第2話 航ちゃんっていう人
朝八時。
仕事へと向かう途中、電車に揺られながら私は何となく、航ちゃんのことを考えていた。
私の顔を見るたび、嫌味や意地悪を言う航ちゃんだけど、ここ数年良く聞く意地悪な言葉は、「俺の嫁になれ」とか、「うちに嫁に来い」とか。そんなのばっかり。
私が全くモテることがなく、今のままだと独身を貫くことを決定しているからこその嫌味で、それが凄くキツい。
だけど、あんまりにもしつこく言うので、嫌味返しで言ったことがある。
「なに? 航ちゃん、本当は私のこと好きなの?」
そんなの、心から思った訳じゃない。嫌味に対する私の精一杯の反抗だったのに。
それを聞いた航ちゃんは、「はあ?」って顔をした。
その瞬間、私はもう脱力してしまって、言ったことを後悔した。
そんな風に思ってんの? 嫌味なのに、真に受けてるの? お前バカじゃねえ?
そう言われるのが目に見えていて、そして言われたらとてつもなく恥ずかしくなって、きっと耐えられない。
だから私は、「冗談だよ」って不機嫌に言って、その場から逃げてしまったんだけど。
でも、それからはますますその航ちゃんの口癖のような嫌味を聞くのが辛くなってきた。
言わないでって言えばいいんだろうけど。でも、言って聞くような人じゃないし。
口は悪いし、意地悪だし。もう少し優しさを見せれば、航ちゃんだってもっとモテると思うのに。
175センチほどの身長で、細身の航ちゃんは、仕事を始めてからいつもスーツ姿。大学時代の軽い感じの服装から一転、地味な色合いのスーツを身にまとっているけど、なんでかそれがしっくりと来ているような気がしてた。
褒めないけど。絶対褒めてなんてやんないけど。
でも、スーツ似合うなあって、ずっと実は思ってた。
営業だからなのかも知れないけど、大学生のときには茶色く染めていた髪を、黒に戻して。元々造りのいい顔立ちをしていたから、口元に笑みを浮かべれば、それは優しそうに見える。
でも、私は騙されないけどね!
私たちが住む団地が建設されてすぐに、引っ越してきてからずっと、お隣同士の航ちゃん一家。
あれからもう、二十年以上になる。
何だかんだいって、私の思い出全てに、航ちゃんがいるというのはどうなんだろう……しかも意地悪言われたことばかりの記憶。
高校生のときなんて、最悪だった。
周り皆がお化粧しているのを見て、私もやったほうがいいんだろうと思い、友達に付き合ってもらって、化粧道具一式を買い込んだ。
慣れない手つきながらも、何とか化粧をして、いざ登校! と、気合を入れて玄関を開けると。
大学一年生になった航ちゃんと、鉢合わせした。
彼は、一瞬目を見開き、そして私の頭の先からつま先までをじっくりと見つめて……
「な、なによ」
思わず警戒態勢に入る私の顔をじっと見て、「はっ」と鼻で笑った。
鼻で!! 何て失礼な!
化粧するのに1時間以上かかったし、髪の毛もくるくるカールにするのに三十分以上掛けたのに。
それを……「はっ」って、「はっ」って……!
あまりにムカつきすぎて、声も出ない私に、航ちゃんはそれは冷え切った声と眼差しを向けて言った。
「仮装大会?」
「……え?」
「じゃなけりゃ、風俗かなんかでバイトすんの? 無理無理、やめとけ。お前はそういうキャラじゃねえ」
「ふっ、風俗って! そんなんじゃ……!」
「似合わねえ。化粧落として来い」
「はあ!?」
「落として来いっつってんだよ。聞こえねえのか。さっさと行け!」
そう言って航ちゃんは、私を再び家の中に戻し、私が嫌だと泣き喚くのを抑え、強引に化粧を落としてしまった。
「ひ、ひどい、ひどいよぉ」
ぐずぐずと泣く私と一緒に駅へ向かう途中、航ちゃんは呆れたような顔で私を見下ろしていた。
「酷いのは、さっきのお前の顔だ」
更にひどい!! 一生懸命頑張ったのに!!
怒りで声も出ない私に、
「いいか、二度と俺にあんなブサイクなもん見せんじゃねえ。次に見せたら、ただじゃ置かねえぞ」
そう低く脅したのだった。
何たる暴君。何たる俺様。
幼い頃から、ずっと脅され、意地悪をされ続けた私。
私の中で、航ちゃんに恋心が芽生えるなんて、絶対あり得ない。
だからこそ。
あの、「嫁になれ」っていう嫌味は、正直キツい。現実を、見させられるような気がした。
一日、何でか知らないけど、航ちゃんのことばっか考えていた。
それで一日が終わってしまい、私は無性にムカついた。
何であんなヤツのことで、大事な貴重な時間を費やさなくちゃならないんだ。
ムカムカしながら団地の階段を上り、玄関の扉を開けると、隣で「ガチャリ」と音がした。そちらを何となく見ると、黒のスポーツウェアの上下を着た航ちゃんが、「お」と目を見開いた。
「んだよ、遅かったな」
「……残業させられた」
「へぇ、やる気のねえお前に残業させんなんて、相当儲かってんだな、その店」
……出た。嫌味。
私が無言でいると、航ちゃんは手のひらに鍵を転がしながらこっちへ来る。
いいのに、来ないで。出かけるんなら、さっさと行けばいい。むしろ、行け。
そう心の中で毒を吐く私に気付かずに、航ちゃんは唇の端を上げて笑った。
「今日もベランダで欲求不満の溜息吐くのか?」
欲求不満じゃないし!! どうしていいか分からない、切ない想いの溜息だし!!
だけどそれを言うと、更に嫌味を言われるので、今一番正しい方法……無言を貫いていると、突然航ちゃんは謎の言葉を口にした。
「どうすんだ」
「……は?」
「だから、どうすんだって。お前、白紙の状態って耐えられんの?」
更に謎を呼ぶ。私がきょとんとしていると、背後から呑気な声がした。
「おーう、どうしたそんなトコで。航介、どっか出掛けんのか」
振り返ると、お父さんが出勤用の鞄をぶら提げて、軽く手を上げていた。
すると、目の前の航ちゃんが、私には絶対見せないもの……にっこり柔らかな笑顔を浮かべていた。
別人だ。ここに、さっきまでと別人の航ちゃんがいる。
でも、それもいつものこと。航ちゃんは、うちの両親とか、航ちゃん自身の両親に、あんな言葉遣いや嫌味ったらしいことを言わない。
きっと外面がいいんだ。だから営業なんて出来るんだ。
何となく頬を膨らませ、航ちゃんを見上げると、ヤツは手を私の頭に載せて微笑み続けた。
「いや、これからコンビニでも行こうかなって思ってたとこ」
「そうか、なら久し振りに一杯やるか?」
「いいねえ、おじさんと飲むなんてどれくらい振り?」
「お前が大学卒業してからは、初めてか?」
そんな会話をしながら、先にお父さんが家に入り、それに続いて航ちゃんが玄関に入る。
「おーい、母さん。夕飯、航介も一緒に食うぞ」
そのお父さんの声に、「あら、珍しいわねー」っていうお母さんの声が聞こえてきた。
はぁ……またチクチク言われるんだろうな。いっそ私が航ちゃんちにお邪魔して、おじさんとおばさんとご飯食べようかな。
それもアリかも。
という私の目論見は、あっさりと大きな手で阻止された。
「さっさと上がれ」
ここ、私んちなんですけど!?
そう叫ぶ寸前に、航ちゃんは、台所の方に声を掛けた。私の手首を掴んで離さないまま。
「おばさん、突然悪いね」
「いいのよー、一人増えても二人増えても変わらないんだから」
「楽しみだな、おばさんの料理。あ、おじさん、俺、優香の部屋行ってるね」
「おう、仕度出来たら呼んでやる」
そんな会話をうちの両親と交わし、航ちゃんはさっさと私の部屋の扉を開けた。
女の子なのに。一応、私、女の子なのに。
何で勝手に部屋に入るのよ。
文句を目線に込めて、航ちゃんを見上げると。
彼は私のベッドに腰掛け、ぽん、と隣を叩いた。
それでも動かない私に、少しイラついた様子で、
「早く座れ。時間がねえだろうが」
え? 時間?
ますますもって、意味が分からない。私の頭の中で、?マークが沢山踊っていた。




