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第六話 少年の絶望②

 校庭にある空間の歪みに入ると、全く人の気配がない校舎がそびえ立っていた。まるで廃校になったような雰囲気に、優人は口の中が乾いてきた。


 一人で守に会いにいくことに、心細さを感じる。いつもは千影がいるという安心感があったからかもしれない。


 校舎から視線を外すと、見知った人物がグラウンドの中央に立っていた。


「久しぶりだな、優人くん。結弦は元気にしてるか?」

「守さんがいなくても平気とは言ってますけど、内心は寂しいと思いますよ。一人で家にいるのは」

「そうか。なら、早く帰ってやらないとな」


 寂しげな笑みを浮かべる守に、優人は少し安堵する。


 以前戦っていた時とは違い、いつもの叔父のように見える。あの時は不気味で本当に守なのか気になったが、今はそんな風には見えない。

 これなら説得できると、優人は気合を入れるように背筋を伸ばす。


「本当に彼女は眠ったんだな」


 周囲を見渡しながら、守が口を開く。メッセージには『千影にウィスキーボンボンを食べさせろ』と指示があった。


 最初は意味が分からなかったが、以前にお酒を飲んだことがあると話していたことを思い出し、優人は千影にウィスキーボンボンを渡した。

 まさか、一口で酔い潰れて眠るとは思わなかったが。


「なんで、千影さんがお酒に弱いことを知ってたの?」

「それは一緒に飲んだことがあるから……いや、そんなはずはないよな?」


 守が不思議そうに首を傾げる。


「あれ、じゃあ、何で俺は知ってたんだ?」

「……それが権能を手に入れた影響だからじゃないんですか」


 智久という人間の権能を使っているから、影響を強く受けているのだろう。だからこそ、千影がお酒に弱いことも知っていたのだ。


「そう……なのかもな。いや、一緒に飲んだことがあるような気も」

「それで、いつから権能者になったんですか?」


 これ以上追及すると再び攻撃されるかもしれないと思い、話題を変える。


「一年前かな。ある日突然、悪魔に襲われて、権能を与えられたんだ……そうか、その時に智久の記憶が流れ込んできたのか」


 一人で納得する守に、優人は質問を続ける。


「その力を使って、千影さんやネムさんを狙った理由は? 守さんは、そんなことをする人間じゃなかったはずだよ」

「そんなことはない。俺だって、他人を蹴落とすぐらいはする。……だよな? え、そうだよな?」


 情に訴えかけようとするも、守には響いている様子はなかった。それどころか、優人の話ですら、まともに聞いているのか怪しい。


「それなら、どうしてこんなことを……」

「そんなの決まってる。結弦のためだよ」


 はっきりと言い切った守と視線が合う。やっと元の叔父が戻ってきたように感じた。


「この力は相手の権能を奪うこともできる。だから、夢現の魔王の力を奪い、結弦をもう一度学校に行かせるんだよ。全員の記憶を操ってな」

「そんなことをして学校に行っても、結弦のためになりませんよ。第一、急に態度を変えられても、結弦は違和感を……」


 優人は途中で言葉を失う。いや、そんなはずはないと思いながら、守が行おうとしていたことを口に出す。


「まさか、結弦の記憶も消すつもりですか? いじめられていた記憶を」


 何も言い返さない守を見て、想像が正しかったことを確信する。


「そんなこと、許されるわけがないでしょ。結弦自身が学校に行きたいなら分かるけど、そんな方法でーー」

「だったら、今のままでもいいっていうのか?」


 悔しそうに唇を噛み締めながら、守が優人を睨みつける。


「あの子が苦しんでいる姿を見てただろ? それなのに、このままでいいっていうのか!」


 初めて見た守の怒りに、優人は動揺して何も言えなくなる。


「だから、やり直させてやるんだよ。今度こそ」

「だ、だからって、他の人を傷つけていいはずがないでしょ」

「そんなのは綺麗事だ」


 疲れたように笑う姿を見て、優人はやっと気づく。

 温厚で優しそうな表情をしていた仮面が剥がれて、剥き出しの守が顕わになったことに。


 きっと何度も考えていたのだろう。結弦がどうやったら学校に行けるのかを。何度も何度も考えて、苦しんで、導き出した答えがこれだったのだと。


 こんな近くにいた守を助けることができない無力さに、優人は拳を握りしめる。不甲斐ない自分を殴りたくなった。


「妻を亡くした俺には、もう結弦しかいない。あの子を守るためなら、俺は何でもする。それこそ、悪魔に魂を売ることだって」


 もう何も声をかけることができなかった。何を言っても、守には届かないと思い知ったから。自分が話せば説得できるなんて、思い上がりだったのだ。


 言いたいことを言い終えたのか、守がふっと小さく笑う。


「それにしても、優人くんが魔王の配下になるのは予想外だったよ。おかげで、渡くんに監視させやすくはなったけど」


 どうやって帝野や優人が同じクラスなのを知っていたのかと思ったが、渡から聞いていたのだろうと、今更気づく。


「その言い方だと、悪魔が僕を襲ったのは偶然だったんですね」


 千影と最初に出会った時を思い出す。

 悪魔が優人を捕まえたのは、千影を倒すための魔力補給のためなのだろう。暴食の権能を持っているならば、可能なはずだ。


「千影さんを狙ったのは、強力な魔力を得るためとネムさんを超える力を得るためのどちらか、ですよね」

「……名探偵みたいな推理力だな」


 守に褒められているのに、全く嬉しくなかった。


 自分の行動のせいで、結弦を苦しめ、守に辛い選択をさせてしまった。それだけじゃない。帝野やネムも命の危険に晒してしまった。

 その後悔が、優人の心を押し潰そうとする。


「それで、どうするつもりだ?」


 今にも吐き出しそうな優人が、視線を守に向ける。


「まさか、俺を止めるつもりじゃないだろうな?」

「……」

「そんなわけないよな。俺を邪魔するってことは、結弦の幸せを否定することなんだからな」


 守の左手が黒く染まっていくのを見て、自分の愚かさを呪う。


 今の優人には守を止める権利はないのかもしれない。けれど、ネムや千影を見捨てることもできない。

 かといって、このまま見逃しても、いずれは千影や他の魔王に殺される。


 後悔や罪悪感が、優人の全身を鎖で縛る。

 こういう時に頼りになる千影も、今頃は眠っている。何も選べない自分が情けなくなった。


「……何やってるんだろ。僕は」


 嘲るように、口の端を上げる。その間にも、守の左手から分離した悪魔が次々と生み出されていく。


「悪いが、暴食の魔王を呼び寄せるための人質になってもらう。抵抗するなよ。痛いからな」


 逃げようにも、優人の足は動かない。

 巨大な影が覆い、顔を上げる。

 悪魔が目の前に立っていて、巨大な手を開く。何の抵抗もしない優人をそのまま掴もうとして、


 ーー横から誰かに突き飛ばされた。


 グラウンドに倒れ込んだ優人の視線の先。複写世界の暗闇でも目立つ、流れるような長い黒髪の女性。


「ち、千影さん」


 いつもと同じ不敵な笑みを浮かべた千影が、守を睨みつける。


「色々と言いたいことはあるが、後にしてやる」

「な、なんでここが……」

「酔いが覚めたから、お前の魔力をたどっただけだ」


 お礼を言おうと口を開こうとして、黒い悪魔が巨大な腕を振り下ろす。少し離れた優人まで届く衝撃を片手で受け止めた千影は、影から飛び出した黒い蛇で悪魔を喰い殺す。


「酒が苦手なのは、相変わらずみたいだな」

「テメエと酒を飲んだ覚えはねえっつうの」


 噛み付くような勢いで言い返す千影を見て、いつも通りだと安心したが、すぐに思い違いだと気づく。


 よく見てみると、千影の顔には大量の汗が滲んでいた。顔色もいつもの透き通った白さを通り越して、青ざめている。


 さっきは悪魔の攻撃をまともに受けていたが、いつもなら黒い蛇の群れで一瞬で殺しているはずだ。

 優人は気づく。千影はまだお酒の良いが抜けきっていないことに。


「す、すいません。僕のせいで」

「これぐらい気にすんな。ちょうどいいハンデだわ」


 平気なように振る舞う千影の声が震えていて、優人は何も言えなくなる。


「ここは私に任せて。逃げろ」

「で、でも……」


 千影と話している間にも、悪魔の群れは増えていく。本気で千影を喰らうつもりだ。


「私が死ぬわけないだろ。お前がここにいた方が、邪魔なんだ」

「……!」


 千影の言葉に、優人は無力な自分が情けなくなる。


「いいな?」


 肩越しに振り返り、千影が不敵な笑みを浮かべる。その瞳には力強い光が宿っていた。


「……分かり、ました」


 後ろ髪が引かれる思いのまま、優人は空間の歪みへと走る。

 背後では何かが衝突する音が、何度もこだまする。

 振り返りたい衝動が押し寄せるも、脇目も振らずに走り続けた。


 ❇︎ ❇︎ ❇︎


 背後の優人が走っていく足音を聞きながら、千影は安心していた。正直、今の調子では守りながら戦えないからだ。


「どうした? よっぽど調子が悪いようだが」

「お前を倒すのには、関係ねえよ」


 吐き捨てるように言い返すも、守は皮肉げに笑みを深めるだけだ。

 やっぱりバレてたかと思いつつ、ズキズキとした頭の痛みを歯を食いしばって耐える。


 さっき目覚めたばかりということもあり、まだ二日酔いは抜けていない。まともに黒い蛇を操作できず、悪魔の攻撃ですら防げなかったほどだ。


 足元から伸びた黒い蛇の群れをぶつけるが、散らばった悪魔を全て喰らうことはできない。次第に、悪魔の数に押し負けていく。


 時間稼ぎすることしかできないが、それで優人を助けられるなら後悔はない。


 良隆に助けられたように、誰かを助けたかった。優人のように誰かのために動けたらいいのだが、生憎そういう性格ではない。

 そんな自分に来たチャンスなのだ。二日酔いで調子が悪いからといって、動かないわけにはいかない。


 悪魔の爪に黒い蛇が切り裂かれるのを眺めながら、肩越しに振り返る。


 空間の歪みにたどりついた優人を見て、安堵した直後、悪魔の体が千影の体を押しつぶす。

 水が入った巨大なゴムに潰されたような気持ち悪い感触に、吐き気がする。

 反射的に黒い蛇を出そうとするが、次々と迫る悪魔の体が覆いかぶさり、操れる隙がない。


 自分の肉体が悪魔の肉体に吸収されていくのを、千影が諦めて受け入れる。優人が逃げる時間は稼いだのだから、もうここまででいい。


 悪魔たちの隙間から、不意に視線を向ける。優人が心配そうな不安そうな表情をしていた。

 まるで一人ぼっちだった過去の自分と重なり、安心させようと不敵な笑みを返した。


 ❇︎ ❇︎ ❇︎


 空間の歪みに入ろうとした優人が、我慢できずに振り返る。黒い肉塊に取り込まれつつある、千影の姿があった。


 千影を助けだそうとして走ろうとした直後、取り込まれていく千影が不敵な笑みを浮かべる。瞬間、悪魔の肉体に飲み込まれていった。


 悪魔の肉体が蠢き、肉塊へと変化していく。

 嫌悪感を抱きつつも、優人は黒い右手を突っ込もうとするが、肉塊から生えた巨大な腕に吹き飛ばされる。


 車が衝突したような衝撃と共に、優人はグラウンドを転がり続ける。

 全身を打ち付けてやっと止まる。痛みのあまり、すぐには立ち上がれない。


 這ってでも近づこうとして、黒い肉塊が不意に動きを止める。まるで千影を消化し終えたかのように。


「かえ……せ。千影さんを、返せ」


 優人が体を引きずっていると、守が苦悶の表情を浮かべる。


「……クソ、何が起こってる」


 歯を食いしばりながら、守が左手を押さえていた。左手の黒が侵食していき、次第には半身まで染め上げる。


 グラウンドに手をついて立ちあがろうとする優人は、守の助けを求める視線に気づく。


 必死に右手を伸ばそうとする優人の目の前で、守の全身が黒く染まる。マネキンのような、黒い人型だけが残されていた。


 微動だにしなかった肉塊の表面が再び蠢いたかと思えば、巨大な腕を伸ばして黒い人型を掴み、引きずり込む。


 周囲に散らばっていた悪魔の体の肉片が、次々に黒い肉塊に集まっていく。やがて、巨大な球体になると、再び動きを止める。

 大事な人を目の前で失った優人は、声無き咆哮を上げた。自分の不甲斐なさに打ちひしがれながら。



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