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第五話 協力者の正体

 軽くなった財布をカバンに入れて、優人はファミレスを出る。店に入った時より空は暗くなっていた。


 駅前には、大学生らしきグループやサラリーマンたちの姿が増えてきている。帰って明日の準備をしようと、足早に住宅街へと向かう。


「お前は本当にお人好しだな」


 住宅街に入り、周囲に人がいなくなったタイミングで、黒い右手から千影の声がした。


 さっきまでの暗い雰囲気は吹き飛んでいて、いつもの調子に戻っている。慣れないことをして良かったと思った。


「それ、よく言われます。特に最近は」

「当たり前だろ。結弦のためにお金使ったり、帝野を助けるためとはいえ、悪魔の前に飛び出したり。あの渡ってやつもそうだ。お前を殺そうとしている奴の仲間なのに、助けようとしやがって」

「千影さんも同じですよ」

「私があいつを助けたのは、智久の情報が知りたかったからだ。まあ、ロクな情報は持ってなかったが」


 不満なようでブツブツと文句を呟く。優人は乾いた笑みしか返せなかった。


「まあ、いいじゃないですか。帝野の協力者で記憶を見てもらえることにもなってるし」

「そういう前向きなところも、本当に良隆にそっくりだわ」


 幼い頃にしか会っていない父親と似ていると言われても、優人はあまりピンとこなかった。


「自分を犠牲にして誰かを助けるのは、お前のいいところだな。誰にもできない、かっこいいところだと思うぞ、私は」


 普段とは全く違う優しい言葉に、優人は顔が熱くなっていた。


「ど、どうしたんですか、急に?」

「なんだよ。褒めるのがそんなに変か?」

「そういうわけじゃないですけど……」


 素直に褒めてくれるので、酔っ払いのようなものだと無理やり思い込む。そうしないと、照れて上手く話せない。


 涼しい夜風で火照った顔を冷やそうと思い、少し遠回りする。


「久しぶりにまともに食べ物を食えたわ。ありがとな」

「あ、あの、少し気になったんですけど」


 このまま褒められ続けたら、いつまで経っても家に帰れない。優人は話題を変えるために質問する。


「以前から疑問だったんですけど、千影さんが食べられないのは変だと思ったんです。他の魔王なら肉体がないので食べれないのは分かるんですけど、喰らったものを魔力に変えるって言ってたから、食べられるんじゃないかなとは気になってて」

「……お前は本当に賢いな」


 絶え間なく襲いかかる恥ずかしさを堪えるために、優人は唇を噛む。


「本当は食べられないんじゃない。良隆が死んでから、食べ物を受け付けなくなったんだ」


 ゆっくりと話す千影の言葉を、優人は黙って待つ。


「割と食べるのは好きだったんだけど、良隆が死んでからは何も味がしなくなってな。魔力は想像力に影響する。私自身が何を食べても美味しくないって思ったんだろうな」


 そんな事情を知らずに食べるのを勧めてしまったことを、優人は激しく後悔する。


「でもな、今日は美味しかった。あの時の味を思い出したからかもしれないが、本当に美味かったんだ」

「それなら、良かったです」

「ありがとうな、優人。お前に助けられたわ」


 全身がゾワっとした衝撃が走る。

 初めて名前を呼ばれたことよりも、誰かを助けることができた嬉しさが胸にじんわりと広がった。


 結弦を助けられなかったあの時から、自分の行動が誰かを傷つけるんじゃないかと思っていた。傷つけないためには、優しくするしか方法が思いつかなくて。

 その過程で自分が犠牲になっても、仕方がないと思った。誰かを傷つけるよりはマシだと、心の底から思っていた。

 だけど、目の前で困っている人がいれば、助けてしまう。助けないで後悔するのも嫌だから。


 だが、今日初めて自分を好きになれそうだった。こんな自分でもいいんだと、少しだけ思えたのだ。


 自分でも誰かを助けられるんだと実感して、涙が出そうになる。

 溢れないように空を見上げると、雲一つない夜空に浮かぶ満月が、優人を暖かく見守っていた。


「もしかして、泣いてるのか?」


 千影に言われて、慌てて目元を拭う。


「違います。ちょっと花粉症で」

「嘘つくなよ。泣いてたんだろ?」

「違います。花粉症です」


 我ながら苦しい言い訳だと思うが、素直になれなかった。恥ずかしさもあったが、千影に心配をかけたくなかったのだ。


「あれ、優人じゃないか?」


 振り返ると、守が疲れた顔で笑みを浮かべていた。手には大きなビニール袋を持っている。


「それじゃあ、戻るわ」


 元の肌色の手に戻ったことを寂しく感じていると、守が足早に歩いて、優人の隣に並ぶ。


「ちょうど買い物に行っててね」

「そうなんですね。だいぶお疲れみたいですけど、大丈夫ですか?」

「大丈夫。子供たちと接してると元気が出るから」


 たしか、放課後等児童デイサービスという仕事をしていたと、以前に聞いた気がする。


「そういえば、さっき誰かと話してた? 女性の声が聞こえたんだけど?」


 優人の心臓が激しく鼓動する。きっと千影と話していた時のことだろう。いつも通りを心がけながら、答える。


「友達と電話してたんだ。最近のスマホはワイヤレスイヤホンがあるから、電話でーー」


 優人の言葉が途切れる。違和感に気づいたからだ。


「なんで、女性だって分かったの?」

「え、何でって……女性の声が聞こえたからで」


 不思議そうな顔をしている守の顔をまともに見れずに、優人は俯く。

 それはあり得ない。だって、千影の声は権能者以外には聞こえないはずなのだから。


 脳裏に浮かんだ考えが信じられず、思わず足を止める。隣を歩いていた守が数歩先で振り返った。


「どうしたんだ?」

「あ、いや」


 誤魔化すこともできず、優人は言い淀む。いや、そんなわけがない。きっと、自分が勘違いしているだけだ。


 そう思いたいのに、頭の中ではある言葉が浮かんでいた。白夢守は権能者なのだと。


「ーーああ、バレてしまったのか。俺が権能者なこと」


 断言するのを躊躇していた優人の耳に、いつもと同じ丁寧な守の言葉。


 視線を向けると、守の背中に街灯の光が当たって、表情が見えなかった。自分の知っている守じゃない気がして、思わず後ずさる。


「迂闊だったかな。暴食の魔王の情報を聞こうと思って、先走りすぎた……うん? ダメだよ、殺しては。娘が悲しむから」


 見えない誰かと喋っているように見えて、渡のように頼まれたのかもしれないと思い始める。


「もしかして、守さんも誰かに力をもらったんですか?」

「いや、違うよ……ああ、でも、そういうことになるのかな」


 優人と会話しているようで、全く焦点があっていない。優人には見えないものに、取り憑かれているみたいだ。


 いつもはきっちりとした真面目な叔父だったが、今はどこか浮世離れした雰囲気を漂わせていた。本当に、自分の知っている守なのだろうか。


「仕方ない。記憶だけでも消すしかないか……うっかり食べちゃダメだよ」


 表情の見えない守が、こちらをじっと見つめているような気がした。優人は黒い右手を向けて、牽制する。


「こ、来ないでください、守さん」


 優人が叫んだ直後、守の左手が黒く染まり、猛々しい勢いで悪魔の顔が現れる。


 悪魔の顔は勢いよく伸びると、優人の首元を狙う。食い千切ろうと迫るが、それよりも先に優人の右手が弾いた。

 重い衝撃に驚く優人を横目に、悪魔の顔は再び守の左手に戻っていく。


「おいおい、じっとしてくれよ。うっかり食べちゃうだろう?」

「守さん、あなたは操られてるんだ。だから、僕を殺そうと……」

「うん? そんなことはないよ。これは僕の意志で君の記憶を消そうとしてるんだ」


 守の口調はどこかはっきりとせず、不気味だった。


 今の悪魔の顔からは、はっきりとした殺意を感じた。何度も悪魔に襲われたから分かる。あれは、本当に殺す気だったと。


 だが、温厚な守が優人を殺すはずがない。それに、守も言っていたじゃないか。記憶を消すだけだって。それじゃあ、あの悪魔の顔の殺意はどう説明すればいい。


 思考が絡み合い、混乱する優人の目の前で、守の左手が変化する。

 いくつもの悪魔の顔に枝分かれして、優人を四方八方から襲いかかる。


 全てを右手だけで弾くことはできないと悟り、優人はその場を逃げ出そうとするが、足がもつれて倒れてしまう。

 見上げた視界には、悪魔の顔の大群が押し寄せていてーー


「優人!」


 優人の足元の影から伸びた黒い蛇たちが、悪魔の顔に喰らいつく。互いを喰らおうとして、空中に無数の黒い線が刻まれた。


 背後を振り返ると、千影が守を睨みつけていた。激しい怒りに呼応するように、長い黒髪が逆立っている。


「悪いな。ちょっと満腹で寝転んでたから、お前のピンチに気づけなかった」

「い、いえ。助けてくれてありがとうございます」


 千影の足元まで、優人が体を引きずるように近づく。


「それで、どういう状況だ? あいつはお前の叔父なんだろ?」

「そうなんですけど、いつもと様子が違うんです。なんか乗っ取られてるみたいな感じで」

「……そういうことか。どうりで、何も感じなかったわけだぜ」


 ぶつかり合う悪魔の顔と黒い蛇。それらを鋭い目つきで見つめながら、千影が忌々しそうに呟く。


「智久の一部が宿ってるんだろうな。けれど、乗っとるほどの魔力がないのか、お前の叔父の方が強いからか、中途半端な状態なんだ」

「それって、操られてるってことですか?」

「というよりは、智久の影響を受けて、人格が歪んでるって感じだな。あの渡ってやつも権能をもらってから、攻撃的になったんじゃねえのか?」


 渡が権能者になった時期が分からないが、千影の仮説が正しいとしたら納得できる部分はある。


 よく考えれば、ただの高校生である渡が、平気で帝野や優人を殺そうとするだろうか。

 野球に対する熱意までは分からないが、少なくとも中学まで野球をやっていた人物が、権能を使った卑怯な手を使うだろうか。


 違和感ぐらいの認識だったのでスルーしていたが、今考えればおかしい。


「暴食の魔王は流石に無理だね。撤退だ……仕方ないだろ。今の俺たちでは勝てないからね」


 戦っていた悪魔の顔たちが分離し、頭から体が生えてくる。やはり、悪魔を操っている犯人が守だと、理解する。


 悪魔が次々と黒い蛇たちに立ち向かい、喰われていく。その光景を眺める守が、足元の影に沈んでいった。


「それじゃあ、優人くん。結弦をしばらく頼むよ」

「ま、待ってください」


 優人は守へ向かって手を伸ばそうとするも、黒い右手だったので引っ込める。その間に、守の体が完全に沈み、跡形もなく消えた。


「クソ! 逃げられたか」


 悪魔を全て喰らっても怒りを抑えきれず、千影の怒号が住宅街に響く。だが、それは優人にしか聞こえない。


 頭の中は混乱していた。千影やネムを狙っていた権能者が守だと分かり、冷静に考えられる余裕はなくなっていた。


「おい、優人!」


 千影の声で、優人は我に返る。


「あの守ってやつの居場所に、心当たりはないのか?」

「……すいません。分からないです」


 千影が露骨に舌打ちをする。


「それなら、あいつの家に向かうぞ。いなかったとしても、娘を人質にすれば出てくるだろ」

「だ、ダメですよ。それは」


 結弦の家に向かおうとする千影の前に、優人が両手を広げて立ち塞がる。


「お前の叔父なのは分かるが、そのままにはしておけねえ。智久の権能を持ってるんだ。最悪の場合、あいつが復活する可能性があるからな」

「で、でも、彼女を人質になんてできません。結弦は無関係なんです」

「だとしても、あいつは良隆の仇だ。私が殺さなきゃならないんだよ」


 千影の鬼気迫る表情に、優人は気圧される。

 だが、彼女をこのまま見逃せば、守だけを助ける気などないだろう。それだけは阻止しなければならない。


「ちょ、ちょっと待ってください。せめて、帝野さんたちに相談して……」

「そんな暇はねえって、言ってるだろ!」


 千影が優人の体を突き飛ばす。尻餅をついた優人は受身を取れずに、道路の上に倒れ込む。

 立ちあがろうとして、背中に痛みが走る。どうやらアスファルトに擦れて怪我をしたらしい。


 軟弱な自分に嫌気をさしながら見上げると、千影の体がうっすらと消えかかっていた。急いで複写世界に帰らなければならなくなった。


 それでも、黒いライダースーツを着た千影の全身から、殺意を放っていた。


「お、落ち着いて。千影ちゃん」


 声の方へ向くと、ネムと帝野がいつの間にか現れていた。ネムの白と黒のドレス姿は、住宅街では浮いていて、まるで空想世界から飛び出してきたかのようだった。

 千影に睨みつけられてしまい、ネムは隣の帝野の背中に隠れる。


「千影様の魔力を感じたので駆けつけてみれば、どうしたんですか?」

「智久が現れたんだよ! 智久が!」

「智久?」

「暴食の権能者のことです。その人が、叔父の守に取り憑いてて」


 冷静に話せそうにない千影の代わりに、優人が答える。


「で、でも、守は普通に仕事しているから、権能者として動けるはずがないんですけど」

「そんなの分身でも作ればいいだろ。そいつみたいなやつをな!」

「ですが、これは夢現の権能ですよ。暴食の権能にそんな能力は……」

「智久は他の奴も喰らって、権能をコピーしてる。その中に、夢現の権能者がいたんだろ」

「そうなると、どれほどの権能をコピーしているのか」


 千影の言葉に、帝野が表情がわずかにこわばる。夜風が全員の間をすり抜けていった。


「智久は私が殺す。絶対に邪魔するなよ」


 そう吐き捨てると、長い黒髪をなびかせた千影は空間の歪みへと消える。


「私は主に報告する。最悪の場合、動いてもらわないといけないからな」

「もし、正義の魔王が動いたらどうなるんですか?」

「確実に死ぬことになる。だが、千影様が先に動けば、何も残らないことはよく知ってるだろう?」


 自分の右手を見る。どうなるのかを想像するだけで、優人は震えてくる。


 空がネムを連れて、千影が消えた空間の歪みに入る。

 一人残された優人は、どうしたらいいか分からず、立ち尽くしていた。



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