ジウの昔噺 ※挿絵あり
【?】
ジウの公式イラストに合わせて書き下ろしました。また、愛殺書籍化プロジェクトのクラファン時の特典、「ジウがルテミスになったときの話・失ったもの」に関わるお話です。
シャーナというキャラクターは書籍版二巻にのみ登場しますが、こちらも、知らなくても楽しめます。
【キャラクター】
ラムズ、メアリ、ジウ、ロミュー、シャーナ
※後書きにジウの挿絵を載せています。
メアリ視点
寄港したある街の酒屋で、わたしたちガーネット号の面々は、飲んで食べて歌って踊ってとどんちゃん騒ぎをしていた。
とはいえ、全員が酒場に集まったわけじゃない。ジウ、シャーナ、レオン、エディ、ロミュー……。ノアやロゼリィさんは船に残っているようだ。ラムズは……知らない。街のどこかに用があると言って消えたわ。
レオンは初め、「俺は未成年なはずだし酒は……」とか言っていたのに、思っていたよりお酒に強かったのか、今じゃエディと大笑いしながらエールを煽っている。この調子じゃ明日は二日酔いね。
わたしはいつも通り、海でひとり過ごす予定だった。でもレオンや、ククルカンの獣人、シャーナに引っ張られて連れてこられてしまった。「ひとりで海で黄昏ているなんて、寂しいでしょう?」と言われたんだっけ? ちっとも寂しくなんてないんだけどな。
下戸の烙印を押されたわたしは、唇を尖らせながらちびちびラム酒を飲んでいた。店主に追加注文しようとすると、後ろに控えているロミューに睨まれる。
実際誰もが言うのだ、「人魚にお酒!? 体に悪いに決まっている」と!
それを決めるのはわたしであって、あなたたちじゃないわよ。それに、お酒がだめなら炙った肉のほうが違和感があるし、味付けの濃い食べ物は舌が焼けそうになる。──いや、癖のある味で、食べだすと止まらないんだけどね?
ラムズが紹介したというこの酒屋は、人間以外の使族や獣人でいっぱいの海賊をたいへん快く受け入れてくれている。まばらにやってくる客も人間以外の者が多く、陽気なルテミスたちのおかげで店は大盛り上がりだった。
「ボクの得意技を披露するから見ててね~!」
千鳥足気味のジウが、ふらふらとカトラスを振っている。
左側の前髪は三つ編みにして後ろに撫でつけ、目にかかった右の前髪には黒を混ぜた二房の髪がメッシュのように流れている。あの髪はきっと、ルテミスになったときに染まりきらなかったか、炭でも塗って染めているんだろう。
戦いのときに邪魔だという理由で、三つ編みをする海賊はまれにいる。ジウもそうかもしれない。でも「かわいいから~」なんて答えも返ってきそうだ。
「ボクの技、すごいと思ったやつはここに金を入れるんだぞ!」
ぽいっと放った麻袋をレオンがキャッチ。袋を広げている。
ジウは桃色の唇を一舐めすると、深呼吸で息を整えた。蒸気した頬が落ちつき目が据わる。
「それじゃ、いっきまーす」
腰に手を当てると、カトラスの持ち手を口元で掲げてポーズを取る。笑みを忍ばせ、小さな八重歯が見え隠れする。
次の瞬間、天井に向かってカトラスを投げた。周囲がどよめき歓声を上げる。
宙のカトラスが重力に引っ張られる──ジウは身をかがめて腕を軸に一回転。すぽりと手にハマったカトラスを掴み、そばに立っていた別のルテミスを引っ張った。彼の腰から二本目を取ると、カトラスを自在に操りながらタップダンスのように足を動かす。剣で突くような素振りをすると、相方のルテミスが華麗にそれを避ける。息もぴったりだ。
飛んだり跳ねたり宙返りをしたり、屈んで回って伸びあがって、カトラスを投げたり飛ばしたり……。かと思えば、魔法か何か、飛ばしたはずのカトラスを引き寄せ体のあちこちに滑らせる。ジウは曲芸ともいえるリズミカルな剣舞を披露した。
どこからか彼らのダンスに合わせるように音楽が流れはじめ、周りが手を叩いて囃したてる。盛り上がりは最高潮だ。
こういう光景を見たことがなかったわけじゃないけれど、身内が輪の中心にいたのは初めてだ。
「ジウってあんなこともできたのね」
ロミューが後ろから返事をする。
「ルテミスの中でも相当身軽だからな。話に聞く限り、ガーネット号の中でこの神力にいちばんに喜んでいるのはジウだ」
「でしょうね」
神からの授かり物に違わない。ルテミスには人間のころと比べて〝失ったもの〟もあるだなんて話は耳にしているけれど、ジウはきっとないんだろうな。あんなに生き生きとしているもの。
ひとしきりダンスを終えると、ジウは仰々しいほどの敬礼をしてみんなにお金をもらいに行った。それほど金銭に執着がないと思っていたけど、そうでもないのかしら。
たまたまわたしの近くに座ってくれたので、ちょいちょいと声をかけた。
「そんなに集めてどうするの?」
さすがに息が上がっているジウは、呼吸を整え、丸い瞳をぱちぱちと瞬いてから言った。
「船長にあげる」
「ラムズに? ジウってそんなに船長を慕っていたのね」
「やめてよ、そんなんじゃないって」
けらけら笑うと、袋を軽く振ってみせる。
「先にお金を渡しておいて、ボクがたまに命令無視をして人を殴ったり殺したりしてもお目こぼししてもらうんだ」
「……な、なるほどね? そういう取り決めなの」
ロミューも驚いた声を出した。
「お前、そんなことしてたのか。どおりでいつも自由に振舞っているなと……」
ジウの頭をぐいと誰かが押す。シャーナだ。
「えぇ~! 賄賂じゃん! 私もやりたい!」
ジウはぱっぱっと彼女を払い、わざとらしいアッカンベーをして見せる。
「ボクは操舵手だからね! それに、大きな額じゃないと船長は受け取らないよ」
「まぁ操舵手じゃ、仕方ないかぁ」
操舵手──船の舵を操る役職のことだ。今このガーネット号の中で、ラムズの次に地位が高いのはジウだ。
「さっき見えたんだけど、腕の模様はなんなの?」
わたしが袖の近くを指さすと、ジウは「あぁ!」と言ってまくってくれた。
「船ができたころにタトゥーを彫ったんだよ。ほら、これ。ガーネット号の頭文字」
よく見れば、飾り文字のような絵柄が手首を覆っていた。海賊がふだん着ている服に比べると、そこそこお洒落な模様で目を引く。でもタトゥーというところが、海賊らしさを引き立てていると言えるかも?
「そんなにガーネット号が好きなの……」
呆れた声で言うと、ジウは目を細めて軽い調子で放った。
「これは『もう戻らない』って証!」
「なにから?」
「そりゃあ……いろいろだよ。海賊になる前に戻らないよってこと」
「そんなタトゥーを彫ったって、戻りたいと思えば戻れるし、戻りたくないと思えば戻らないでしょう? マークになんの意味があるの?」
ジウは「助けて」という顔で、上目遣いにロミューを見た。ロミューは顎をさすり、眉をへの字に曲げて言葉を選びはじめる。
「ふむ……一種の通過儀礼といえばいいのか? ケジメのようなものだ」
「ケジメ……」
「初心を忘れないとか、これを見て気持ちを奮い立たせるとか……」
わたしはしげしげとタトゥーを見た。
「このマークを見ると、そういう気分になるの?」
ジウは眉を曲げて首を捻る。垂れ目気味の丸い瞳が数回瞬きをする。
「まぁ……そうかなぁ。『ボクはもう海賊だ!』って気分になる」
「そうなの」
そんなものを見ないと自分が海賊だと思えないなんて、という発言はやめておいた。これはきっと、レオンの言う〝空気が読めない〟というヤツになりそうだと判断したのだ。
わたしは別に、改めて体の鱗を確認しなくても自分が人魚であることを忘れない。もちろん、陸で行うべき使命も忘れない。
ただ──……。ジウはタトゥーを見るときほんのり頬が緩んでいるので、きっとそんな難しい話ではなく、やっぱり単に〝ガーネット号が好きだから〟付けているような気がした。
「ジウはルテミスになってから得たもののほうが多そうね」
「ん?」顔を上げる。「そうだね、ルテミスになれて嬉しいよ」
シャーナが能天気な声で問いかける。
「ジウってさ~。いつも拷問ばっかりしてるけど、大事な子とかいなかったわけ? 船長がいちばん大事?」
冗談を含んだ声に、ジウは技を決めて首を絞めはじめた。
「た、たたい。たい! わかってるって、冗談だって!」
「ボクも冗談」ぱっと手を離す。
「もう少し手加減してよね?」
彼女はぱんぱんと服の埃を払い、首を左右に回した。ククルカンの獣人であるシャーナは体が軟らかい。回す首の角度もふつうの人よりずっと大きく、二五○度くらいありそうだ。
「大事な子はいたよ。妹がいたかな?」
ジウは近くのラム酒を口に含んだ。
「間違えてボクが殺しちゃったんだよね。あはは」
いや、笑えるところなの? 人間基準だとこれはジョーク?
──わたしは間違えていなかった。少なくともロミューは顎を落とし、瞬きを忘れた顔でジウを見ている。
「嫌いな妹だったとか?」とわたし。
「そんなことないよ。当時は驚いたし衝撃的だったけど、今はもうどうとも思ってないや。でも、妹くらい大事だと思う人は、特にいないかなぁ~」
「ルテミスになったせいで、感情を忘れてしまったのね……」
ロミューが慌てて口を挟む。
「そんなことないぞ。俺は家族のことを覚えているし、できることならそばにいたかった。ジウを基準にはするな」
わたしとシャーナは胡乱な目でジウを見返した。ジウはジウで、飄々として次のラム酒を煽っている。ヴァニラの酒好きでもうつった?
「依授の具合が人それぞれあるのかもよ!」
シャーナの精一杯の切り返しに、わたしは苦笑いで応える。ロミューはぼそりと「おそらくこれは元のジウの性格だ……」と呟いている。
まぁ、ジウも納得しているのなら杞憂かな。失ったものと引き換えに得たもののほうがよっぽど大切そうだもの。
店内の盛り上がりは零時を超えた頃から徐々に沈みはじめ、ひとり、またひとりと客が去っていった。早めに船に戻った船員もいるが、へべれけに酔って机に突っ伏している船員もいる。どうやって船に帰るつもりかしら。
そろそろお暇しようかなとわたしが席を立ったとき、ちょうど店の鈴が鳴った。
あ、ラムズだ。
乱痴気騒ぎだった庶民用酒屋と、きっちり細身のコートを羽織った貴族めかしのラムズは不釣り合いだ。
彼は店内をひととおり見渡したあと、店長のもとへ話しにいった。「世話になった」とか「店を汚して申し訳ない」とか、声が聞こえる。向き直って店の全体に魔法を放つ。水槽のように水が空間を覆い、数秒後に霧になって晴れた。綺麗サッパリ、床や壁の酒や煙草、零した食べ物の汚れが消える。
そのあと眠っている船員たちに魔法をかける。酔いも目も覚ましてもらったようだ。
お金はもう払ってある。ラムズが店を出ていくので、わたしも後ろについて歩いた。
店を抜けると夜風が髪を掬い、既に残り火の酔いがさらに失せていく。喉を通る澄んだ風が心地いい。
「意外と面倒見がいいのね」
しばらく間があって、彼が振り返った。魔石灯で髪が白く光っている。
「意外とってなんだよ?」
彼は少し笑って、歩調を緩めてくれた。じゃきじゃきと砂道を歩く音がふたつ並ぶ。
「楽しかったか?」
「え?」
彼から話を振られると思っていなくて、一瞬反応が遅れた。
「あ、そうね。あまりない体験だったかも。ジウのタトゥーの話も聞けたし」
「ああ。あれか」
「ケジメみたいなものなんだって。ラムズにも、そういうものはあるの?」
彼は首を傾げる。
「どうかな。ねえと思うよ」
「そう、わたしもないわ」
数分歩いたころ、またラムズが口を開いた。
「あれは俺が彫ったんだ」
「そうだったの? ジウに頼まれて?」
「いや。俺が提案した」
「妹がどうとか言っていたけれど……それとも関係ある?」
彼の髪が揺れる。ちらと瞳孔がこちらを向いた。
「聞いたのか」
「どうしてそんなことになったの?」
「気になるか?」
ぽつりぽつりと雨が降ってきた。ラムズは水滴を確かめるように掌を上に向けている。
「ちょっと知りたいかも」
「水を弾く魔法って使えるか?」
「水? 雨を弾くってこと?」
「傘を忘れた」
ラムズって雨が気になるのね。そっか、宝石が濡れるのが嫌なのかも。
「できるかしら」
わたしは水滴に手を伸ばした。この水がなんの水なのかによる。水の神ポシーファルの齎す純粋な水なら……。
「避けるのは無理だけど、わたしの方に寄せることならできるかも」
「は? なんだそれ?」
彼は目を細めたあと、少し表情を崩して言った。
「まあ、やってもらえるなら助かる」
これは魔法じゃない。波を操るのと同じだ。天候を操ることはできないけれど、自分の周りにある水くらいだったら──……。
しばらく意識を凝らしていると、周囲の雫は見えない壁に阻まれるように宙で歪み、それぞれがわたしの頭上に落ちてきた。落ちた雨は体を濡らすのではなく、体内に吸い込まれるように消えていく。
「すごいな」
ラムズは雨が歪む様子を興味深そうに見ている。わたしの周りだけ、雫が斜めに曲がって流れてくる。ラムズと視線が合った。
「ありがとう。じゃあ船に帰るまで──」
彼の透明な声遣いは雨音によく馴染む。いつの間にか砂道を擦る音が、水の跳ねる音に変わっていった。