第4話 航ちゃんっていう人―2
小学校の何年生の時だったか。ああ、確か三年生くらいだったと思う。
当時、日替わりでターゲットを決めて、その子を無視するというのが流行っていた。最悪なゲームだった。
無視をされるターゲットの子は、本当に徹底的に無視をされる。存在を殺されたかのように、無視をされる。
一日耐えれば、次は別の子が無視の対象になる。だから、誰も文句言えなかった。ただ、ターゲットになりませんようにって、祈るばかりだった。
無視をしない子は、何度もターゲットにされていた。
私はそういうことは好きじゃないけど、でもターゲットにされるのは怖い。
だから、結局は他の子と同じように、ターゲットを無視していたけど、心の限界が来た。
自分がターゲットの日でもないのに、授業中に突然泣き出したり。可笑しくもないのに笑い出したり。
薄気味悪い行動が、数日続いた。自分でも、よく分かんなかった。ヘンだと思っても、止められなかった。
次に私に襲ったのは、朝の腹痛だった。
前の夜は何でもないのに、朝になるとお腹が痛くなる。お母さんが、学校へ休む旨を連絡すると、腹痛はケロリと治った。
ずる休みという意識は無かった。ただ、朝が嫌だった。学校へ行きたくなかった。
私の休みが四日ほど続いたある日、当時六年生だった航ちゃんが、朝迎えに来た。
「優香、行くぞ。支度をしろ」
「嫌だ。行きたくない。お腹痛い」
「支度をしろっつってんだよ。自分から着替えるのと、俺に脱がされるのとどっちがいいか選べ」
この当時から俺様だった航ちゃんの言葉に、私は怯えながら服を脱いで、渋々ながらに着替えた。
足取り重い私の手を引っ張った航ちゃんは、何だかとっても不機嫌そうだった。怒っているようにも見えて、私はビクビク全開だった。
学校が見えてきた頃、航ちゃんは突然振り返った。眉を寄せている。やっぱり怒っている。
「優香」
「ふぁい……」
情けない返事をする私に、にこりともせずに、航ちゃんは言った。
「辛かったら言え。困ったことがあったら言え。言わなきゃ分からねえ」
何のことだか、さっぱり分からない私は、瞬きを繰り返す。
やっぱりこの頃から、航ちゃんの言葉は曖昧だ。
思わず無言になってしまった私を連れて、航ちゃんは私のクラスのドアを開いた。
ざわめいたクラスの中が、一瞬で静まり返る。
航ちゃんは、私の手を掴んだまま席へと連れて行き、強引に私を座らせた。そして声を低くして囁く。
「いいか、今日一日逃げんな。不安になったら、俺のクラスに来い」
「う、うん」
「そこのきみ」
航ちゃんは突然、私の隣の席の男の子に目を向けた。私が男の子と航ちゃんを交互に見比べていると、航ちゃんはにっこりと私に向けることの無い笑みを浮かべていた。
「今日のターゲットって、誰かな?」
「え、ええと、ええと……」
その子は、戸惑ったように友達に助けを求めているけど、誰も助けてなんてくれない。
しん、と静まり返ったクラスの中で、柔らかな航ちゃんの声が聞こえた。
「ターゲットになった子は、うちのクラスにおいで。それ以外の子は、六年を敵に回したと思ってもいいよ」
航ちゃんの言葉に、ざわめくクラス内。
どうしてここに六年が出てくるのか、さっぱり分からないんだろう。だって私にも分からない。
だけど、航ちゃんは淡々と柔らかく言った。
「そんなくだらない遊び、潰すからね。やりたいヤツは、俺が相手になる。覚悟の上で、イジメを繰り返してな」
航ちゃんが最後、強調した言葉。
イジメ。
そうか、これってイジメだったんだ。きっと誰も気付かなかっただろう。ゲームだと思ってた。
だけど、自分がターゲットになるのは怖かった。ターゲットを無視しなくちゃなんないのが嫌だった。
そう思っても、口に出せなかった……。
しん、と静まり返ったクラスを見渡し、航ちゃんは私の頭をぽんぽんと撫でた。
その優しい仕草とは裏腹に、地を這うような低い声で囁いた。
「帰り、迎えに来る。逃げて早退してたら、ただじゃおかねえからな」
そう私を脅しておいて、航ちゃんは自分のクラスへと戻っていった。
もちろん、六年を敵に回すなんてバカはいなくて、その日から無視のゲームは無くなった。
航ちゃんの言うこと、やることは正しい。
それは、昔も今も。
私に常に脅しを掛けてくるのは、怖いけど……でも、そう強引にされないと、動けない私がいる。
航ちゃんの本心って、何だろう? 何を考えているのか、よく分からない。
分からないまま、夜の七時を迎え、宣言どおり、俺様航ちゃんがやって来た。
「何だ、ちゃんと仕度終えてんのか。部屋に乗り込んで怒鳴ってやろうと思ってたのに」
にやりと意地悪く笑った航ちゃんに、私が頬を膨らませていると、彼は私を押しのけて、大きな声を上げた。
「おばさん、優香を借りるね! 遅くならないようにするから!」
「悪いわねえ、航介くん。優香、あんまりワガママ言って、航介くんを困らせるんじゃないのよ?」
台所から出てきたお母さんが、タオルで手を拭きながらそう笑う。
私、今まで一度でも、航ちゃんにワガママ言ったことあるか? いや、無い。
脅されたりビビらされたことはあるけど、ワガママなんて……言えるわけが無い。
だけど、見てる。じっと航ちゃんが私を見ている。ガン見されて、そんな反論出来るはずもなく、
「はぁい……」
と小さく返事をするのが精一杯だった。
駐車場に止めてあった航ちゃんの車は、黒いセダン。何て名前の種類か、よく分かんない。というか、興味がない。
助手席を開けてくれるなんて優しさがあるはずもなく、さっさと乗り込んでエンジンを掛ける航ちゃんの横に滑り込んだ。
車の中は、芳香剤の香りがする。清々しい香りは、嫌いじゃない。
静かに走り出した車の中から、窓の外を見つめつつ、私は意識外で言葉を発していた。
「ねえ、航ちゃん?」
「あ?」
無造作な返事が、ちょっと悲しくなった。
「あのさ、あのね……」
「んだよ」
「この車って、……女の人、何人くらい乗っけたの」
今まで、何回も乗せてもらったこの車。だけど、長い髪の毛を発見したりとか、香水の香りが残ったのを感じたりしたことがない。
ただ、何となく。何となく聞いただけなのに。
航ちゃんからの返事がない。
振り返ると、真正面に目を向けた航ちゃんが、気難しそうな顔をしていて、不味い質問をしてしまったのかと思った。
「あ、ごめん、いいの。どうでもいいんだけど、何となく」
「どうでもいいこと口走ってんなよ」
不機嫌そうな航ちゃんの声。しまった、余計なことを言った。
後悔している私に、航ちゃんはハンドルを切りながら、
「女は乗せねえ」
「え?」
「何かあったら、責任取れねえから。だから、女は乗せねえ」
そう言われた瞬間、分かってたけど。当然、そうなんだろうけど。
私は女じゃないんだと、はっきりと宣言されたような気がして。
どうしてか、分からないけど……少しショックを受けてしまった。




