第25話「発覚」(改定)
何故に征四郎がシーグリッドを伴ない聖堂に現れたのか、そして何故に呪印を解呪したのかを語るには時間を巻き戻す必要がある。
凡そ数十分程前の、ささやかな戦いを。
作戦が開始された直後の時間帯。
尋問目的で征四郎が囚われていた屋敷に赴いたシーグリッドが見た光景は、想定の内ではあった、だが目の前にその光景が広がっているのは全く笑えない状況でもあった。
可能性としては全く無いとは思っていなかったが、こうも簡単にやられてしまうと如何ともし難い。
どういう状況か簡単に言えば、囚われの男が悠然と正面玄関から出てくるところに遭遇したのだ。
だが、シーグリッドにとっては其れすら瑣末ごとに思えた。
正面玄関から現れた男が放つ気配は更に笑えない代物であったのだ。
まるで、8年前まで在り続けていた戦場を思い起こさせるその気配は、匂いは、色は怖気を齎す。
死の気配、死の匂い、死の色、そうとしか形容できない厭な感覚。
その気配に当てられたように、即座にサーベルを抜き男に切りかかったが、その時点でシーグリッドには結果は見えていた。
さしたる痛手も与えられずに、己が死ぬであろう結果が。
それでも、先手を打って切りかからねばと全身が勝手に動く。
培ってきた経験が、それから遠ざかる為に必死に足掻いた結果でもあった。
サーベルの切先が地を削らんばかりに下げられ、その構えのまま疾駆してくる影に征四郎は悠然と備えた。
如何も最近気づいたのだが、手練であっても己の放つ気配に釣られてか、無理な攻撃を仕掛けてくる。
それが、気圧されてなのか、嫌悪感から来るのかは定かでは無いのだが。
それを堪えて戦えたのは、あのコボルトの老人バルトロメ位なものである。
敵対していなくとも、戦場を知る者はつい身構え、敵対者ならば問答無用で襲い来る。
これは、生存の可能性を大幅にあげてくれる要素だと考える余裕すら、征四郎にはあった。
地を擦る一撃が振り上げられると、半歩脇に避けてその切先をかわす。
それが半分はフェイクである事を征四郎は感じていた。
本命は次の一撃、振り上げられた切先が反転し、振り下ろされた一撃である事を征四郎は看破し、ただ真っ直ぐに相手へと突き進む。
そこで、初めて敵が女だと知れたが、特に動揺もなく征四郎は振り上げられていたその腕を掴み、横合いに引っ張りながら足払いを仕掛けた。
シーグリッドは思いも掛けない攻撃に怯みはしたが、即座に体を引っ張られた方へと飛んで、足払いを避けると共に征四郎の腕から逃れるが、掴まれた右腕を捻ったか痛めた様でずきずきと痛みが走り抜ける。
それでも、とシーグリッドは構えた所で不意に気づいたのだ。
目の前の男、確かに気配は一つだけなのに、存在は一つだけなのに、数多の視線を感じると。
それが何処から感じるのか気づいた瞬間、シーグリッドは思わず呻きそうになる。
無数の目が、男の纏う見知らぬ服装の汚れた部分に浮かび上がって、こちらをじっと見ているのだ。
まるで見定めるかのような視線を受け、痛む右腕を庇いながらシーグリッドは男の双眸をにらみつけた。
服に浮かぶ目など気にしてなんになる、真に恐れるべきは相対者だ。
だが、その赤土色の双眸からは何も読み取れはしない、その思惑は勿論、敵意も殺意も読み取れない。
……なんと言う敵が紛れ込んでいたのか。
シーグリッドは慨嘆し、その思いが目の前の敵に対してではなく、己等をこの地に連れてきた者に向けられていることに気づいて苦笑を浮かべる。
その様子を赤土色の瞳と、無数の色も形も違う幾つもの瞳が見詰めている。
一体、眼前の敵は何者なのか。
その疑問に答えが出ないであろう事を予想しながら、シーグリッドは踏み込む。
それは、死線に再び足を踏み入れたことに他ならなかった。
一方で征四郎は不思議に思っていた。
何故目の前のデモニアの女は逃げ出さないのかと。
この町で出会った中では一番の手練である、凡そ勝ち目など無い事に気づいている筈。
そも、シャーラン王国においてデモニアが兵士である事が異質。
垣間見せた剣の技も、シャーラン王国には発展しようが無い要素に満ちている。
ケンタウロスが得意とするのは槍だ、エルフは概ね弓を用いる。
エルフでも剣を使う者は居るが、それは速さに重きを置いた物であったと城砦で出会ったロデリックと言う名のエルフを思い出す。
しかし、このデモニアが用いたのは重々しい戦場の剣。
フェイクを織り交ぜた一撃や、必殺を狙った一撃などは正にそれだ。
征四郎とて、銃弾飛び交う戦場では十全と発揮できずに居たが、刀の扱いには多少の覚えはある。
基本無手技の古流を嗜んでいたが、刀剣の扱いを知らねば無手等極められない。
だからこそ分るのだ、その偽装と必殺、その駆け引きが発展するにはシャーラン王国は不向きだと。
特別な訓練を受けた白兵専用の部隊が居るのか?
しかし、そうであるにしては全く話題にもならないのは可笑しい。
長く小競り合いが続く閉ざされたバルアド大陸だ、そんな部隊を運用すれば秘匿等出来るはずも無い。
それに、そんな噂を亡霊ですらしなかったのである。
で、あるならば目の前の女は何者だろうか。
5年前より現れたというシャーラン王国の軍師とやらが関係ありそうだなと征四郎は思案を重ねる。
その間も、相対は続いているが最早格付けはすんでしまっている。
片や無傷で思案する余裕すらある征四郎と、片や利き腕を痛め、気配や視線に苛みながらも如何にか気力を振り絞っているシーグリッド。
征四郎が、動く素振りを見せるだけでそれは十分な牽制になりえる状況が成立していた。
だが、征四郎とてこのまま無為に思案に時間を費やす訳には行かないのだ。
聖堂では部下が作戦を開始している筈。
相対したものからすれば、征四郎は死の権化の如き存在であるかも知れないが、征四郎自身にすれば自身はただの一軍人に過ぎない。
だから、成すべき事は成すのみである。
(次の一撃で終わらせる……。)
胸中そう結論付ければ、征四郎は腕を胸元辺りまで掲げて指先を軽く握り構える。
剣での一撃であれ、足技を使う一撃であれ、腕なり足なりを捕まえて折り、その勢いのままに急所に一撃を叩き込むべく、意識を研ぎ澄ます。
途端にシーグリッドが感じる殺気は段違いのものになった。
痛みを訴える利き腕、吹き荒ぶような殺気、それらを感じれば自ずと冷たい汗が流れ落ちる。
額からも吹き出て、米神を伝う段になれば目に入れば致命的と痛みの無い左手に剣を持ち替えて、右腕の袖で汗を拭う。
その際に掌を相手に見せる形になった。
それが一つの転機となる。
征四郎が垣間見た相手の掌に刻まれた印は、その形自体は見たことは無かったが其れよりも古い物は師より教えられていた。
強制の印と呼ばれた呪いに良く似ている。
師が知っているのは三百年は前の他派の呪いである。
月日が流れれば新たな物が生まれるのは当然とも言えて、そこで不意にその印に興味が湧いてきた。
古い印ならば打ち消す術を教えられていたが、アレには果たして効くのだろうか。
そして、アレが予想通りのものであるならばこの敵も、懐柔可能かも知れないと。
殺せばそれで終いだが、懐柔できれば裾野は広がる。
如何に死者に干渉できるとは言え、この世は生きる者の為の世界だ。
生かして置けるならばそれに越した事は無い。
「如何なる理由で呪いを刻まれたかは知らんが、打ち消せるかも知れんぞ?」
所詮言葉は呼び水に過ぎない。
それでも、凄まじい殺気を叩き付けていた張本人にそんな事を口にされれば、一瞬シーグリッドも虚を突かれた。
普段の彼女であれば、返り見すらしなかったであろう言葉に、である。
その一瞬があれば、征四郎には十分である。
一気に懐に飛び込み腕を取り、全身を使ってシーグリッドの体を大地に叩き付ける。
ダンッと激しい音が響き、背中を激しく打ち据えられて苦悶の呻きを発するシーグリッドの腕を持ち上げ、征四郎はその掌を見据えた。
間近に見れば、やはりそれが強制の呪いと呼ばれた印の亜種である事が分かった。
地底にて眠れる神への嘆願と呼ばれる赤土色の瞳の妖術師のみが行う仕草を、つまり己の額に触れて一礼した後に、地底に眠るあのふさふさなトカゲの姿を思い浮かべ己の心臓のある辺りに右拳を沿え、偉大なる神を讃える文言を口にする。
「ラ・バルアネ、ディルター、ケム。我が偉大なる主、ラ・バルネア。大いなる大蜥蜴、眠りに付く柔毛の竜、乾いた大地の支配者よ。我に呪いに打ち勝つ力を与えよ。ラ・バルアネ、ディルター、ルサー。」
途端、苦悶にて息も絶え絶えな様子のシーグリッドは掌に熱を感じて目を見開いた。
一瞬だけ感じた熱は、嘗て呪いの印を刻まれた際に感じた熱に似ていたからだ。
捻り痛みを訴えている右腕を掴まれていたが、不意に離されるとあわてて覗き見る。
そこには8年前より消えることの無かった印が綺麗に消えた後であった。
「ほう、効くのだな。」
そう呟く征四郎に視線を投げかければ、額に微かな汗を浮かべて呼吸を整えている所であった。
それからは、話はスムーズに進んだ。
シーグリッドに征四郎は命を救う見返りに情報交換を持ちかけ、彼女は其れに応えた。
聖堂の仲間を助けてくれるのならばと言う条件をつけて。
最早戦闘が始まっていたので、現時点で生き残っているものは助けようと征四郎も条件をつけて其れで成立した。
そして、急ぎ聖堂へと向かった訳である。
鐘が破壊されるとバテスの街では大きな混乱が生じた。
治安部隊として活動していた少年等が一斉にその動きを止めた。
彼等自身が人質であり、また家族の動向を監視していた監視者でもあったのだが一様に動きを止めたのだ。
無論、死んだわけでは無い。
ただ、皆がぴたりと動きを止めて、暫くした後に漸く個々が違った反応を見せるようになった。
泣き崩れる者、狼狽して騒ぎ立てる者、何が起きているのか理解できずに呆然とし続ける者。
中には、自身の密告で家族を失った者まで居り、不意にそれらが悪事であったと気づいてしまったのだ。
その混乱は、町中を覆ったが数日で収まるだろう。
個々の不幸な事件は暫く起きるかも知れないが。
騒ぎを起こした傭兵達は無事に逃げ延びて、追跡を諦めた駐屯軍は状況が変わったことに驚いたが、治安部隊参加者達の騒ぎを収めるため奔走する事になった。
そんな状況の中では、鐘を破壊した者を追いかけよう等と言い出すものも無く、また互いを監視するような空気でもなくなったことで、今のブラウニング領を客観視できるものも出てきて、周囲との軋轢を緩和すべく動き出した。
この騒ぎは、言い換えれば人質と言う存在が消えた事を意味している。
征四郎がレーギーナに告げた作戦の目的は達成されたのだ。
後はこれを戦場である城砦付近にまで広めれば良い、だけであったのだが誤算が生じた。
勇者が眠りから醒めた事が遂にジャスパーに知られたのである。
事の起こりは城砦内部での諍いが原因だ。
元から避難していた者達と新たに合流した者達の間で起きた食糧問題。
新たに合流した者の中に強硬に食料を隠していると騒ぎ立てる者が居て、両者の関係は日増しに悪くなっていた。
現在の城砦守備の責任者であるロズワグン=ナグは生きる者については、特定人物以外には興味がないという凡そ責任者に不向きな人物。
自動人形や六郎等が懸命にとりなしても、最早のっぴきならない所まで両者の亀裂は深まっていた。
あわや暴動か、と言う所でクレヴィが名乗り出て仲裁したのだ。
それがジャスパーに知られてしまったのである。
強硬に騒ぎ立てていた人物……これはオークだったらしいが、その人物が行方を晦ませたので或いはと思っていた矢先、ジャスパーは大攻勢を指示。
如何なる損害を出そうとも、城砦を落とせとの厳命が下されたのだ。
数の暴力に晒されれば、城砦側は風前の灯だった。
だが、眠りから醒めて一通り自身で動けるようになったクレヴィが愛剣を携えて、城壁から出撃するとそれだけで敵の軍の動きが止まった。
伝説が白日に晒される前に、敵兵が勇者の気配に飲まれて動けなくなってしまうのである。
正規軍のみならず、城砦の襲撃に加担していた荒くれ達でもそうだった。
それが数度と続けば、遂にはジャスパーは怒り心頭し、魔術師の少女を伴ない前線に向かうという段になった。
攻勢を支持して2日が経っていた、それは人質が解放されてからも2日経っている事を意味していた。
それだけの時間があれば、情報は流布してしまう。
そして、情報のみならず強襲を掛けた連中が戻ってくるにも十分な時間が経っている事を意味していた。




