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金目当て令嬢と家柄目当てな騎士団長

作者:アオイ チカ

 厳粛な雰囲気漂う礼拝堂に、重々しいオルガンの音が空間を揺さぶるように鳴り響いた。ステンドグラスから差し込む日の光が、色鮮やかな煌めきとなり神聖な会場をより一層彩る。

 今からここで、永遠の愛を誓う儀式が執り行われるのだ。

 しんと静まり返った参列者の中を、純白の花嫁衣装に身を包んだ一人の少女が静々と歩く。深々と顔を覆っているヴェールで表情は覆われているものの、燃えるような眩しい赤髪と、健康的で若々しい、なめらかな肌が人々の目を惹きつける。
 そして──その花嫁の心もまさに燃えたぎっていた。
 進む先に待っているのは、彼女が幼い頃から恋焦がれに焦がれた相手なのだから。手にしたブーケを握る手にギュッと力が籠る。高鳴る鼓動を抑えることができない。淑やかな姿とは裏腹に、花嫁は心の中で歓喜の雄叫びを上げる。

 ──私、愛するお金と結婚します!

*****

 フラングル王国の東に位置するアンネリカの生家は、ベールハルト地方を治める歴史ある名の知れた伯爵家だった。
 地方の名はそのまま家名であり、それはこの地がフラングル王国の領地となったときから変わらずベールハルト家が統治していることを意味している。
 爵位はかろうじて上流貴族と呼べる『伯爵』だが、その名は誰もが知るまさに名家だ。

 しかし、かの家が華やかに社交界をにぎわせていたのも、もはや過去の栄光。七年前に起きた隣国カルドナとの戦争によって、見事転落の道を辿る。国境に近い領地を有していたことも災いし、戦で土地は荒れ、領民の多くがベールハルトの地を離れてしまったのだ。
 それでも、同じような境遇ながら戦火の荒波に負けず、領地を立て直した手腕のある貴族だって多くいた。それどころか戦争を糧に、より一層力を付けた貴族もいる。

 だが、アンネリカの両親はそのどれにも当てはまらなかった。もとより穏やかな彼女の両親は、人柄もよく誠実ではあるものの、突出した政治手腕を持っていたわけでもなく、強気な政策を推し進めるほどの気概もない。ただただ、時代に流されるまま財力は目に見えて減り、人も減っていった。戦で乱れた世には合わない人たちだったのだ。このままでは家を建て直すのが先か、財力が尽き果て没落するのが先かという、お家存続の危機は目前。
 結果、少女は齢十歳にして厳しい貧乏生活を生き抜くことを余儀なくされたのだ。

 時は流れ、アンネリカも今年で17歳。
 そんなベールハルト家の令嬢に縁談の話が持ち上がったのは遡ること半年前のこと。
 雲一つない晴天の元、彼女が気合を入れるように三角巾を頭へ巻き引っ張り出したメイド服を着込んで、伸びた雑草を刈り取っていたときだった。

「お嬢様ー! アンネリカお嬢様ー!」

 叫ばれる名前に顔を上げると、中庭を駆ける初老の執事の姿が目に入る。歳を感じさせない真っすぐに伸びた背筋と、ぶれることなくきびきびと歩を進める姿はいつ見てもさまになっているまさに紳士。彼は、もはやベールハルト家唯一の執事となってしまったミハエルだ。

「どうしたのミハエル」

 屈んでいたため、すっかり固まってしまった腰をバキバキと鳴らしながら立ち上がれば、紳士なミハエルの瞳がくわっと見開かれた。

「なんとっ! またそのような雑用を! しかも……なんですかその格好はっ!」

 思わず姿勢を正してしまいそうなほど、ピシャリと突き刺さる声が雷のごとく響き渡る。しかし、もはや耳にタコができるほど聞いた小言に今更アンネリカが怯むこともない。

「だってこんなに雑草が伸びてしまっているんだもの。抜いてしまった方が綺麗じゃない」

 そしてその言葉に間違いはなく、少女が手を広げた先には雑草が伸び放題の荒れ果てた庭が広がる。この広い庭も、庭師すらいないベールハルト家では宝の持ち腐れというものだ。
 せっかくなのだからもっと有効活用しなければもったいないと思うものの、今のところなかなか上手くいかない。何度提案しても周囲からは渋い顔を返される。

 少女は齢十歳にして厳しい貧乏生活を生き抜くことを余儀なくされた。──それ即ち、これまでの彼女は節約と共に育ってきたのだ。

 戦争が始まるまで、歴史あるベールハルト伯爵家として長きに渡り貴族然と過ごしてきた両親とは違い、戦争の終結と同時に少女はいかに少ない金で一日一日を生き抜くか。その一点に命を懸けた節約家に成長したのだった。
 さすがに行政に関して口を挟むことは許されなかったが、それならばと日々の生活を引き締めることに力を注いだ。

 おかげでアンネリカの価値観はなかなかの偏りをみせたが、本人は気が付いていない。
 例え目の前に宝石や高価なドレスをうず高く積まれたとしても、それらを一蹴して喜んで小銭を掴み取ることだろう。

「ねえ、やっぱりどうせならこのあたりを畑にして、お野菜でも育ててみましょうよ。そうすれば節約にもなるでしょうし……自給自足は基本だわ。ねえミハエル、物置に鍬はあったわよね?」
「よろしいですかなお嬢様っ!」

 ついに痺れを切らした声は、アンネリカの言葉尻と見事に重なった。一際荒ぶった執事の声色に、少女は長い睫毛に縁取られたライトブラウンの瞳を瞬かせる。

「……どうぞ」

 物を差し出すように、こぼした言葉に両手まで添えて。
 それを受け取り、ミハエルは溜まりに溜まった鬱憤を今こそ吐き尽くすかのように口を開いた。

「確かに我がベールハルト家の庭園は少々荒れてはおりますが、それは(わたくし)めに申し付けくださいませ。間違ってもお嬢様自身がこのように手入れをするなどということはなりません! それぞれ立場というものがございます! 庭園の手入れ仕事はあなた様のような立場の方がなさることではございませんぞ! その格好もしかりでございます! 本来ならばお嬢様は土など触る必要もない由緒ある血筋の、御方で……この庭園もかつては、この伯爵家の名に恥じることのない、それは立派なものだったというのに……なんて、なんて嘆かわしい……っ」
「いやだわ、ねえミハエルったら一体どうしたというの?」

 激昂する執事からお説教を受けていたはずが、気付けば目の前で嘆かれている。予想外の展開に、アンネリカは差し出していた両手をオロオロと宙で意味なく揺らした。この状況で戸惑うなという方が無理な話だ。

「どうか忘れないでくださいませ……例え遠く離れようとも、私の心はお嬢様の御側におりますぞ……っ」
「え、ついにミハエルもうちを出て行ってしまうの?」
「なにを仰いますか! 私めはこの身が果てるまで旦那様と、このベールハルト家に尽くしますぞっ!」
「あらまあ……困ったわね。なんだか噛み合わないわ」

 すっかりお手上げのアンネリカが言葉通り両手を上げて降参の意を表すと、ついに鼻をすすりだした執事から「旦那様がお呼びです」と、ようやく当初の用件を聞くことができた。「行く前にその頭と服装をなんとかなさりませ!」と、またも小言が始まった執事に空返事を返して、少女は一体何ごとかと父親であるベールハルト伯爵の書斎へ向かったのだった。


 告げた伯爵の顔は、渋かった。

「……お前に、縁談がきている」

 三角巾とメイド服を着て現れた娘に、もはやお馴染みであり無駄ともいえるお説教を一通り述べてから、一息ついたところで飛び出した言葉がこれだ。

「あらまあ」

 だが、アンネリカにしてみれば特に驚きはなかった。それゆえに出てきた声はなんとも呑気なものとなってしまう。
 17歳の貴族令嬢ともなれば、家同士の結びつきのためにどこかしらの子息と婚約することは珍しくない。むしろ、この歳になるまでそんな声ひとつかからなかったという事実の方が稀有だろう。悲しいけれど、それほどベールハルト家と繋がることに魅力がないともいえる。
 なにしろとことん金がない。

 つまりこれはめでたい話なのだ。
 婿を取るどころか嫁ぎ先すら期待できなかった娘を持つ親にしてみれば、願ってもない話のはずだろう。なのに目の前の父親は普段の疲れ切った顔を更に陰らせ、これでもかというしかめっ面で。その表情だけでこの縁談がいかに父の望まぬものかがありありと伝わってくる。加えて、所々つぎはぎされた服が余計に悲壮感を煽ってきた。とはいえ、つぎはぎ具合はアンネリカも人のことなど言えないのだが。
 一応は婚約というめでたい話題なのだから、偽りでもここは笑顔を浮かべてほしいものだ。これでは早くも聞く気が失せてしまう。

「こんな貧乏貴族に縁談だなんて、一体どこのどなたですの?」
「アンネリカ、口を慎みなさい。我がベールハルト家は由緒ある立派な貴族だよ。卑屈になる必要はないんだ。胸を張りなさい」
「……ええ、そうですわね。ごめんなさいお父様」

 誇りでご飯が食べられるなら誰も苦労はしないというのに。お手本だとばかりに「ふんっ」と胸を張って見せた父親を前にして、心の中で思いっきり舌を出しつつもここは大人しく引き下がる。
 ミハエルだけではない。父親のこの台詞だってもう耳にタコが出来るほど聞き飽きた。揃いも揃って同じことばかり言っていないでもっと現実を見た方がいいのに……とアンネリカはいつも思う。

「相手はグランド男爵家の三男坊だ」

 父親は娘と同じく燃えるような赤髪と凛々しい赤い眉を、今は情けなく八の字に下げて相手の素性を告げた。ここまで言えばわかるだろうと言わんばかりに。
 けれど当のアンネリカはといえば、ぽかんとした顔を晒しただけ。
 なぜならば。

 ──え、誰?

 もったいぶって告げられたものの、聞き覚えのない家名に反応の示しようがなかったのだから。
 対する父親は、ここまでの無反応は予想していなかったのだろう。仕切り直しと言わんばかりにコホンと咳ばらいをしてから再度口を開く。

「相手はルイス・グランド殿だ」

 今度はしっかりとフルネームで。
 しかし、それでもアンネリカはわずかに片眉を上げただけだった。ついに父親は呆れ果てたように頭を抱えて項垂れた。

「いまやこの名を知らぬ娘はいないぞ、アンネリカ……」
「とは言われましても」

 知らないものは知らないのだから仕方がない。
 戦争の終焉を迎えた10歳の頃より、彼女の興味は第一にお金、第二にお金。そのために日々嬉々として節約に励む日々だったのだから。他の貴族がどうだろうがそんなもの知ったことではない。
 誤魔化すようにボリボリと頭を掻いたら、はしたないと睨まれてしまった。

「本来なら伯爵令嬢が男爵家に嫁ぐなど、このベールハルト家の令嬢があんなポッと湧いたような男爵家に嫁ぐなど……っ。くっ、アンネリカ、私の力が及ばず本当にすまない……っ」

 睨まれたと思った矢先、今度は涙を湛えて謝罪される。

「はあ。で、そのルイス・グランド様とは?」

 相手を知らないのだから、そんなに涙ながらの謝罪をされても同じように嘆き合うことができない。気持ちを分かち合えないそこはかとない寂しさを感じながらも、痺れを切らしたアンネリカが促せば父親はようやく夫となる人物について語ってくれた。

「ルイス殿はグランド男爵家の三男という立場もあってか、元より家督に興味はないと騎士団に入団してな……先のカルドナとの間に起きた戦争では武功を挙げ、国王より褒美まで賜った騎士だ。今や国中の娘がこの名を知っているぞ」
「まあ……っ」

 アンネリカが手で口元を覆い眉根を寄せると、父親はようやくわかったかとばかりに、そして同情するように表情を歪めてしまった。

「男爵家とはいえ由緒ある我が家とは天と地ほども離れた家柄。しかも、名が知られていようとも所詮一介の騎士にすぎない男だが──」
「武功を挙げた騎士様ということは、お金持ちですの?」
「……なに?」
「ルイス様は、お金持ちで、いらっしゃいますの……?」

 寄せた眉根の下で、アンネリカのライトブラウンの瞳は水面のようにみるみる表面を濡らし、興奮のあまり頬はバラのように赤く染まった。

「そ、そうだな、武功によってこの若さで第三騎士団の団長にまでなった男だ。富と名声だけはあるだろうが──」
「まああぁぁ……っ!」
「だが我が家のような格式高い伯爵家とは──」
「お金さえあればなんの心配もありませんわ! 歴史しか誇れないベールハルト家にお金持ちのルイス様は願ってもいないお相手ね!」
「アンネリカ!」

 慌てたような父親の声とは反対に、少女の声色はぐんぐんと勢いを増していく。今にも弾けそうな喜びがこれでもかと溢れていた。

「お父様、これで我が家も安泰かもしれません!」

 家柄しか取り柄のない貧乏貴族の娘に、金と地位だけはある成り上がりの騎士団長。これ以上の組み合わせがあるだろうか。まさにお互いの利害が一致した縁談ではないか。
 だが、そんな娘の言葉に気が気ではないのは父親だった。

「い、いいかアンネリカ、私は決して金銭のためにお前の縁談を進めるわけではないぞ。だから──」

 貧乏貴族ではあったが、アンネリカの父であるベールハルト家の当主は家族思いの人物だ。
 金のために嫁がされるなどと、娘が悲観しないように言葉をかけようとしたのだが……

「何を言いますのお父様! アンネリカは嬉しいですわ! だって昔から心に決めていたんですもの、私は……私はお金と結婚しようと!」
「……お、おかね?」
「そうですわ! お金は大事です。いくらあっても困りません。お金さえあればなんとでもなります。私はお金が大好き、いいえ愛していますもの! ああ、なんて素敵な縁談でしょう! 初恋が実るなんて!」

 喜びのあまり立ち上がってクルクルと回り出した娘を前に、アンネリカの父は唖然とそのさまを眺めるしかなかった。
 まさか娘の初恋がお金だなんて誰が思うだろうか。そもそもお金は人ですらないということを忘れてはいけない。混乱しかけた父親は「おかねという名前の人がいただろうか」と在りもしないことを思いかけ、慌てて頭を振るとその馬鹿らしい思考を頭から追いやる。
 ともかく、愛娘は見知らぬ相手だというのに、金を持っているというだけでその男と喜んで結婚しようというのだ。まだ恋愛に淡い期待と夢を抱いているだろう年頃の少女ならば泣いて嫌がるだろうと思っていたし、この縁談を申し訳ないとすら感じていたというのに。 

 ようやく娘の価値観が一般的な貴族の娘とズレているかもしれないと、わずかな不安が芽生えたがもはやあとの祭りだった。

****

 十字架を背にし、祝福に満ちた柔和な微笑みを浮かべる神父の前に辿り着いた花嫁は、これから永遠の愛を誓う相手と向かい合う。
 今まさに、アンネリカの顔を覆う純白のベールが取り払われた。
 美しいステンドグラスから降り注ぐ色鮮やかな光の眩しさを瞼に感じ、わずかに睫毛を震わせてゆっくりと瞼を持ち上げる。

 視界に映ったのは、一人の青年。
 このとき、アンネリカは夫となるルイス・グランドなる人物の顔を初めて目にしたのだ。

 ──正直、お金と結婚できるのならば相手の顔などたいして興味はなかった。
 そもそも家督に興味を示さず早々に騎士団へ入団し、若くして武功を挙げたうえ第三とはいえ騎士団長にまでなるような筋肉脳としか言いようのない男だ。その男の容姿に期待など抱いてすらいなかった。どんなにゴツかろうと厳めしい顔をしていようと、顔中に傷が走っていようと醜男だろうと熊のような巨体だろうと……つまりどんな野郎が相手だろうと構わない。と心から思っていたのだ。

 そこにお金があるのなら。
 彼女が恋していたのはお金。愛しているのはお金。そのお金を持つ男の容姿など単なる付属品。

 だからこそ。
 目の前にいた青年の顔にアンネリカの頬はヒクリと引きつったのだ。
 これは予想外にもほどがあった。

 そこにいたのは、ステンドグラスから降り注ぐ光を浴びて眩いばかりに輝くプラチナブロンド。
 もはや眩しすぎて直視することすら難しいほどの神々しさ。
 むしろ神が降り立ちなさったと言ってしまった方がしっくりくるほどの造形美。

 視界に映るのは彫刻のごとく均整の取れた顔。濃い陰影が浮かぶほどのはっきりとした顔立ち。少し切れ長の目は、よくよく見れば上も下も長い睫毛に縁どられていて、その奥のグレーがかった涼やかなダークブルーの瞳は驚愕に目を見開くアンネリカの顔を映していた。

 それこそこんな人間が街を歩いたら、誰もが振り返るどころかその美しさに目を焼かれてしまうに違いない。もはや太陽を直視するかのような衝撃だろう。なんて畏れ多い。

 その男が目の前で爽やかな笑みをたたえた。
 同時に周囲からあがったのは、ため息にも似た感嘆の吐息。それは誰もが彼の美貌を認めているという何よりの証拠。

 夫となるルイス・グランドなる男はとんでもない美形だった。

*****

 さて。
 現在、挙式を終えた花嫁は一人で馬車に揺られている。
 ともにいるはずの花婿の姿はない。

 神の御前である十字架の前で、神父に見守られながら結婚誓約書にサインをすれば、その瞬間からアンネリカはグランド夫人となった。
 厳粛な結婚式を終えて帰路につく先は、これまでのデカいとしか褒めようのない古びたオンボロ屋敷ではない。フラングル王国第三騎士団長様のグランド邸だ。一体どんなに素敵なお屋敷なのかと胸は幼い少女のようにドキドキとときめくが、同じだけ憂鬱な思いもずしりと積もる。
 道行く馬車のガタガタとした揺れをお尻に感じながら、アンネリカは窓の外へ目をやり小さなため息を吐いた。

 夫となった男は、式を終えて早々職場である騎士団兵舎へ直行してしまった。どうやらこんな門出の日でも騎士団長というのは多忙らしい。
 だが、かといってアンネリカも夫の不在が寂しいと嘆いているわけではない。頭を占めているのはそんなことではなかった。

「はぁ。どうしたものかしら……」

 幸せの象徴たる純白のドレスを身にまとったまま、腕を組んで悩まし気に呟く。

「予想外の美形だわ。面倒くさそうね」

 愁いを帯びた顔のまま、チッと舌打ちと共に吐き捨てる。
 そうなのだ。アンネリカを憂鬱にさせるのは『夫がとんでもない美形だった』ということ。
 実際に彼を見た今なら、父親が言っていた言葉の意味がよくわかる。同時に憂鬱な思いはさらに増す。

 ──国中の娘がこの名を知っているぞ。

「あぁー……っ」

 思い出して頭を抱えた。
 それはそうでしょうとも。あれでは知っているどころか若い娘にとっては憧れの的だ。武功を挙げ、国王から褒美までもらい異例の若さで第三騎士団長。しかも男爵とはいえ貴族の生まれ。そして美形。とにかく美形。まったく、肩書が多すぎる。
 こんなもの非の打ち所がないほど完璧ではないか。こんな男、どこぞの王子様より王子らしい。
 わざわざ没落寸前の貧乏貴族の娘を娶る必要はないというのに。ここまで揃っていれば相手なんて選び放題だろうに。

 ──そうまでして家柄が欲しいのかしら。

 夫の神々しいまでの美貌と比べてしまえば、際立って美人とも言い難いアンネリカが持っているものなんて一つだけだ。それこそ、両親や執事のミハエルから耳にタコができるほど言われてきた。

 建国よりベールハルト地方を治める由緒ある血筋。
 地名がそのまま家名となっている数少ない貴族。
 歴史あるベールハルト伯爵家。

 富と名声は手に入っても、家督を継ぐわけではない貴族の三男では家柄に欠けるのだろう。その欠けた部分を補うのが、歴史ある家柄もといそれしか取り柄のないアンネリカというわけだ。

 とはいえ、その事実に別段落ち込んでいるわけではない。

「強欲で金持ちの美形なんて一番面倒くさそうじゃないのよー」

 何を隠そうアンネリカ自身も彼自身ではなくお金と結婚したわけで。
 つまりはただの金目当てともいえる。相手とは波風立てず暮らせればそれでよかった。しかし国中の娘が憧れる男となれば話が違うというものだ。

「本っ当、お金がなかったら断固としてお断り物件よね!」

 花嫁は一人プンプンと怒りをまき散らし、馬車の中で頭を抱え続けた。

「変に拗らせてたりなんてしないわよね……」

 自分自身のことなどすっかり棚に上げて。

 そうやってアンネリカが一人問答を繰り広げている間に、馬車は町の中心部へ差し掛かる。
 グランド邸は賑やかな王都の中心街にあった。

 フラングル王国の王都ベルスト。その中心街とくればなかなかの一等地。立ち並ぶ建物も重厚な石造りの塀に囲まれて、豪壮な正門が鎮座しているものばかりだ。アンネリカの生家も大きさこそ引けは取らないものの、朽ちかけた実家とはその質に雲泥の差があることは明らかで。
 窓の外を流れていく景色につい見とれていると、揺れる馬車はとある屋敷の門の前で動きを止める。

 グランド邸は、レンガ造りの塀に囲まれた屋敷だった。
 豪華絢爛というほどの華やかさはないものの、どっしりと落ち着いた、好感の持てる佇まい。いくらお金を愛しているとは言っても、ギラギラと飾り立てられたものはアンネリカの好みではない。贅沢をしたいわけではないのだ。明日の生活に気を揉まなくて良い暮らし。それが彼女の望みだった。
 そしてそれをもたらしてくれるのが、愛してやまないお金──いや、お金様なのだ。

 現に、屋敷を目にしてアンネリカが抱いた感想は、

「まあ素敵……これなら雨漏りの心配はいらないわね」

 だったのだから。
 少女は実家の雨漏りの補修すらこなしていた。しかしこれからは違う。例え雨漏りがあろうとも修理をお願いできるお金がある。
 その事実はアンネリカの心をキュンと高鳴らせるに十分だった。 

 嫁入りとなれば、本来なら生家からメイドの一人や二人付き従えて来ることが通常なのだが……執事のミハエルと数人のメイド。そして従者や料理人がわずかという、最低限の人数でベールハルト家はギリギリやりくりしていた。そんな実家から連れてこられる者など、いるわけがない。
 ふと、シャキッと背筋を伸ばして日々屋敷を駆け回っているミハエルの姿を思い出す。涙ながらに見送られたのはほんの数日前の出来事だというのに、なんだかとても懐かしく思えた。
 とにかくそんな事情もあり、アンネリカはグランド邸に単身乗り込んだのだ。

 馬車から降りて足を踏み入れたグランド邸で、少女は大きく目を見張る。
 屋敷の玄関ホールにはたくさんの使用人が左右にズラリと並び、アンネリカを待ち構えていた。それに、吹き抜けとなっているホールを見回せばピカピカに磨き上げられた大理石の床に、埃ひとつない家具や照明。間違っても壁紙は剥がれかけていないし、角にクモの巣も張っていない。

 生家では見たことのない光景に、つい、ポカンと口を開けてしまった。目の前では優にベールハルト家の倍以上の使用人が自分に頭を下げている。
 改めて自分はお金持ちの元に嫁いだのだという実感が足元からじわじわとせり上ってきた。ブルリと震えるのは沸き上がる高揚感のせい。

 ──ああっ。お金、最高! 愛してるわ!

 改めて、お金様への愛を叫ばずにはいられない。
 そしてこのお金様を何がなんでも死守するのだとアンネリカは心に誓ったのだった。


 夫となったルイス・グランドが帰宅したのは、すっかり日も落ち夕食も済んだ頃だった。
 本来であれば彼とアンネリカの結婚を祝う晩餐会が開かれるのだが、騎士団の都合で後日に延期となったらしい。アンネリカ自身はそんなパーティーになど興味もないどころか、やろうがやるまいがどちらでも構わないし、むしろそんなパーティーに割く費用がもったいないとすら感じてしまうのだが、仮にも団長という立場上形式として催さないわけにはいかないのだろう。つまりルイス本人も仕方なく行うのかもしれない。
 あてがわれた綺麗に整えられた広い自室のソファに腰を下ろして、アンネリカは「ふむ」と腕を組んだ。

 花婿は挙式が終わったと同時に仕事に戻り、結婚を祝う晩餐会は後回し。

「これは、ないがしろにされているということでいいのかしら」

 考えれば考えるほど、清々しいほどの家柄目当てに思えてくる。とはいえ、アンネリカ自身も愛しているのはお金様なのでそこに文句はないのだが。
 というわけで。

「それならなんて喜ばしいの!」

 言うなり手足を伸ばしてソファの背もたれに深く身を預けた。
 当然ながら不快なスプリングの軋み音もしないし、毛羽立った布地に肌が擦れることもない。滑らかな肌触りのソファはまるで天国かと錯覚するほどの快適さだ。うっとりと瞳を閉じてから、我慢ならずに身悶える。

 アンネリカはお金に困ることなく、ただ毎日を平和に暮らしたいのだ。そんな彼女にとってルイス・グランドなる男は願ってもない相手。そこに不満はない。だって彼は愛するお金様の付属品。

 ただ、美形すぎるのだ。ささやかながら明日のお金を心配しなくていい程度には平凡な日常を過ごしたい。と願うアンネリカにとって、キラキラと輝く人種など出来れば距離を置きたい。最低限の関わりだけに留めたい。
 だがそれも、こちらになんの興味も持ってくれないのならば解決だ。むしろ好都合。放っておいてほしい。
 お金さえ転がり込んでくるのならば、なんの文句もない。少女の思考回路はそこに落ち着いた。

「ひゃっほー!」

 ソファの上でバタバタと手足を跳ねさせ歓喜に心を躍らせていたら、コンコンと扉をノックする音が響いた。慌てて姿勢を正して「どうぞ」と促せば、気の強そうなツリ目のメイドが顔を覗かせる。

「奥様、旦那様がお呼びでございます」

 ──あ、いけないすっかり忘れてた。

 浮かれたあまり頭から綺麗さっぱり抜け落ちていたが、結婚した以上避けては通れぬものがある。
 婚姻の契りを交わした男女ならば必ず迎えるものがある。
 初夜だ。

 アンネリカとて例外なく、夫となったルイスと初夜を迎えねばならないのだ。

 とはいうものの。当然ながらアンネリカに男性経験などない。あるわけがない。
 ゆらりと揺らめく照明が照らす廊下を歩きながら、腕を組んだ少女は首を捻る。

 そもそも男女の恋愛事になど興味が微塵もなかったし、格式高い貴族ベールハルト家の令嬢として、嫁入り前の名に傷がつくことなどご法度だと、両親と執事のミハエルに口を酸っぱくして言い聞かせられてきた。

 それすなわち、さすがに赤ん坊が降って湧いてくるとは思っていないにしろ、アンネリカは初夜事に関する知識は皆無といっていい。
 しかしさすがに嫁ぐにあたり、母親から夜の男女の営みについて指南を受ける機会はあったのだが……

「わたくしがあれこれ入れ知恵するよりも、ルイス様にすべて任せなさいな」

 この一言が母の教えのすべてだった。
 何を聞こうとも二言目には「だってアンネリカちゃんの旦那様はあのルイス様ですもの!」で終わってしまう。このとき、まだルイスの容姿を知らなかったアンネリカにしてみれば『あの』ってなんだと、母の教えは意味不明なものだった。
 曰く「むしろルイス様ほどなら、アンネリカちゃんくらい真っ白な方がグッとくるかもしれないわ。うふふ」らしい。普段にも増して頭の中に綿菓子でも詰まっているかのような母親の発言に、当の本人は結局何一つ理解ができなかった。

 しかし、ルイスの容姿を目の当たりにした今となっては、母親の言っていたことが理解できる。確かにあれは『あの』だろう。
 それに経験はなくとも初夜がなんたるか、なにを目的として行うのかはわかる。無知とはいえ17歳にもなれば、ほんの上辺だけとはいえ多少情事がなんたるかという知識程度は持っているのだ。

「つまりは子供を作ればいいのよね!」

 アンネリカはグッと拳を握った。
 工程はよくわからぬが、結果ならば知っている! と。嫁いだからには子をなさねばならない。これは政略結婚の多い貴族の義務として、いくらアンネリカといえどもわかっている。
 形だけの妻ではあるがその役割を果たさねばならぬと、気合十分で夫たるルイスの部屋の前に立った。軽くノックをしたら、中から「誰だ」なんて、これまたよく通る低くて耳障りの良い声がした。
 声まで良いとは一体どうなっているのか。

「アンネリカです」
「ああ……入れ」

 言われて重厚な扉を開け室内に足を踏み入れると、部屋には長い足を組んでソファに腰掛ける、彫刻のような美丈夫がいた。
 しかし改めて見ると本当に綺麗な顔をしているわぁ。と、アンネリカは感心したようなため息を吐く。日が落ちた室内では、照明にぼんやりと照らされた顔にどこか物憂げな雰囲気がまとわりつき、昼間の神の化身かと思われた神々しさとはまた違った印象を受ける。

「式を終えて早々悪かったな。祝事の晩餐会も後日ちゃんと開こう」

 殊勝に謝る言葉が並ぶ。
 しかしその表情たるや……見事なまでのゲスの極みな顔だった。

 ルイスだなんて爽やかな名前には似つかわしくないほど、これでもかと人を嘲笑う顔がそこにあったのだ。虫けらでも見るような目で、彼は妻となったアンネリカを見据える。

「面倒だが形だけでもやらねばならん。まあそれ以外は勝手にしててくれて構わない。お前はここに俺の妻としているだけでいい」

 ペラペラとしゃべる口が、まるで悪魔のような狡猾な笑みを形作る。

「忘れるなよ。お前にはベールハルトの家名しか価値はないんだからな。俺はその由緒ある家名を金で買ってやったんだ」

 それ以上でも以下でもない。だから思い上がるなと自分に尽くせと彼は裏で言っている。
 誰もがうっとりと見惚れるような麗しい顔立ちから、妻となった女性の尊厳をことごとく踏みにじる言葉が吐き出された。最後に嘲笑するような鼻息を洩らしてから、彼は相手の反応を伺うように宝石と見まごうダークブルーの瞳を眇める。

 そんな夫を前にしてアンネリカは──意味が分からないというように、こてんと首を傾げた。
 そんな妻を前にしてルイスは──不快だとでもいうように眉根をよせて、眉間にしわを刻んだ。

「どうした。気位の高い伯爵家の御令嬢には受け入れられないか。だとしても婚姻の契約を交わした以上、俺の子は産んでもらうからな」

 まるで、愚鈍な女だと見下すような声色で彼は言うが、

「いえ、ですから……」

 アンネリカは一層不思議そうに首を捻る。
 少女の心の内は、こうだ。

 ──ルイス様は、いまさら一体何を言っているのかしら。

 ベールハルトの家柄を求めての縁談だったことなど承知して嫁いできたわけだし、改めて懇切丁寧に説明してくれなくともぞんざいな扱いを受けていることはわかっている。だって彼にとって価値があるのは、アンネリカ自身ではなくその肩書きだろうから。

 そもそも、初夜に夫が妻を自分の部屋へ呼びつけるという時点でどう思われているかなんて推して知るべしだ。普通は妻の元へ夫が通ってくるのが礼儀だろう。
 それでなくとも、呼びに来たメイドが案内をするでもなく、ルイスの部屋の位置を口頭で伝えただけでさっさと引き下がってしまった時点で「あらまあ、歓迎されてないわねぇ」と関心してしまったほどだ。

 だからこそ思う。いまさら一体何を言っているのかしらと。
 なので素直に思いを口にした。

「なにをわかりきったことを……それに、お互い様ですもの」
「……何?」

 アンネリカの言葉に、相対するルイスは悪魔の顔にわずかながら困惑するような色を浮かべた。だが彼女は構わずに告げる。両手を腰に添えて、なんなら胸を張るかのように身体を反らせて。

「私だってお金目当てですわ。ルイス様にはお金しか魅力がありませんもの!」

 むしろ本人は大事なお金の付属品。それどころか、愛するお金と結婚したらルイスが付いてきた。くらいの感覚だ。いってしまえばルイスなど金魚のフンも同然。
 お互いに家名目当てと金目当てだと、そんなこと最初からわかっていたことではないか。というのがアンネリカの主張だった。

 しかしそんな言葉を『お前にはベールハルトの家名しか価値はない』と告げた自分への皮肉と受け取ったのか、美麗なルイスの眉間に険しいしわが刻まれる。ギッと目を据わらせて、神から麗しい悪魔へと雰囲気を変貌させた青年がすっくとソファから腰を上げた。

「あ? ……なんだとこの女」

 形の良い唇から恐ろしいほどの低い声が吐き出される。思わず身構えたところで足元がもつれ、アンネリカは一歩二歩と後ずさったが、逃がさないとばかりにぐいっと手首を掴まれた。

「金だけだと言うのか? この俺が?」

 据わった目がアンネリカを射抜く。奥の瞳は怒りに燃えていた。現に彼にとってアンネリカの言葉は侮辱も同じ。
 富だけではなく容姿実力ともに己に並ぶほどの男はそうそういないとルイスは自負していたし、実際そうなのだ。

 と、ここで青年の瞳に思いついたようなギラリとした光が差す。同時にアンネリカはベッドの上へ投げられた。文字通り手首を掴まれたままブンと投げられた。

「わぶ──……っ!」

 さすが騎士団長を務めるだけはある腕っぷしだ。アンネリカはされるがまま顔面からシーツに突っ込み、くぐもった声が洩れる。ギシリと、かなりの値が張るだろう装飾豪華なベッドが大きく軋んだ。

「もうっ、突然なんですの」
「何度も言わせるなよ。いいか、忘れるな」

 いきなり投げられ転がされたアンネリカは抗議の声をあげるが、ルイスはそんな相手の様子など気にも留めていないようだった。相手の声には答えず一方的に言い募る。元より聞く気もないのだろう。

「ベールハルト家はこのルイス・グランドに金で買われたんだからな。だとすれば、俺の機嫌を損ねればどうなるかぐらいわかるだろう」
「まぁ……っ」

 どこをどう聞いても脅迫でしかない言葉に、アンネリカは口元を手で覆った。怯えるようなその仕草に、言い放ったルイスの口元は己の存在に慄く少女を前にして酷薄な笑みを浮かべる。
 しかし、当の本人が怯えたのはそこではなかった。

 ──なんということ! このままではせっかく掴み取ったお金様と離れ離れになってしまう!
 ルイス怒る→お金もらえない→私の嫁いだ意味! と、元よりただの金魚のフンである男のことなどどうでもよく、アンネリカにとっては愛した相手と引き離されてしまうことが何よりも重要だった。

 だがそんな胸中をルイスが知る由もなく。

「だったらどうすればいいかわかるだろう。俺はお前に子を産めと言っているんだ。本来ならばお前の方からそのように(かしず)くのが当然だろう」

 そう言いながら、彼自身もギシリとベッドに乗り上がった。ルイスは転がるアンネリカの向かいに腰を下ろす。ここまですれば言わんとしていることは伝わるだろうと。

「ほら、しっかり尽くせよ」
「……わかりましたわ」

 ここまでくれば覚悟を決めるしかない。いよいよ初夜を迎えるのだと拳を握る。たとえアンネリカといえども一人の乙女。恐れがないわけではない。この先は、当然ながら処女である少女には未知なる領域だ。

 となれば、傅こうにもどうしたらいいのかなんてわかるわけがないというもの。
 なのでそれを指導してくれるはずだった母の唯一の教え「ルイス様にすべて任せなさいな」に従うことにする。そうなのだ、アンネリカにとっては未知なる領域でも相手は『あの』ルイス様なのだ。これほど心強いことはない。

 そうと決まればアンネリカにできることは一つ。
 ゴロリと仰向けになると、バーンと両手両足を大の字に投げ出した。

「さあ、ルイス様どうぞ!」
「……それはどういう意味だ」

 突然大胆な寝姿を晒した妻に夫は酷薄な笑みから一転、困惑の声をあげた。

「お前は何をしている」
「ですから。娶っていただいたこの身体、お好きにしていただいて構いませんわ」

 腹を括ったアンネリカがキリリと言い放つ。なんてったってこれでお金に困らないのならば。子供の一人や二人、三人四人でも産んでみせよう。
 反対にルイスの眉根は訝しそうに寄る。だがそれもそうだろう。

「おい。まさかベールハルトの家では、初夜は大の字で寝そべろと教育しているのか?」

 通常婚姻が決まった貴族の子女は、乳母や家庭教師など指南役として選ばれた女性から初夜がなんたるかを教育されるのが一般的だ。その結果がこれでは、見せられたルイスの麗しい顔の眉根は寄るし眉間に険しい溝だってできる。

「まあ、結果的にはそうですわね。母からはルイス様にすべて任せるようにと言われましたから」
「お、俺に……?」
「ええ。なにしろ私の夫は名高いルイス様ですもの。実戦経験豊富だろうルイス様の前では、私が付け焼刃な知識を晒したところで満足していただけるとは思えませんわ」

 むしろ苛立たせてしまうのでないだろうかとすら思う。

「ですから、さあ! この私をルイス様のお好きに染めてくださいまし!」

 ババーン! と効果音が付きそうなほどの勢いで、両目をカッと見開いたアンネリカが声高々に叫ぶ。対するルイスは、なぜかせわしなく視線を泳がせヒクリと口元を引きつらせた。

「じ、実践……?」

 彼はさきほどからアンネリカの言葉をオウム返しするだけだ。それを不思議に思いながらも、頷いて応える。

「ええ。父からは国中の娘がルイス様の名を知っていると聞きましたわ。国王様より褒美を賜るほどの武功とその見目麗しい外見ですもの、これでは放っておく娘がいないのはもはや必然」

 それは挙式での周囲の反応からも頷ける。誰もかれもがルイスの美貌に傾倒していたのだから。となれば、夜の戦もこれはかなりの場数を踏んでいるに違いない。
 部屋に入った時からのふんぞり返った上から目線な態度も、それらを踏まえれば納得だ。こんな処女の小娘とでは、獅子と兎ほどの実力差があることも歴然だろう。

「対して私はなんの経験も知識もありませんわ。そんな私が精一杯励んだところで拙い子供の遊びにしか見えないでしょうとも。なので遠慮なくお好きにしていただいて構いませんわ。騎士たるルイス様には遠く及びませんが、私の身体はなかなか丈夫ですのよ!」

 どんなことも受け入れてみせる覚悟だ。
 妻として立派な子を産んでみせよう。

 お金と引き換えならば万々歳!

 ──が。
 やる気満々のアンネリカに対してルイスはなんとも微妙な表情を浮かべていた。あえて言うならば、どうにも当てが外れた。そんな声が聞こえてきそうな戸惑い顔。宝石のような深い色味を持つ瞳は気まずそうに逸らされた。

「あの……さきほどからどうされたのですか?」

 これでは、アンネリカもついに聞かずにはいられなかった。

「な、なにがだ……っ?」

 そして裏返るルイスの声。

「ええと、何を困っておられるのでしょう」

 そう、まさにそれだ。自分で言っておきながらアンネリカはやけに腑に落ちた。こちらが身を任せれば任せるほど、ルイスがなぜか困っている。

「失礼な。困ってなどいるか!」
「でしたら、さあどうぞ遠慮なく。このままでは朝を迎えてしまいますわ」
「だが……っ」
「申し訳ないのですけれど、私本当に男女の勝手がわかりませんの。ルイス様にお任せしますわ」

 その代わり如何様にも好きにしてくれて良いと言っているのだが、それではなにか問題があるのだろうか。
 大の字で寝そべり首を傾げるアンネリカの横で、胡坐をかいていたはずのルイスがどうしたことか気付けば正座をしていた。
 それどころか、俯いた姿はなんともこじんまりとして見える。肩もなんだか下がっている。先ほどまでのゲスさ満載の横柄な男ルイス・グランドは一体どこへ行ってしまったというのだろうか。
 アンネリカがそんなことをつらつらと考えていたら、そのルイスの呟きが耳に入った。

「──……からん」
「らん?」

 聞き返せば俯いていた顔が勢いよく跳ね上がり、アンネリカは思わずギョッと目を見開いた。現れた顔はなんとも鬼気迫っていたのだ。美形の凄みは背筋が寒くなるような迫力がある。正直怖い。
 引きつる妻をよそに、夫は叫ぶ。

「俺だって勝手などわからん!」
「…………は?」

 そんな中飛び出してきた言葉は、アンネリカの予想の斜め上をバリーッと突き破ってくれた。

「…………」
「…………」

 なんとも言えない沈黙が二人の間に落ちた。
 ルイスはいまだに凄みをきかせているし、アンネリカは飛び出した意味不明な言葉を何とかかみ砕こうと大の字で天井を見つめる。だが考えてもやはり意味なんてわからなかったので、ゆっくりと上半身を起こして正座する夫と向き合った。

「勝手がわからんとは、何の勝手でございますでしょうか」

 落ち着いて懇切丁寧に問いかけるものの、そのなんとも丁寧すぎるおかしな語尾にアンネリカの混乱が現れている。まさかという予感は頭をよぎったが、いやいやそんな馬鹿なと一旦それを隅に追いやる。

「だから──……だ」
「はい?」

 ルイスはふいと視線を逸らし、大事な部分でごにょごにょと口ごもる。

「すみませんルイス様、聞こえませんでしたのでもう一度お願いします」

 アンコールをお願いしたら「う」と声を詰まらせる音がした。だが聞こえなかったものは仕方がない。もう一度言ってもらうほかない。

「だから……」
「だから?」

 しつこくも言葉を追えば、キッと睨みつけられた。気のせいか顔を赤くしながらも、開き直ったかのように──いや、もはや投げやりにも見える態度でルイスが大きく息を吸い口を開く。

「だから、子作りの勝手などわからんと言っている!」
「……はああああ!? 嘘でしょう! まさかのまさかなの!?」

 アンネリカがそんな馬鹿なと退けた予感が的中してしまった。バチンと両手で顔を覆い「ああああ」と呻きながら大仰に天を仰ぐ。なんともリアクション激しい妻を前に、夫は一瞬呆気に取られたようだった。だがその隙を突くようにアンネリカの勢いは止まらない。

「意味わからないんですけど! 国中の娘が憧れるあのルイス・グランド様ですよね!? その若さで騎士団長でしかも美形、とんでもなく美形で相手なんて選び放題じゃないの!? それなのに今なんと言いました!?」
「しっ、知らんものは知らんのだから仕方がないだろう!」
「だからなんでですかああぁぁっ!」

 仰いでいた顔を夫に向き直し、アンネリカはなんでと叫ぶ。そして今度は急な真顔。

「ルイス様、その顔で一体何を言っているのですか」
「……だから、この顔だからだ」

 動揺からか感情を激しく上下させるアンネリカに対し、今度はルイスが力なく項垂れ両手で顔を覆ってしまった。
 ちなみに彼はいまだに正座をしたまま。それで顔を覆い俯いてしまってはなんと小さく見えることだろうか。先ほどまでの傲慢なゲス男は本当にどこへ行ってしまったのだろう。
 青天霹靂な事実の大暴露によって、ルイスの威勢はすっかり削がれてしまったようだ。

 アンネリカにしてみれば、この部屋に入ったときはまさか「子作りの勝手がわからない」などと言われるなんて露ほども思わなかった。どう見てもおのれは百戦錬磨の面構えだろうとライトブラウンの瞳を眇める。
 すると、そんな妻の視線に抗議するようにルイスはポツリポツリと語り出した。

「そもそも俺は幼い頃から剣術にしか興味がなかった。元より色恋などどうでも良かったのだが、それ以上にこの顔を見ると誰もかれも遠巻きに眺めてくるだけでな。だから──」
「ああ、なるほど。女の子との交流どころかお友達すらいなかったのですね」

 ずばり指摘すれば、呻き声が聞こえた。どうやら図星なのだろう。

「まあ、わかります。だってルイス様のお顔はなんというか……神がかり的な神々しさですもの。正直言って美形にもほどがあります。子供が話しかけるのはなかなか勇気がいることでしょうとも。むしろ私は周囲の子たちに同情します」
「……お前、それは褒めているのか?」
「褒めていますとも!」

 まるで白金のような輝かしいプラチナブロンドの髪。長い睫毛に縁どられるのは宝石のようなグレーがかったダークブルーの瞳。陶器のようにツルリとした白い肌。通った鼻筋に艶やかで赤みのある形良い唇。それらがすべて完璧な配置で各々の場所におさまっている。

 アンネリカは何度でも言える。これは神が地上に降り立ちなさったかのようなとんでもない美形だ。
 直視しようものなら目が焼けてしまう。今は日が落ちた部屋の薄暗さと若干の慣れでかろうじて見られるが、明るい日の下ではこうやってじっくりと向き合う自信はない。

 となれば、この超絶美形を前にしたら年端もいかない子供など近寄ることすらできないだろう。次元が違いすぎるのだ。

「だが俺にとってはそれで都合が良かった。剣術に没頭できるからな。男爵家の家督になど興味もなかったから騎士団に入った」
「ああ、確かそうでしたわね」

 アンネリカの父親もルイスという人物についてそのように言っていた。

「騎士団は徹底した実力主義だ。だから同じ飯を食べ共に鍛錬に励むうちに、顔の造形など関係なくようやく友と呼べる者たちもできたんだ。そこまでは良かった」
「と、いいますと?」
「こと色恋になるといつも俺は弾かれる! 皆が「ルイスに比べれば大したことない」と言う! この顔を見てな! 俺はまるで男女の情事の全てを知り尽くしているかのように扱われるんだ! 女どもは遠巻きに見るだけで話しかけてすらこないというのに!」
「あー……なるほど。でしょうね」
「だからなぜそう、なるっ!」

 アンネリカが頷けば、今度はルイスが顔を両手で覆ったまま勢いよく背中を逸らして天を仰ぐ。先ほどから二人の顔は忙しなく上下に振れる。

「だからルイス様がとんでもない美形だからです。その顔で男女の色事を何一つ経験されていないなんて私だって思いもしませんでしたもの」
「確かに俺は美しいが……」
「ご自分で言うのですね。それ」
「キャーキャー騒ぐくせに女は誰一人寄ってこない!」
「美形も度を超すと畏れ多くて近寄りがたいのです。憧れるだけならまだしも、神を口説こうなんて度胸ある女性はいないでしょうね」

 騎士団の人たちも、きっと入団までに色事をすべて経験してきたとんでもない猛者が来たとでも思ったのだろう。そしてその気持ちはアンネリカにも痛いほどわかる。

 しかしてその実態は。

 飛びぬけた美形っぷりに女性は委縮してしまい、畏れ多くて近寄れず。一方男性からは飛びぬけた美形だからこそ、さぞや経験豊富だろうと謙遜される。

「もうっ。わからないのなら騎士団のお仲間に聞けばよろしかったじゃないですか!」
「この俺が『わからん』などと言えるか!」
「その高慢ちきな性格も要因ですね!」
「なんだと女ああぁぁっ!」
「アンネリカですううぅぅっ!」

 胸倉を掴み上げてくる夫に向かって、妻は自分の名前を主張する。

「本当に女性の扱いに慣れていませんね。胸倉を掴むなんて論外です。それに私は一応あなたの妻なのですから『女』ではなく『アンネリカ』とお呼びください」
「初夜に大の字で寝そべる奴には言われたくない」

 掴み上げてくる手をペチンと軽く叩けば、アンネリカはようやく解放された。お互い再びベッドに腰を下ろして一旦冷静になる。
 そうすれば「ああ」とアンネリカは気が付いた。

「だから挑発してきたのですか」
「……なにがだ?」
「ですから『どうすればいいかわかるだろう』とふんぞり返ったあれです」
「うぐ……っ」

 指摘したらルイスが喉を詰まらせたような声をあげる。どうやら当たりらしい。

「嫁ぐにあたって男女のあれこれを仕込まれてきただろう私に、すべて任せてやり過ごそうとしたわけですね」

 そう考えれば過剰にアンネリカを貶し、まるでけしかけるようなルイスの行動も腑に落ちる。──とはいえ、元々の性格もおおいにあるのだろうが。

「はっ。まるで期待外れだったがな」

 開き直ったように片膝を立てた麗人が鼻を鳴らした。ルイスもまさかアンネリカまでもが無知のまま嫁いで来るとは思いもしなかっただろう。

「文句ならば頭に綿菓子の詰まった母に言ってください。でも……どうしましょうか」
「あ?」
「初夜ですよ」

 大事な結婚初夜だというのに、今のところ夫はふんぞり返り妻は大の字で寝転がり、爆弾発言が飛び出した末こうやって顔を突き合わせているだけだ。

「なんの知識もない童貞と処女でも子は作らねばなりませんもの」
「お、お前っ、女がどどど童貞とかしょ、処女とか言ものではないだろう!!」
「ルイス様ああぁ……重症にもほどがあります」

 顔を赤くして慌てだした夫に、呆れたような目を向ける。

「まさかですけれど、そのお歳で赤子は鳥が運んでくると思っているわけじゃないですよね?」
「馬鹿にしてんのかお前! いくらなんでもそこまで無知ではない! あれだろ!? ほら……破廉恥なことをするんだろう!」
「ざっくりしすぎぃっ!」

 一向に進まない初夜の現状に、アンネリカは額に手を当ててため息を吐く。まさか『あの』ルイス・グランドが夫となったというのにこんなことで躓くとは思いもしなかった。

「いいですか」

 キリッと顔を引き締めてアンネリカが姿勢を正せば、つられたようにルイスも背筋を伸ばした。それを認めて、ビシッと人差し指を立てて少女は口を開く。

「ルイス様は私が持つ歴史だけはある家名を欲しているのですよね? 武功を挙げたとはいえ今のままでは一介の騎士団長。男爵家の跡目も継げない三男ですもの。確固たる地位のためには、名の知れた貴族との間に子をなすのは必須条件! 違いますか!?」
「おっ前……っ」

 容赦ないアンネリカの言葉にルイスのこめかみに青筋が浮かぶ。

「そっちこそただの金目当てのくせに偉そうな……っ」
「だから最初からそう言ってます当然でしょう! それがなにか!?」
「あぁん!?」

 もはや新婚夫婦の初夜というよりも、ただのガンの飛ばし合いとなってしまったベッドの上。お互いに引かない夫婦の口論は終焉の兆しを見せないまま、アンネリカが怒涛の追撃に出る。

「私だってお金様のために、ルイス様との絆を揺るぎないものとするため子をなさねばなりません! でなければ、あののほほんな両親に任せていたらベールハルト家は没落してしまいますわ! そしてなにより、なにより……っ、私は愛するお金様と離れる気など欠片もございませんからねええぇぇっ!」
「お、おかねさま?」
「そうです。私はお金を愛しているのです。初恋です。お金様と結婚したらルイス様が付いてきました」
「真面目な顔でなんてことを言うんだお前」

 潔すぎるほどの金目当て発言にルイスは呆気に取られながらも、口元はどこか面白そうに笑みを作った。

「とにかくそういう訳ですから、お互いに子をなしたい。でしょう?」
「そこだけは同意する」
「ならばまずはやってみなくては。何事も挑戦ですよルイス様」
「……この空気でか?」

 もはや二人の間にはロマンティックの欠片もない空気が漂っている。アンネリカはこの状態で「今から男女の営みをいたしましょう!」と言っている。
 どう考えてもそんな雰囲気ではないし、そんな雰囲気に転じそうな気配は皆無だ。

「わかりました。では、まずお互い裸になりましょう!」
「待て待て待てええぇぇっ!」

 言うなり寝間着の胸元にかけたアンネリカの手を、ルイスが寸でで掴んで阻止した。

「い、い、いきなり女が胸を出そうとするな! 破廉恥だ!」
「ですが、こういうのはまず服を脱ぐところからなのでは? まあ、私の身体はルイス様が期待するほど破廉恥ではないかもしれませんが……」
「やーめーろー」

 耐えかねたようにルイスの顔がみるみる赤く染まっていった。

「ルイス様は……女性の裸体をご覧になったことがないのですか?」

 問えば彼は思い悩むように額に手を添えて、頷く。顔はこれ以上ないほど赤い。

「改めて言わせていただきますけど……本当に重症ですね」
「お前こそ男の裸を見たことあるのか」
「あるわけございません」
「ならば、まずはお互い慣れるところから始めるのが妥当だと思わないか?」
「慣れる……とは」

 首を傾げた妻に向かって、夫はニヤリと口角を挙げて身を乗り出す。

「俺だって一瞬の脚光だけで終わる人生などゴメンだ。掴んだチャンスは必ずものにしてやる。お前が金と結婚したというのなら俺はベールハルトという家名と結婚したんだからな」
「利害は一致しましたわね……では、まずはお互いに胸から──」
「だから待てと言っているっ!」

 再び胸元に手をかけたアンネリカをルイスが阻む。

「い、い、いきなり胸なんて難易度が高いだろうが……っ。剣術だって最初は基本の構えからなんだぞ! まずは並んで寝るところからだろう!」
「野心の大きさと行動に差がありすぎですわね!」

 ──結局。
 己の地位を確固たるものにせんと野心に燃える、妻の家名目当てのルイスと、貧乏ゆえの金への執着をおかしく拗らせた財産目当てのアンネリカ夫妻の初夜は、お互いに並んで横になっただけで終わる。

 こうして、二人の初夜達成を目指す長く険しい道は始まったのだった。

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