第15話 社内ツアー
それから数時間が過ぎるのは、本当にあっという間だった。
航ちゃんが不機嫌そうな顔で、「上からと下から、どっちからがいいか選べ」と突然二択を私に突きつけたところから始まった、社内を案内してくれる社内ツアー。
上からと下から? 首をかしげた私だけど、それがこのビルの案内の順番だと気付き、ぶっちゃけどっちからでも良かったんだけど、じっと航ちゃんが私を見据えて返事を待っているので、引き攣った笑みを浮かべて、「下からお願いします」って言っといた。
一階は、さっきは私が最初に乗せられたエレベーターのホールしか見ていなかったんだけど、その奥には広いエントランスがあって、ところどころでテーブルと椅子があった。
「あれ、何?」
何でこんなところに? と思って聞いたら、
「商談をしたりすんのに使う」
とのお答えだった。
そして更には総務部とか一階にあって、航ちゃんはそこへ私を連れて入っていった。
さっきの営業部は男の人ばっかりだったけど、この総務部は逆に女の人ばっかりだった。しかもこの界隈の綺麗どころを集めてきたの!? っていう位、美人さんが揃っていて。
おしゃれな衣装を身にまとい、綺麗に化粧をしたお姉さん達が、航ちゃんと私が入るなり振り返り、正直ビビッた。
航ちゃんはその視線に臆することなく、にっこりと笑みを浮かべて私の背中に手を当てた。
「今日から入ったアルバイトの子です。よろしく」
と、航ちゃんが言ってくれて、私が慌ててぺこりと頭を下げると、綺麗なお姉さんの一人が立ち上がり、私たちの前に立った。
「お話は伺ってます。三島優香さんですね。入社証が出来次第、営業部にお届けしますので、お待ちくださいね?」
綺麗な顔に、綺麗な微笑を浮かべた彼女を、思わずぽわーんと見つめていたら、背中にあった航ちゃんの手が、トンと動く。
あ、しまった、思わず見とれてしまった。
私ははっと我に帰り、もう一度彼女に頭を下げた。
「す、すみません、お手数をお掛けします。あの、これからどうぞよろしくお願いします」
そう言い、他の女の人たちにも頭を下げると、皆にこにこと頷いてくれたけど、私に向けてた視線は短いもので、あとは航ちゃんに釘付けになっている。
うーん……航ちゃん、やっぱモテモテなのかな? 見た目はいいからな、確かに。だけど中身がなー……果てしなく俺様だしな。
とても口に出して言えないことを心の中で呟いていると、航ちゃんは私を引き連れて、今度は二階へと上がっていった。
ここのフロアは、会社で提案をしている商品のサンプルを置いてある場所だそうなんだけど。
まるで、家具屋さんに来たみたいだった。
数人がけのテーブルと椅子のセットとか、ソファのセットとか、サイドボードとか、あとは簡易式のハンガーに掛けられたいくつものカーテンだとか、丸められた絨毯だとか。後は、色んなサイズや仕様のベッドだとか。
そんなありとあらゆるものが、だだっ広いフロアに置かれていて、この部屋に一日いても、全然飽きないんじゃないだろうか。
なんて、そんなことを思っていたら。
「お前がここに来る率、高くなるかも知れねえ」
「そうなの?」
思わずにんまりと笑うと、航ちゃんは意地悪っぽく唇の端を上げた。
「眠くなったからって、ベッドで寝んじゃねえぞ」
「ねっ、寝ないよ!!」
いくらなんでも、そんなことする訳無い。思わず頬を膨らませたけど、目線がついついベッドに行ってしまう。
ふかふかで、気持ちいいだろうな……ちょこっと寝てみたいかも……。
誘惑に駆られそうになった私を横目で見て、危険を察したのか、後ろ髪を引かれる私を引き摺って、サンプルルームから出た航ちゃんは、エレベーターの前に腕を組んで立った。
「後は、更衣室とか社員食堂がこの階にある。更衣室に、お前のロッカーも用意してもらってる」
「そうなんだ」
「お前は着替えなんて必要ねえけどな。ていうか、通勤用のまともな服なんて持ってねえだろ。朝からスーツ着てくりゃ、それでいい」
「……」
「毎日同じ服ってのも何だし、あと二着くらいはスーツ買っとけ。あまり派手なの選ぶなよ。俺が見て、アウトだったら返品させるからな」
「……」
「まあ、そのヘタクソな化粧直すのにでも使え」
とんでもなく失礼な言葉を羅列する航ちゃんに、私は思わず、
「化粧を直すのは、化粧室なんだもんね! 更衣室じゃないんだもんね!」
と、情けない反論をして、逆にブリザードの目線を向けられてビビッていると、ふいに一瞬で航ちゃんの表情が変わり、あれ? と思って振り返ると。
向こうから、さっきの総務部にいたお姉さんがやってきた。
「そろそろ更衣室へご案内してもよろしいですか?」
そうお姉さんがにっこり笑って言った相手は、私ではなく航ちゃんだった。
航ちゃんは頷き、そして仮面の柔らかい笑みを浮かべて私の背中をそっと押した。
「あ、あの……?」
「三島さん、彼女に更衣室を案内してもらって? 後、細々したことを教えてもらうといいよ。終わったら、五階の専務室に来てね。……では、よろしくお願いします」
最後は総務部のお姉さんに言った航ちゃんは、爽やか全開の笑みのまま……私の背筋を凍らせたまま。
エレベーターに乗って行ってしまった。
それをぽかーんと見送っていた私の隣に立ったお姉さんは、閉まったエレベーターの扉に向かって吐息をついた。
それはもう、うっとりとしたような吐息で、私はびっくりしてしまい、お姉さんを見上げると、彼女は赤らんだ頬に手を添え、潤んだ瞳でいまだエレベーターの扉を見つめている。
「ああ……やっぱり素敵……」
素敵? エレベーターが?
そんなオバカなことを一瞬思った私だけど、でも本当は分かってる。その言葉は、航ちゃんに向けられているんだ。
……なんか、なんかヘン。胸の中が、もやもやしてる。
何だろ、この気持ち。
首をかしげる私を更衣室に案内してくれたお姉さんは、航ちゃんのことばかりを口にし、そして称え続ける。
「北里さん、ルックスはいいし服のセンスはいいし、穏やかだし、誰にでも優しいし、本当に言うことないわ。私、あんな素敵な人を見たの初めてよ」
「……そうですか」
思わず声が小さくなってしまったのは、否定の言葉を吐かないようにするため。
かっこいいっていうのは、本当にそうかもしれない。顔はね。顔だけはね。
服のセンスだっていいのかもしんないけど、航ちゃんは、家ではいっつもスポーツウェアばかりだもん。私の部屋に乱入してくる時は、大抵そんなラフな格好ばっかだもん。そんなこと、このお姉さんは知らない。
それに穏やか? 誰が。あのすぐにキレる魔王様が?
優しい? 誰にでも? その『誰』の中には、私は入っていませんが? いっつも意地悪されてますけど?
ムカムカムカ。段々腹立ってきた。
何でこんなにムカつくんだろ。あ、そうか。航ちゃんの外の顔が、私に見せる態度と余りに違って腹立つんだ。
何でよ。このお姉さんたちに優しくしてるなら、私にもその十分の一でもいいから優しくしてくれてもバチは当たらないのに。
何で私にばっか意地悪すんの。
腹立つ原因が分かって、更にムカついた私に、お姉さんは心底羨ましいって顔をして私を見つめた。
「いいわね、三島さん。あんな素敵な幼馴染がいて」
「そうですか? そうでもないです」
何よ、何も知らないくせに。
私の中で負の感情が湧き上がり、思わずツンケンした口調で言ってしまった。はっとして、すぐに「ごめんなさい」って小さく呟いた。
お姉さんは僅かに驚いたような顔をしたけど、すぐにくすりと笑って言った。
「傍にいると分からないものかもね。でも、気をつけてね」
「え?」
「北里さん、本当に女子から人気があるから」
何で航ちゃんが人気があると、私が気をつけなくちゃならないんだろ?
首を捻り、その理由を聞こうとしたけど、その時、午前の業務の終わりを知らせるチャイムが鳴った。……鳴ってしまった。
恐怖の、専務様主催の昼食会に行かなくちゃなんない。
航ちゃんがどう出てくるのか分からないだけに……怒ってたから、きっとただじゃ済まない。和やかなお食事会になんてなるわけない。
逃げたくても、逃げらんない。
心臓が、すんごい勢いでバクバクしてきて、お姉さんが去った後、一人残された私は震える指先で、エレベーターのボタンを押した。
専務様と魔王様が待ち構える、地獄の饗宴への扉が開かれようとしていた。




