幕間
嘗ては荘厳と謳われたデーサイル王国の城跡、半分瓦解した城の奥深くにその魔術師はいる。
ルーベル・ドラコ、古き魔術言語で赤い竜を意味する言葉を己の名前にしている魔術師が。
苦悶の声に満ちた嘗ての王の間で、赤い竜は微睡から目覚める。
「……これは、これは。」
目覚めた彼の前には、彼の師の身の回りを世話している老人が控えていた。
その脇には、忠実な部下であるインフラマラエや、若い魔術師達が訝しげに立っていた。
彼らには片手をあげて、警戒を解くように示せば、老いた老人に深々とルーベル・ドラコは頭を下げた。
「貴方がいらっしゃるとは、我が師から何か言伝が?」
恭しく問いかける様子に、老人以外の者達から驚愕の表情が浮かび、すぐに消えた。
それを気する事無く、ルーベル・ドラコは赤い瞳を真っ直ぐに傷だらけの老人へと向けている。
問いかけに答えを返すべく、小柄な老人は恭しく頭を下げて。
「まず、あのお方の内弟子である貴方様が、私如きに気を使わないでください。そして、その問いかけには、はい、とお答えさせていただきます。単刀直入に申しますれば、ジュアヌスがこちらの世界に戻りました。その力は、貴方様が戦ったあの当時に比べれば、高々知れておりますが……。」
「それは、バルアド大陸に現れた『彼』の事で宜しいか? 師自らがその旅立ちを見送ったという。」
「左様でございます。魔術師、妖術師としては大分レベルを下げておりますが、あの当時よりも高い闘争本能を兼ね備えております。また、混沌の力も取り込んでいるとか。これは、ヴィア・ウェリタス様の見立てにございますが。」
「姉弟子がそう言うのであれば間違いはあるまい。そうか、それは厄介だ。しかし、『彼』がそうであると最初から分かっていたのではないのか?」
「『彼』が選別されたのはただの偶然です。あの日、あの時に死に瀕さなければ、『彼』は未だにあちらの戦場に居たでしょう。ジュアヌスであると確信できたのは、何某かと言うこの地の死霊術師のおかげです。彼が飼っていた手負いのブラックドラゴンにヴィア・ウェリタス様が油を注ぎ、暴れた所を『彼』と接触し倒された事で判明しました。」
姉弟子は油を方々に注いだのだろうかと、軽く嘆息してからルーベル・ドラコは頷きを返した。
そして、窺うように老いた者を見やり。
「師は何を望む?」
「貴方様の生還と、『彼』の成長でございます。それが相反する望みであるにせよ。」
「確かに、それは相反するな。俺が死ぬか、奴が死ぬかの戦いはいずれ訪れる筈だ。……貴方から忠言はあるか?」
「ジュアヌスはあのお方の敵となり得た者。貴方様はそれを倒してしまった。出来れば、二度目はお止めいただきたい。」
その言葉に苦笑を浮かべて、ルーベル・ドラコはゆっくりと首を横に振った。
それを承知していたのか、傷だらけの老人は嘆息して、手に持っていた帽子をかぶり、別れの挨拶をして覚束ない足取りで去っていった。
さて、老いた者が去ってから暫し深い思索の霧の中を彷徨っていたルーベル・ドラコは、物言いたげなインフラマラエや三人の若い魔術師達の視線に気づき顔を上げて、彼らを見た。
「あの老人は、我が師の召使いだ。その来歴は聞かぬ方が身の為だぞ。」
その言葉を受けてインフラマラエは深く頭を下げて、気にする事を止めたようだが若い魔術師達には、尚疑問が残っている様だった。
「力も感じられず、弱々しい姿を恐れるのかとでも言いたげだな。フラター・ミヌイト。」
首領の眼光を受けて、若い魔術師は青ざめて、いいえと小さく答えるに留めた。
だが、脇に立つ若い女魔術師はそれでも尚、彼らの首領に問いかけたのだ。
「フラター・ルーベル・ドラコ。彼の老人はそれほど恐ろしいのですか? 無論、フラター・ルーベル・ドラコのお師様や兄弟弟子殿であれば恐るべきは分かりますが。」
己の言葉を聞き、尚問いかけを放つ娘に、視線を向けてルーベル・ドラコは愉快そうに笑った。
「無論だ、ソローネ・アストラ。彼の老人は生まれは人であったが、外宇宙的存在に体を作り変えられた者だ。あの傷は全てその際の縫合跡だという。彼の操るのは魔術の域を超えた、御伽噺の魔法だ。俺は彼の者が恐竜を……今で言えば太古竜を一時蘇らせ使役するのを見た。」
その言葉を聞き、若い魔術師達はそれが冗談なのか、本当の出来事なのか判断がつかず押し黙った。
当然である、未だにルーベル・ドラコ自身が届かぬ力だ。
最も、師は彼の者を打ち破っているので、それを超える何かしらを持っているのは確かだ。
そして、内陣へ上がればそれを伝授する用意がある事は何度となく示唆されてきている。
それを断り、ルーベル・ドラコは己の願望を……或いは妄想を具現化せんと暗躍している。
すなわち、己の持つ王権を獣の王に引き渡す……つまり、己を打ち倒し超えた者に全てを引き渡すその時を待っている。
だが、己の我を通せばあの老いた者を敵に回すだろうかと、再び考え込みそうになったルーベル・ドラコであったが、不意にインフラマラエの顔を見やって問いかけた。
「そう言えば、バルアド大陸に放っていたあいつは如何した? 最早名前も出てこんが。」
早々にくたばったかと問いかけたのは、彼の地に『彼』が居るからだ。
五百年前に死力を尽くして戦った恐るべき相手が舞い戻った、それ自体は歓迎すべきことだが、夢の中に意識を飛ばして様子を見た際には、そんな気配を全く感じなかった。
師が興味を持つ意志の強さはかんじたがそれだけだ。
それが如何なる意味を持つのか、転生者といえども嘗ての力が出ないだけなのか。
意味があるのかないのか、どちらであるにせよ、結社が放っている魔術師では如何にも出来る筈が無い相手だ。
次の手を打つ必要性があるだろうとの考えからの問いかけだったが。
「それが……いまだ健在ですが、あちらから一切連絡を絶っております。」
問いかけ自体には興味はなかったが、予想外の返答が返り、ルーベル・ドラコは首を傾いだ。
「……ほう?」
そして、何かに気付いたようにああ、と小さく声を上げて。
「そうだったな。奴は姉弟子が油を注いだはずだ。では、今少しは暴れてくれるか。」
すっかり忘れていたと、興味を失った者に対する酷薄さを示しながら赤い竜は椅子から立ち上がる。
それにしても、油を注ぐという表現を今、目の前にいる者たちが理解できているのかどうか。
聖なる書すら殆ど現存しない今の世では、今一つ通用しない隠語かも知れないと、微かに肩を竦めて呟く。
ある民族の神は異教の王に油を注ぎ事を成したと言うが、さて姉弟子が油を注いだ者たちは多少は役に立つのかどうか。
「神ならざる我らではな。」
大して役にも立つまいよと嘯きながら、若い魔術師を伴い苦悶の満ちる嘗ての王の間を出ていく。
一人残った禿げ頭の死霊術師は微かに息を吐きだして。
柱と同化して未だに死ぬ事も出来ず呻いている嘗ての同胞に一瞥を与え。
「恨めしそうにするな、我が身とて安泰には程遠い。……最も、お前たちは自業自得だが。」
絶大な力を振るう首領すら上回る存在が数多くいるらしいと知れば知るほど、力を求める事が馬鹿馬鹿しくなる。
それにしても、勇者の目覚めとジュアヌスの転生者(であろうと推測される)の転移が同時代に起きるとは……これは世が大きく動く前触れだろうかと、今を生きる死霊術師は予感めいたものを感じていた。




