第6話 激情の先
帰りの車の中で、航ちゃんに相談してみた。
お昼休みにあったことを、オブラートにがっつり包み込んで話をして、
「私、どうしたらいい?」
ってダイレクトに聞いてみたら、ずっと黙って私の話を聞いてきた航ちゃんが、横目で私を見て言った。
「お前はどうしたい」
まさかそう来るとは思わず、まじまじと航ちゃんの横顔を眺めてしまった。
私?
私に聞く?
どうしていいか分かんない私に聞く?
そう思ったけど、でも、私はどうしたいって言われたら……
しばらく無言で考えて、もう一度航ちゃんの横顔に目を向けた。
「こっ、航ちゃんはどうしたら一番いいと思う?」
考えたけど、まだ私の中のずるい部分が働き出して、一応確認してみようかなって思ったら、それが全部航ちゃんにはバレバレで。
「お前、何で逃げる」
「へっ」
「逃げてんじゃねえ。俺はお前の意見を聞いてんだ。まずはお前の意見を言え」
ざっくりとそう言われ、私は唇をかみ締めて、俯き……そして。
「……航ちゃん、分かってる? 航ちゃんって総務部の人たちから、めちゃくちゃ人気あるんだよ」
「……」
「航ちゃんが誰かと付き合い始めたって分かったら、怖いことになりそうなの、分かるもん。そんなこと、誰でも気付くもん」
「……」
「そんな人たちに、私、航ちゃんの婚約者だって宣言する勇気なんてない」
そこまで言っても、航ちゃんは無言のまま、私の言葉を聞き続ける。
だから、私は……
私は本当は、どうしたい?
ふいに、窓の外に目を向けた。
この時期、まだ明るい車窓の景色が段々と薄ぼんやりとしてくるのが分かる。
何で泣くの。
意味分かんない。
そう自分でも思うけど、浮かび上がる感情を止めることが難しい。
内緒にしとけって言ったら、それはそれで出来ないことじゃないと思う。
航ちゃんは自分を隠すのが上手だから、今のままのでいけば、全然問題ないと思う。私にしたって、今のままでいれば、誰も何も思わないと思う。
私が会社に入社したときから、何一つ変わってないって誤魔化せる。
だけど、悔しい。
私、航ちゃんの彼女なのに。
私、航ちゃんの婚約者なのに。
その私に、航ちゃんのことが気になる人の言葉を聞かされるのって結構辛いし、聞きたくも無い。
この間から、ずっと胸がもやもやしてた。
私は自分をアピールするのも前面に押し出すのも得意じゃないし、出来れば限りなく目立たない場所で生きて行きたいって思ってるけど、でも。
これだけは譲りたくない。
航ちゃんの手が触れるのは、私だけなの。
航ちゃんが本当に優しい笑みを向けるのは、私だけなの。
航ちゃんが『好きだ』って言ってくれるのは、私だけなの。
……航ちゃんを理解してあげられるの、私だけでいたいの。
他の誰にも譲りたくない。
私だけが、航ちゃんに抱きしめてもらう存在でありたいの。
日に日に積もる、独占欲。
それを今まで心の中で殺してた。
航ちゃんは、女の子に人気があってモテるから、仕方ないって思ってた。
私もバレて、面倒になるのが嫌だったから、ずっと逃げていた。
だけど、もう限界。
心の誤魔化しが利かないところまで来てる。
溢れ来る涙に気付いたけど、それを抑えることが出来なくて、でもそれを航ちゃんには見られたくなくて。
情けない私のチンケなプライドが、素直になることを妨げる。
こんな自分、嫌だ。
だけど、口にするのはそのチンケなプライド満載の言葉。
「……別に今までと一緒でいい」
そう言葉を吐き出した瞬間、頬に涙が伝った。
まずい、航ちゃんが見たら変に思う。
慌ててコソコソと涙を拭いていたら、車が路上に停まった。
幹線道路の途中で……どこにもお店が無いこの道路で停まったことに驚いて、運転席に眼を向けると、航ちゃんが真剣な眼差しで私を見てた。
「優香」
静かな声には、怒りは無い。だけど今にも溜息をつきそうな声色で、私はそのまま固まっていた。
そんな私をじっと見据えながら、航ちゃんは、
「他の連中のことなんか聞いてねえ。俺は、お前がどうしたいのか、ただそれを聞きたいだけだ」
「だ、だって……」
「言え。お前はどうしたい?」
口調はきついけど、でも、表情を和らげた航ちゃんを見て、私の頬にまた、熱いものが伝わっていくのが分かって、私はどうしてもそれを止めることが出来なくて……
「こっ……」
「……」
「怖いよ! だって、絶対そんなんバレたら、私攻撃されるもん!」
「……」
「『北里さん』のお相手が私だなんて、皆ムカつくに決まってるもん!」
「……」
「私、そんな環境で仕事続けていける自信なんてない! だったら……っ、だけど……っ、」
そこまで言っても、航ちゃんは私を助けてくれない。許してもくれない。
無言で私を見つめ続けて、次の言葉を待っている。
だから私は、涙をボタボタと垂らしながら、……もしかしたら鼻水まで出てたかもしんない。
とてつもなくブサイクな顔を晒しながらも、私は心の底の叫びを吐き出した。
「私、ちゃんと認めてもらいたい!」
「……」
「私が航ちゃんの彼女なんだって、堂々と本当はしたい! 私が航ちゃんの彼女なんてあり得ないって顔、されたくない!」
「……」
「私、……ちゃんと航ちゃんの彼女だって、自信を持って言えるようになりたいよ……っ」
両手で顔を抑えて、私は大声を上げて泣き出してしまった。
バカみたい。
自分の心が大暴走してるのが分かる。
だけど、ここ最近続いためくるめく展開に、自分自身がついていけていないのが分かった。ううん、本当は気付いてた。
今まで呑気にのんびり過ごしていた私の周りの展開を、見て見ない振り、気付いて気付かぬ振りしてた。
そうすることで、全部のことから逃げ続けてた。
だけど、私の心の弱い部分と、私が求めているものがあまりに違う。
私、航ちゃんの一番でいたい。
いつも、いかなる時も。
凄くキツいこと言うし、凄く意地悪だし、メチャクチャ怖い航ちゃんだけど。
でも、私は知ってる。
航ちゃんは私に、誰よりも優しくて、誰よりも甘い。
そして誰よりも、私のこと愛してくれてる。
だから、私は航ちゃんの腕の中から抜け出したくないって気付いたんだ。
どんなに大変だとしても。
どれだけ傷つくか知れないって分かってても。
私はこの時初めて、強く……凄く強く。
この場所を、誰にも譲りたくないって思った。
「こっ、こっ、こうちゃ……」
「……ん?」
航ちゃんは優しく返事をし、私を狭い車の中で、ぎゅっと抱きしめた。
やっぱ、この場所は私だけのものでいて欲しい。
航ちゃんのあったかい胸に頬を寄せることが出来るのは、私だけがいい。
そう思った私は、航ちゃんの背中に両手を回して、スーツに顔を押し付けた。
「私……私、航ちゃんの全部、欲しい……」
自宅での航ちゃんも。
会社での航ちゃんも。
私が全部受け止めて、そして皆に認めてもらう彼女でありたい。
そう思って、呟いたのに。
航ちゃんはぴくんと身体を震わせて、そして無言のままだった。
その反応に、私は首を傾げながら、おずおずと顔を上げると……何ということだろうか。
航ちゃんが、顔を真っ赤にして私を見下ろしていた。
何で!? どうしてそんな顔してんの!?
って思った私は、今言った発言を思い出し、そして慌てて首を振った。
「ちがっ、航ちゃん、あの、そういう意味じゃなく、全然そういう意味じゃなくて、その……っ」
慌てふためいた私の言い訳を聞いているのかいないのか、航ちゃんは私をぎゅっと抱きしめて、
「……優香、」
「はい……」
「俺は周りの目なんて、どうでもいい。どう思われようが構わねえ」
「……うん」
「だけど会社である程度の立場にいねえと、将来お前が安心して生活出来ねえだろうと思ってた」
「……航ちゃん……」
「だからこれからも、俺は会社では今までと同じようにしていくつもりだ。だけどな」
そう言って、航ちゃんは私を抱いた腕の力を緩め、私を覗き込んで微笑んだ。
「大丈夫だ。心配すんな。お前は俺が護ってやる。だから……」
航ちゃんの眼差しに絡め取られたみたいに、私はその場から、一ミリも動けない。
近づく顔を、ぼんやりと眺めていて……こうしていつも、優しく微笑んでくれてたらいいのになって、バカなことを考えながらいた私に、航ちゃんが熱い吐息と共に囁いた。
「……ちゃんとお前が俺のもんだって、他の連中に認めさせてやる。だから……」
だから……?
その言葉は唇に乗せられない。だって、塞がれてしまったから。
車がバンバン隣を通り過ぎる、この幹線道路の路肩で。
私の唇を情熱的に塞いだ航ちゃんは、切なそうな吐息を漏らし、ぽつんと呟いた。
「お前の全部、貰いてえ」
「……航ちゃん……」
ただ名前を呼ぶしか出来ない私を、航ちゃんは更に強く抱きしめた。
「一生、お前だけだから。だから……」
そんな切ない囁きに、刃向かうことが出来るだろうか。
魔王降臨の航ちゃんの力よりも、今の航ちゃんの方が、私にとっては効果抜群じゃないかって思った。
辛そうな、苦しそうな表情の航ちゃんを抱きしめて、私は何度も頷いた。
「好きって、いっぱい言って」
「ああ……好きだ。優香、好きだ」
「愛してるって言葉も、言って?」
「愛してる。お前だけ、愛してる」
「航ちゃん、航ちゃん……」
「優香、俺だけを見てろ。俺もお前だけを見てるから」
そう囁かれたことまでは、覚えてる。
その後、何がどうなったのか、全然分かんない。
だけど、本当に何がどうなったのか、さっぱり覚えていないけど。
私と航ちゃんは、この日初めて一つになった。




