第二話 暴食の権能②
昼休憩のチャイムが鳴る校舎の中を、優人は入っていく。一度も遅刻したことがないので、昼に登校するのは不思議な気分だ。
昼ご飯を食べるために食堂に行くクラスメイトとすれ違い、優人は自分の教室へ向かう。
登校前に昼ごはんを食べているので、優人は食堂にいく必要はない。そもそも、基本的にはお弁当なので、校舎裏でひっそりと食べているが。
どうやって昼休憩を乗り切ろうかと、歩きながら考える。渡がいるなら話ができるだろうが、友達とご飯を食べていることが多いので、多分無理だろう。
「お、優人じゃん」
廊下で歩いていた男子グループの中にいた爽やかな好青年が、優人を見つけて駆け寄ってくる。
「渡くん」
「珍しく教室にいないから、てっきり休みかと思ったぜ」
「そのつもりだったんだけど、体調が良くなったから」
「真面目だな。そのまま休んだら良かったのに」
頭の後ろで両手を組むと、渡が人懐っこい笑みを浮かべる。
「昨日はありがとな。助かったわ」
「別にいいよ。困ったときはお互い様でしょ」
「マジで、お前みたいな友達ができて最高だわ」
自然な流れで優人の肩を叩くと、小気味の良い音が廊下に響く。
「お昼は食べたのか? 良かったら一緒に食べようぜ」
渡の背後にいる男子グループが視界に入る。優人と話しているのを、興味深そうに眺めていた。
クラスで目立つお調子者の渡と教室の隅で座っている優人の組み合わせが不思議なのだろう。体育で同じチームにならなければ、話す機会すらなかったと思う。
「大丈夫。もう食べてきたから」
「そっか。じゃあ、また後でな」
「うん。またね」
男子グループと合流する渡を横目に、再び教室へと向かう。
渡とは高校で仲良くなったのだが、常に一人でいる優人とは違い、渡の周りには友達がたくさんいた。だからこそ、自分ばかりに時間を取らせないように、適度な距離感を保っている。
教室に入ると、優人は解放されたように机に突っ伏す。昨日から、本当に色々なことがあった。
お弁当を食べながら談笑する学生たちの声をBGMに、優人は頭の中を整理する。昼休憩が終わるまで、時間はまだある。
結弦が話していた神隠しの被害者は、複写世界が関わっているのだろう。もしかしたら、死んでいるのかもしれない。昨日の優人のように、突然迷い込んでしまったのなら、消えてしまっているはずだ。千影がいなければ、優人も消えていただろう。
空間の歪みは自然と発生する事象なのかと思っていたが、千影の様子を見るに、ある程度コントロールできるのかもしれない。さっきSNSを調べてみたが、獣の声を聞いた人が何人かいて、神隠しの原因があの悪魔の仕業かもしれないと思い始めていた。
不意に窓の外に視線をやる。雲一つない青空で、いっそ清々しい。
魔王と呼ばれる異能力者。今は千影しか知らないが、強大な力の持ち主であることに変わりない。しかも、その候補として優人が選ばれてしまった。父である良隆の息子だからという理由で。
父親が死んだという事実に、思ったよりも衝撃を受けなかった。あの時は混乱していたなのかとも思ったが、冷静になった今でも悲しさは湧き上がってこない。名前しか知らない近所の人が死んだような感覚だ。
小学生の頃は、会いに来ない父親に腹が立つこともあったが、高校生にもなると、そういうこともなくなっている。正直、父がどういう人だったのかも、思い出せない。そのことが、少しだけ悲しくなる。
「どうした? 神凪」
顔を上げると、帝野がゼリー飲料を片手に話しかけたきた。
「珍しく休みなのかと思ったが、来ていたのだな」
「朝は体調が悪かったけど、もう治ったから」
「そうか」
全く興味なさげに呟く帝野に、なぜ聞いてきたのだろうと疑問に思う。
「帝野さんは、昼ごはんはそれだけなの?」
「ああ。これで十分だからな」
「……お腹空かないなら、別にいいけど」
お昼は数個のパンだけで済ませる優人でも、流石に心配になる量だ。
「あんまり食べないと、すぐに倒れちゃうよ。栄養不足で身長とか体の筋肉量にも影響あるから、成長期には特に気をつけないと」
「……相変わらず親切な奴だな」
呆れるような帝野の視線を受けて、優人は少しお節介だったことに気づき、恥ずかしくなる。
「いや、その……祖母がよく気をつけてくれてたから」
「そうか。良いお婆様なのだな」
「うん、そうだね」
優人が寂しげに笑いながら、呟く。
話すことがなくなり、二人の間に無言の時間が生まれる。その静寂を破るように、優人のお腹が鳴った。
「人のことより、お前の方が食べた方がいいのではないか?」
「昼ごはんは食べてきたんだけど」
急に襲い掛かる空腹に耐えきれずに、優人は立ち上がる。食堂の購買で何かを買わないと、今にも倒れそうなほどお腹が空いてくる。
早く何かを食べろと急かすように、再びお腹が鳴る。
「本当に食べてきたのか?」
「うん。その通りなんだけど」
「ーー権能の影響だな」
心臓が口から出そうなほど飛び跳ねる。
慌てて周囲を見渡すが、教室には学生しかおらず、黒いライダースーツの女性はもちろん見当たらない。やはり、幻聴なのだろうか。
「そこじゃねえよ。右手見ろ」
机の下から右手を出すと、なぜか真っ黒に染まっていた。
「うわぁぁぁぁ!」
悲鳴を上げながら椅子から転げ落ちる優人を、周囲の学生は変なものを見るような目で遠巻きから眺めている。
床にぶつけた肘が痛いが、今はそんなところではない。
ほとんど日焼けしない優人の白い手は、黒い絵の具で塗りつぶされたように真っ黒だった。手の輪郭だけはくっきりと分かるが、爪や肌の質感は全く分からない。
開いたり閉じたりはできているので、どうやら優人の意志で動くらしい。
「何をそんなに驚く?」
右手から千影の声が聞こえて、これも権能という力のおかげだと理解する。この右手の異変を見られたら、流石にやばい。
「……どうした?」
冷静に見下ろす帝野から、右手を体で隠す。
「い、いえ。ちょっとお腹が痛いので、お手洗いに行ってきます!」
周りから見ればお腹を抑えているような格好で、教室を飛び出す。すれ違う学生が何事かと優人を見るが、気にしている余裕はなかった。
この時間帯は廊下やグラウンドには人が多く、一人になるのは難しい。だが、普段は使わない理科室や美術室がある隣の校舎には誰も来ないはず。いつも一人になりたい時に密かに通っているので、間違いない。
二つの校舎を繋ぐ渡り廊下を通り過ぎ、ひっそりとした空き教室の前にたどり着く。
「おいおい。せっかくの学校なのに、誰もいないだろうがよ」
「ちょっと静かにしてください。周りに誰もいないか確認するので」
何度も周囲に誰もいないことを確認して、黒い右手を顔の前に掲げる。
「元に戻してくださいよ」
「それは無理だな。私が操っている間は」
「じゃあ、今すぐやめてください。こんな右手じゃ、勉強もできないじゃないですか」
せっかく学校に来たのに、このままではペンを持つことすらできない。それどころか、同じクラスの人には見られたかもしれないのだ。
「別に勉強なんかしなくてもいいだろ? 魔王になるんだから」
「そもそも、僕は魔王になる気はないです」
「え、なんで?」
「元々、争いごとは苦手なんです。だから、そんな物騒な称号はお断りします」
誰かを傷つけないように慎ましく暮らしているのに、悪魔を簡単に殺せるような力を渡されても、正直困る。
これまで以上に周りに気を遣わなければならないし、日常生活ですら、うっかり力を使ってしまう危険がある。
「助けてもらったことは感謝しているので、魔王になること以外なら全力でやります。なので、僕以外の人に魔王を譲ってください」
「そういうわけにはいかねえんだよ。第一、お前以外に暴食の権能を持ってる奴はいない」
「じゃあ、他の人にも与えればいいじゃないですか?」
「バカだな。そんな簡単に権能者を増やせるわけないだろ。それに、正義の魔王に目をつけられる」
何か問題ごとを抱えているらしいが、余計に魔王になりたくなくなる。
「ともかく、僕は魔王にはなりたくないです。自分には向いているとは思えないですし」
「そんなことねえよ。お前は向いてると思うぜ」
どうしてそんな自信満々に言えるのか、優人は不思議だった。
「自分が死ぬかもしれないのに、他人を助けようとしてるバカは絶対に向いてる」
「それはただ……見捨てるのが嫌だっただけで」
「良隆もそうだったんだ。だから、安心しろ」
これ以上話しても千影を説得できそうにないと気づき、優人は肩を落とす。
どうしたら諦めてくれるのだろうかと、黒い右手を眺めながら考えていると、廊下の奥から帝野が歩いてくる。
やばいと思ってその場を離れようとした時には、帝野の人形のような目がこちらを見た。咄嗟に、優人は右手を後ろに隠す。
「今すぐ元の右手に戻してください」
「断る。久しぶりに現実の景色が見れるんだ。こんなチャンスを逃すわけにはいかないだろ」
「それなら後で見せるんで。お願いします!」
優人が小声で頼んでいる間にも、帝野はまっすぐに歩いてくる。距離が縮まるにつれて、優人の焦りが募っていく。
「本当にお願いします。帝野さんにバレちゃうんで」
「なんだ、バレたくなかったのか?」
「当たり前ですよ。こんな右手、変に思われるじゃないですか」
「そうか? 私はかっこいいと思うが」
背後に隠した黒い右手から聞こえる千影の声を無視して、優人は目の前の帝野を見る。こうなったら背中に右手を隠したまま乗り切るしかないと、腹を括る。
「というか、普通の人には見えないし、私の声も聞こえないぞ」
「……え? そうなんですか?」
「ああ。肉体があるなら見えるだろうが、私は魔力の塊だからな」
そう言うのは早く言ってほしいと思ったが、帝野が目の前にいるので、言い返すことができなかった。
「そこで、何をしている?」
「いや、その、どこのトイレも塞がってて」
黒い右手で頭をかきながら、優人が答える。自然に装うことができただろうかと、心臓がバクバクしていた。
「そうか。大変だったな」
「ううん。帝野さんこそ、どうしたの?」
優人はこの場を離れようと歩き出そうとして、帝野が自分の黒い右手を凝視していることに気づく。
何も映していないような黒い両目が、ゆっくりと優人に向けられる。絶対零度の視線に射抜かれて、思わず後ずさる。
「やはり、その右手は暴食の権能か」
自動音声のような無機質な声には、失望の色が滲んでいた。
「今まで気が付かなかったが、まさか魔王の配下の一人だったとはな」
「も、もしかして、見えてるの?」
「当たり前だ。私も権能者だからな」
空いた口が塞がらなかった。まさか、帝野が自分と同じ権能者なんて想像もしていなかった。
「もう一度聞く。ここで、何をしている」
追求する帝野の視線は鋭く、まるで刃物を突きつけられているようだ。
「別に、何も」
「だったら、なぜ暴食の魔王と話していた? 昨日の襲撃はお前の仕業だったのか?」
「襲撃?」
聞き返す優人に、白々しいと言いたげに帝野が鼻を鳴らす。
「昨夜、悪魔を操って私を殺そうとしただろ? 目的はなんだ。夢現の魔王か?」
「悪魔に襲われたのは、僕たちも同じだよ。夢現? の魔王のことなんて知らないし」
「とぼけるな。それならば、なぜあの怪物が暴食の権能を持っていた?」
「そんなこと、言われても……」
優人には何のことかさっぱり分からなかった。助けを求めるように、黒い右手を見る。
「私にも分かんねえよ。暴食の権能は私たち以外は持ってないはずだからな」
渋々説明する千影は、この状況をどうにかする気はなさそうだ。このままでは、優人たちが犯人にされてしまう。
どうしたらいいのか考えている中、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
「まあいい。どちらにしても、ここでは戦えない」
帝野の視線に気圧されて、動けない優人を置いて、帝野が背中を向ける。
「放課後、ついて来い。逃げようとすれば、主に報告させてもらう。そうなれば、暴食の魔王といえども、ただでは済まない」
いいな、と念押しするように言った後、帝野は教室へと帰っていく。廊下にへたり込む優人の顔は青ざめていた。
「どうにかして、誤解を解かないと」
「あいつの配下は頭が固い奴ばっかりだからな。何を言ったって無駄だと思うけどな」
「そんなこと言ってる場合じゃないと思いますけど……あれ、千影さん?」
右手を見下ろすと、いつの間にか元の白い肌に戻っていた。どうやら、複写世界に戻ったらしい。
遠くから聞こえる足音を聞きながら、優人はこれからどうしたらいいのか途方に暮れた。




