第11話 初出勤-2
眩しい日差しが差し込む部屋の中、秘書っぽい女性の後に航ちゃんと一緒に着いていくと、奥の大きなデスクの向こうに壮齢の男の人がにこやかに笑みを浮かべて立ち上がった。
航ちゃんは彼の前で立ち止まり、綺麗に伸ばした背筋のまま、優雅にお辞儀をした。
私はただ、それを呆然と見ているのみ。
そんな私と航ちゃんを、壮齢のおじ様がにこにこと見比べていた。
「おはようございます、社長。彼女が、三島優香です」
社長!! この方が、この会社の社長様!!
ビックーン! と身体を硬直させた私と、私の隣に立つ航ちゃんに、社長様はニコニコ笑顔のまま手でソファを指し示した。
「うん、おはよう、北里くん。よく来たね、三島くん。二人とも、そこに掛けたまえ」
そう言って、社長様自らソファに腰掛けたのを見て、航ちゃんがその前に腰を下ろす。
そしてどうしていいか分からずに、おろおろしていた私を無言で見上げた航ちゃんから、言葉にならない程の威圧感を受け……正直、社長様からよりもずっと恐ろしい緊迫したものを感じるんだけど、それを口に出来るはずも無く、私はビクビクしながらも航ちゃんの隣に音を立てないように座った。
社長様はそんな私と航ちゃんを穏やかな表情で見比べ続けていて……何か社長様って、もっと偉そうでふんぞり返っていて、えばり散らしているようなイメージを勝手に抱いていたんだけど、全然そんなことが無くて。
近所に住んでるおじいちゃん、みたいな穏やかな雰囲気で、かなり意外だった。
「三島くん、うちの会社がどんなことをしているところか、知っているかね?」
そう突然振られ、私は飛び上がらんばかりの勢いで驚いたんだけど、私よりも先に隣の航ちゃんが膝の上で手を組んで、柔らかな笑みを浮かべて社長様を見つめて言った。
「彼女は、社会経験がまだ浅く、不勉強ですが、彼女なりにこの会社のことを下調べしてまいりました。三島さん、分かる範囲で構わない。勉強してきたことを言ってごらん?」
言ってごらんって!! 誰ですか、あなたは! てか、そんな優しげな顔をされても、普段の俺様航ちゃんを知っているだけに、余計恐怖心を煽るばかりなんですけど!?
とは、私の心の中での絶叫で、もちろん私は航ちゃんが表の顔と裏の顔を持ち合わせているのを知っている。
きっと会社では、航ちゃんは『別人航ちゃん』になって、仕事しているんだろうなって思ってたんだけど、まざまざとその姿を見せられると、やっぱりすぐには慣れることは出来ないような気がした。
頬を引き攣らせながらも、ここでちゃんと社長様に勉強の成果を伝えなければ、後で何を言われるか分からない。
勉強とは、つまり航ちゃんと深夜まで特訓したあの日の成果……。
航ちゃんの容赦ない質問の嵐に、半べそを掻きながらもネットサーフィンを繰り返し、ここの会社のことを調べたあの恐怖の時間の成果ってことで。
私はおずおずと社長様を見上げ、時折航ちゃんに横から密かに睨まれながら、この会社『総合インテリア商社沢渡株式会社』の資本金とか、創立年月日とか、取り扱い商品とか、主な取引会社とか、あと社会的役割とか、そんなことを必死で思い出しながら、たどたどしくも口にしていった。
社長様は私の説明を聞きながらとても嬉しそうに目を細め、何度も何度も頷いた。
それを見て、少しだけほっとしていると、社長様は私から航ちゃんに目を移した。
「北里くん、相当彼女に叩き込んだな?」
悪戯っぽいその言葉に、航ちゃんは柔らかな笑みを崩さずに首を振った。
「いいえ、三島さんの仕事をしたいという前向きな心構えの現れです」
私は思わず驚いて、航ちゃんの横顔を凝視してしまった。
だって、私、自分から勉強したいなんて一言も言ってない。仕事はそれはしたかったし、無職状態になるの、怖かったけど。
でも、自ら進んで会社の情報を知識として吸収したいだなんて思っていなかったのに。
航ちゃんが、私を立ててくれた。信じられなかった。
そんな私の驚きが、社長様に伝わったみたいだったけど、でもそれに関しては社長様はもう何も言わなかった。
ただ、航ちゃんと私を面白そうに見比べ、
「分かった。それでは、今日から精一杯頑張ってくれたまえ。三島くんの教育は、北里くんに一任して構わないのだな?」
きょ、教育!!
この航ちゃんから、教育!?
チェックされるだけかと思っていたのに、航ちゃん、私の教育係もやってくれるの!?
知らない人ばかりのところで、放り出されるのも怖いけど。
でも、航ちゃんの鬼のようなスパルタ教育を想像し、心からうんざりとしてしまっていると、航ちゃんはにこりと笑って私の肩に手を掛けて立ち上がった。慌てて私もそれに倣うと、航ちゃんは再び優雅なお辞儀を施した。
「私ともう一名で教育に当たりたいと思っています。それでは社長、これからどうぞよろしくお願いいたします」
「おっ、お願いします!!」
まるでコメツキバッタのようにペコペコと頭を下げた私を連れて、航ちゃんは社長室を後にした。
扉を出た瞬間、思わず深い溜息をついた私は、両手を胸の前で組んで航ちゃんを見上げた。
「あ、あの、航ちゃん」
「あ?」
さっきまでの柔らかな笑顔を消し去り、私を見下ろすその姿は俺様そのもの。
うう、この豹変っぷりはどうなのよ。
内心たじろぎながらも、少しだけ唇を尖らせながらも私はたくさんの気になることの中から、今一番聞いておかなくちゃならないことを口にした。
「あのね、私の教育係って、航ちゃんだって言ってたでしょ?」
「ああ、仕方無えだろ、それとも何か、お前、俺じゃ不服だっつうのか」
眼を眇めた航ちゃんに、私は慌てて両手を振った。
「ちっ、ちがっ!! そんなとんでもない! そんなオコガマシイことは思わないけどっ!」
「けど、何だ」
「……航ちゃんのお仕事の邪魔になったりしないのかなーって……」
だって航ちゃんは営業でしょ?
私に掛かりきりになったら、お客さん回りとか出来なくなっちゃう。私のせいで、航ちゃんの仕事の効率が悪くなったりしたら、やっぱり申し訳ないし。
そう思って言うと、航ちゃんは眉を片方上げて、返事をせずに歩き始めた。
あれ、怒らせちゃったかな。どうしよう。
戸惑いながら、その後を付いて行くと、航ちゃんはぽつりと呟くように言った。
「余計なこと、気にすんな」
「……え?」
「お前は、今出来ることを考えていりゃいいんだ。お前のことは、この会社に入れた俺の責任だ。お前が気にすることじゃねえ」
そう言った航ちゃんの声は、怒ってるって感じじゃなく、むしろ私に言って聞かせるような、珍しく優しい感じの口調だったので、少しばかり驚いた。
「航ちゃん……」
「……ここは、……いっか」
ふいに足を止めた航ちゃんが見上げた扉。そこに『専務室』と書いてある。
専務室……。昨日電話で話した、専務様!?
ご挨拶、しといた方がいいんじゃないかな。だって昨日、電話で『初日、楽しみにしてるね!』って言ってたし。
そう思ったんだけど、専務室を通り過ぎるときの航ちゃんの表情が、今にも舌打ちしそうなものだったので、私は何も言えなかった。
二人の間に、何かあるのかな。昨日の電話でも、航ちゃんの会社の専務様なのに、航ちゃん偉そうな口ぶりだったし。
でも、何となく聞いちゃいけないような雰囲気がしていて、私は肩を竦めるように航ちゃんの後を付いて行った。
そして次に連れて行ってもらったのは、三階のワンフロアを占めた『営業部』だった。
広々としたフロアに、ところどころに机が並んでいて、奥の一角は会議室になっているようだった。
その場にいた十人ほどの若い男の人に、航ちゃんから紹介してもらい、航ちゃんの陰に隠れるようにしてビクビクしながら挨拶していると、航ちゃんの同僚の人たちは可笑しそうに私を見ていた。
そんな私を僅かに振り返って見た航ちゃんは、苦笑を浮かべて別人航ちゃんの声で言った。
「男にあんまり免疫がないから、照れてるんじゃないかな?」
うう、そんなこと、わざわざ口にして言わなくてもいいのに。
頬を膨らませた私に、航ちゃんの同僚の人たちが色々と質問をしてくれた。
年はいくつなのかとか。航ちゃんとどういう関係なんだとか。前職は何をしていたのかとか。
私が答えるより早く、航ちゃんがその質問に答えてくれていたので、内心ほっとしていると、私の背後から、何とものんびりとした声が上がった。
「あれえ、もしかして優香ちゃん? 早いね、もう出社してたんだ」
航ちゃん以外、知ってる人なんてここにいるはずないのに。
ドキッというか、ギクッていうか。
とにかく心臓が大きく跳ね上がり、私は思わず航ちゃんのスーツの裾をぎゅっと握った。
そして私のその仕草と、背後からの声に気付いた航ちゃんがゆっくりと振り返る。
その瞬間、見てしまった。
航ちゃんの眉がギューッと寄せられ、更に跳ね上がり。魔王様降臨の直前の表情になるのを。
だけど、それも一瞬のこと。
次の瞬間、航ちゃんは柔らかな笑みを浮かべて、
「おはようございます、専務」
へっ、専務様!?
私が慌てて振り返ると、そこにいたのは航ちゃんと同じ年くらいの若い男性。
明るめの茶色い髪に、大きな瞳。にこにこと浮かべた笑みは、別人航ちゃんと似ているような、似てないような。
……私からしたら、どうにも胡散臭い笑みを浮かべた専務様は、片手を上げてゆっくりとこちらへとやって来た。
どことなく楽しげに、私を見つめてから航ちゃんに眼を向ける専務様。
背後の魔王様は、笑みを浮かべているくせに、漂わせるオーラは半端なくヤバい。
振り返れないほど、ヤバい。
黒いオーラを放っている。黒? いや、違う。ドス黒いオーラに違いない。
絶頂なまでに不機嫌な様子のそれを痛いくらいにバシバシと受け、私はどうしていいか分からずに、ただオロオロするばかりだった。




