第12話 初出勤-3
背後のドス黒いオーラに気づいているのか気づいていないのか、専務様はにこやかな笑顔を浮かべたまま、私に視線を固定した。
「優香ちゃん、電話では昨日話したけど。初めまして、ここの専務の沢渡聡です。よろしくね?」
専務様って、普通もっと年配の人だと思ってた。
どう見ても、航ちゃんとそんなに年、変わらない。
見た目結構爽やかな、軽い感じの専務様は、とっても気さくな様子で私に手を差し伸べる。なので、思わず私も戸惑いながらその手を握った。
その瞬間、私の頭上から、低い舌打ちが聞こえてきた。ギクリと身体を強張らせてしまうけど、その小さな舌打ちが聞こえたのは、きっと私だけ。
だって目の前の専務様の表情は、全然変わらない。
相変わらず胡散臭いっぽい笑みのままだった。
それに少しだけほっとして、
「あの、今日からお世話になります。三島優香です。どうぞよろしくお願いします」
そう震える声で言うと、専務様は笑みを深めて私の手をブンブンと振った。
「うんうん、いやあ、そんなに緊張しないでね。専務って言ったって、ただ親父が社長だってだけのことだから」
「……え?」
「だからさ、別に俺が偉いんじゃないの。親父が社長だから、息子の俺がこんな肩書き背負わされてるだけってこと。だから、構えないで気楽にしてね?」
そう専務様はお気楽な調子で言うと、私の手を離し、ふと私のすぐ傍にいる航ちゃんに目を移した。
そして、なぜかにんまりと笑う。
え、と思い、振り返ろうとした瞬間、私に目線を戻した専務様の手が、私の肩に掛かった。
「それじゃ早速、面談しちゃおっか」
「め、面談ですか」
「うんうん、航介から聞いてない? 一応ね、この会社の決まりなの。入社した人と重役が面談して、その人のキャラ掴んどくって感じ」
キャ、キャラですか。
ぽかんとした私だけど、そう言えば航ちゃん、言ってた。
『職場見学と、重役面談どっちが先がいいか選べ』って。
で、でもやだな。専務様と面談だなんて。私があまりにもオドオドしすぎて、何だよコイツって思われたらどうしよう。
不安でいっぱいになり、航ちゃんに助けを求めようとしたら、背後のドス黒いオーラの持ち主が一歩進んだ。
そして私の隣に立った航ちゃんを見上げると、……引く。引くほど、柔らかな笑みを浮かべてる。怖すぎ!!
「それでは私も同席させて頂きます。彼女の責任者は私ですので」
その声の色も、絶対私と二人きりでは聞くことのないほどの余所行き感満載だったんだけど、言われた当の本人はけろりとしていた。
「いいよぉ、別に航介は来なくても。ただ話聞くだけだし。それに、もうすぐ営業会議始まるだろ?」
えええ!? 航ちゃん一緒に来てくれないの!?
引き攣った私が必死で航ちゃんを見上げて、何とか一緒に来てくれないものかと祈っていたんだけど……。
航ちゃんはしばらく無言でいた後、私の頭部に優しく手を当てた……ように周囲には見えていただろう。
だけど違う。決してそうじゃない。
私の後頭部は、航ちゃんの手によってがっしりと掴まれていた。
ひくんっと身体を振るわせた私の隣で、あの作った柔らかな声が聞こえてくる。もはや私は航ちゃんの手で頭部を固定され、そちらを振り向くことさえ出来ない。
「……分かりました。それでは、準備が出来次第、専務室に向かわせます。どうぞそちらでお待ちください。……悪いけど、重役面談の準備をするから、先に営業会議を始めていて貰えるかな?」
後半は、同僚の営業の男性たちに言った言葉。
彼らは航ちゃんと専務様のやり取りに、全然何も感じなかったようで、私に笑顔で手を振ってくれた。
「初仕事だなー、頑張れよ!」
なんてエールまで送ってくれたりして。
それに引き攣った笑みで答えると、周囲に誰もいなくなったことを確認したのか、私の頭部を掴んだままの魔王様が、低く声をお出しになった。
「てめえ、何を考えてやがる。優香はもう、社長ときちんと話をした。それでいいだろうが」
あ、やっぱ航ちゃん、専務様には私と同じような態度なんだ。
さっきは他の人がいたから、別人航ちゃんのままの対応だったんだ。
改めてそれを認識した私の前の専務様は、別段驚きも怒ることもなく、そんな航ちゃんの口調に慣れている様子で。
面白そうに目を細めていた。
「別に何も無いよ? たださ、優香ちゃんとお喋りしたいなーって。ただ、それだけ」
「……」
「別に取って食うわけじゃないんだしさ、そんなに警戒すんなよぉ。俺はただ、専務として面談するだけだって。な?」
「……」
「そんじゃ、優香ちゃん。五階の専務室で待ってるねー! あ、そうそ。航介、約束は守れよ?」
「……ちっ」
専務様はにんまりと再び笑みを浮かべるや、硬直したままの私と舌打ちをした航ちゃんに背中を向けて、さっさと営業部を出て行ってしまった。
そこから、私はすぐに専務室に行かなくちゃいけないと思って、航ちゃんの私を掴んだ手にそっと触れた。
「あの……航ちゃん……」
そうおずおずと声を掛けると、航ちゃんは営業部の端っこの会議室から見えない場所まで私を連れて行き、そして腕を組んで私を見下ろした。
「いいか、優香。あいつに余計なことを言うな」
否定することを許されないような声色と口調に、私はただただ頷いた。
そして続けられる声は。
「……あいつが何を言っても、何を頼んできても、俺に許可を得ろ。必ず、俺に聞け」
「う、うん、でも、相手は航ちゃんよりも偉いんだし、いいの? 大丈夫なの?」
「あ?」
あ? って!! 目を思い切り眇めて、あ? って!!
だって普通思うでしょ!!
会社のシステムなんて分からないけど、普通航ちゃんと専務様の命令を比べたら、専務様のほうを優先するでしょ!
それによって、航ちゃんの立場が危うくなるかも知んないじゃん!
と、心の中で叫んだけど、無論言葉に出来るはずも無く。
ただ目で訴えていると、航ちゃんは深いため息をつき、
「あいつはな、ただ俺を困らせて遊ぶのが楽しいだけだ」
「……意地悪されてるの?」
まさか、この航ちゃんに限ってそんなこと、あり得ない。
そう思った私だけど、航ちゃんは苦々しげな表情を浮かべてた。
「意地悪とは少し違う。……今後、お前をダシにする可能性大だ。だから、あいつと出来るだけ関わるな」
航ちゃんの言うことは、相変わらず抽象的で、よく分からない。
何で私がダシにされて、航ちゃんが困るんだろう……ああ、そうか。私の責任者だからか、航ちゃんが。
そうだよね、私が専務様に航ちゃんに意地悪をされる隙を与えちゃいけない。失敗しないように、これから頑張らなくちゃ。
なんとなく、航ちゃんと専務様の関係が、私と航ちゃんと似ているような気がして、私は妙に航ちゃんに同情してしまってた。
「大変なんだね、航ちゃん」
「……」
「私、頑張るね。航ちゃんの足を引っ張らないように気をつけるね」
「……」
「だから航ちゃんも頑張ってね。負けないでね」
「……お前、やっぱ全然分かってねえな」
「え?」
せっかく航ちゃんを励ましてたのに、航ちゃんは、やってらんねえって顔をして、だけどそれを苦笑めいたものに変えると、私の頭をぽんと撫でた。
「よし、行け」
「うん。あ、そうだ、航ちゃん」
踵を返して、専務様の部屋に行こうとした私だけど、ふと私を見送っていた航ちゃんに振り返った。
訝しげに眉を寄せた航ちゃんに、
「私、会社にいる間、航ちゃんのこと『北里さん』って呼ぶね」
「…はあ?」
「だって航ちゃんだって、私のこと『三島さん』って呼んだじゃん。だからそう呼ぶね。よろしくお願いします、北里さん」
社会人として正しいあり方よね。そうだ、こういうケジメはつけていかなくちゃなんない。うん、私って大人。
そう思って一人で納得して言うと、航ちゃんはぽかんとした顔をして、そしてその顔を真っ赤にして。
咄嗟に私に背中を見せて、そこをブルブルと震わせてた。
「あ、あの、航ちゃ……じゃなく、北里さん?」
戸惑いながらも、慣れない名前を呼ぶと、航ちゃんは「プーッ!」と噴出して、ゲラゲラと笑い出した。
あまり見たことのない、航ちゃんの大爆笑。
それをぽかーんと見ていたら、航ちゃんは抑えきれない爆笑のまま、私に手を振った。
それが早く行けって意味だと分かり、そして航ちゃんの爆笑の意味が私の『北里さん』と呼んだことだと知り、頬を膨らませて私は足音高く、営業部を出ようとしたら。
「三島さん」
航ちゃんの声がして、振り返ると。航ちゃんは、まだ顔を真っ赤にし、可笑しそうに口元に手を当てながらも、
「夕飯」
「え?」
「楽しみにしとけ」
それが今晩も航ちゃんがゴチしてくれるってことで。
それはきっと、私の初出勤のお祝いだってことだって分かって。
私はとても嬉しくなって、大きく頷いた。
今日は、二択で迫られないように、さっさとメニューを決めるようにしよう。
それよりも、まずは専務様に航ちゃんをいじめる隙を与えないように頑張らなくちゃ。
よし、頑張ろう!!
一人心の中でこぶしを上げて、気合を入れた。




