第1話「胎動」(改定)
ルーグ城砦の襲撃事件より、3ヶ月の月日が流れる。
その間に盛夏が世を支配し、王者の如く太陽が大地を一層と乾燥させるが、10月も初旬となるといい加減その威も衰え、過ごしやすい季節となった。
この季節の訪れは人々に安堵をもたらす、然程、間を置かずに冬将軍がやってくるにしても。
荒地での生活は人が住まう場所に比べれば過酷である。
生命の影も疎らで、砂埃が常時舞っているのはまだ良い。
食い物を探すのも、育てるのも一苦労なのもまだ良かった。
荒地に吹く風には滅びた種族の怨嗟が混じり、地底世界から妖術師や死霊術師を尋ねて奇怪な種族が昼夜問わず唐突にやってくるのは堪えた。
しかし、激しい戦闘を切り抜け、或いは緊張張り詰めた城砦で生き抜いた者達は、徐々に慣れて今では大した事では無いと思うようになった。
元山賊のイゴーなどは、慣れとは怖いなどと周囲に告げておきながら、自身も単独で荒野に出かけてはその弓の腕前で謎めいた鳥や小動物を狩って食料調達に貢献している。
征四郎とロズの住まうその場所には、石造りの塔が立っているだけであったが、今ではその塔の脇に小屋が幾つか並んでたっている。
その家々には、征四郎が組織した部隊『ブラック・ブラッド』の隊員達が住んでいるのだ。
彼等は、例え部隊が解散したとして戻るに戻れない素性の者達である。
元山賊であったり、反乱を越した領主の兵士だったり、戦奴として異大陸からつれて来られていたり様々であるが、征四郎と言う指揮官の下で戦い抜いた戦友でも在る。
当初は敵対した者とて居るが、今では一つの共同体として活動していた。
冬の寒さに備える準備の為、彼等が荒地に散ばっている間、征四郎は客人を迎えていた。
ルーグ城砦より3ヶ月ぶりに遊びに来ていた六郎や、自動人形のアルマ等だ。
アルマは征四郎の副官と『ブラック・ブラッド』の副長を兼ねている。
ロズの覚えも良いこの女性型自動人形は、本来ならば征四郎等と荒地に住まうのが妥当であったのだが、部隊員すべてがこの地に住むのでは無い以上、彼等が連絡を取りやすいようにとルーグ城砦に残っているのだ。
征四郎等が住む荒地よりも、ルーグ城砦に向かう方が大抵の国からでは近いのだから。
「すると、フラムスティードの娘達はまだ城砦に?」
「裁可下るまでは、ここに居るのが責務と姉の方は言ってますね。事ある事に謝られて、俺としては居心地悪いんですけど。」
徐に妹を張り倒して、周囲の度肝を抜く最中、一番穏当で発言力もあるクレヴィに裁可を持ちかけた姉の姿を思い出して、征四郎は可笑しそうに笑った。
「中々抜け目ないお嬢さんだったからな、女王の陣営もあたふたしていて面白かった。」
そう口にすると、六郎もアルマも、彼等の護衛として付いて来ていたエルフのロデリックも微かに顔を顰めた。
そこにあるのは、征四郎の言葉に対する嫌悪感ではなく、思いがけず忌み物を聞いたような反応だったので征四郎は微かに首を傾ぐ。
「失礼しました、少佐。その、女王の軍師と女王について、奇怪な噂が流れておりますので…。」
「奇怪な噂?」
アルマが征四郎の様子に気づき、謝罪の言葉を口にしてから事情の説明を始めた。
不意に荒ぶる風が塔の窓に嵌められた木戸を叩き、つっかえ棒が取れて大きな音をたてて閉じた。
日中とは言え、窓から灯りが差さねば塔の内部は暗い。
征四郎は立ち上がって、燭台に火を灯すとまた席に戻り。
「ここは如何にも風が強くてな、こう言う事も稀に在る。」
と肩を竦める。
アルマは、以前の優柔不断さを取り戻してしまったかのように、言葉に詰まったが程なくして喋り始めた。
シャーラン王国の女王の軍師と女王の変質を。
僅かに3ケ月で良くぞそこまで変容できたものだと征四郎は目を瞠った。
これが、善政を敷く様になったのであれば良かった。
だが、実際は以前に増して、悪政を敷くようになっていたのである。
以前は強制的に差し出させていた物を、今は奪うのだ。
領地を没収され、血筋を立たれた領主は既に三家を超えた、先程話題に上げたフラムスティード家が無事なのは、勇者に裁可を持ちかけ、裁可が下って居ない保留状態だからだ。
三国の首脳陣で行われたあの遣り取りを無視して、領地を召し上げれば他国の介入を招き入れる。
如何に非情に振舞おうと、反乱分子の排除と言われれば内政干渉になるため他国は黙るものだが、それが三国の不可侵領域で行われた協定の無視となれば、話は別だ。
残り二国にとっては大手を振って仮想敵国を集中して叩けるチャンスである。
だから、女王の陣営も手を出さずに居るのだ。
そう言う意味では、フラムスティード家は首の皮一枚で助かっているような物。
「また内乱が起きるぞ?」
今度こそ正真正銘の国を二分する内乱だ。
いや、それ所か革命でも起きかねないのでは無いか。
そう呆れた征四郎にアルマは頷きつつも、言葉を言い添えた。
「普通ならばそうなのですが、今はそうはならないと思います。圧倒的な恐怖で人心を縛っています。拷問と密告がシャーラン王国を包み込んでいます。ブラウニング領よりも更に重く暗い空気のように。」
人形遣いと呼ばれた魔術師の死霊が作り上げた、相互監視社会とでも呼ぶべき光景を思い返す。
操られていた少年達の慟哭は、未だに止まないとも聞いていた。
そして、それより酷い状況が王国内で巻き起こっているのかと、流石の征四郎も口元を歪めた。
「なるほど、確かに顔を顰めたくなる話題だ。連中は利巧でもなかったが、そこまでの馬鹿でもなかったはずだ。それが今では自身の首を絞めながら、国民の命を搾り取るか。」
「はい、これにはクレヴィ様も心を痛めておりまして。それで、決意したと。」
「そう、言ったのだな?」
「はい。」
その言葉に征四郎はただ頷きを返した。
それから、微かに首を傾いで問うた。
「痛ましい事だが、奇怪なとは如何なる意味だ。」
その言葉にアルマは一瞬言葉を詰まらせた。
それが、一体何に根ざした感情の結果なのか征四郎には分らなかった。
だが、彼女の言葉を聞いて漸く得心したのだ。
「女王もその軍師も、ある夜から変質しましたが、それだけに留まらず……その邪神官を敬うようにと告げているそうです。」
征四郎は軽く頭を左右に振ってから、この話題から話を変えるべく、美味いワインが手に入ったのだと明るく告げた。
邪神官デルアーの話題は、征四郎や六郎以外には暗く影を落とす話題である事を知っているからだ。
それから、荒地に散っていた者達が戻り、ささやかながら来訪者と共に食卓を囲んだ。
滅多に出回らないとされる地底世界産のワインも振舞われて、和やかな時間が過ぎていく。
そろそろ、この様な静かな時間も終わりを迎える事を誰もが感じ取りながら、今を楽しんでいた。
荒地では就寝は早い方が良い。
過去からその姿を持ってして警句を伝える使者が、荒廃した大地を踏みしめ、嘆き悲しむ光景は見ていて気持ちが良いものでは無いからだ。
だが、征四郎は既にこの地で十数年の歳月を過ごしている、それらを眺め見たところで最早恐怖も嫌悪も無い。
その傍らには、これまたこの光景に動じることの無い死霊術師のロズである。
塔の最上階…と言っても三階建てほどの高さだが、何も無い荒地は遠くまで見る事ができる。
曇天に合間から月が顔を見せて、荒れ果てた大地を哀れむように照らしていた。
「その女王と軍師の変容を、貴公は如何見る?」
「取り乱すほどには、追い込まれていないはずだ。裏で何かが動き出しているのだろうが……。それ以上は分からんね、ロズは?」
「……考え過ぎかも知れんがな。ルーベル・ドラコが関わっているのでは無いかと思えるのだ。」
「絶大なる力を振るう赤い竜の魔法名を持つ魔術師か。」
「貴公の夢にも出てきただろう?」
そうだったかなと、征四郎ははぐらかしたが、覚えてはいた。
緋色のジャケットを羽織った男の姿を。
恐るべき威圧感を持っていたが、征四郎にはそれ以上の圧に晒された経験があったので取り乱しはしなかった。
この世界に飛ばされた際に出会った黄金の瞳を持つ男に。
夢に出てきた魔術師も、それに言及していたような気がする。
彼等の存在を垣間見るより、月明かりに照らされ、青白く染まった地上を哀れに彷徨う亡霊を眺めている方が遥かに人を見ているような心地になる。
傍から見れば、自分たちもその様に見られているのかも知れぬと征四郎は一つ息を吐き出す。
「何が来ようと余と貴公が居れば何とでもなろう。」
思案する征四郎を慮ってか、ロズは慰めとも励ましとも付かぬ言葉を口にして笑って見せた。
そして、翡翠色の蛇のような双眸で征四郎を見上げるロズ。
それに気づいて、身を屈ませてロズの唇に唇を寄せようとした征四郎。
その二人の耳元に不意に風が吹き抜け声がした。
「良い所を邪魔するぞ、姉妹ロズ。それに、ドラゴンバスターを受け継ぎし者よ。」
その声に動きを止めて、征四郎は周囲を軽く見やった。
ロズは、その声を聞けば渋面を作り。
「空気を読め、姉妹リマ。何用だ、霧は晴れてもいない。」
そう吐き捨てた。
だが、姉妹リマと呼ばれた声は臆することなく一つ笑って。
「姉妹二人で会うのは霧が晴れたら、だった筈だ。一人でならば、いつでも良かろう? 姉妹ロズの良人が如何様な人物か、気になるのは姉妹として当然では無いか。」
そう告げた。
征四郎は居住まいを正して、見えぬ相手に一礼した。
だが、口にした言葉は些か礼に反していたかも知れない。
「お初にお目にかかります。確かにロズワグンさんより姉妹の方と引き合わせる旨は聞いております。ですが、少しばかりお待ちいただいて宜しいでしょうか? まだ、口付けが終わっておりませんので。」
そう告げれば、口をへの字に曲げていたロズの顔を両の手で押さえて、口付けをした。
それには流石のロズも驚き目を丸くしていたが、口付けが終わる頃には含み笑いを零して。
「姉妹が見てる前で、そんな、大胆な……いや、余は構わんのだがな、余は。」
その様を見て呆れたのか姉妹リマの声は聞こえなくなっていた。
「……順番を守っただけなのだが。」
小さく呟く征四郎にのみ聞こえる声で微かに聞こえたのは。
「……面白い男は好きだぞ。」
と、低く掠れたような女の声が聞こえたような気がした。
それが姉妹リマと呼ばれた者の声なのか、否かは征四郎には分らなかった。
ただ、首を傾げて、テンションが高くなっているロズの脇で何か拙かっただろうかと自身の行動を真面目に反芻するのだった。
その眼前には、夜の闇に紛れて、滅びた種族の亡霊が彷徨い嘆き歩いていた。
遠く離れたテルハ大陸の腐敗と再生の上皇と呼ばれる新しき神の住まう総本山。
その地で不意に高らかに笑う女の声が木霊した。
「ふ、ふふ、はははっ、いや、可笑しい!ああ、久々に可笑しい。良いなぁ、我も欲しいなぁ。」
その声が聞こえると、大神官オリンドは困ったように首を左右に振った。
「何ぞ、ナグ様が騒いでおりますな。」
ベールに遮られた向こうから、老いた男の声が返って来る。
「楽しい事でもあったのだろう、ナグさんはよう笑うからな。」
「時々信者をつまみ食いしなければ、私も何も言わないんですけれどね。」
「そりゃ無理だ、ナグさんだもの。」
軽妙とも言える遣り取りだが、大神官の会話の相手は神の一柱である。
腐敗と再生の上皇と呼ばれる新しき神。
腐り果てた大地も何れは新たな命を育むと、ひたすら腐敗山脈と呼ばれる異様な地で、植物の再生を研究していた魔法帝国の老賢者は何時しか神性を得ていた。
当人がそれに気付いたのは、魔法帝国が滅び去ってから100年ばかり過ぎてからの事だった。
同僚の息子の娘を名乗る三姉妹に出会い、魔法帝国の滅びを知り、自身がいつの間にか人の身を逸脱していることに気づいたのだ。
「良く無い事をしでかさなければ良いんですがね。」
「それも無理だ、ナグさんだもの。」
漠然とした不安、主に人様に迷惑をかけないかを案じながら、諦めを含んだ声で大神官と一柱は盛大な溜息をついた。
神であろうと、人であろうと、泣き、笑い、怒るものだ。
特に人から成り上がった神ならば。
この直ぐ後であった、旅立ちを決めたリマジルクが暇乞いにやって来たのは。
そして、一柱と一人はまだ見ぬロズワグンの良人とやらの幸運をひっそりと祈るのであった。




