第三話 新たな権能者③
「なるほどな。答えはそうなってるのか」
優人のノートを覗き込みながら、渡がテキストに書き写していく。
二人しかいない放課後の教室で、優人と渡は机を向かい合わせながら、勉強をしていた。
ノートを写している間に次のテストの予習をするつもりだったのだが、途中で提出物に気づいて、優人が教えることになったのだ。
「ちょっと休憩するわ」
「あ、うん」
席に座りながら大きく伸びをする渡に、優人は苦笑する。
勉強を始めてから、まだ十分ぐらいしか経っていない。しかも、ノートに写しているだけなので、優人の感覚では休憩するほどやっているとは言えない。
普段勉強しない渡からすれば、疲れる時間なのかもしれないが。
「本当に何もないのかよ? 帝野とは」
「さっきも言ったけど、ただの友達……だよ」
「本当か? 今日もお昼に一緒に食べに行ってただろ」
「たまたまだよ。たまたま」
探るような目つきの渡から逃げるように、優人は教科書を読み続ける。
複写世界のことを通じて話すようになっただけで、仲が良いとは言えなかった。だが、正直にそれを言うわけにもいかないので、友達と誤魔化したのだ。
実際、空とは連絡先は交換したものの、必要最低限の連絡しか取り合っていない。
「最近付き合い悪いだろ? なんか隠してることでもあるんじゃねえの?」
「それはお互い様でしょ。渡くん」
「はあ? 何のことだよ」
教科書を閉じた優人は、分かりやすく動揺している渡を見つめる。茶色の瞳が激しく揺れ動いていた。
「いつから権能者になったの?」
「権能者?」
「そう。だって、君は見えてるよね? 僕の右手」
優人は黒い右手を渡の前に掲げる。渡が、大袈裟に席をずらして下がる。
「最初は気のせいかと思ったけど、今朝僕のノートを拾おうとして、右手を止めたでしょ。あれは、僕の右手に触れそうになったからだよね」
「だから、怪我をしたからだって言っただろって」
「その割にはペンを持つ手は大丈夫そうだけど」
優人の言葉に、渡の視線が分かりやすく泳ぐ。
「それだけじゃない。ここ最近、帝野さんのことを聞くのも、僕たちのことを知りたかったらでしょ?」
「ち、ちげえよ。あんまり友達いない同士だから、気になっただけで」
「それなら、僕の右手と握手してよ」
優人が黒い右手を渡に差し出す。
「な、何言ってんだよ。気持ち悪い」
「もし無理でもいいよ。肩にゴミがついてるからって言って、触りにいくだけだから」
本当はそんなことをする気は全くない。万が一にでも喰らう可能性があるのだから。だが、そう言えば真実を言ってくれるだろうと確信しての言葉だった。
でも、否定してほしい気持ちもある。何を変なことを言ってんだよと、いつもみたいに言い返してほしい。
窓の外から風が、二人の間を吹き抜けていく。カーテンが膨らみ、優人の視界を一瞬だけ遮る。
カーテンが戻ると、いつもは明るい渡の表情がどんよりと曇る。あまりの落差に、別人と思うほどだ。
しばらくして、渡が長いため息を吐く。
「マジで油断したわ。気づかれるなんてな」
「……もしかして、僕と仲良くなったのはそれが理由?」
「失礼なやつだな。権能者になったのは最近だろ」
その言葉だけで、優人はほっとした。
立ち上がった渡が、ゆっくりと窓に近づく。わずかな動きも見逃さないように、優人はじっと見つめる。
「逃げようとしても無駄だよ。周囲には結界を張ってもらってるから」
「なるほど。帝野にはもう話してるのか」
渡が怪しいと気づいてから、帝野にはスマホでやりとりをしている。昼休憩にご飯を食べた時も聞かれている可能性があったので、大した話はしていない。
「目的は?」
「あのゴスロリ少女の居場所を見つけること。あいつの権能を手に入れれば、好きにしろって言われてるからな」
「つまり、協力者がいるんだ」
何の抵抗もせずにスラスラと話す渡に違和感を持ちつつも、優人は質問を続ける。
「じゃあ、なんで千影さんと僕を襲ったの?」
「それは俺じゃねえ。多分、もう一人の方だろ」
「じゃあ、協力者の正体を教えて」
「誰か分からねえよ。一回しか会ったことないしな」
「……なんで、そんな人に協力を?」
「当たり前だろ。こんな力をもらったんだから」
渡が指を折り曲げると、それに合わせて机と椅子が優人に飛びかかる。
乱暴に投げられた机を、優人が黒い右手で防ぐ。触れた部分だけが消失し、机が真っ二つに分かれた。
渡を見ると、指から伸びた長い糸が机と椅子に結ばれていた。空中でたるんだ糸が、夕焼けに反射する。
「それが、君の権能なんだね」
「便利なんだよな、これ。楽に変化球を投げられるし、好きな場所にボールも飛ばせるしな」
「渡くんはそれで楽しいの?」
「仕方ないだろ。俺はそんなに上手くないから」
渡が皮肉げな笑みを浮かべる。普段とは違う仕草に、優人は驚く。
「最初はペン程度持つのも苦労したけど、今じゃ車まで持てるんだぜ。しかも、悪魔にくっつければ操ることもできるし」
「ゲームみたいに言ってるけど、これは現実だよ」
「分かってるって。でも、好きなことでも才能がなければ限界があるだろ? でも、これは違う。鍛えれば鍛えるほど、力を伸ばせるんだぜ」
渡が嬉しそうに笑みを浮かべる。いつもと同じに見えるからこそ、優人は鳥肌がたった。
「とりあえず、協力者に連絡してくれないかな? 僕が交渉するから」
「そういうわけには……いかないよな⁉︎」
再び机と椅子が襲い掛かり、優人は黒い右手で防ぐ。その間に、渡は教室を飛び出した。
「悪いな。俺が裏切ったら、この力を失うんでな」
急いで廊下に出るが、運動能力の低い優人では追いつけず、渡の後ろ姿がどんどん遠ざかっていく。
「何やってんだ! 逃げられるぞ」
さっきまで静かにしていた千影が、右手から叫ぶ。説明したくても、そんな余裕はない。
中学は野球部だった渡は運動能力が高い。平均よりも身体能力が低い優人では、普通は追いつけない。だがーー
「はあ⁉︎ なんだよ、これ」
廊下を曲がった渡の声が聞こえて、優人も曲がる。目の前の透明な壁を、渡が何度も叩いていた。
「それ、が……結界……だよ」
息を切らす優人を振り返り、渡が露骨に舌打ちをする。
「これなら、悪魔も呼べないはずだよね」
「たしかに。その通りだが……残念だったな」
渡の指先の動きに合わせて糸が動き出し、結界を簡単にすり抜ける。そのまま伸びていくと、廊下の先にある空間の歪みへと入る。
糸を切ろうと慌てて右手を伸ばすが、糸は空中を自由自在に泳ぎ、かすりもしない。
なかなか捕まらない糸に苦労している間に、空間の歪みから獰猛な悪魔が現れる。
「お前は友達だからな。半殺しで済ましてやるよ」
「とても、そんな風には見えないけど」
後ずさる優人の目の前で、透明な壁をたやすく壊して入ってくる悪魔。再び、優人は黒い右手を悪魔に向ける。
「悪魔については気にしなくてもいいぜ。こいつらは人形みたいなもんだから。死んでも複製できるんだよ」
悪魔を傷つけることをためらう優人に配慮してくれているのかもしれないが、今はそんな余裕はない。
何度悪魔と遭遇しても、優人の体は正直だ。足がすくんでしまっている。
破れた結界の隙間から出ようとした渡が、再び透明な壁にぶち当たる。その隙に、優人の黒い右手が勝手に伸びると、蛇の群れに形を変えて、悪魔を一気に喰らう。
「ぼさっとするな」
「ご、ごめん。やっぱり怖くて」
黒い右手に怒られた優人が顔を上げると、渡が足元まで飛ばされていた。苦しんでいるような顔で、お腹を抑えるようにうずくまっている。
「本当に情けない奴だな」
スカートを翻した細い脚を降ろして、帝野が無表情に見下ろしていた。
「そ、そこまでやらなくても……」
「殺されかけてたのだから、当たり前だろ」
痛みで悶える渡が、二人から距離を空けようと廊下でもがく。
「……おい、智久! 早く俺を助けろ!」
智久という名を何度も叫びながら、渡は助けを求める。周囲を見てみるが、三人以外に誰もいない。どうやら、智久というのが協力者のようだが、助けに来る気配はない。
それでも大声を上げ続ける渡が、優人には哀れに思えてくる。
「お前、なんでその名を知ってる⁉︎」
黒い右手の千影から、驚いたような声を上げる。
「そんな馬鹿な。あいつ、生きてたのか?」
「智久っていう名前に、心当たりがあるの?」
優人が尋ねるが、千影は何の声も漏らさない。そんな二人の様子に気づかないまま、渡は協力者の名を叫び続ける。
「……もう黙れ。不快だ」
帝野が手を上げようとした瞬間、背後の空間の歪みから悪魔の大群が押し寄せる。波のように迫る悪魔から守ろうと、帝野の前に飛び出して、黒い右手を向ける。
だが、悪魔の群れは優人たちを無視したまま、渡の方へと一直線に向かう。
渡の姿は黒い巨体に囲まれて見えなくなり、優人は唖然とする。
「な、何が起こってるの?」
「……共喰いだ」
千影が忌々しそうに呟いた後、優人は昨日のファミレスからの帰りを思い出す。つまり、目の前の悪魔たちが渡を喰らっているということなのだ。
「早く助けないと」
「……もう遅い。手遅れだ」
帝野と優人の目の前で、悪魔の大群が粘土のように形を変えて、一つの肉体になる。それは悪魔ではなく、大きな黒い肉塊だった。悪魔の名残で、所々に黒い腕が複数生えている。
ぶよぶよと太った異形の存在に、優人は目を逸らしたくなる。
「このままだと、あいつは死ぬな。悪魔に喰われて」
千影の言葉に、優人は背筋が凍る。
「神凪、早く喰らえ。その間、周囲は結界で封鎖しておく」
平然を装っているのだろうが、帝野の表情は恐怖でこわばっていた。
「今は人払いをしているが、この悪魔が動き出せば、被害が出るぞ」
「で、でも、渡が……」
「助かるわけがない。見たら分かるだろ」
いつもの落ち着きはなく、帝野の声は焦っていた。
どうすればいいのか迷う優人の目の前で、黒い肉塊の腕がピクっと反応する。
黒い腕に視線が集まった直後、一瞬で優人の頭まで伸びる。
黒い右手が勝手に動き出し、優人の前に掲げられると、触れた腕がごっそりと削られた。
「油断するな。いつ動き出すか、分かんねえぞ」
全身から滝のように汗が流れる。死を実感したことで、呼吸が乱れた。
今は千影が助けてくれたから良かったが、次も同じことができるとは限らない。
肉塊の腕を見ると、えぐれた腕の先がもぞもぞと動き、少しずつ再生し始めている。
「今ので分かっただろ? 助けられる余裕はない」
帝野が小声で話しかける。目が見当たらないので、音で反応していると思ったのだろう。
人を傷つけるのを何よりも嫌う優人にとって、人殺しなど論外だ。例え、もう助からないのだとしても、直接手を下すのは一番したくない。
でも、このまま放置していても状況は変わらない。それどころか、他の人が殺されるのかもしれないのなら、見過ごすことなどできない。
やっぱり殺すしかないのか。
優人は黒い右手を見つめる。何もかもを喰らう右手が、この時ばかりは忌々しく感じた。
「あいつを助けるぞ」
千影の力強い言葉に、優人が目を見開く。
「……助けられるんですか?」
「ああ。まあ見てろ」
黒い右手が再び蛇に変わり、黒い肉塊に音もなく接近する。そのまま、頭から肉塊に突っ込む。
ズブリと、右手から感じる気持ち悪さに優人は黙って耐える。
肉塊の中で何をしているのかは分からないが、黒い右手から伸びた胴体は、這うような動きをしている。
それから数分間、周囲は緊張感に包まれる。
優人の頬に汗が伝い、静かに左手で拭う。
数分が数時間にも引き伸ばされたような感覚の中、右手が何かを掴み取る。
黒い肉塊から、一気に何かが引きずり出される。掴んでいたのは、渡だった。
「ゲホッ……ゲホゲホッ」
涙目でむせる渡に安心し、肉塊の方へと視線を向ける。
渡が抜けた黒い肉塊は崩れていき、廊下に落ちた肉片は粒子となって消えていく。
戦いが終わったことに、ほっと安堵の息を吐く。
「なんで、俺を……」
渡が睨みつけるように優人を見上げる。
「だって、見捨てるわけにはいかないでしょ」
「……マジで、お人好しだな」
渡が諦めたように苦笑する。
「私も同感だ」
帝野に呆れたように見つめられて、優人はなぜか照れ臭くなった。




