第七話 神凪優人の権能①
黒い肉塊が蠢いているのを眺めながら、帝野が振り返る。
「あれが、お前の叔父なのか?」
「はい。千影さんを飲み込んでから、あんな感じなんです」
複写世界の暗闇の中、そびえ立つ校舎を横目に、優人は力無く答えた。
誰も助けることができず、やっと立ち上がった優人の前に帝野が現れたのは、黒い肉塊が生まれてから、だいぶ経過してからだった。
ネムが千影の魔力が消失したことに気づき、帝野に知らせたらしい。
千影が喰われたことは未だに信じられないようで、帝野の視線は黒い肉塊にじっと向けられている。
「渡の時と同じ状況なら、千影さんと守を助け出せればいけると思うんです」
帝野が来たことで少し落ち着いた優人が尋ねると、帝野が無表情のまま首を振る。
「な、なんでですか? だって、あの時は助けられたじゃないですか?」
「あの時は千影様の力があったからだ。今のお前の力では、あの肉塊から人間だけを助け出すのは無理だろう」
「……」
残酷で正しい帝野の言葉に、優人は何も言い返せなかった。
少しでも可能性があるなら権能を使うのだが、人間だけを取り除くような高度なことはできない。そもそも、オンとオフの切り替えしかできないので、全く役に立たないのだ。
「じゃあ、どうしたら?」
「諦めろ。今の私たちでは、どうすることもできない」
帝野の冷静な言葉に、優人は全身の力が抜けて、倒れそうになる。視界が狂い、今立っている場所が分からなくなりそうだ。
「そもそも、生きているのかも怪しい。普通の人間とは違い、魔力の塊である魔王が喰われたのだ。叔父の魔力と混ざって存在が消えているのかもしれない」
「大丈夫ですよ。だって、魔王なんでしょ」
「魔王でも弱点がないわけではない。それは、お前もよく知っているだろう」
優人の脳裏には、現実に出た千影の姿を思い出す。
複写世界の中では姿を保てるが、現実世界では三十分も持たない。不安定で不確かな存在。
「で、でも、ネムさんの力を使えばいけるでしょ? 彼女の権能なら、助け出せるんじゃーー」
「ダメだ。ネム様の力はそうやすやすと使えないし、こいつに喰われる可能性もある。ネム様が喰われたら、今度こそ誰にも対処できなくなる。それこそ、主でも」
暗に見捨てろと言われ、優人は何かが逆流しそうになり、反射的に口元を抑える。今すぐにでも吐き出したい衝動に駆られた。
「吸収した魔力量に体が耐えきれなかったのだろう。悪魔の体に無理やりつなぎ止めているのだ」
うずくまる優人の肩に、優しく手が置かれる。顔を上げると、いつも無表情な帝野には珍しい、優しい目で見守っていた。
「主が来るまで時間はかかるが、必ず倒してくれる」
「それしか、方法はないんですか?」
「ああ」
何もできない自分に腹が立ち、優人は強く唇を噛む。痛みと同時に、口の中で血の味が広がった。
「後は私たちが対処する。お前はもう関わるな」
帝野が指差したのは空間の歪み。現実へと戻る出口だ。
「千影様がいなくなった以上、暴食の権能はお前のみ。だが、お前は戦いには向いていない。とても、魔王になれる器ではない」
「そ、そんなこと……」
それは、一番優人が理解していることだ。
悪魔と戦った時も、最後のトドメを刺したのは千影や帝野だった。どうしても傷つけることを恐れる優人には、あと一歩が踏み出せない。そんな自分が嫌だった。でも、変えられない。変われないのだ。
千影に魔王に向いていると言われても、未だに信じられなかった。どうして、誰よりも臆病な自分が、魔王に向いていると言えるのか。優しさがあっても、大事な人を救えないのだから。
大人しく優人が空間の歪みへと入ろうとして、一度振り返る。もう二度と訪れない場所を見渡した。
「それじゃあ、後は頼みますね」
頷き返した帝野に心の中で感謝した後、優人は現実へと戻った。
❇︎ ❇︎ ❇︎
「この間から、なんか変だよ?」
千影と守を失って数日後。
結弦のマンションのキッチンで、優人は料理を作る手を止める。振り返ると、椅子の背もたれに体を預けた結弦が半目で睨んでいた。
「そうかな? あ、でも、テストの点数が悪かったからかも。割とショックで」
「父さんのこと何か知ってるんでしょ?」
「……前にも言ったけど、お父さんは出張でしばらく帰らないみたいだよ」
「絶対嘘。お父さんからは何の連絡もないし、デイサービスで出張なんて聞いたことないけど」
めざとく追求してくる結弦の視線から逃れるように、優人はフライパンに集中する。
守が肉塊に取り込まれてから、結弦は買ってきた弁当を食べてしのいでいた。
弁当に飽きて来た頃に一度自分で作ろうとしたこともあるが、手つきが危なすぎて、ここ最近は優人が手料理を作っている。
今日は生姜焼きにする予定で、目の前のフライパンには醤油をベースにしたタレで炒められた豚肉と玉ねぎが入っていた。
テーブルにはスーパーで買ってきたコロッケとサラダが置かれていて、結弦が堂々とコロッケをつまみ食いしている。
「で、何を隠してるの?」
「何もないよ、別に」
手早く炒めた生姜焼きを大皿に乗せる。
そんな優人を結弦が訝しげに見つめる。完全に疑っていた。
「僕がそういうの得意じゃないのは知ってるでしょ? もしそんなに疑うのなら、守さんに電話してみたら?」
「出ないから言ってるんでしょ」
何喰わぬ顔でフライパンを洗う優人の目の前で、勝手にご飯をお茶碗に入れた結弦が食べ始める。
「いただきますを忘れてる」
「……いただきます」
とりあえずは食欲を優先したようで、結弦が生姜焼きに手をつけ始める。
洗い終えたフライパンを食器用の布巾を使って拭くと、優人も席につく。
生姜焼きの味が不安で食べてみる。濃い醤油の味が口内に広がるが、多かったかもしれないと反省する。
「それじゃあ、なんで、そんなに元気ないのよ」
生姜焼きの肉のみを素早く自分の小皿に入れながら、結弦が訪ねる。
「だから、テストの成績が悪いからで……」
「誤魔化さないで。そろそろ本気で怒るよ」
結弦の鋭い視線に射抜かれて、優人は黙り込む。
「何を隠してるの? お願い、教えて」
「……」
早く食べ終えて帰ろうと、優人はご飯をかきこむ。サラダもコロッケも食べ続けるも、一向に満腹にならない。
無駄に大食らいで役立たずな自分に、怒りが湧き上がる。
「私じゃ、頼りにならない? 引きこもりの私じゃーー」
「そんなんじゃない!」
思わず叫んでしまい、慌てて口をつぐむ。
「じゃあ、教えて? 一体何があったの?」
「……別にいいんだよ、僕のことなんて」
「何でそんなこと言うの? 優人は私を助けてくれたじゃん」
静かに箸を置いた優人は、首を振る。
「助けられてないよ。だって……先生にいじめのことを言ったから、結弦は学校に行けなくなったんじゃないか」
「それは、あいつらに合わせるのに疲れただけ。優人は関係ない」
「関係あるよ。先に守に言ってたら、孤立せずに解決できたかもしれないじゃないか。先生に言った時でも、孤立するかもって言えたはずなのに、それなのに僕はーー」
「……まだ、そんなこと気にしてたの?」
「気にするに決まってるだろ。結弦が家から出なくなったのは、僕のせいなんだから!」
結弦の顔を見れなくなり、優人は空になった茶碗を見つめる。
「守にも気にするなって言われたし、いじめを解決してくれてありがとうって言われたけど、全然解決してない。むしろ、悪化させたんだ」
泣きそうになる自分が情けなくて、両膝に置いた拳を痛いほど握りしめる。ここで泣くのは、あまりにも卑怯だ。
ずっと、優人の心には引っかかっていた。自分のせいで結弦は引きこもるようになったのに、守や結弦に感謝される自分が嫌だった。
全部、自分が原因なのに。
「……自分勝手な感情で行動しなければ……結弦を救えるだけの力があれば、引きこもりにならなかったのに」
「無理に決まってるでしょ。優人も私も子供なんだから。それに、優人が言わなかったら、もっとひどくなってたかもしれないじゃない。それをあんたは、いつまでも気にして……」
結弦の声が徐々に震え、湿りを帯びていく。
優人が顔を上げると、結弦の目には涙が溜まっていた。子供の時以来、泣いている姿を見ていなかったので、思わず言葉を失う。
「さっきも言ったけど、あんたは関係ない。それに、学校を休んでることは後悔してないんだから」
「……でも」
「でもも、クソもない! 私がないって言ってるんだから、ないの!」
やけくそ気味に怒鳴られて、優人は黙って頷く。
「どうせ、私が言わないでって言ったのを気にしてるんだろうけど、今は感謝してるの。あのままいじめられてたら、どうなるか分からなかったし」
目から涙が溢れ出した結弦が、優人の顔をまっすぐに見る。
「だから、あんたに力がないんじゃない。あれは、仕方なかったことなの。それなのに、いつまでもウジウジしてるんじゃないわよ! バカ!」
結弦の叫びに、思わず背筋を伸ばす。年下の女の子に情けないとは思うが、幼い頃から叩き込まれたものなので、どうしようもなかった。
優人の顔を、結弦の両手が包む。花の香りのように甘いシャンプーの匂いが、鼻腔をくすぐった。
「誰が何と言おうと、あんたには力があるの! だから、自信を持って」
結弦の手から伝わる暖かさが、優人にも流れ込んでくる。
「分かったら、返事!」
「は、はい!」
優人の返事に満足したようで、結弦がご飯を食べるのを再開する。
未だに温もりが残っているのか、優人は顔に熱を持ちながら、黙々と箸を動かす。
「ちょっとご飯冷めちゃったじゃん」
「ご、ごめん」
テーブルの上にあるおかずから、優人は視線を上げられなかった。結弦と目が合うのが恥ずかしい。
結弦の方も黙ってしまい、気まずい空気が流れる。
味のしないご飯を延々と食べていたが、その空気に耐えきれず、チラリと結弦を見る。
茹でだこのように顔を真っ赤にした結弦が、優人の視線に気づき、睨みつける。
いつもなら結弦に睨まれたら謝るが、なんだか拗ねているように見えて、優人は思わず笑いをこぼす。
「笑うな! こっち見るな!」
「……はい。すいません」
思わず敬語で謝った優人は急いで食べ終える。
すぐに食器を洗うと、シャンプーの匂いを思い出す。
改めて、結弦が女の子なんだと感じて、いつものように接するのが少し気恥ずかしくなった。
後から持って来た結弦の食器も洗い終え、優人は床に置いたカバンを肩に担ぐ。
「もう帰るの?」
「うん。やることを思い出したから」
「そう」
名残惜しそうに俯く結弦を見て、残りたくなるが、そんな自分を振り払うように玄関へ向かう。
「また来るから」
「……分かった」
「あ、一つ聞きたいんだけど……その、僕って優しいと思う?」
優人の質問に、結弦がキョトンとした顔をする。
「当たり前じゃん。あんたほど優しい人はいない。あ、でも……」
結弦がふっと小さく笑う。
「力がないってさっき言ってたけど、私はあると思う。だって、私は優人に救われたんだから」
「……そうかな」
「絶対そう。私以外にも、絶対そういう人がいるって!」
千影の姿を思い出し、気を引き締める。彼女たちの言葉が、胸の中に染み渡り、優人の全身に力が巡る。
結弦に手を振ると、玄関を出る。
夜の暗闇も深くなり、三階の廊下から見下ろす住宅街には街灯の灯りがともっていた。階段を降りてマンションを出ると、急いで学校へと向かう。黒い肉塊が残る空間の歪みへ。
結弦にもらった温もりが、今の優人を動かしていた。夜の住宅街を全力で走り抜ける。
やっぱり、今の自分に力があるとは思えない。結弦には助けてもらったと言われても、優人の後悔は根強く残っている。
それでも、結弦に何度も情けない姿は見せられない。
たとえ、本当に力がないのだとしても、力があると信じて、優人は走り続ける。
目印のように置かれた街灯を横切りながら、優人は空間の歪みへと駆けた。




