第二話 暴食の権能⑤
「帝野さんも、悪魔に襲われたんだ」
複写世界に戻った優人は、廃工場を出て、帝野が襲われている学校へと向かっていた。
隣には、白と黒のドレスを見に纏う少女ーーネムがロングスカートの裾を持ちながら、足早に歩く。
「はい。空ちゃんが私の部屋を出て、すぐ襲われたんです」
「その悪魔、お前を狙ってたんじゃないのか?」
肩越しに振り返ると、黒い蛇の頭に乗った千影が後ろをついてきていた。
「千影さん、僕たちも乗せてくれませんか? そのほうが早いですし」
「お前の右手と同じで、私以外が触ると死ぬぞ。第一、あんまり助ける気は起きないしな」
「なんで、そんなこと言うの⁉︎」
ネムが頬を膨らませて、バタバタと手を振る。子供が地団駄を踏んでいるように見えた。
「私たちは閉じ込められたんだぜ? なんで、そんな奴を助けるんだよ?」
「それでも、助けに行かない方が後悔するので」
間髪入れずに答えると、千影が黙り込む。不満そうに言ってはいたが、その表情は悪戯が成功したような笑みを浮かべていた。
この答えを待っていたような気もするが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
実際、千影の言う通りだとは思う。
結界のせいで数日も閉じ込められたのだ。そのせいで、テスト勉強は全く進まないし、千影に無理やり修行させられる羽目になった。
だけど、駆けつけた時のネムの顔を思い出す。
助けを求める必死な顔には、どうしても弱い。酷い目に遭わされたことへの不満よりも、見捨てた時に彼女が悲しむほうが、優人は嫌なだけ。ただ、それだけだ。
「ありがとうございます! 神凪さん」
「いえ、別に」
大きな丸い目に涙を溜めながらお礼を言うネムに、優人はそっけなく返事を返した。
そんな様子をニヤニヤと笑う千影の視線を無視して、住宅街を抜けると、見慣れた校舎が見えてくる。
近づくにつれて、何かが衝突する音が漏れ聞こえていた。既に、帝野が戦っているのだろう。
「とりあえず僕が行くので、ネムさんはここで待っててください」
「なんで⁉︎ 私だって戦えるよ」
「そうかもしれないですけど、ネムさんに何かあったら、それこそ帝野さんに怒られるので」
「その方がいいだろうな。暴食の権能を持っているなら、お前が喰われたらやばいしな」
「で、でも」
「許可されてない権能は使えないから、私たちを呼んだんだろ? だったら、大人しくしてろ」
黒い蛇の頭から降りた千影の言葉を否定できず、ネムが悔しそうに頬を膨らませる。
「絶対に助けますから。ここで待っていてください」
「……うん。分かった」
ネムを置いて、優人と千影は玄関に入る。教えてもらった四階の空き教室まで、一気に階段を駆け上がる。
「一応確認しますけど、一緒に戦ってくれるんですよね?」
隣で廊下を並走する千影に尋ねると、ニヤリと笑みを浮かべるだけだった。やはり、戦う気はないらしい。
「結界を簡単に破壊できる悪魔ですよ。僕が死んじゃうと思うんですけど」
「大丈夫。今のお前なら絶対に勝てる」
自信満々に言い切る千影に、優人は呆れて声も出なかった。
悪魔を撃退できたから大丈夫だと思っているのかもしれないが、悪魔の攻撃が単調だから、優人の右手で防ぐことができたのだ。
今度は複数の悪魔を相手にしなければならないのだ。今まで喧嘩もロクにしていない優人では、殺される未来しか見えない。
「そんなに心配すんな。お前は暴食の権能を持ってるからな」
「……そうですね」
そんな簡単じゃないと言いたかったが、今は帝野を助けることに集中する。
帝野と合流して、結界を使って攻撃を防いでもらい、その間に逃げよう。ネムさんに頼まれて助けに来たと言えば、流石の帝野も協力してもくれるだろう。
段差に躓きながら、なんとか四階にたどり着くと、空気が揺れるほどの衝撃が優人に伝わってきた。
足がすくみそうになるも、勢いのままに廊下を出ると、悪魔の群れに囲まれた帝野へと突っ込む。
「なぜ、神凪がここに」
傷一つない帝野の顔は、驚きの色に染まっていた。手は悪魔たちに向けられていて、結界を展開している。
その結界も、悪魔たちの絶え間ない攻撃で今にも壊れそうなほど崩れていた。
考えるよりも先に、優人は帝野の前に飛び出す。
結界が崩れ、悪魔の大群が一気に迫る。
さっきまで考えていた作戦が吹き飛び、優人は黒く染まった右手を悪魔たちへと向ける。
鋭い爪が振り下ろされて、優人の右手に触れる。それだけで悪魔の腕が消え去った。
悪魔が恐れ慄いて足踏みしている間に、優人が黒い右手を掲げる。
「歩でも近づけば、あなたたちを吹き飛ばしますよ」
優人の言葉が廊下に響く。
だが、悪魔たちには意味がなかったようで、怒りの雄叫びを上げる。
悪魔の凶暴な姿が迫る。
当たれば確実に死ぬ鋭い爪が振り下ろされ、数センチ手前に展開された強固な結界に防がれる。
「ぼーっとするな。次が来るぞ」
「は、はい」
後ずさる優人を殺そうと、結界を叩き続ける悪魔の群れ。
壊されるたびに帝野が結界を展開するが、悪魔の群れが突破するのも時間の問題だ。
「ど、どうしたらいいですか?」
「その腕で悪魔たちを殺せ」
「で、できないです!」
「……なら、もういい! そこでじっとしてろ!」
呆れるように叫んだ帝野が、両手を悪魔たちの群れに向ける。
悪魔の群れを囲うように展開された結界は収縮していき、巨大な体が潰されていく。
優人の視線の先で小さな箱になった結界は、悪魔たちの肉塊で黒い。
そのまま微塵も残さず、結界が消滅する。
その場で優人が崩れ落ちると、息を切らした帝野に睨まれる。
「なぜ、暴食の権能で悪魔を殺さなかった?」
「そう言われても……」
「あの怪物を見逃せば、再び襲われる。そうなれば、今度は死ぬかもしれないんだぞ」
帝野の冷たい瞳に射抜かれて、優人は何も言えなくなる。
今までの戦いも、優人は最後のトドメをさすことができなかった。答えは簡単だ。悪魔とはいえども、傷つけることが嫌だったからだ。
獰猛な顔をしているが、悪魔たちの表情には意志があるように感じて、右手を振るうのを躊躇してしまう。
それに、誰かを傷つけることは極力したくなかった。だからこそ、優人は先に脅し文句を言って、ビビらせようとしていたのだ。
「空ちゃん!」
ネムの声が聞こえて、帝野は興味が失せたように優人から視線を外す。抱きついてきたネムを、帝野が優しく受け止めていた。
「良がっだ。良がっだよ~」
助かったことに安心したようで、ネムの色素の薄い目からは涙が流れていた。躊躇したように、帝野が弱々しく抱き返す。
「私のためでも、無闇に権能は使ってはダメです。あなたの魔力は複写世界に強く影響するのですから」
「だって、心配だったんだもん」
「……申し訳ございません。心配をおかけして」
お互いに抱き合う姿を見て、優人は力無く笑う。帝野には怒られてしまったが、なんとか間に合って良かった。
「最初にしては、なかなか良かったんじゃないか」
いつの間にか、千影が隣に立っていた。四階にたどり着いてからは存在を感じなかったが、密かに見守っていたらしい。
「どうですかね。帝野さんには怒られましたし」
「たしかに、自分の命を狙った悪魔を見逃すのは驚いたけどな」
「……やっぱり向いてないですよ。僕には」
今回のことで改めて思った。優人は争いごとには向いていない。
右手の権能を使うたびにためらうようでは、悪魔に殺されるだろう。実際、帝野の結界がなければ死んでいた。
「でも、お前のおかげで助けられたんじゃねえの?」
「そうだったら、嬉しいですけど」
「おい、神凪」
千影と話していた優人が顔を上げると、帝野がいつもの無表情で見下ろしていた。
「ネム様から話は聞いた。お前は犯人じゃない可能性が高い」
「どう見たって、犯人じゃねえだろ」
「いえ、まだ共犯の可能性があります。さっき悪魔を見逃したこともあるので」
帝野の冷静な言葉に、千影がふんと鼻を鳴らす。
「だが、私を助けてくれたのも事実だ。だから、お前を信用して、私の情報と共有したい」
「大して情報は持っていないですよ」
「そうかもしれないが、お前が犯人でないことを証明することにもつながる」
そう言われてしまったら、行くしかなくない。優人としても、早く犯人じゃないと分かってほしいので。
静かに頷くと、帝野の腰に抱きついているネムがボソリと呟く。
「千影ちゃんは来ないでね」
「はあ⁉︎ なんでだよ⁉︎」
「だって、いじわるするんだもん」
殺気の籠った目で千影が睨みつけると、ネムが帝野の背中に隠れる。
「それは私も賛成です。万が一、千影様が敵であった場合、私では対処できないので」
千影が不服そうに唇を尖らせる。
「お願いしますね。千影様」
「へいへい。分かりましたよ」
珍しく素直に従う千影に違和感を持ちながらも、優人は明日のことで頭がいっぱいになった。




