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旧キュルべスタン王国憲法
第五章 我が国における権利について(※一部抜粋)
第一条
第一項 権利は国民一人一人の力で維持すべきものとし、守り続けるものとする。
第六条
第一項 我が国において、出生時に政府から支給される《存在証明カード》のみが権利の証明であり、権利そのものである。
第二項 《存在証明カード》不携帯時は、権利は無いものと判断される。
第三項 《存在証明カード》不携帯時に受けた権利侵害は、改めて《存在証明カード》携帯時に遡って裁くことは認められない。これは、個人、司法は問わない。
第四項 《存在証明カード》を用いて、権利の売買、移動は可能である。また、この項目に関して、政府が干渉及び取り締まりを行うことはない」
○●○
ティーシュヴァツ家の敷地の門は、冷たく閉じられていた。
私の帰りが遅くなることは伝えられている筈だが、その門には鍵がかけられていた。
日が沈むような時間帯ではない。
普段は、不意の来客のために開いている筈なのだが、今日はこの有り様だった。
父の嫌がらせだろうか。
使用人たちの手違いであればいいのだが、その可能性は低いだろう。
門の格子に手をかけ、息を漏らす。
感情のままに激しく揺らそうとしたが、理性がそれを抑えた。
そんなことに意味はない。
ただ無様な姿を見られるだけだ。
諦めて、父の気が済むまで堪えるしかないのだろうか。
もしくは──
「あーーー! お帰りなさいませーーー!!!」
その時、上の方から声が聞こえた。
ハツラツとした明るい声だ。
直後、慌ただしい音が屋敷の中から聞こえる。
その声の主は、外からでも分かるほどの物音をたてながら、階段を降りてきたようだ。
執事たちの怒声を背後に、屋敷の扉が勢いよく開け放たれると、小柄な白髪の少女が現れた。
彼女は一直線にこちらへと向かい、敷地の門の鍵を開ける。
「お帰りなさいませ! シタース様!」
私直属のメイド──ガーデニアだった。
「ありがとう、ニア。あなたなら気づいてくれると思っていたわ」
「当然でございます! ですがですが、ご主人様には閉め出すように言われているため、バレないうちに早めに屋敷へお入り下さいませ」
「……そう、迷惑をかけるわね」
「とんでもございません。ささ、早く早く」
ニアに促され、私は屋敷内へと入る。
他の執事やメイドたちは、私に会釈こそすれど挨拶はなかった。
どこか冷たい視線を向けてくる。
むしろ、ニアに対しては怒りの視線を向けている者すらいた。
「何でも迎えの車が壊れたそうですね。大変でしたねー」
私から荷物を預かった彼女は、身体を左右に揺らしながら前を歩いていた。
礼儀作法が著しく欠けているが、何故だか彼女は叱る気にはなれない。
やがて私の部屋の前に着くと、扉を開けて一緒に中へと入る。
「で、クダネスを通って帰られたとのことでしたが、大丈夫でしたか? ボクも一時期あの近くで暮らしていましたが、臭くて臭くて鼻がひん曲がってましたよ 」
私の制服を畳みながら話すニア。
とてもありがたいのだが、このタイミングで鼻をつまむ仕草はしないで欲しい。
まるで私の服が臭いみたいじゃないか。
変に心配をかけないようにクダネスでの出来事はニアには黙っておく。
私の適当な説明に納得した彼女は、畳んだ制服をリネンカートにしまい、代わりに薄い金糸雀色のドレスを取り出して見せてきた。
一見派手ではないものの、胸元に装飾されたリボンは秀逸な形状をしていた。
「本日はご主人様が客人を招いておられますので、ドレスを着ていた──
「無理よ」
「ですよねー! 」
ニアは苦笑いを浮かべながら、手に持っていたドレスを後ろに放り投げた。その流れで見慣れた紫色のネグリジェを取り出した。
私はそれを見て頷くと、彼女と共に脱衣所へと向かう。
「風呂の方は先にご用意できております。ご夕食はご主人様の会に同席され──ないと思いますので、会が終わり次第、ご準備しますねっ」
「流石ね」
浴室への道中、曲がり角の向こうから音が聞こえた。
段々近づいてくるそれが、父たちの声だと遅れて気づく。
廊下の端に寄り頭を下げて、彼らが通り過ぎるのを待つ。
カツカツ、と靴が床を叩く音が大きくなる。
「兄さんや、困ったことがあれば何でもオレに頼ってもらって構わないから」
「抜かせ。貴様に頼ることなど無いわ。アイドルなどという腑抜けたことをしよって。ナイター、貴様はティーシュヴァツ家の恥晒しだ」
「あれはオレがなりたくて成ったわけじゃない。周りが勝手に持ち上げただけだ」
どうやら今回の客人とは、父の弟──つまりは、私の叔父らしい。
陸軍の教官をしている彼は、その類稀なる身体能力と肉体美。そして国内屈指の甘いマスクが相まって、アイドル軍曹として国民から広く親しまれているらしい。
法務省の大臣を務め、国民から税を搾取し続ける父とは国内評価が真逆だろう。
因みに、『らしい』というのは、叔父の評価が虚偽の可能性があるというわけではない。事実、彼は多くの民に支持されている。
ここの『らしい』とは、私が彼の本性を知っているから生まれた疑念である。
「ティーシュヴァツ家の恥晒しって言えば、兄さんの娘じゃないのか? 貴族学校に進学できなかったっていう低能さん」
「……知らんな。誰だ? 私の子どもは、たった一人。息子のショーンのみだ」
「…………」
握りしめた手のひらに爪が突き刺さる。
意図的だろう。私たちの目の前でわざと立ち止まりそんな話をする。
そうだ。私の叔父──ナイター・ティーシュヴァツはこういう男なのだ。
「ハッ! 可哀想なこと言っちゃって! 兄さんは酷いなー! 」
ナイターはそう言うと、頭を下げている私の横に回り込み、背中を強く叩いてきた。
「聞いた? 娘ちゃーん? 叔父さんも顔とか名前忘れちゃったけどサ? 酷いよねー君のお父さん」
「……とんでもございません。私の父はとても優秀な方でございます。全ては、私の怠慢が原因です」
自分でも驚くくらい、思ってもいないことだった。
吐き気すら催す。
そんな私の背中が強く摘まれた。
「本当しょうもねぇな。お前」
耳元でそう囁かれた。
最後にもう一度私の背中を強く叩き、2人はまた歩き出した。
通り過ぎたのを確認して、顔を上げる。
「大丈夫でしたかお嬢様? 」
ニアは私の背中を擦りながら心配そうに見つめてきた。
傷ついた心に彼女の優しい声色が染みるのを感じながら、視線の先の2人を睨んだ。
樽のように太った父と、筋肉の鎧を纏った叔父。
大男なのは変わらないが、外見の由来が大きく違う2人。しかし、その酷く醜い内面は恐らく大差ないだろう。
□■□
「お嬢様は、こんな家にいて苦しくないのですか?」
脱衣所で服を脱がせていた時、ニアは不意にそんなことを言った。
「…………、こんな家って?」
「酷くありませんか? ボクは馬鹿ですが、それでも分かります。お嬢様がここまで酷い仕打ちを受ける必要は無いと思います」
鼻息を荒くしながら、私の目をまっすぐと見つめてくる。
「望みの学校に進学しなかったから? 親の言うことを聞かなかったから? ショーン様の方が優秀だから? それだけでこれですか?」
「充分すぎるわよ。見限られて当然だわ」
「見限ったんなら、見限ったで放置するべきです。一族総出で嫌がらせをしていい理由にはなりません」
「なるわよ」
「いいえ、なりません」
彼女は力強く言い切った。
「少なくとも、ボクの親はあんな鬼畜ではありませんでした」
「鬼畜って、ニアそれは──
言い過ぎだと、初めて彼女を叱る一瞬前。腕を握られ、壁へ押さえつけられた。
もう片方の腕も掴み、私の顔の前へと持ち上げる。
「こんなことをする親が鬼畜ではないと?」
まくり上げられた袖の奥には、火傷の跡が残っていた。
父に葉巻を押さえつけられた跡だ。
最初に付けられたのは3年ほど前だったか、理由なんぞ分からない。もしかしたら、業務での疲れを私を痛めつけることで発散していたのかも知れない。
「こんな扱いを受けて、辛くはないのですか? 」
「辛くはないわ。もう慣れたもの」
「──慣れてはいけません」
ニアは持ち上げていた腕を離すと、私の頬に触れてきた。
「……本当に、本当に可哀想なお嬢様」
次の瞬間、私は彼女に力強く抱きしめられていた。
言葉に表せない温もりを感じた。
だが、決して不愉快ではなかった。むしろ心地が良い。
その不思議な感覚に戸惑いながらも、私もゆっくりと彼女の背中に手を回した。
ニアの髪から、ほのかに石鹸の匂いがした。
どれくらいそうしていただろう。
私の髪を撫でる彼女の優しい指使いが、意識をまどろみへと落とそうとしていた。
──だが、その指の動きが、ふと止まった。
「……お嬢様」
ニアの声が、わずかに硬くなった。
「《存在証明カード》はどうされましたか? 」
一瞬、意味が分からなかった。
ニアの指は、私が首から下げていたチェーンを絡ませていた。
それを辿る彼女の指は、やがて端へと辿り着く。
その先にある筈の物が、無かった。
まどろみの縁にいた意識が覚醒し、現実を突きつけられる。
刹那。思い返されるのはクダネスでの記憶。
スズ婆たちに追い詰められた時は、まだ確かにそこにあった筈の物。
手の感覚が覚えている。
それが──無い。
(あたしに用がある時は、『トリカゴ』っていうバーに来な)
不意に、別れ際のレインの声が思い返された。
彼女の不審な点が思い浮かぶ。
なぜ、私の名前を知っていたのだろうか。
「──っ!」
点と点が繋がった。
私は近くにあったネグリジェを手に取ると、目についた上着を羽織り脱衣所を飛び出た。
後ろから私を呼びとめるニアの声が聞こえるが、今はそれどころではない。
(まずい。まずいまずいまずいまずい!)
不安と後悔に押し潰されそうになりながら、廊下を全力で駆け抜けた。
執事の制止を振り切り、玄関を押し開く。
ぱらぱらと小雨が降っている。帰宅前から曇っていたが、まさか降り出していたとは。
夜空に浮かぶ雨雲は、地上の光に照らされながらも、とても暗い色をしていた。
これから更に雨足は増すだろう。
一瞬尻込みをしたが、今はそれどころではない。
意を決して、屋敷の外へと踏み出した。
□■□
多くの者たちが仕事を終え、陽気な声で溢れる区画に吸い込まれていく。そんな見慣れない光景は、どこか魅力的に思えた。
次第に雨粒は大きくなっていく。
気品あるラグジュアリーコートを、跳ねた泥水が容赦なく汚していた。
靴には雨が染み込み、不快感が足元にまとわりつく。
息を切らしながらたどり着いた歓楽街。シャッターが下ろされた店の軒下で、私はすれ違う人たちに、とある店の名前を尋ね続けた。
『トリカゴ』という店をご存知ではありませんか、と。
点滅する街灯が雨を照らし、光の線を描く。
湿気で髪が乱れ、夜風が体温を奪う。
どれだけの人たちに声をかけただろうか、途中で娼婦に間違えられた時は、色々な感情がごちゃまぜになってしまい泣き出してしまうところだった。
夜が深まり、肌に張り付くネグリジェの冷たさが感覚を麻痺させ始めた頃、ついに目的の場所を見つけた。
クダネスのスラム街より少し手前。街灯もまばらな路地の先にそれはひっそりと佇んでいる。
三階建ての建物の一階部分だけが古びたレンガ造りをしていた。小さな窓からは暖かい光が漏れているが、すりガラスのようで中の様子は確認できない。
せめて店名ぐらいどこかに書いて欲しいものだが、文句を言っても仕方がない。
重く軋む木製のドアに体重をかけて押し開いた。
カランカラン、とドアチャイムの音が響いた。
それと同時に、年季の入った木の匂いと煙草の匂いが漂ってきた。
どこか退廃的な異質な雰囲気に、空間そのものが口を開けているような気がした。
気を抜いていたらそのまま飲み込まれてしまいそうだ。
カウンターの奥には、一人の男が立っている。
白髪交じりのオールバックに彫りの深い顔の男。
彼はグラスを拭きながら、不機嫌そうな顔で私を一瞥した。
僅かな沈黙の後、彼は私から目を逸らし、面倒臭そうに息を吐いた。そして自分の背後の棚を親指で指し示す。
そこには、様々な銘柄の酒瓶が埃をかぶって並んでいた。
(子どもが来る場所じゃないってことね......)
だが、ここで大人しく引き返すわけにはいかない。
「あの、私は『探し物を探しにきた』のですが、何かご存知ではありませんか? 」
男の動きが止まった。
拭いていたグラスを置き、私に再度目を向ける。
「ここはガキ共のたまり場じゃねぇんやぞ? 勝手に待ち合わせ場所にするんじゃねぇよ」
驚くほど低い声だった。
何かまずいことを言ってしまったのだろうか。
言葉の意味が分からず、目を白黒とさせていると、
「──レイン。何度目だ?」
「すまねぇマスター」
直後、後ろから声がした。
驚きから声も出ず、反射的に店の奥へと逃げてしまう。
「あはは、すまねぇなシタース。驚かせてしまったか? 」
「──ッ!」
目的の少女、レインがそこにいた。
今すぐ問い詰めたくなる感情を抑えて、冷静に言葉を紡ぐ。
「レインさん、あなたに聞きたいことがあります」
「別にかまわないけど、ここは飲食店だぞ? 何も頼まずに居座るのは迷惑じゃないか? 」
「未成年は入店禁止や。はよ帰れ」
「マスター、カルーアミルクを2つ。支払いはあの女にさせる」
「未成年は飲酒禁止。早く帰ってくれ」
「私はそんな長居をする気はありませんから、何も頼みません」
「営業妨害か? 」
「マスター、奥のテーブル使うから早く拭いてくれへんか? 」
「……頼むから、さっさと帰ってくれ」
□■□
マスターは文句を言いながらもしっかりとテーブルは拭き、私たちの前にカフェオレを置いてくれた。
彼に礼を伝えて、改めてレインに向き直る。
「私、家に帰って気付いたんです。とてもとても大事なものが無くなっていることに」
「それは大変だな。何がなくなってたんだ? 」
「……ふざけているのですか? 」
「すまんな、ちょっとした冗談だ」
そう言って、彼女は懐から一枚のカードを取り出した。
一目で分かった。
私の《存在証明カード》だった。
「──返してッ! 」
テーブルを乗り出して伸ばした私の腕を、彼女は強くはたき落とした。
そして、感情の読み取れない冷たい表情を向けてきた。
「旧キュルべスタン王国の憲法に従うんなら、テメェには今、人権がないと思うんだが──」
冷たい表情のまま、口角を上げて続ける。
「──何の権利があって、『所有権』を訴えてるんだ? 」
血の気が引くのを感じた。
薄々気付いていたことだったが、改めて言葉にされて、見たくない現実を直視させられた。
「これはテメェの父親たちが決めた法なんだろ? 皮肉なもんだな」
この場に居ない男の顔を思い浮かべ、奥歯を強く噛んだ。
父への恨みや不満がふつふつ蘇ってきた。
そして、膨らんだ父への憎悪は、この現状の原因である、目の前の少女へと向けられる。
「……、る、しょ? 」
「ん? 」
「──何か理由があるのよね? だから私のカードを盗み、その上でこのバーの名前を伝えたんでしょ? カードは私をおびき出すためのエサ。違う? 」
「惜しいな。半分正解、半分不正解だ」
レインは私のカードをテーブルに叩きつけると、その勢いのまま私に顔を近づけてきた。
「既に、テメェの権利の一部は手放した」
「………………は? 」
理解が追いつかなかった。
権利を手放した? 何の権利だ? なら、今ここでカードを無理矢理奪い返しても意味がないのでは? これからの私の人生は?
様々な考えが、浮かんでは消えを繰り返した。
視界が暗くなっていく。
ショックで意識を失うことができたのなら、どれほど楽だっただろうか。
しかし、大き過ぎる現実の恐怖が、それをさせなかった。
絶望に支配される中、耳元でレインが囁く。
「権利を取り戻してぇなら、方法はある」
「──え? 」
椅子に深く座り直し、彼女は邪悪な笑みを浮かべた。
「シタース、テメェには次の『RB』で優勝してもらう」
「『RB』って、夕方レインさんたちが話していたやつですか? 」
「そうだ。Right Battleの略だな」
直訳すると、権利の戦争。
物騒な響きに、生唾を飲んだ。
「テメェは知らねぇかもだが、クダネスとその周辺のゴーストタウンでは、頻繁に『RB』と呼ばれる賭け事が行われてるんだ──」
まだ一口もつけられていないカフェオレのグラスから、細く甲高い音が鳴った。
時間で溶けた氷にヒビが入った音だった。
暗闇の中であれば、うめき声にすら聞こえる音の中で、彼女は楽しそうに話す。
「──何もかもを手放し、法の外に堕ちてしまった者たちによる、何でもありのゲームがよ」
「ッ! そ、そんなことに、私が参加するとでも!? 」
あまりのことに声を荒げてしまった。
感情のままにグラスの中身を彼女にぶちまけようと手を伸ばした時、胸ぐらを強くつかまれた。
至近距離でレインの視線に刺される。
「何で今、断ろうとしたんだ? 」
無機質な声だった。
「テメェには、もう『拒否権』なんかねぇだろ? 」




