第二話 暴食の権能③
「ねえ、どこに行くんですか?」
「……」
「せめて、何か言ってくれませんか?」
「……」
優人の声に反応することなく、帝野は全く同じ動きと速度で歩き続ける。放課後に学校を出てから、ずっとこうだった。
何度か無実だと説明するが、全く聞く耳を持ってくれなかった。このまま敵だと疑われれば、優人だけではない。周囲の人まで迷惑がかかってしまうかもしれない。
一度は逃げようとも思ったのだが、同じクラスなので、逃げても意味はない。それに千影と同じように目をつけられてしまうのは避けたい。
夕焼けの空を見上げながら、優人はどうすればいいのだろうと叫びたくなった。
一度も立ち止まることなく迷いなく歩いているので、帝野にとっては見知った道らしい。
学校や住宅街のある地域から離れるにつれ、工場のような建物がちらほらと増えてくる。見たこともない場所で、徐々に心細くなった。
何度呼び掛けても反応はないが、千影は助けてくれるのだろうかと不安が募った頃、ようやく帝野が足を止める。
そこは、工場の跡地だった。過去に使われていたのだろうが、今は所々が錆びていて、忘れられた印象を与える。
わずかに開いたゲートに細い体を滑り込ませて、帝野は中へと入っていく。恐る恐る、優人も後に続く。
工場の中は砂埃が舞っていて、手で口を覆う。特にアレルギーはないはずだが、鼻がむず痒くなってきた。
首が痛くなるような高さの天井を見上げていると、足元に転がったネジを蹴飛ばしてしまう。甲高い金属音が大きく響き渡った。
もしかして、周囲に帝野の仲間が隠れていて、集団リンチされるのではないかと怖くなってくる。
そんな優人の様子を知らず、どことなく薄暗い工場を歩いていた帝野がやっと振り返った。
長く歩いた疲れは全く見えず、いつもと同じ人形のような無表情でじっと優人を見つめる。
「何回も言ってますけど、本当に僕は違うんです」
優人の声が、廃工場に虚しく響く。それでも帝野の顔は微動だにしない。
「魔力や権能? っていうのは昨日もらったばかりですし、使い方すら分かってないんです。そもそも、僕も悪魔に襲われた側で」
「…………」
「だから、その……」
帝野の無機質な瞳は見返すだけで、優人の言葉が全く届いていないことを理解させらされた。今更、何を言っても帝野の気持ちは変わらないらしい。
どう伝えたらいいのか悩ませていると、帝野がゆっくりと右手を上げる。
何かの合図のようだと思った瞬間、遠くで鳴いていたカラスの鳴き声が消え、工場の外の音が完全に途絶えた。
身構える優人の目の前で、帝野が静かに口を開く。
「今までは、同じ学校には権能者はいなかった。今日、初めて感知したのがお前だった」
「それじゃあ……」
「神凪の言うことは真実に聞こえるが、私が感知できないほどの手練れの可能性もある」
帝野の冷たい視線が優人を射抜く。
「だから、お前を結界の中に閉じ込める」
優人は思わず息を呑む。帝野の目を見て、本気だと確信する。
「結界に閉じ込めている間に、怪物に襲われたら、お前は犯人ではない。だが、もし襲撃がなければ……」
「僕が犯人ってこと? じゃあ、いつまで閉じ込められるの」
優人の問いには答えず、帝野が工場の入り口へと踵を返す。これ以上は話すつもりはないらしい。
慌てて帝野を追いかけようとしてーー見えない壁が額にぶつかる。
何度も透明な壁を叩くが、全くびくともしない。その間にも、帝野の後ろ姿は小さくなっていく。
「ちょっと待ってよ。ねえ!」
優人の声は一度も届くことなく、帝野の姿は見えなくなった。
これ以上透明な壁を叩いても無駄だと思い、優人はスマホを取り出す。
一刻も早く誰かに助けを求めようと思ったが、この状況をどう説明すればいいのだろうか。誰にも見えない壁に閉じ込められたと言ったところで、誰も本気にはしてくれない。そもそも、友達が少ない優人には呼び出せる相手がいなかった。
唯一呼べそうなのは叔父の守だが、上手い説明が思いつかない。完全に詰んでしまっている。
「そうだ、千影さんならこの結界から脱出できるかも」
「なんか呼んだか?」
振り返ると、最初から廃工場にいたように長い黒髪の千影が立っていた。
「千影さんならこの透明な壁を破壊できますよね」
「まあな」
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
縋るように優人が見つめると、千影が難しい表情をしながら両腕を組む。
「……そうだな。やっぱりそうするか」
何か思いついた千影が、優人を手招きする。
特に不思議に思うこともないまま、大人しく千影の近くまで来ると、足元の影が大きく広がる。優人の影すら覆い隠すほどの大きな影から、現れる黒い蛇。
黒い蛇は空中を這うように動くと、優人の首へと噛み付く。
反射的に体がビクッと跳ねるが、全く痛みはない。首を掴まれているような感覚だった。
驚きで言葉を失った優人はそのまま黒い蛇に持ち上げられる。まるで餌のように扱われている優人を見上げて、千影がニヤリと笑みを浮かべる。
昨日会ったばかりの優人だが、この笑みは知っている。ロクでもないことが起こる予兆だと。
「今から、お前に権能の使い方の修行をする。魔王になるためには必要だから、真剣にやれよ」
「ちょっと待ってください。そもそも、僕は魔王になるなんてーー」
「問答無用!」
千影の隣の空間が揺らいだかと思えば、躊躇なく入っていく。もちろん、影の蛇に噛まれた優人も共に。
全身を不思議な感覚が襲った後、そこは先ほどと同じ廃工場だった。だが、ここが元の世界とは違うことを優人は知っている。
その証拠に、先ほどまで差し込んでいた夕日は消えて、辺りは夜のように暗かった。間違いなく、複写世界だ。
影の蛇に優しく地面に下ろされると、優人は全身の力が抜けそうになった。何もかも忘れて、このまま寝転んでしまおうかと本気で考えてしまう。
そんな優人の真意を知らず、千影は意気揚々と宣言する。
「それでは始めるぞ。魔王の修行をな」
❇︎ ❇︎ ❇︎
仁王立ちした千影の影が、液体のように地面に広がっていく。そこから大量に現れる黒い蛇を見て、結弦のラノベで見た八岐大蛇を連想する。
「そもそも、千影さんが出してくれれば済む話ですよね? 別に修行しなくても……」
「出すのは簡単だが、お前のためにならないだろ?」
「僕は今すぐ出たいんですけど」
「出たところでお前が犯人だと疑われるのは変わりないだろ? どうせなら、ここで修行したほうが一石二鳥だ」
全く噛み合わないことに、優人は頭が痛くなる。
「犯人じゃないと説明するためにも、出たいんです。それに、明日も学校があるんです。テストも近いですし、一日休むだけでも置いてかれるんです」
特に、友人がいない優人では、ノートを写すことすらできなかった。渡は授業を真面目に受けていないので、力にはなりそうにない。
「魔王の修行も同じだ。権能者になってまだ一日で、いきなり戦えないだろ?」
「いいんですよ。別に戦いたくないですし」
「何で、そんなに争うのが嫌なんだ?」
「僕は誰も傷つけたくないんです。だから、そんな力なんて、欲しくないんですよ」
優人が答えると、千影は初めて真剣な顔になる。あまりにもまっすぐに見るので、視線を逸らすことを許さない力があった。
「使い方次第では、誰かを守る力にもなる。良隆がそう言っていた。」
「父さんが……」
「優しいだけでは誰も守れない。力がなければ傷つけられてしまうからだ。だが、巨大な力をコントロールできれば、誰かを傷つけないことにつながる」
「それも、父さんの言葉ですか?」
「ああ」
自分の知らない父親の一面が知れて、優人は不思議な気分だった。しかも、それが昨日会ったばかりの女性なのだから、奇妙な縁を感じる。
「結局は結界を出るには、修行するしかない。少なくとも、私はやらないからな」
「……分かりました。修行をします」
説得することを諦めて、優人が準備運動を始める。
これ以上話し続けるよりも、修行して結界を開ける方が早い。それに、優人に宿る権能が暴走してしまえば、誰かを傷つける可能性もある。それを防ぐためにも、力のコントロールはできるようにしたい。
「それで、どうするんですか?」
優人の問いに、千影はニヤリと笑みを深める。
「簡単だ。今から私の蛇が襲い掛かるから、右手で私の力を喰らえ。そうすれば、いつかは結界を開けられる」
「喰らえって言われても。そもそも、力の使い方すら分からないんですけど」
「大丈夫だ。やっていれば覚える」
千影と話している間にも、黒い蛇は増え続け、優人の視界全てを埋め尽くしていた。
「大丈夫だ、死にはしない。右手で防ぎ続けられればな」
本当か疑う優人の目の前で、千影がゆっくりと右手を上げる。
「それでは、始めるぞ」
返事する余裕もなく、優人は背中を向けて一目散に逃げる。勢いのまま、錆びた鉄骨の陰に転がるように飛び込む。
「開始だ」
心底楽しそうな千影の手が振り下ろされたのが見えた直後。
ドゴッーーという轟音が優人の耳を叩いた。
同時に、目の前の鉄柱が凹み、優人へと傾いていく。慌ててその場を離れると、鉄柱が耐えきれずに倒れる。
周囲に砂埃が舞い、優人の視界を奪う。目を細めている間に、砂埃の中を黒い線がほとばしる。
それが影の蛇だと認識した時には、優人の意識は途切れていた。
❇︎ ❇︎ ❇︎
優人が目を覚ますと、家とは比べ物にならない大きな空間が広がっていた。
そこが廃工場の天井で、さっきまで自分が何をしていたのかを思い出して、体を起こす。
黒いライダースーツの魔王が、哀れなものを見るような目で、見下ろしていた。
「全然ダメだな、お前」
「あんなの逃げ切れるわけないでしょ!」
「逃げるんじゃなくて、防げって言っただろう」
「黒い右手の出し方が分からないんですよ。無理に決まってるじゃないですか⁉︎」
普段は温厚な優人でも、流石に叫ばずにはいられなかった。これが修行なのだとしたら、いつまで経っても権能が使えるようになるとは思えない。
「せめて、どうやるのかは教えてください」
「そうだな……使いたいと思えば、使えるようになる」
優人が傷ひとつない右手を見下ろす。
半信半疑のまま、右手が黒く染まるように念じてみるが、全く変化はない。
「さて、優人も目覚めたことだし、もう一回やるか」
「ちょ、ちょっと待ってください。せめて、使えるようになってからで」
「何度も戦って、権能を体に馴染ませていくしかない。良隆も、そうやって教えてくれた」
「脳筋すぎますよ」
不満げに呟いた優人は、千影の足元から広がる黒い影を見ていた。
「それじゃあ、再開するぞ」
何を言っても無駄なのだと理解して、優人は渋々立ち上がる。
このまま座っても、千影の蛇にやられるのなら、少しでも権能が出せるように従うしかない。
再び現れた黒い蛇の群れを見て、優人は力無く笑う。一体、何回繰り返せば身につくのかと考えながら。




