食ってる奴が太らねえ訳ねえだろうが」
「……」
ぐうの音も出ないとはまさにこのこと。
しかも、ちょっと、本当にちょこっとだけだけど、「あれ、私肥えた?」って思う瞬間もあったりした。
無言になっていると、航ちゃんが再び溜息をついて、お財布を取り出した。
そしてそこから、お札を三枚取り出した。
「えっ、何?」
「これで最低限のスーツ買えんだろ」
「な、何で……」
何で航ちゃんが?
クレッションマークが炸裂している私にそのお金……三万円を握らせて、そのまま自身の家のドアを鍵で開けていた。
ドアを開き、私にちらりと振り返り、目を眇めて低く言った。
「その金は、先行投資だ。初給料出たら、回収するからな」
「……」
ま、まあそうだろうけれども。
というか、スーツ買うお金くらい私だって……いや、無い。
おかしいな、実家暮らしなのに何でこんなに金銭的にゆとりが無いんだろう?
ああ、そうか、見得張ってマネキン買いばっかしてたからか……。
けど、でも!
お父さんに事情話せば、借りることだって出来るのに。
そう言おうと思っていたら、航ちゃんは鍵を持った手をひらつかせた。
「明日の夜、買ったスーツ確認するからな。ひでえの選んだら、どうなるか分かってるだろうな」
「ひぇっ!」
思わずカエルが潰れるような声を出してしまった私に、にやりと意地悪な笑みを向けて、航ちゃんちの扉が閉まった。
「……」
お金を握りしめた私は、その場にぽつんと取り残されて。
明日、スーツを買いに行くというスケジュールが勝手に決定していたことに気が付いた。
明日はもう出勤しなくていいんだし、航ちゃんの怒涛の勉強会もないし、グダグダしようと思っていたのに。
「予定が狂った……」
つぶやいた私のスマホが震え、開くと。
『明日、スーツ着る時は髪型とメイクもチェックするからな』
「ひー……」
航ちゃんチェック、怖いぃ!
震えながら眠れぬ夜を迎え、朝一で『スーツのほにゃらか』って店に行き、それこそマネキンさんが着ていたリクルートスーツなるものを買った。
ついでにプチプラコスメを買い漁り、夜を迎え。
魔王様の登場をお待ち申し上げ、少しだけダメ出しをされ(チークが濃い、おてもやんかと……ヒドイ)、何とかOKを勝ち取った。
そんなファッションショーもどきを繰り広げていると、無造作にテーブルに置かれていた航ちゃんのスマホが震えた。
「んだよ……ちっ」
表示された名前を見て、航ちゃんが舌打ちをする。
思わず驚いて見守っていると、航ちゃんがスマホをタップした。
「何か用か」
うわー、別人航ちゃん降臨してないじゃん! 凄く意外!!
航ちゃんは、私以外には――航ちゃんのご両親にでさえ――愛想が良くて気が回るさわやか好青年になってしまうから。これはちょっと驚いた。
そんな私の前の航ちゃんは、どかりと私のベッドに腰掛けるや、眉間に皺を寄せて話をしている。
「は? 無理だ。……無理だっつってんだろ。どうせ初日に……ちっ、ちょっと待て」
低い声でそう言っていた航ちゃんは、私に自分のスマホをずいと押しやった。
「へ?」
「お前に代われと」
え、だ、誰なの……?
怯える私がスマホを耳に当てるか当てないかの瞬間、航ちゃんから衝撃の一言が。
「今度のお前のバイト先の専務」
「はぁ!?」
な、何で専務様が……!?
というか、何で専務様に航ちゃん、あんな偉そうなの!
頭の中大パニックのまま、恐る恐るスマホに声かける。
「あ、あの……」
『あー、優香ちゃん!? こんばんはー! 俺、航介の大学時代からの友人の、沢渡でーす!』
う、うわ……眩しい声……陽キャだ。紛れもなく陽キャがここいいる。
私が最も苦手とする人種だ。ひえぇ……。
ん? でも待って。航ちゃん、専務様って……でもって友人??
おろおろと航ちゃんを見ると、もう全てを諦めたような顔で、窓を開けてタバコを吸い始めている。
どうなっちゃってんの??
『入社してくれてありがとね! でもバイトでごめんねー? 航介がまだその方がいいっていうしさ。まあこの先は、様子見つつ、ね?』
「は、はあ……よ、よろしくお願いします……」
やっとの思いでそう言うと、専務様は眩い笑顔が見えるかのような声色で続けた。
『初日、楽しみにしてるね! んじゃ、まったねー!』
そして通話が切れてしまった。
ぽかーんとして、静まり返ってただの四角い物体になったモノを見つめていると、航ちゃんがタバコを携帯灰皿で消しながら、溜息をついた。
「まあ、そういうことだ」
「どういうこと!?」
「もういい、寝ろ」
釈然としない。しないけれど、今日、航ちゃんは仕事終わりに疲れているはずなのに、付き合ってくれたわけだし。話を切った航ちゃんが立ち上がるのを、ただ見上げた私に、大きな手が伸びた。
首元に伸びた手に、びくりと震えると、航ちゃんは意地悪っぽい顔で私の襟首を引っ張った。
「な、なにっ!?」
「タグ、付けたまま出社すんじゃねえぞ。おやすみ」
そう言って手を離した航ちゃんは、ベランダから自分の部屋に帰っていった。
何だかなあ……。
一気に疲れた。
けど、そっか。
航ちゃんの会社の専務様って、航ちゃんのお友達なんだ……。
知らなかったな。あの怒涛の勉強会でも、そんな話は出なかったなあ。
お名前は、『沢渡』って苗字――社名と同じ――くらいしか知らなかった。
そんなことを考えながら、寝る支度をしてベッドに入った。
ある程度情報が入ってきて、うん、初日迎える、覚悟ができたかもしんない。
今日は良く眠れるといいな。
そんな思いと変わらぬドキドキを抱えて日々を過ごしつつ。
航ちゃんのファッションチェックの太鼓判を貰って安心した私は、次の仕事の初日を迎えることになったのだった。




