第七話 神凪優人の権能②
校庭の空間の歪みをくぐった優人は、黒い肉塊を前にして頭を悩ませる。
以前見た時と変わらず、肉塊の表面は生き物のように蠢いている。風船のように膨らんでいて、今にも破裂しそうだった。
今の優人の権能では、千影も守も助け出すことはできない。黒い肉塊と共に喰らってしまうからだ。守を助けるためにも、千影を助け出すことを優先する。
そのためにも帝野と連絡を取りたかったが、走っている途中で電話しても出なかった。もしかしたら、着信拒否されているのかもしれない。
正義の魔王が来る前に解決するためには、二人の協力を得るしかない。
優人はスマホを開くと、電波が届かないことを確認する。だが、一つだけ思い当たる方法があった。
「ネムさん、聞こえていますよね? 力を貸して欲しいんです」
優人の声が、誰もいない複写世界のグラウンドに虚しく響く。無意味かもしれないが、この方法に賭けるしかない。
「帝野さんの結界の力があれば、二人を助けることができるんです。ネムさんも、千影さんを見殺しにするのは嫌ですよね」
反応がないことに挫けそうになりながらも、優人は喋り続ける。
「だから、お願いします! 二人を助けたいんです!」
「……二人を助けることなどできるわけがないだろ」
背後からの声に驚き、優人は振り返る。
予想通り、モノクロのドレスを着たネムが立っていた。隣には、いつもの無表情で帝野が佇む。
ファミレスの時もそうだったが、物音一つ立てずに現れたことに、内心ではかなり驚いていた。
「もう関わるなと言っただろ?」
呆れたようにため息をつく帝野の視線を、優人は真っ向から見返す。
「それは無理だよ。二人を助けられるかもしれないのに、何もしないのは」
「どうやって助けるつもりだ? あれから数日が経ったのに何も変わっていないということは、千影様は完全に喰われ、お前の叔父も魔力に耐えきれずに死んだのだろう」
「千影さんはまだ生きてます」
断言した優人に、帝野が怪訝な顔をする。
「どうしてそう思う?」
「本当に食べられたのなら、黒い肉塊が暴走するはずです。実際、渡くんの時はそうだったし」
渡を悪魔が喰らった時も優人の動きに反応して、黒い肉塊から腕が襲いかかった。だが、目の前にある肉塊には全く攻撃する意志は見えない。
「それに、千影さんが黙って喰われるとは思えない。多分、何か目的があるんだと思います」
優人の視線がネムに向けられると、帝野の背中に逃げるように隠れる。
「ネムさんも、千影さんの魔力を感じているはずだから、僕の声に反応してくれたんですよね?」
「そう、だけど」
ネムが伺うように帝野を見上げる。
「前にも言ったように、私の権能でも千影ちゃんを助けることはできないの。使っちゃダメって言われてるけど、そもそも私の権能だと喰われちゃうし」
「でも、帝野さんの結界なら、多少はもちますよね」
「……何を考えている?」
優人が思いついた作戦を二人に説明すると、驚いたように目を見開かれる。
「たしかに、助けることはできるだろうが……」
「死んじゃうかもしれないよ?」
二人の視線を受けても、優人は考えを変えるつもりはなかった。
「正義の魔王が来るまでに、しなければならないんです。だから、お願いします!」
勢いよく頭を下げて、優人が頼み込む。
帝野の結界がなければ、この作戦は成功しない。絶対に説得する必要があった。
だが、優人には説得できるような言葉は思いつかなかったし、考えている時間もない。今、この瞬間に説得して協力してもらうしかない。そのためなら、何でもするつもりだった。
「ちょっと、考えさせてくれ」
顔を上げると、二人から離れた帝野が黒い肉塊を眺めていた。その表情は険しく、考え事をしていることが分かる。
「ねえ、なんでそこまでして助けたいの?」
ドレスの裾を揺らしながら、ネムが不思議そうな顔で優人を覗き込む。
「叔父さんは分かるけど、なんで千影ちゃんをそこまでして助けたいの? 自分が死んじゃうかもしれないのに」
「千影さんだから、じゃないんです。誰かを見捨てることが嫌なだけなんです」
ずっと、自分は無力な人間だと思っていた。誰かを傷つけるのが怖いから、人を助けることで傷つけられないようにしていた。
だけど、そんな自分にも誰かを助けられるような力があるんだと、結弦と千影が気づかせてくれた。
だから、優人は諦めないことに決めたのだ。自分の力を信じてみようと。
「だから、助けたいんだ」
優人が頷くと、ネムはあまり理解していないような顔をしていた。
「空ちゃんが協力してくれなかったら、どうするの?」
「いえ、きっと協力してくれます。だって、無駄な被害が出ないようにしたいはずですから」
できる限りは被害者は増やしたくないからこそ、学校で悪魔に襲われた時に結界を張っていたのだから。
実際、優人が犯人かもしれない時も結界で殺せば済むはずなのに、閉じ込めて犯人か確かめたのだから、そうなんだと優人は思っていた。
しばらくして、帝野が二人の元に戻ってくる。
「本当にいいのか、お前は?」
「何がですか?」
「決まってるだろ。この作戦の要はお前なんだ。以前の時のように、怖気ついたら失敗するぞ」
優人の真意を読み取ろうと、帝野が無機質な瞳で覗き込む。それでも、優人の気持ちは変わらない。
「誰かを殴ったり、怪我をさせるのは嫌です。出来れば傷つけたくないと思ってます。でもーー」
言葉を区切った優人の力強い視線に、帝野はわずかに後退りする。
「千影さんや守を助けたいんです。絶対に」
「……分かった。だが、今日だけだからな」
「ありがとう。帝野さん」
帝野にお礼を言うと、優人は再び空間の歪みの外に出る。
現実に戻ると、スマホで電話をかけた。ある人物を呼び出すために。




