第四話 思い出のハンバーグ
帰路についた優人の全身は、疲労で重かった。最近は特に疲れやすくなっている気がする。
おもむろに顔を上げると、既に空は紺色に染まっていて、散らばった星が細々と輝いている。
「結局、収穫はなかったですね」
未だに黒い右手に話しかけるが、返答はなかった。
渡を助け出した後、元々のお喋りな性格のせいか、素直に全てを話してくれたが、協力者につながる情報はなかった。
基本的にはスマホでしか連絡を取り合っておらず、直接会ったのも一度きり。外見も朧げにしか覚えておらず、帝野に激しく詰められていた。
唯一、分かったのは『智久』という名前だけ。
「渡くん、どうなるんですかね?」
千影の反応を引き出すために尋ねてみるが、無言を貫いている。
優人としては、執拗に尋ねていた千影の様子が気になっているのだが、今の状態では聞き出せそうにない。
どの魔王の派閥でもないということで、渡は正義の魔王の派閥で預かることになったらしい。どうやら記憶を覗く権能者がいるらしいので、数日は会えないそうだ。
智久という人物に騙されていたこともあり、厳しい処罰は受けないとは思うが、魔王の権能を狙ったこともあるので、どうなるか分からないのが心配だった。
チカチカと点滅した街灯が、導くように夜道を照らしてくれていた。優人は黒い右手を心配そうに見つめる。
珍しいほどに静かな千影が、優人は気になっていた。かといって、どう話しかければいいのか分からず、モヤモヤした気持ちを抱えたまま、結弦のマンションの前までたどり着いてしまった。
学校から出るのが遅かったので、一度家に帰ろうと思ったが、あまりに待たせると結弦に怒られる。
ここ数日は会うことすら少ない。だからこそ、先に宥めてから帰る方が良いはずだ。
帰ってから晩御飯を食べて明日の準備をしていると、寝る時間になる。そうなると、千影の話を聞いている余裕はない。
また今度にしようと諦めつつ、マンションの三階まで上がる。
恐る恐る玄関のドアを開ける。
家の中はうっすらとした暗闇が広がっていて、物音一つ聞こえない。もしかしたら、結弦は漫画かラノベに集中しているのかもしれない。
邪魔をしないように、慎重に靴を脱ぎ、廊下を進む。
結弦の部屋を開けようとして、僅かに見えるリビングから、寝息が聞こえてきた。
リビングの暗闇に目を凝らしてみると、ソファーで横になる守の姿があった。
いつもはピシッとした白シャツを着ている守だが、シワだらけにしたシャツを第二ボタンまで開けていた。
風邪を引くかもと思い、こっそりとリビングを通り、ふすまから引っ張り出したタオルケットを守に被せる。
音を立てないようにリビングを出て、今度こそ結弦の部屋へと入る。
「ただいま」
「遅い」
「はい。すいません」
小声で話しかけた優人に、結弦はジト目で睨みつける。
「最近、帰るの遅いよね。部活でもやってんの?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、何?」
「えーと、ですね」
何て誤魔化せばいいのか、優人は言い淀む。結弦の好きなラノベみたいな異能バトルをしています……とは、流石に言えるわけがない。
「別に、言いたくないならいいから」
「ご、ごめん」
拗ねたように、結弦がそっぽを向く。
結弦に内緒にすることは基本的にはないので、怒っているのかもしれない。
自分が信用されていないと思われるのも嫌なので説明したいが、疲れている今の優人ではまともに頭が働かない。
「それで、ファミレスにはいつ行けるの?」
「ファミレス?」
「前に約束したでしょ。アニメのコラボメニューがあるから、ファミレスで頼んできてって」
そういえば、そんな約束をしていた気がする。色々なことがありすぎて、頭から吹き飛んでいた。
「まさか、忘れてたんじゃないわよね?」
「違う違う。忘れてないって」
首を勢いよく振る優人に、結弦は訝しげな視線を向ける。
「帰りに行こうと思ってて」
「それ、前にも聞いた気がするけど」
「そ、そうだっけ? あ、そういえば、守さんは最近忙しいの。リビングで寝てるみたいだけど」
話を逸らすために守を利用しているようで、何だか申し訳なく思えてくる。
「そうみたい。帰ったら、寝てることが多いから」
「……そうなんだ」
一人娘の結弦のために頑張っているのだろう。
普段は家事をしているところしか見ていないが、一人で娘を育てるのは大変だと思う。そんなところを一度も見たことがないのだから、本当にすごいと思う。
もしかしたら、結弦が学校に行くために色々と調べているのかもしれない。そう思うと、何もしていない自分が情けなくなる。
「だから、最近は晩御飯も私が作ってる」
「へ、へぇ」
「何? 私が作ったらダメなの?」
「そういうわけじゃないけど……」
「そんなに疑うなら、今晩作ってあげるけど」
今まで結弦が料理をしているのは見たことがないため、食べるのが怖い。
「帰ったら晩ごはんがあるから、また今度頼もうかな」
「ちなみに、何作ってほしいの?」
「じゃあ、パスタで」
「……私のこと、馬鹿にしてるの? もっと難しいのでも作れるわよ」
結弦の刺すような視線に、優人は冷や汗をかく。
「そ、それじゃあ、オムライスで」
「分かった。楽しみにしてて」
結弦がスマホでメニューを調べ始めてるのを見て、いずれ訪れる結弦の手料理を食べる日を想像して、戦々恐々としていた。
❇︎ ❇︎ ❇︎
「いらっしゃいませ~。こちらでどうぞ」
昨日来たファミレスに入った優人は、店員に案内された席に座る。待つことなく夕食が食べられそうで、安心する。
今の優人は権能の影響でかなり空腹で、抑えるのが精一杯だった。度重なる疲れもあり、お腹が食べ物を求めて悲鳴を上げる。
すぐにタブレットを操作すると、コラボメニューをいくつか頼む。お財布が心配になるが、背に腹は変えられない。
食費だけで今月のお金が消えそうだが、優人は潔く諦める。
「……昨日のファミレスか」
目の前の席の空間が急に揺らぎ、千影が現れる。さっきまで静かだったのが嘘のように、黒い瞳を子供のように輝かせていた。
「昨日見た時も思ったけど、このファミレス来たことがある」
「え、そうなんですか⁉︎」
「場所は違うけど、良隆と始めてきた店だ」
あれほど黙っていた千影が喋り出したので、優人は聞きたかったことを質問してみる。
「そういえば、千影さんは父さんとどこで会ったんですか?」
「……あいつとは、コンビニで万引きしようとした時に話しかけられた」
思わぬきっかけに、優人は言葉を失う。
聞いてはいけないことだったかと思い、千影の表情を伺うが、いつもとは違い、優しく微笑んでいた。
見たことがない表情に、優人は目を見開く。
「父親は不倫して女の家に行ってたし、そのせいで母親は精神的に追い詰められてた。だから、娘の私に構ってる余裕はなかった」
「だから、万引きして気を引こうと?」
「ちげえよ。飯作ってくれないから、手っ取り早く飯を食おうと思ってな」
壮絶な話をしているとは思えない懐かしむような視線で、千影が窓の夜景を見る。
「その時、良隆に万引きすんなって怒られてな。おにぎりをくれたんだよ。でも、それがマズくてな。もっと美味いものをよこせって言ったら、ファミレスに連れてってくれたんだ」
「……その時に頼んだものって?」
「ハンバーグだよ」
寂しげに笑う千影の横顔。いつもは偉そうに振る舞っている姿がなりをひそめ、今だけは幼い女の子に見えた。
「じゃあ、これですかね?」
タブレットを操作してハンバーグのメニュー見せると、千影が何度も頷く。その動きに合わせて、長い黒髪が激しく揺れ動いた。
「そうそう。これだよ、これ。うわ、懐かしい」
「じゃあ、注文しておきますね」
テンションを上げる千影を見て、優人はそのままハンバーグを注文する。
「まさか、注文したのか? 前にも言ったが、私にはいらないって……」
「でも、必要じゃないだけで、食べられないわけではないですよね」
たしかに、魔力の体には栄養はいらないのだろう。だが、暴食の権能であれば、食べることは可能なはずだ。
それに、魔力は人の想像力に影響するとも言っていた。それなら、過去に食べた味も再現することが可能なはずだ。
喜ぶだろうと思っていた優人だが、予想に反して、千影が残念そうに顔を伏せる。
「確かに食べられるんだが……何て言えばいいか」
珍しく言い淀んでいる千影の前に、優人が頼んだコラボメニューのオムライスが運ばれてくる。
お盆に乗せられたカードの包みをカバンに入れると、我慢できずに食べ始める。卵の柔らかさとケチャップの甘みが口内に広がった。
一気に半分以上も食べてお腹が満たされると、次第に冷静になってくる。
ハンバーグを注文してしまったのは、過ぎたお節介だったかもしれないと、今更ながら後悔する。
普段の千影は、小さいことは気にしない豪快な性格だと思っていたが、彼女も人間だ。まだ出会って日は経っていないが、色んな一面を知った。
強力な権能を持っていようが、一人の人間であることに変わりない。それを疎かにしていた自分に気づき、落ち込んでしまう。
オムライスが食べ終わる頃合いを見計らったように、鉄板のハンバーグが来る。
ジュージューと肉汁が溢れるハンバーグを見ている間に、次々と食べ物が置かれていき、テーブルを埋め尽くす。
千影の方を伺うと、視線を逸らしてはいるが、ハンバーグが気になっていて何度もチラ見していた。
今の優人なら全部食べられるが、意を決して千影の前に鉄板を押し出す。
「全部は無理だから、食べてください」
「いや、けど……」
「遠慮するなんて、千影さんらしくないですよ。まさか、この量は難しいんですか?」
わざと煽るように話しながら、優人はフォークを千影に差し出す。
内心は傷つけたんじゃないかと心臓が激しく脈打つ。
そんな優人に気づかず、千影は戸惑ったようにフォークを手に取る。
フォークだけで器用に一口分を切り分けると、ハンバーグに突き刺す。フォークに刺さった肉の塊から、肉汁が溢れる。
垂れていく肉汁を迷うように見つめながら、千影が思い切ってかぶりつく。
何度も噛み締めるように味わうと、止まらない勢いで何度もハンバーグを食べ続ける。
そんな千影を見てほっと安心し、優人も残りの食べ物に手をつけ始めた。




