第28話「時流」
ジャスパー・ブラウニング。
その老いたエルフはシャーラン王国の重鎮であった。
ブラウニング領の領主にして、エルフの長老格の一人。
齢180歳に迫ろうかというエルフの貴族は、穏当な性格と的確な領内運営で高い評価を受けていた。
だが、彼は晩節を汚すことになる。
バルアド大陸を邪悪な圧制者から解き放った勇者の眠る聖地とでも言うべきルーグ城塞に攻め入った愚か者として。
その男の遺体とでも言うべきものは、ここルーグ城塞に収監されていた。
正確には脳死体とでも言うべきか。
呼吸をしているが、意識が戻らずただ生命活動を維持し続けていただけ。
不思議なことに、外部からの手助けを必要とせずに、生命活動を続けていた。
この老人を処断すべし、そう言う声は当然の如く上がったが、勇者クレヴィはそれを良しとせず彼は収監され続けていた。
そのジャスパー・ブラウニングが目を覚ましたというのだ。
ジャスパーは自身が何処にいるのか、目覚めた当初から分かっていた。
邪悪なる魂に操られている間、彼の意識は奥底に押し込まれていたが、しっかりと目覚めていたのだから。
己のうちに巣食う二つの魂は、今はどうにか抑え込めているが、再び彼らに体の自由を奪われるのは時間の問題であった。
勇者クレヴィとの決戦の最中、光り輝く切っ先をその身に受けたジャスパーは、我を取り戻して二人の狂人、そう呼んでも差し支えのない恐るべき者を己の内に封じ込めた。
これは、クレヴィとの戦いに集中していた狂王や人形遣いの虚を突いたために可能だったことで、二度目の成功はあり得ない。
封じ込めはしたが、自身も意識を手放さ無ければならず、今の今まで昏睡状態にあった。
だが、如何なる理由によるものかは不明だが目覚めてしまった以上は、今まで通りにはいかないだろう。
己が己の内に罪を償い、この命で贖わねばならない。
自殺するだけならば簡単であったが、その前にクレヴィに伝えねばならない事があった。
一体誰が、己に恐るべき魂を植え付けたのか。
女王の軍師などと言う若造が問題なのではない、彼の後ろに有る物が問題なのだ。
その為に老人は収監されていた部屋を抜け出す必要があった。
意識がないかの如く身動ぎもせずに眠っている老人であっても、収監しているとなれば外から鍵をかけるのは当たり前の話だ。
ジャスパーは大罪人なのだ。
だが、彼は自身の境遇を嘆くつもりはない。
事を起こすと決めたあの時から、その汚名も受け入れていた。
だが、乗っ取られたことにより、大きく被害を出してしまった。
その一事が悔やまれた。
老いたエルフは、軽く頭を振って周囲を窺う。
この城塞の衛士である自動人形は定期的に巡回している様子が伺える。
さて、眠っているはずの老人の部屋から音が聞こえたら彼らは如何するだろうか?
収監されているとは言え、ここは地下牢ではない。
普通の居室である。
扉に覗き窓など付いて居る訳もなく、中を確認するためには直接開けざる得ない。
虚を突いて駆け出した所で、暫く体を動かしていないのだ、すぐに足がもつれて倒れるだけだろう。
如何する……?
老いたエルフは、自身に残された時間の少なさを噛み締めながらも、最善の手を考え続けた。
結局、残された時間の少なさが老人を賭けに駆り立てた。
衛士が傍を通る頃合いを見計り、大きな音を立てるべくベッドの脇に置いてあった椅子を床に叩きつけた。
激しい物音が響けば、衛士が駆け寄ってくる音がする。
ジャスパーは素早く扉の陰に隠れた。
程なくして、中を窺うように扉がそっと開かれ、ベッドに誰もいない事に気づけば慌てて中へと入ってくる。
その隙を突いて、ジャスパーは部屋の外へと逃れた。
ルーグ城塞自体には、ジャスパーは年に一度は訪れていた。
勇者の眠る最奥には足を踏み入れる事は叶わずとも、ある程度の建物の状況は把握していた。
故にジャスパーは休み休み移動しながら、衛士から何とか逃れる事が出来た。
とは言え、それもクレヴィに近づこうとすれば何れは捕まるだろう。
問題は、クレヴィと言葉を交わす機会もなく衛士に斬られることだった。
この城塞を攻めた張本人であるジャスパーは、感情が希薄と言われる自動人形が相手であろうとも感情のままに殺されることを危惧していた。
それは杞憂に過ぎないのだが、自責の念と迫るタイムリミットが通常の思考を阻害し、無謀な行動を取らせていた。
そう、あまりに無謀な行いだ。
長い間寝たきりだった老人が、目覚めたからと動き回れること自体が奇跡に等しいのだ。
それが衛士たちを振り切り、クレヴィに会おうなどと出来るはずはなかった。
結局、老人は程なくして捕らえられた。
が、彼の望みはすぐに達せられることになる。
勇者クレヴィ・アロが捕縛された老人の前に姿を現したからだ。
ジャスパー・ブラウニングの目覚めと脱走の報を受けても、クレヴィは特に取り乱したりはしなかった。
例え、その意識が未だに旧敵の物であったとしても、最早恐れるに足らない。
気を付けるべきは、自身の死と引き換えとした自爆攻撃位だろう。
そして、凡その予測に反して脱走し、捕らえられたジャスパーの瞳には、理性の光が見て取れた。
「ジャスパー・ブラウニング、多くは語るまい。自身の罪を知りながら、何故逃げたのか、それだけを問おう。少なくとも、訳もなく逃げ出す輩ではないと聞いているが。」
クレヴィから掛けられた言葉に、縄で後ろ手に縛られながらジャスパーは平伏した。
彼が夢にまで見た勇者の目覚めは、無事に行われた。
それだけが今のジャスパーの心の支えである。
「我が罪は申し開きのしようもない大罪。されど、その背後に連なる者がございます。それをお教えするまでは死んでも死に切れません。シャーラン王国の女王を後ろ盾にした軍師はただの先兵。その背後には恐るべき魔術結社が控えております。少なくともホフアトはその様に考えておりました。」
「人形遣いの意識を読み取ったと?」
「混ざりあったとでも言うべきでしょうか。そして、二つの死者の魂をわが身にねじ込んだのは、インフラマラエの魔法名を持つ魔術師。人としての名をイライジャ・キングスレイ。この名をお忘れなき…様に。」
早口にまくしたてるようにしゃべり続けたジャスパーだが、不意に苦し気に顔を顰めて、言葉を詰まらせた。
そして、微かに口角を吊り上げれば、傲然と顔を上げて勇者を見やって笑った。
「さて、おいぼれも無理をするものだ。だが、よもやこうも封じ込まれるとはな。」
嘲るような、それでいて何処か感心したような呟きを漏らしたのは、最早ジャスパー・ブラウニングではなかった。
その物言いがクレヴィの記憶に引っ掛かり、老人の内に巣食う者のどちらで在るのかを彼は容易に察した。
「ホフアトか、再度敗れてなお戦うか?」
「最早それも不要だ。このおいぼれに引きずられて、もうじき私もラスムファも消え去る。奴は最後まで貴様との戦いに執着していたがな。」
そう告げてジャスパーの肉体に宿る人形遣いと呼ばれた魔術師は息をゆっくりと吐きだした。
そして、勇者を見上げて再び不敵に笑みを浮かべた。
「インフラマラエには精々気を付ける事だ。ラレンティアの王を誑かしシャーランにあの若造を送ったのも、我らを送り付けたのもあの爺だ。」
「何故、お前まで私に情報を?」
クレヴィは怪訝そうに問うた。
ホフアトは己の実験以外には興味がないという人格破綻者であった筈だ。
クレヴィに対しても、命を奪った事よりも実験を阻害した事に怒りを向けていた筈である。
少なくとも、クレヴィの知るホフアトとはそのような存在だった。
だが、クレヴィの問いかけにジャスパーの体に宿るホフアトは、微かに笑うのみで答えず。
そして、口元をゆがめて激しく咳き込んだ。
「人は善性に悪を抱えていたのか、悪性に善を内包していたのか……。それを求めて、見た物の……。」
答えを得たのか得なかったのか、それすら語らずに300年前に世を荒らし、今の世でも騒ぎを起こした魔術師の魂は潰えた。
それは、同時に狂王と呼ばれたラスムファの魂もまた潰えたことを意味していた。
後に残ったのは、ジャスパー・ブラウニングと呼ばれた老いたエルフの死体が残るばかりであった。
クレヴィはその死体を前に暫し考え込んでいたが、丁重に弔うように指示しその場を後にした。
彼にはインフラマラエと言う名にも、イライジャ・キングスレイと言う名にも心当たりはなかった。
ただ、死に逝く者が放った警句を無視するほど、愚かでもなかったのでその名を深く胸に刻み込んだ。
結局、一連の騒動が起ころうとも三国の外交会議は恙なく終わった。
今回の外交の結果、ギルギ帝国と種族連合はシャーラン王国に対して、何が起きようと中立であることを確約した。
そして、ギルギ帝国と種族連合は二国間協議を継続することで条件の一致を見た。
かねてより存在する領土問題に対しての、決着をつけるためであったが、双方が引くことはなく。
これより2か月後に双方が軍を国境沿いに展開することになった。
それは、老獪なメルクリオが託された任務を達成したことを意味していた。
霧が晴れるまで、後1年と半。
バルアド大陸は統一へと向かって大きく動き始めていた。




