第7話 派遣最終日
よく、長いようで短かったって言うけど。
私にとって、何が何だかよく分からないうちに終わるくらい、本気で短い期間……としか言いようが無かった派遣生活だった。
数々の面接に落ちまくり、絶望していた私が、時給の高さに目が眩んで登録した派遣会社。
コーディネーターの人に、
「ショップの販売で、土日も仕事なんですけど大丈夫ですか?」
そう言われて、彼氏がいない私は即効OKの返事を出した。土日なんて、別に関係ないもの。
とにかく働かなくちゃいけない。無職でプラプラするわけにはいかない。
だから、職場見学をしても、ほとんど仕事内容が頭に入ってなかった。
ただ、ここで働ければお金が貰える。それしか考えていなかった。
職場見学の後、コーディネーターの人が、
「どうします? ここで働いていただけますか?」
と聞かれたときには、ここでも即効OKの返事をした。
何も、考えていない……そう航ちゃんに言われても、仕方が無い。
「お前に販売? 無理に決まってんだろ」
派遣することが決定したその夜、ベランダで報告をすると、航ちゃんが冷たい口調でそう言った。
だけど先行きが見えてきて、嬉しい私は口を尖らせて反論する。
「やってみなくちゃ、分からないじゃん」
そんな私を見下ろして、航ちゃんはどうしようもねえって顔をした。
何よ。失礼ね。いらっしゃいませ、くらいは私でも言えるもん。
そう心の中で反論を続けていた私に、航ちゃんは半眼で見下ろしてきて、
「……あ、そ。んじゃ、頑張ってみれば」
「こっ、航ちゃんに言われなくても頑張るもん! 何よ、私が必死で勝ち取った仕事にケチつけてさ! 航ちゃんなんて、私の気持ち分からないくせに!!」
と、強気で言えたのはここまでで。
隣から絶対零度の空気が流れてくると、心の中では色々絶叫めいた文句を吐いているけれど、体がそれを止める。やめとけと、忠告している。
だから、口を開けたまま無言になってしまうと、航ちゃんは煙草をふかしながら、私を半眼のまま見下ろしつつ、もそもそと呟いた。
「……本気で分からねえと、思ってんのか」
その声があまりに小さくて、私が聞きなおそうとしたんだけど、航ちゃんはそのまま部屋へと戻って行った。
そして自分の部屋の窓を閉める間際、私に振り返って、
「お前、溜めんなよ」
「え?」
「心ん中で、溜めんな。全部吐き出せ。いいな」
そう言った航ちゃんは、私の返事を聞かずに、ピシャリと窓を閉めてしまった。
何が何だか分からなかった私だけど、航ちゃんは確かにその日から、ベランダに出ては仕事が余りにも辛くて、溜息ばかりをついていた私のグチを聞いていてくれた。
ただし、黙って聞いてくれた訳ではないけれど。
「だからお前はダメなんだよ。何でそこで反論しねえんだ」
「だって……」
「だってじゃねえ。そのすぐ無言になるクセ改めろ」
といった感じで、結局は私が説教をされているような感じではあるんだけど……でも、私の話を聞いてくれたことは、聞いてくれた。
そして私に説教をすることで、私の心の中で抑え、溜まり行くものを出させてくれていたんだと思う。
航ちゃんも、仕事で疲れているだろうに。スーツ姿で、ベランダだったり、寒かったり雨が降ったりしてたら、私の部屋にやってきては、私のグチを聞いてくれた。
ちゃんと私の話、聞いてくれてたんだな。
本当にそう思えたのは、派遣契約最終日の夜だった。
この日まで、航ちゃんは私を酒の肴にして、バカにするのがただ楽しいだけなのかと思ってた。
だけど、本当は違った……んだと思う。
最終日の朝。
少しの緊張と、かなりホッとした気持ちと、これからどうなるんだろうと不安の思いの中、派遣先の店舗へと入った私。
待ち受けていた店長と店員は、いつもとなんら変わらなかった。
つまり、最初から最後まで、私を『使えない派遣』扱いだった。
お客さんが来ても、かろうじて「いらっしゃいませ」は言えても、そのお客さんのところに自ら赴くことはおろか、他愛ない話すら満足に出来ない私を。
会計のレジを打つのにも、いまだモタモタしている私を。
お客さんの希望の洋服を探し出せずに、半泣きになっている私を見て、聞こえよがしに言ってくる。
「ホント、マジで最悪。こんなんで、あれだけの金を取るんだから、派遣ってオイシイ仕事かもな」
「ですよねー、仕事出来なくても給料貰えんだから。羨ましいよ、マジで。出来高制にしたら、アイツ絶対給料ゼロですよ。クソの役にも立たなかったっすね、最初から最後まで」
……全部、聞こえてる。
だけど、反論できない。
それ、全部当たってる。
私は唇をかみ締めて、せめて泣くまいと心に決めて、最後くらいは笑顔を振りまこうと、作った笑顔で頑張った。
ほっぺたが痛い。自分でも頬がプルプルしてるの分かる。だけど、最後くらいは、最後くらいはと心に念じて頑張った。
自然に微笑を浮かべることが出来る人がする仕事だ。
私みたいに、小市民でビクビクしている人がやる仕事じゃない。
ショップの店員って、きっと器がデカい人がなれるんだ。クレームを言われて、すぐに泣きそうになる私みたいなんじゃ、絶対ダメなんだ。にっこり笑顔で対応出来る人じゃないとダメなんだ。
そう、分かってるのに。
追い討ちを掛けるように、店長と店員は私の接客を見て笑う。
それを感じているけど、最後だから、最後だからと念仏のように心の中で唱え、眦の端っこに浮かぶ涙を零さないように堪え、何とか閉店の時間に漕ぎ着けた。
もう、限界だった。
頬が引き攣ったまま、戻らない。
ぎこちない笑顔を浮かべたままの私を見て、レジを閉めた店長は、まるで汚い物を見るかのような眼差しを向けた。
「……まだいたの?」
もう、店員は私の存在が無いかのように、こちらを見ない。
店の窓に、「STAFF募集 明るく元気な子 大歓迎」と書いてあるポスターを貼っていた。
そして店長に振り返り、
「やっぱ直接雇用が一番っすね。派遣はもう二度とやめましょ、裏切られるから」
そうか、私、裏切ったんだ。
この人たちの期待に、一切応えられなかったんだ。
裏切った。
その言葉だけが頭に残り、私は震える足を叱咤して、何とかお辞儀だけをして、逃げるように店を出た。
店が入っているビルから地上へ降りた瞬間、右、左と動かしていた足がぴたりと止まる。
そして、煌々とネオンが光るこの町並みのど真ん中で。
私はもう耐え切れず、立ち尽くしたまま両手を顔に当てていた。
「……ひぃ……ん……っ」
声を漏らさないようにしていたら、逆にそんな情けない嗚咽が漏れてしまった。
だけどもう、それを気にする余裕なんて私にはなくて、ただ必死に泣き声を上げないように、肩を震わせていた。
その次の瞬間。
ふわりと、嗅いだことのある香りがしたと思ったら。
ぐいと、腕を引っ張られた。
あまりに驚いて、「ひゅう」と喉が鳴ってしまった。そしてその直後、強く咳き込んでしまうと、優しい大きな手が、私の背中を撫でさすった。
私の体が、柔らかく包まれる。
そして鼻先に香る香りに、私の涙が更に吹き出てきてしまった。
「うっ……なっ、なんで、ごうぢゃん……」
言葉にならない私の言葉に、顔を埋めた胸元から、低い声が聞こえてくる。
「……このまましばらくいた方がいいか? それとも車に入るか?」
いつもの強引な二択じゃない。優しい選択肢だった。
だから、私は更に泣けてきて、ぎゅっと航ちゃんにしがみ付いた。
何で店の前にいたの? 仕事が終わるの、待っていてくれたの?
聞きたいけど、聞けない。
今まで耐えてきた感情があふれ出して止まらなくなっていた。
「こっ、このままっ……!」
「……ああ」
「わっわっ、私ね、私ね、使えないって分かってるけど、でもねっ……!」
「ああ……」
航ちゃんの声が、……聞きなれた低い声が、……いつも意地悪ばかり言う声が、とても優しい。
何で。
ずるい。
だから、……
「こ……航ちゃん……」
「……ん?」
「私、私……」
私は航ちゃんに縋るように抱きつき、叫ぶように大きな声を上げてしまった。
「悔しいよぉ!!」
そしてわんわんと泣き出した私を、航ちゃんはずっと抱きしめてくれて、私の後頭部とか背中を撫でてくれて。
その柔らかい手の動きが、とても心落ち着かせてくれるものだった。
ずっと無言で私を慰めていてくれた航ちゃんに、縋っていた事実にやっと気付いたのはそれからどれくらい経った後だろう。
わんわん泣いていたのが、ヒックヒックというしゃくり声に変わり、やがて泣き声が収まってくると、急に恥ずかしくなってきた。
何、私。子供じゃあるまいし、こんな繁華街のど真ん中で、なんで男の人に縋って泣いてんの!?
カーッと顔が熱くなり、どうしていいか分からなくなって。
航ちゃんが私を撫でる手が止まったのを見計らい、俯いたままそっと身体を離した。
「あの、あの、航ちゃん……」
返事はない。だからこそ、余計恥ずかしい。私は顔を上げずに、真っ赤な顔のまま、
「あの、あのね……スーツに鼻水付けちゃった。ごめんね」
照れ隠しの、気持ちを誤魔化す言葉。いつもだったら容赦なく突っ込んでくる航ちゃんだけど、この時ばかりは私の情けない作戦に乗ってくれた。
私の頭に手を載せ、低い地を這うような声を放った。
「俺のスーツを汚すとは、いい度胸だ」
「……ごめんなさい」
謝った声は、嬉しくて少しトーンが高くなってしまったみたいで、頭の上に置かれた手がぴくんと動いたので、顔を上げたら。
航ちゃんは、目を眇めて私を見下ろしていた。
だけど、そのことには触れずに、言った言葉は。
「デコピンとシッペとどっちがいいか選べ」
「……へ?」
「俺のスーツを汚したペナルティーだ。どっちがいい。さっさと選べ」
「えええ!? や、やだ! どっちもやだ!!」
慌てて目を見開いて身体を竦めると、航ちゃんは眼差しを緩め、苦笑のようなものを浮かべた。
そして私から手を離すと、くるりと踵を返した。
「帰るぞ」
「え?」
「置いていくぞ」
「あ、ま、待って!!」
すたすたと歩く航ちゃんを追いかけて、慌ててた私にはもう、涙は浮かんでいなかった。
最悪の結果になってしまった、派遣のお仕事の結末。
自分が悪い。それは分かってる。重々分かってる。
悔しいって思ったのは、何より自分自身が悔しかったんだ。
接客を選んだのに、ちっともまともな接客を出来なかった自分に。
言われたい放題なのに、一つも言い返せない自分に。
この性格が直るとは思えない。でも、努力はしていこう。
次の仕事では、同じことを繰り返さないように頑張ろう。
そう思えるだけ、派遣の仕事をして無駄じゃなったって思いたい。
「……何をやってる。早く来い」
前方を歩く航ちゃんが、振り返って訝しげに私を見ていた。
私は作った笑顔じゃなく、自然に浮かんだ笑顔で駆け出した。
今日、この最悪な日。
航ちゃんが迎えに来てくれて、何も聞かずに泣かせてくれた。
それが、心から嬉しかった。




