第六話 少年の絶望①
落ち着いた優人が結弦の家に向かうと、やはり守の姿はなかった。
あの後、すぐに電話やメッセージを送ってみたが、反応はない。完全なる拒絶に、やっぱり夢ではなかったのだと思い知る。
守が置いていったビニール袋をリビングに置くと、結弦に何て言えばいいのか分からず、椅子に座り込む。
守が権能者になったのは、いつからなのだろうか。
いくら記憶の中を探っても、全く分からない。いつもと変わらない物静かに見守る姿しか思い出せなかった。
一昨年、祖母を亡くしてから、優人は一人になった。
今までやってもらっていた家事や買い物と中学受験が重なり、優人の心身は限界を迎えていた。そんな優人を助けてくれたのは、守だった。
家の近くのマンションに結弦と暮らしていて、何度か行くことはあったが、それまで以上に気にかけてくれた。だからこそ、結弦が引きこもりになったことは人一倍申し訳なかった。
結弦がいじめられていることに早く気づいていればと、何度も思い返して後悔した。
自分の身勝手な行動のせいで結弦を傷つけたことは、今でも深く優人の心に刻まれている。
「あれ、来てたの?」
考えに集中しすぎて、結弦がリビングに来ていることに気がつかなかった。
「あ、うん。守さんが今日は帰られないから、結弦と晩御飯を食べてって言われて」
「そうなの? 私は買い物に行ってくるから、待っててって言われたけど」
真顔で聞き返す結弦に、優人は何て答えればいいか悩む。
優人たちに正体を知られた以上、帰ってくることはないだろう。それに、守の仕事には転勤や出張はなかったはずなので、どう誤魔化せばいいか分からない。
「まあ、いいや。もうお腹減ったから、先に食べちゃおう」
「う、うん。そうだね」
いつものように振る舞いながらも、内心では結弦へどう説明すればいいか、優人の思考は堂々巡りしていた。
❇︎ ❇︎ ❇︎
放課後を告げるチャイムが頭上で鳴り響く。だが、優人にとってはどこか遠くのことのように思えた。
席に座り続ける優人の目の前を横切り、同級生たちが教室を出る。呆然と黒板を見つめている間に、優人しかいなくなっていた。
あれから数日経っても、状況は全く変わっていない。
千影は守を探して、複写世界を歩き回っているようだった。何度か訪ねてみても、話を聞いてもらえず、近寄るなと怒られるばかりだ。ファミレスの件で少しは理解できたと思っていたが、やはりそう上手くはいかないらしい。
帝野も最近は学校に来ておらず、休み続けている。正義の魔王への報告が気になって、メッセージを送ってはいるが、返信がない。正義の魔王が動けば守が危ないので、どうなっているのか知りたかった。
どちらも上手く説得することができず、このままでは守が殺されてしまうかもしれないのに、何もできない自分が嫌だった。
窓の外を見ると、夕日が遠くの空に沈んでいく。建物の影が大きく傾いていくのを、優人はただただ眺めていた。
今でも守が自分を殺そうとしたことは信じられなかった。
あれほど優しかった守が、なぜ権能者になったのか。優人以上に、他人を傷つけないように配慮している人が、なぜそんなことをしているのか。
それだけでなく、身近にいた自分にも理解できない一面があったこともショックだった。結弦や守のことは何でも知っているような気がしていたこともあり、衝撃は大きい。
もう一度、守と話をしてみたい。そうすれば、話し合う道があるかもしれないのに。
一向に連絡がつかないことが、もどかしい。
ここ数日、色々なことを考えすぎた疲労が優人の全身にのしかかる。考える気力を失い、思わず机に突っ伏す。
「お前、まだ残ってたのか?」
真っ暗な視界から顔を上げると、教室の入り口で渡が怪訝な顔をしていた。
「渡くんこそ、何してるの?」
「この間まで休んでただろ? 出された提出物をやってなかったから、明日には出してこいって怒られてたんだよ」
不満げな表情のまま、渡が自分の席へと戻る。カバンを持ち上げると、未だに動こうとしない優人の顔を覗き込む。
「どうした? 風邪でも引いてんのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「もしかして、こっち絡みか」
渡が指先から細い糸を出す。
「あれ、まだ使えるんだ?」
てっきり権能も没収されると思っていたので、優人は驚く。
「力を与えた魔王の配下ならそれができるらしいんだが、俺は違うだろ。だから、帝野の監視の元で権能を使うのはオッケーになった」
「いいの? 今、帝野さんがいないのに」
「大丈夫だって。バレなきゃいいんだからよ」
全く悪びれることなく答える渡の図太さに、優人は苦笑する。そこが渡のいいところなのかもしれないが。
「何か困ったら言えよ。お前は命の恩人だからさ」
「別にいいよ。当然のことをしただけだし」
「そんなことないだろ。お前がいなければ、俺は死んでたんだから」
眩しいほどにまっすぐな言葉に、優人は少し励まされる。
そうだ。落ち込んでいる場合じゃない。守を助けるには、少しでも何かしないと。
「ありがとう。何かあったら、相談するよ」
「おう、それじゃあな」
颯爽と教室を出る渡を見送った後、優人は立ち上がる。
こんなところで項垂れている場合じゃないと、教室を飛び出そうとして、ポケットのスマホが振動する。
スマホを見ると、守からのメッセージが表示されていた。『今晩、五色高校の複写世界で待つ。入り口はグラウンドにあるから、一人で来てほしい』と。
思わず、窓際まで近寄って、校庭を見下ろす。
外周を走り回る野球部や、コーンを使った練習をしているサッカー部。それらの誰もが気づかない、空間の歪みが校庭の真ん中にあった。
いつの間にあったのか、全く気がつかなかった。その奥に守がいるような気がして、今すぐにでも行きたくなる。
すぐに返信しようとして、優人は操作する指を止める。
一人で来てほしいということは、優人と話したいということだろう。だが、優人の黒い右手に宿った千影なら、こちらを見ることができる。そうなれば、話す間も無く戦いに発展するだろう。
どうしたらいいか悩む優人のスマホに、再びのメッセージ。
その内容を見て、優人の思考が停止する。なぜ、そんなことを知っているのかと。
この方法を使えば千影の目を盗んで、守と会えるだろう。だが、こんなことをすれば、後で千影に怒られるのは間違いない。それどころか、信用を失くすかもしれない。
守を説得できるチャンスに、優人は迷う。だけど、今日を逃すわけにはいかない。それに、説得できれば、誰も傷つかずに解決することができるのだから。
大丈夫。絶対に大丈夫。自分を信じよう。
動揺を悟られないように深呼吸すると、優人は意を決して呼んでみる。
「千影さん、いますか?」
「……」
「千影さん」
右手に話しかけてても、全く反応がない。それでも粘り強く呼びかけると、右手が黒く染まっていく。
「何だよ。言っとくけど、お前の叔父だろうが、見逃すわけにはいかねえからな」
「そ、そのことじゃなくて。千影さんの力になればと思って、食べ物を用意したんです」
「……急に何だよ。変なやつだな」
疑いつつも、その声音には喜んでいるように跳ねていた。その嬉しそうな反応に、優人の罪悪感が刺激される。
「結弦の家にあるので、取りに行きますね」
「どんな食べ物なんだよ。それは?」
「えーっと……チョコレートですね。特別な」
「ふーん、まあ、一回食べてみるか」
千影の興味津々な声に気が重くなりながら、優人は廊下を駆け出した。




