第三話 新たな権能者①
「行くぞ、神凪」
放課後を告げるチャイムが鳴った瞬間、帝野はすぐに帰る準備を終えていた。
「あ、はい」
カバンを肩に担ぐと、優人が共に出ようとする。
「お前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだよ?」
驚いたように目を見開いた渡が、二人を見る。周囲も気になるようで、見ていないふりをしつつも、こちらを意識しているのが伝わってきた。
「別に仲良くはない」
「じゃあ、なんで一緒に帰るんだよ?」
「それは、だな……」
無表情の帝野が何かを答えようとして、口をつぐむ。複写世界については話せないので、どうすればいいのか迷っているらしい。
このままでは渡が変な誤解をしそうなので、優人が助け舟を出す。
「実は、テスト勉強を教わることになって。でも、ここだと僕が集中できないから、ファミレスでやろうと思って」
「マジでかよ。それなら、俺も一緒にーー」
「お前はいい。邪魔だ」
バッサリと切ってしまい、教室の空気が一瞬固まる。冷や汗をかく優人を横目に、渡が大袈裟に肩を落とす。
「そこまで言わなくてもいいだろ? まあ、いいや。今度、俺にも教えてくれよ」
そう告げると、渡は仲の良い男子を連れて一緒に教室を出る。誤魔化せたことに、優人は内心安堵した。
「それでは行くぞ」
返事をする前に歩き出した帝野の背中を、優人が追いかける。
無言の空気に耐えきれずに話しかけようと思ったが、帝野の背中は何も話すなと語っている。仕方なく、黙って廊下を歩く。
玄関で靴を履き替えて校門を出ると、いつもの通学路とは真逆の道へ出る。以前廃工場へと向かった道とは違い、人通りが多い道を通っていた。
普段はあまり行かないが、駅前の方角へと向かっているようだ。
「よくあんなバカと友達になれるな」
「……え?」
帝野から話しかけてくるとは思わず、優人は反応が遅れる。
「バカって、渡くんのこと?」
「あいつ以外に誰がいる」
本人のいないところで酷い評価をされていることに、優人は苦笑しかできなかった。
「以前も、あいつに頼み事ばかり押し付けられていただろ? この間も、提出物を堂々と写していたしな」
「仕方ないよ。毎日、忙しいみたいだし」
「ただ遊んでいるだけだろ」
辛辣な帝野に、優人は何も言えなかった。
実際、渡とは友達と言えるほど仲が良いかというと、微妙ではあった。
体育の時に同じチームになったことがきっかけでよく話すようにはなったが、一緒に遊んだことはない。お互いに好きなことが違うというのもあるが、放課後は友達と野球をしているので、運動が得意でない優人は混じることができないのだ。
それでも、昼ごはんを誘ってくれる時もあるし、一人でいる優人にも分け隔てなく接してくれる。優人にとっては大事な友達の一人であることには変わらない。
教室で声をかけてくれたのも、純粋に一緒に勉強したいからだと思う。まあ、何度も頼られるのは困るが。
「でも、悪い人間ではないから」
「……お前のお人好しには、心底驚かされるな」
これ以上はもう興味がないと言いたげに、帝野は口を閉ざす。
しばらくして、見慣れた駅前に出る。
電車が通る鉄橋の下にあるファミレスへと、帝野が入っていく。見上げると、よくあるチェーン店のファミレスだった。
まだ夕方になったばかりだからか、店内の空席が目立っていた。学生の姿もあるが、主婦らしきグループも座っている。
店員に案内された帝野の座る席に、優人も遅れて座る。
「帝野さんはよく来るの?」
「夕食はここで食べることが多い」
「外食するなんて、意外だね」
「料理をしないからな」
昼休憩の時に飲料ゼリーを飲んでいたことを思い出す。もしかしたら、あまり自炊はしないのかもしれない。
タブレットを素早く操作した帝野は、優人に手渡す。
じっくりとメニューを見ながら注文したのは、一番安いドリンクバーのみ。
家に帰ったら晩御飯があるからという理由もあるが、多少食べてしまうと、空腹に耐えられなくなる。
金欠になりそうな優人は、スーパーで買ったガムを毎日食べて、なんとか空腹を誤魔化していた。
「情報共有って、何を話すんですか?」
テーブルの横にタブレットを置くと、優人は尋ねる。
「少し待て。注文が来てから、防音の結界を施す」
「結界って、本当に何でもできるんですね」
「当たり前だ。私の権能はレベル四だからな?」
帝野の口から出た聞き馴染みのない言葉に、優人は首を傾げる。
「まさか、知らないのか?」
能面のように貼り付けた帝野の表情が、驚きで少し崩れる。
「はい。権能者? には最近なったので」
「……たしかに、お前が犯人である可能性は低いな」
なぜか馬鹿にされているような気はするが、犯人から遠ざかるのであれば、とりあえずはスルーする。
わずかに漏れ出た驚きが消えて、帝野がいつもの無表情に戻る。
「権能にはレベルがある。一から五まであり、五に至ることで魔王の力を継承できる」
優人は自分の右手を見る。その説明で行くと、優人のレベルはまだ一なのだろう。
「一はまだ魔力をコントロールし始めたばかりで、徐々にレベルを上げることで、権能の射程範囲や効果を強くしていくことができる」
「どうやってそのレベルを上げていくの?」
「どの権能を得たかによるが、基本的には権能を使い続けることで強力になっていく。まるで筋肉のようにな」
丁寧に説明してくれる帝野に感謝する。どこかの魔王様とは大違いだ。
「だが、一つだけ例外がある。それが暴食の権能だ」
「どういうこと?」
窓から差し込んでいた太陽の光が雲に遮られる。
わいわいと騒がしい店内の中で、優人たちの席だけが、どんよりとした雰囲気が漂っていた。
「暴食の権能はあらゆるものを喰らうことができる。魔力はもちろん、相手の権能さえも」
優人は改めて自分の右手を見る。指先がわずかに震えていた。
「悪魔の爪が結界を切り裂いたのは覚えているか? 以前、私を襲った悪魔は結界を破れなかったのだが、次に襲われた時には結界を破る力を持っていた。短時間でレベルが上げられるほど、権能は簡単ではない。だからこそ、暴食の権能者を疑ったのだ」
優人の脳裏に、一つの最悪な想像が浮かび上がる。
「帝野さん、もしよければ小さな結界を目の前に出してくれる?」
「……なぜだ?」
「ちょっとだけ試したいんだ。お願いします」
わずかに眉根を寄せながらも、帝野は目の前に小さな結界を展開してくれる。
優人は黒い右手の指先で、そっと結界に触れる。それだけで、結界は粉々に砕け散った。
外れてほしかった予想が当たってしまい、優人は全身に鳥肌が立つ。
あれほど修行しても壊せなかった結界が、簡単に壊すことができている。原因は分かっている。あの悪魔の力を喰らったからだ。
右手が喰らった権能をコピーし、自分の力にしたのだ。
自分に宿った力の恐ろしさに恐怖する。仮に、仮だが、千影を食らってしまえば、あの黒い蛇を操ることもできるのだろう。
無尽蔵に膨れ上がる右手の力に、優人はどうしたらいいのか分からなかった。使いたくなくても、悪魔に命を狙われたら、どうしようもない。
しんと静まり返ったテーブルに、店員がチキンのソテーとサラダのセットを持ってくる。
鉄板の上で音を立てて焼かれるチキンの香ばしい匂いが、優人の鼻口をくすぐる。いつもなら空腹になるところだが、帝野の話のせいか、全く食べる気にならない。
それどころか、お腹の中に石が詰まったような気持ち悪さがあった。
「まあいい。話を戻すぞ」
優人の異変に気づかないまま、帝野がフォークをチキンに突き刺す。鉄板とフォークがぶつかる音が響いた。
「お前が犯人ではないのは、昨日やさっきの言動で理解した。だから、お前に聞きたい」
チキンを食べながら、帝野が周囲に結界を展開していた。周囲に聞こえないようにするためだろう。
「お前以外に暴食の権能を持っている人物はいないか?」
「いないと思います。千影さんも僕以外に、配下はいないと言ってましたし」
「それなら、千影様がネム様を狙っている可能性は?」
帝野の問いに、優人は首を傾げる。
「あり得ないですよ。だって、悪魔は千影さんも狙ってたんです。簡単に撃退してたけれど」
「自作自演という可能性もあるだろう」
「そんな遠回しなことをする人じゃないですね。千影さんの性格を考えると、直接狙うだろうし」
「普通ならな。だが、魔王同士はお互いに殺し合わない協定を結んでいる」
「だから、悪魔を操って狙っていると」
チキンを食べ終えた帝野がサラダを食べ始める。規則正しく同じペースで食べ続けていて、本当にロボットなんじゃないかと思えてくる。
「そもそも、ネムさんを狙う理由は?」
「夢現の魔王であるネム様は、複写世界の最初の魔王。その権能は『想像したことを現実にする』力だ」
平静を装いながらも、優人は内心驚いていた。普通の権能者ではないとは思っていたが、まさかあんな小さな女の子が魔王だなんて。
「魔王の権能を継承するには特殊な儀式が必要で、魔王から権能を分け与えられた配下にしか行えない」
「だから、その力を奪うことができる暴食の権能者を疑っているんですね」
全てを平らげた帝野が、紙ナプキンで口元を拭う。
「それで、お前には協力してほしいと思っている」
「協力?」
「ああ。ネム様を一緒に守ってほしい」
「正直に言いますけど、僕はロクに戦えませんよ。それに、同じ配下の人にお願いすればいいんじゃないの?」
「そう簡単な話ではないのだ……」
はっきりと喋っていた帝野が、固く口を閉ざす。
「それに関しては、私から言うね。空ちゃん」
突然、帝野の隣にネムが現れて、優人はビクッと体が反応する。
全く音や気配はなかった。瞬きをした時には、最初からそこにいたようにネムが座っていたのだ。
空間の歪みから現れた可能性はあるが、蜃気楼のような現象は見えない。これが、夢現の魔王の力なのだろうか。
「私がお願いしたんです。空ちゃんを助けてくれたあなたなら、信用できると思って」
「僕、ですか?」
ネムが何度も頷き、灰色に近い長い髪が激しく波打つ。
「私には、配下が一人もいないんです」
「帝野さんは違うんですか?」
「私は正義の魔王の配下だ。協定を結んだ時の条件で、正義の魔王の配下を護衛につける約束をしている」
ネムへの質問に、帝野が代わりに答える。
「夢現の魔王は継承させたい相手以外には、配下は作らないんです。夢現の権能を取り合って争わないように」
「たしかに、悪用されたら危ないですもんね」
「そうです。私の権能は、簡単に現実を変えてしまう。だからこそ、夢現の魔王の後継者は慎重に選ばないとダメなんです」
年下のように見える女の子が背負う重圧に、優人は言葉を失う。
「ネム様の力は、敵以外にも狙う人物はたくさんいる。それこそ、魔王も。だからこそ、部屋の外にも出ることはできない」
「え、でも……」
優人が視線を投げかけると、ネムが寂しげに笑う。
「これは権能で作り出した分身なんです。私の本体は秘密の部屋にいて、そこで一生過ごすんです」
ネムがテーブルに置いた更に触れようとして、するりと通り過ぎていた。
実体としては認識できているのに、本当はそこには存在しないのだ。それを実感した優人が帝野を見ると、静かに頷く。
「私は結界で守ることはできるが、敵を捕まえることができない。それでは、ずっと悪魔に襲われ続けることになる」
「ぼ、僕じゃなくても、千影さんの方がーー」
「協定を結んでいるため、魔王同士は基本的には干渉できない。だから頼む。暴食の力を持つお前に協力してほしい」
頭を下げる帝野に対して、優人はすぐに返事はできなかった。
いくら暴食の力を持ってると言えども、優人はただの高校生だ。悪魔と遭遇するたびに震えているようでは、とても頼りにならないだろう。それに、ネムを必ず守れる保証はない。
けれど、ネムを見ていると、脳裏には従姉妹の顔が思い浮かぶ。二人は外見や性格は全く似ていないが、同じ境遇のように感じた。
だからこそ、優人は見捨てることができない。彼女を見捨ててしまうということは、結弦を見捨ててしまうということだから。
「……分かりました。やるだけは、やってみます」
緊張した面持ちのネムが、安堵したように満面の笑みを浮かべる。
「でも、千影さんにも協力してもらうよ。僕だけじゃ、勝てる見込みはないし」
「だが、彼女は……」
「分かってる。けど、そこは僕に考えがあります」
それでも怪訝な顔をする帝野に、優人は違和感を抱く。
「千影さんのことをかなり警戒してるけど、何かあるんですか?」
優人が尋ねると、帝野がネムの方を見る。
何か言いづらそうな顔をしていたネムが、優人をまっすぐに見る。
「先代の暴食の魔王には配下が二人いて、その一人が千影ちゃんなんだけど」
言葉を区切った後、ゆっくりとネムが口を開く。
「もう一人を喰い殺して、魔王の座を奪ったんだって」




