第5話 食事会
航ちゃんが連れて来てくれたのは、静かな雰囲気のイタリアンレストランだった。
予約をしていてくれたようで、店員と何かやり取りをしている航ちゃんを尻目に、私が店内をキョロキョロしていると、
「来い。小動物みたいな動きしてんな」
そう、冷たい言葉を吐くのはただ一人。
頬を膨らませて振り返ると、航ちゃんはさっさと店員さんの後について歩いていた。
「待って!」
慌てて追いかけると、奥の窓際の席に案内され、店員さんに椅子を引いてもらってそこに腰掛けた。
「凄いね、綺麗なお店だね」
まだキョロキョロしている私の前に座った航ちゃんは、早速煙草に火をつけて、軽く肩を竦めた。
「そうか?」
「うん、こういうお店って、あんま来た事ない」
来たことないっていうか、私が友達と行くのなんて、居酒屋かファミレスくらいだ。
イタリアンだって、有名な絵画が壁面に書いてある、超リーズナブルなお店とか。あそこはいい。美味しくてお財布にも優しい。
あとは、お手軽ファーストフードとか、気楽で好き。
ちゃんとしたお店ってなかなか来れないし、やっぱり珍しくて、頬が思わず緩んでしまう。
そんな私を呆れたように見ていた航ちゃんは、煙草の灰を灰皿に落とす。
「前、」
「え?」
「前にも連れてきてやっただろうが」
そうだっけ?
「そうしたら、お前緊張して、もどしたって言ってただろうが」
ええ? 覚えていない。
私が首を傾げると、航ちゃんは深い溜息をついて、だけど苦笑めいたものを顔に浮かべていた。
「もう、緊張しねえか」
「うん、というよりも興奮しちゃう」
「鼻息荒いぞ。灰が飛ぶ」
航ちゃんはそんな失礼なことを言い、灰皿を更に自分に引き寄せた。
私はムッとしてしまったけど、でも航ちゃんは少しご機嫌がいいようで、メニューを私に差し出した。
「好きなの、頼め」
「あ、うん。ええと、どうしようかな、何にしようかな」
優柔不断の私は、こういう時が一番困る。端から端までメニューを眺め、だけど全然決まらない。
うんうん悩んでいる私に、航ちゃんは自分もメニューを眺めながら言った。
「前菜」
「うん」
「ブルスケッタとカルツォーネのフリット、どっちがいいか選べ」
「ええ!?」
こ、ここでも二択!!
けど、ぎろりと航ちゃんが睨むので、怖いから必死でメニューを食い入るように見た。
ブルスケッタっていうのは、ガーリックトーストにトマトの何か和えたのが乗っかってるので、カルツォーネのフリットは、何かパンに入ってるのを揚げたのっぽい。
「早くしろ」
急かされ、私はうんうん唸り、「ブルスケッタ」と言った。
けど、カルツォーネも捨てがたい……。未練を残す私に、次の選択。
「肉料理と魚料理と両方とどれがいい」
「さ、三択ですか」
「どれがいい」
「え、ええと、両方……?」
それから延々と選択肢を迫られ、私は何が何だかもはや分からなくなり、それでも選び続けて、やっと最後のデザートまで辿り着いた。
「こ、航ちゃん……」
「あ?」
「デザートは、航ちゃん食べないでしょ?」
だって甘いもの食べない人だから。私がきっと一人で食べるようになる。
だけど。
「お前は食うんだろ」
「うん、食べたい」
デザートは絶対食べたい。だって、メニュー見ちゃった。美味しそうなのが並んでた。
でも、これくらいは自分で決めたい。
なのに。
「ティラミスとパンナコッタ、どっちがいいか選べ」
他にも、たくさんあるのに。
ケーキとかもあるのに。
「早くしろ。どっちがいい」
「……ティラミスで」
「よし。すみませーん」
航ちゃんは別人の声を上げ、店員さんを呼び、さくさくと注文をしている。
未練がましく、まだドルチェのメニューから目を離さない私の耳に聞こえてきた、「白ワインをハーフで」という声。
だ、だって航ちゃん、車で来たのに!!
その私の表情に気付いたらしい航ちゃんは、にっこりと笑っていた顔を無愛想に戻して眉を寄せた。
「んだよ」
「航ちゃん、ダメだよ。飲酒運転で掴まっちゃう」
「はあ?」
「だって、今、ワイン……」
「ああ、お前んだ」
「へ?」
間抜け面満載の私をうっとおしそうに見た航ちゃんは、また煙草に火をつけた。
「お前、ワイン好きだろ」
「けど、航ちゃんお酒飲めないじゃない。私だけ飲むって訳には」
しかも今日は、どうも航ちゃんのご馳走らしいし。そこまでずうずうしくは出来ない。
そう思った私に、航ちゃんはフッと笑い、背もたれに身体を預けた。
「気にするな。帰ってから飲むから」
「あ、そう……」
「お前の部屋で飲むぞ」
「はあ?」
「朝まで飲むぞ。お前、明日休みだろ。俺も休みだ。だから気にすんな」
はああああー!?
気にすんなって、何をどこまで気にしなくてもいいの!?
航ちゃんが、私の部屋で飲むこと!?
朝まで飲むって、お泊りする気マンマンじゃない!
てか、何で私の休みを知ってるんだ。
そのどこを気にしちゃいけないの!?
頭を抱えたい思いでいっぱいの私を放置し、お料理が運ばれた。
ブルスケッタは、ガーリックのいい香りを漂わせている。思わず頬が緩みっぱなしの私のグラスには、白ワインが。航ちゃんのグラスには、ミネラルウォーターが注がれる。
「こ、航ちゃん……」
「あ?」
「あの、ご馳走になっちゃってもいいの?」
「余計なこと、考えんな。いいから食え」
色気も素っ気もない航ちゃんの言葉に、私はうんうんと頷き、ワインを一口飲んでからは食べることに集中した。
美味しい。マジで美味しい。こんな美味しいイタメシ、食べたことない。さすが、ファミレスのイタリアンとは全然違う。
アクアパッツァも美味しかったし、子羊の煮込みも柔らかかった。
渡り蟹のトマトクリームパスタをぺろりと食べた私に、航ちゃんは自分のきのこのリゾットを押しやってくれた。
半分くらいしか食べていないそれも、超美味しそうで、
「えへ、いいの?」
「食え」
そう言うから、遠慮なく平らげた。
航ちゃんは、良く食うなあという顔をしながらも、全然不機嫌そうではないので、安心した。航ちゃんを怒らせると、説教が長くて怖い。
「あー、お腹パンパン」
「デザートが来んぞ。入るのか……って、愚問だな」
苦笑した航ちゃんの目線の先。私の手には、すでにスプーンが握られている。
あらかたテーブルの上も片付けられ、あとはティラミス待ちってところで。
航ちゃんは、鞄から一枚の紙を取り出して、私の前に、ぽんと置いた。
何かのパンフレット……?
スプーンを置いた私がそれを手にすると、インテリア関係の会社案内のパンフレットのようだった。
壁紙とか、照明とか。そんなのが、簡単に紹介されている。
「これ、なに?」
そう航ちゃんに尋ねると、彼は煙草をふかしながら、何のことでもないように言った。
「お前の、就職先」
「……」
「そこ、俺の会社。ちゃんと話付けといた。だから、お前の苦手な面接はしないでもいい」
「はい?」
「4月1日から、バイトだけど入社出来るようになったから。準備しとけ」
「あの、……はい?」
「時給とかは、最大限交渉してやったが、アレ以上は無理だった。諦めろ」
アレって、アレって?
「ホームページ持ってっから、帰ったらネットで見てみるか」
「お待たせ致しました。ティラミスでございます」
航ちゃんの意味不明な言葉の羅列は、店員さんによって終了を迎えた。
不機嫌そうな眼差しが、私を脅している。
早く食えと、脅している。
そして私は、やっぱり何が何だか分からないまま、スプーンを手にしていた。
航ちゃんが強引なのは、分かっていたけど。
でも、ここまでとは……選択権は、私にはないのだろうか。
嫌だ。航ちゃんと同じ職場なんて、凄く嫌だ。
だけどそれを許さない雰囲気をビンビン感じ、私は半泣きでとろけるスイーツを食べていた。




