第5話 社内恋愛
航ちゃんと婚約して、数週間が過ぎた。
だけど、あんまり今までと変わんない。
毎朝航ちゃんが会社まで送ってくれて、私はそのまま一階の端っこの事務室に。航ちゃんは三階の営業部へ向かう。
そして定時になり、航ちゃんが会社に戻ってきていれば、私を車に乗せて団地まで送ってくれる。
そうじゃない日は、航ちゃんにLINEをしてから一人で帰る。
江端さんは、私を絶対残業させなかった。忙しそうで申し訳ないから、
「私も残ってお手伝いします」
って言うと、彼女は掛けていたメガネをくいっと上げて、私を横目で見ながら言う。
「経費節減」
……バイトの私が残業すると、その分時給がかさんじゃうってことらしい。
だから仕方なく、申し訳ない思いになりながらも、定時で帰宅する毎日だった。
江端さんは、無駄なことを喋らない。黙々と仕事をしていて、私から話しかけないと、一日中無言のままだったりする。
だけど私もどちらかというと、その方がありがたい。
気を遣って話題を作ったりするのって、あまり得意じゃない。
どんな話をすれば無難なのか。こんなことを言って、相手が傷つかないか。
そんなことを考えてしまうから、凄く疲れ果ててしまう。
例えば……総務部の、綺麗なお姉さん達。
彼女達に捕まると、妙に気疲れして、その後ヘロヘロになってしまっていた。
今日も、お昼休みに社員食堂に向かった私を、総務部のお姉さん達が取り囲む。
本当は江端さんが一緒に来てくれると嬉しいんだけど、彼女はお弁当持参。社食といえど、外食は無駄だと思ってるみたいだった。
そういえば、江端さんって、独身なのかな。それとも既婚者なのかな。
五十歳代前半っぽい感じだけど、指輪ってしてたっけ。
お弁当、旦那さんの分も作るから、ついでに自分の分も持ってきてるのかな。
私、全然江端さんのこと知らない。
一日ずっと一緒にいるのに、ここまで自分のことを言わない人も珍しい。
……不思議な人だなあ……。
オムライスのスプーンを握ったまま、何となく江端さんのことを思い浮かべていると、隣から綺麗にウェーブさせた髪を揺らし、完璧な化粧を施した顔に笑みを浮かべて私を覗き込んだ。
「三島さん? どうしたの?」
「ひゃあ! あ、ごめんなさい、ぼーっとしちゃって」
慌てて言うと、私の左右に座ったお姉さん達が、何が可笑しいんだかくすくすと笑ってる。
私の左右にいるのが、総務部でも1、2を争う別嬪さんの、篠原さんと前田さん。
どちらも、航ちゃんの大ファンだ。
そして私の前に座って、そんな私たちを苦笑して見ているのが、彼女達より少し年長の斉藤さん。篠原さんたちほど派手ではないけど、十分美人の部類にはいる人だった。
「本当、可愛いわね、三島さん」
「これだもの、北里さんが妹みたいに可愛がってるの、分かるわよね」
篠原さんと前田さんはそう笑うけど、航ちゃんが私を妹みたいに? 可愛がってる?
それは大きな勘違いだと思う。
航ちゃんの本性を知らないから、そんなこと言えるんだ。
……ていうか。
私、可愛くなんてない。
褒めてくれたのかもしんないけど、その言葉のニュアンスが私を子ども扱いしているみたいで、思わずムッとしてしまった。
それに、私、航ちゃんの妹なんかじゃないもん。
一応、彼女だもん。婚約者だもん。
ちょこっとカチンときてしまったけど、小心者の私がそんな態度を出せるはずも無く、愛想笑いを浮かべてぱくんとオムライスを口に運んだ。
そんな私に、篠原さんが身を乗り出した。
「ねえ、三島さん。北里さんの好きな食べ物とかってなあに?」
「え? 航ちゃ……じゃなく、北里さんのですか? うーん、何だろ……嫌いな食べ物とかは無いはずですけど」
「そうなんだあ。今度、夕飯誘ってみようかな? フランス料理とか合いそうよね!」
「ああー、合いそう合いそう! ワインとかブランデー傾けてる姿とか見たい!!」
……航ちゃんは、日本酒が好きなんだけど。
ビールから始まって、日本酒をちんたら飲むのが好きなんだけど。
さきいかとか、普通に齧ってるんだけど、篠原さんたちには想像も出来ないだろうな。
肩を竦めてオムライスを食べ続けていると、斉藤さんが穏やかな笑みを浮かべて私に言った。
「三島さん、事務の仕事、大分慣れた?」
「あ、はい。江端さんが色々教えてくださったので」
そう答えると、斉藤さんはけぶるような眩しい笑みで、
「そう。彼女、完璧主義者だから、今まで何人もアシスタントについたんだけど、次々に辞めていっちゃったの。だけど三島さんは大丈夫そうね」
そっか。完璧主義か。確かにそうかも。
仕事が速くて、だけど丁寧。それを一緒に働く人に要求するのは、ちょっと辛いかもしんない。
だけど、きっと今までの人は、無言で仕事をする空気に耐えられなかったんじゃないかなって思った。
それに同じ会社内だっていうのに、総務部のこの煌びやかな雰囲気とは全然違うもの。
どっちかって言うと、地味。
私には、やっぱ事務室の方が向いているみたいだ。江端さんといると、気が楽だもの。
それにあの端っこの部屋、何だかとても居心地がいい。
最初に抱いた印象よりも、私にはずっとずっと向いている仕事だって思い始めてた。
だから私は、斉藤さんににこりと笑って大きく頷いた。
「はい、これからも頑張ります!」
そう言うと、斉藤さんは嬉しそうに何度も小さく頷いた。
すると、篠原さんと前田さんが、真ん中の私を挟んで声を潜めた。
「でもねえ、あの人暗いのよね」
「それに、ちょっと怖くない?」
「うんうん、来客があったら、絶対部屋から出てこないでって感じ」
「あはは、確かに!! うちの会社のイメージ悪くなるよね」
そんなことを言い始めて、私は凄く驚いてしまった。
悪口!? しかもその江端さんと、現在一緒に働いている私の前で、悪口言うの!?
しかも来客があったら、部屋から出ないで!?
何て酷いことを……信じられない。
あまりに驚きすぎて、呆然としていると。
斉藤さんが眉を潜めて、彼女達に言ってくれた。
「こら。そういうことを言うもんじゃないわ」
柔らかいその言葉に、篠原さんたちは少しむっとしたみたいで。二人顔を合わせて、席を立ってしまった。
「それじゃね、三島さん」
「また、北里さんのこと教えてね」
そう口々に言い、一瞬斉藤さんを睨むように見据えながら、社食から出て行った。
そんな彼女達を見送りながら、斉藤さんは苦笑を浮かべた。
「困ったものね」
「あ、あの、大丈夫ですか?」
篠原さん達の様子を見て、心配になった私は思わず尋ねた。
だって最後のあの斉藤さんを見た目つき。総務部に戻って、今度は斉藤さんの悪口に花を咲かせるんじゃないだろうか。
もしかして、斉藤さんがこの会社に居辛い環境になってしまうんじゃないだろうか。
派遣のとき、似たような経験をしている私だから、そんなことを心配してしまったんだけど、でも。
斉藤さんはくすりと笑って、
「何が? 何も問題なんて起きないわ」
「けど……」
「三島さん。私、総務で一番古いのよ」
「え?」
「私、お局様なの。だから、他の人が何を言おうと、何の問題も起きないのよ」
……斉藤さんって、凄い人だって思った。
自分で自分のこと、お局様って言っちゃうのも凄いけど。でも何より、自分に自信があるから、平然としていられるんだって思った。
だから、ダメなものはダメって、堂々とはっきり言えるんだって思った。
人の顔色ばかり伺う私には、とても真似出来ない。
そんな斉藤さんを、かっこいいって思った。
女らしくて美人で、仕事もバリバリして、そんでもって強くて。
こんな人になれるといいのにな。そしたら、私ももっと自分の意思をちゃんと言えるようになると思うんだけど……うじうじしないで済むと思うんだけどな。
少しだけしょんぼりとしてしまっていると、斉藤さんはじっと私を見つめていて、私はその視線に気付いて顔を上げた。
「ねえ、三島さん」
「はい?」
「大変ね。北里さん、モテモテで」
突然のその言葉に、私は思わず盛大にむせてしまった。
だって、……何を突然!?
びっくりしすぎてゲホゲホやってると、斉藤さんが慌てて私の背後に来て、背中をさすってくれた。
やっと落ち着いた私が、「済みません」って顔を上げると、斉藤さんは僅かに腰を落として私に囁いた。
「はっきり公表するか、隠し通すか。どちらかに、決めたほうがいいんじゃないかしら」
何を……って言いたいところだけど。
斉藤さんの言わんとしていることが、私には分かった。
どういうルートで知ったのか分かんないけど。もしかしたら、私と航ちゃんを見て、感づいたのかも知んないけど。
斉藤さんは、私と航ちゃんの関係を知っている。
そしてそれを、はっきりみんなの前で公表するか、ただの『幼馴染』で通すか、どっちかにした方がいいって。そう言ってるんだ。
……コソコソするのは、正直言って嫌だ。
他の人から、航ちゃんに対する熱い言葉を聞くのも嫌だ。
だけど、堂々と公表したら、どうなるか……考えただけでも恐ろしい。
篠原さんたちから、私きっとシカトされる。てか、目に見える攻撃を受けるかもしんない。
私、それに耐え切れるんだろうか。また、逃げ出したくなっちゃうんじゃないだろうか。
でも、今回は逃げたくないし、逃げられない。
あの航ちゃんが、そんなことを許すはずが無い。
ただの幼馴染だった頃よりも、社内恋愛みたいになっている今の状況のほうが、ずっと大変なのかもしんないって思い始めてきた。
航ちゃん、こんなことになるって想定してたのかな。
もしそうだとしたら、どうするつもりでいるんだろうか……。
思わず考え込んでしまっていると、斉藤さんは私の肩をぽんと叩いて微笑んだ。
「北里さんと、よく相談するといいわ。彼も自分の立場、分かってると思うから」
「……はい」
そう返事をしながら、心の中で首を傾げた。
どうして斉藤さん、こんなことを私に言うんだろう。私を心配してくれているんだろうか? だとしたら、凄く有難いけど……でも、私、斉藤さんとあまり関わりがないのにな。
そして先に戻っていった斉藤さんと入れ違いに、スーツの上着を片手で掴んだ航ちゃんが、私の前に座り込んだ。
「あっちい。外、アホみたいに暑い」
「あはは、アホって!」
そう笑っていると、航ちゃんは私の目の前のお皿を見て、ぎゅーっと眉を寄せた。
「優香」
低い声を出した航ちゃんに、私は思わず頬を引き攣らせた。
「は……はい?」
「なんで、それしか食ってねえんだ」
「え?」
その言葉に、私も自分のお皿に目をやる。オムライス、半分も食べれてない。ていうか、何か色々ありすぎて、もう食べたくないって感じ。
それを察したのか、航ちゃんは魔王様降臨直前の、更に低い小さな声を放った。
「ご馳走様、なんて絶対言うんじゃねえぞ」
「え……」
まさに今、それを言おうとしていた私は、口を半開きで硬直してしまった。
「食え」
「……」
「食い終わるまで、見届けてやる。さっさと食え」
「……」
「食わねえんなら、どうなるか分かってんだろうな。ああ?」
「……食べさせていただきます」
もうすっかりと食欲が無くなったって言うのに、航ちゃんの脅しに敗れ、泣く泣くオムライスを食べ始めた。
でも……。
冷たいミネラルウォーターを買ってきて、グビグビ飲んでいる航ちゃんを上目遣いで見上げた。
さっきのこと、航ちゃんに相談したら、どういう反応するんだろう?
面倒くせえから、黙っとけって言うのかな。
そう言われたら、きっと多分、私傷つく……そんな気がしてならなかった。




