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世界リセットなし。~死んだら別人生、それでも俺の歩いた道は残るVRMMO~  作者: ユミヒロ


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第241話 知らない帆は、朝にはもういなかった


【本文】

次の朝、ドアンの船は鴎泊にいなかった。

それを知ったのは、見に行ったからじゃない。

ハナが受取場へ魚籠を上げてきて、空になった籠を床へ置きながら言った。

「青い帆、夜の潮で出たよ」

ティムが麦袋の縄を結びかけたまま顔を上げる。

「え、もう?」

「もうって何。直ったから出たんでしょ」

「聞きたいこと、まだあったのに」

ハナは魚籠の底へ張りついた鱗を指で弾いた。

「向こうはティムの質問に答えるために泊まってたんじゃないよ」

「分かってるけどさ」

分かっていない顔だった。

俺も少し残念ではあった。

潮入浦まで何日なのか。

麦が余る季節はいつなのか。

途中にどんな浜があるのか。

聞こうと思えば、いくらでも聞けた。

でも、昨日聞かなかった。

今になって惜しくなるくらいなら、あの時もう一つ聞けばよかったのかもしれない。

そう考えていると、ゼンが板を持ってきた。

《東河港 十袋 積込済》

《水位 横ばい》

《出発 昼前見込》

ティムの視線が青い帆の話から板へ移る。

「十、出るんだ」

「見込みな」

ゼンが釘を打つ。

「まだ出てない。積んだだけ」

マルクは受取場の奥で、昨日挽いた粉袋を並べている。

「石窯は?」

俺が聞くと、マルクは袋を一つ押して形を整えた。

「今日と明日の朝はある。炭窯も人数変わってない。十が着くなら、その次を見るのは着いてからでいい」

「じゃあ今は?」

ティムが聞いた。

「今は結んでる縄を結べ」

見ると、ティムの手元の麦袋は口が半分開いていた。

「話してる途中だったから」

「麦は待ってくれんのか」

「逃げないでしょ」

「こぼれる」

ティムは黙って結び直した。

その時、受取場の男がゼンへ小さな銅貨を見せた。

俺は一瞬、あの一銅貨かと思った。

違った。

釘の買い足し用に預かっている銭らしい。

男は数え終えると、そのまま袋へ戻した。

長く保留している一銅貨は、今日も動かなかった。

動かす理由がなかった。

昼前、東河港の板がもう一枚来た。

《十袋 出発》

ティムが今度は声に出さず、指だけで十を数えた。

「何してる?」

「出たから」

「数は板に書いてある」

「分かってる。なんとなく」

マルクが横を通りながら言う。

「その指で袋持て」

平和だった。

少なくとも、食料のことで誰かが走り回る日は続いていない。

だからこそ、昨日増えた点のことを考える余地があった。

受取場の壁には、俺が書いた板切れが立てかけてある。

赤崖。

鴎泊。

北鼻。

そして東側に、小さな丸。

《潮入浦 伝聞+船一隻確認》

ティムが結び終えた袋を押しながら言った。

「ドアン、次いつ来ると思う?」

「分からない」

「一月後とか?」

「分からない」

「三日後かも?」

「それも分からない」

「何なら分かるの」

「昨日いた」

ティムが嫌そうな顔をした。

「情報が弱い」

「弱いまま置いとくんだよ」

ハナが魚籠を担ぎ直しながらこっちを見る。

「知らない船なんて、来ない時は全然来ないよ。来る時は続けて来るけど」

ティムが食いつく。

「続けて?」

「そういう時もあるってだけ」

「何で?」

「風じゃない?」

「じゃあ今の風なら――」

「知らない」

ハナまで俺みたいな答えになった。

ティムが俺を見る。

「感染してる」

「何が」

「分からない病」

ハナが笑った。

「前よりましじゃない? 知らないのに知ってる顔する人より」

俺は地図の丸を見る。

昨日、線を引かなかった。

朝になったら、その線の相手はもういなかった。

もし引いていたら、今日は存在しない便を眺めていたことになる。

点でよかった。

まだ、それだけだった。

第242話 潮入浦の名を、別の船頭も知っていた

【本文】

二日続けて、鴎泊へ行く理由はなかった。

だから行かなかった。

東河港の十袋は昼を過ぎてもまだ来ない。

でも遅れの札も来ていない。

受取場では、エルナが荷駄用の革帯を短く切っていた。

前に買ってきた長革の残りだ。

「それ、もう使うの?」

ティムが聞く。

「使うから切ってる」

「何に?」

「吊り籠の留め。今のが裂けたら替える」

「裂けてからじゃ駄目?」

エルナは刃を止めずに言った。

「裂けてから替えると、何か落ちるかもね」

ティムは少し考えた。

「先に替えよう」

「そういうこと」

俺は革の端を押さえた。

そこへ、赤崖の下から男が一人上がってきた。

前に北鼻の綱痕を見た時、「昔からそう呼ぶ」と言った船頭だった。

今日は魚籠も網もない。

肩に細い木の棒を二本担いでいる。

先端に鉄輪が付いていた。

「それ何です?」

ティムが聞く。

船頭は足を止めずに答える。

「櫂の輪。鍛冶に締め直してもらった」

「鴎泊?」

「他にどこがある」

ハナのところで見る船の櫂とは少し形が違う。

船頭は受取場の隅へ棒を置くと、水を一杯もらった。

飲みながら、壁の板切れに目を止める。

「何だ、それ」

ティムが先に言う。

「新しい町」

俺はすぐ訂正した。

「町かどうかも見てません」

船頭が板へ近づく。

「潮入浦?」

俺とティムが同時に顔を上げた。

船頭はそれを見て眉を寄せる。

「何だよ」

「知ってるんですか」

俺が聞いた。

「名前くらい」

ドアン以外の口から、同じ名前が出た。

それだけで昨日より丸が少し重くなった気がした。

ティムが板の横へ寄る。

「行ったことある?」

船頭は水をもう一口飲んだ。

「一回だけ。若い頃」

「どれくらいかかる?」

「覚えてねえよ」

「何日?」

「だから覚えてない」

ティムが俺を見る。

俺は何も言っていない。

「レンより厳しい」

「誰と比べてる」

船頭は杯を返した。

櫂の輪を一本持ち上げる。

そこで終わると思った。

でも、板の丸をもう一度見てから言った。

「入るなら潮見ろよ」

ティムが止まる。

「潮?」

「入口が浅い。引いてる時に入ると腹擦る」

俺は板へ目を戻した。

「船底を?」

「船による。俺が乗ったのは小さい舟だったけど、それでも棒で押した。荷持った船なら、もっと待つんじゃないか」

「ドアンの船くらい?」

「知らん。見てない」

また、分からない。

でも今度の分からないには、ひとつだけ確かなものが混じった。

潮入浦は、いつでも入れる場所じゃない。

ティムが聞く。

「だから潮入浦って名前?」

船頭は肩をすくめた。

「名前付けたやつに聞け」

エルナが革を切り終え、笑いをこらえるみたいに下を向いた。

ティムが少し不満そうにする。

「でも、潮で入るから――」

「そうかもしれんし、違うかもしれん。俺は知らん」

船頭は櫂を肩に担ぐ。

「それより、その板の線、変だぞ」

俺は一瞬、身構えた。

線は引いていない。

船頭が指したのは鴎泊と北鼻の間だった。

俺が歩いた形を雑に書いたせいで、崖の向きが少し曲がりすぎている。

「北鼻、もっとこっちだ」

「行ったことあるんですか」

「沖からなら毎年見る」

ティムが言う。

「潮入浦より詳しい」

「近いからな」

当たり前だった。

船頭はそれ以上、潮入浦の話をしなかった。

櫂の輪を受け取りに来ただけだ。

仕事が済んだら帰る。

その背中が赤崖へ向かったあと、ティムが板の丸へ指を伸ばした。

「書く?」

「何を」

「干潮だと入れない」

「入れない、までは言ってない」

「腹擦る」

「船による」

「面倒」

「だからそのまま書く」

俺は炭を持った。

《潮入浦 船一隻実見+別船頭確認》

その下へ小さく、

《入口浅い/干潮時注意 船種差あり》

ティムが読む。

「注意、なんだ」

「今分かってるのはそこまで」

線はまだ引かなかった。

ただ、昨日より点の中身が増えた。

ひとつの船から聞いた名前が、別の人の記憶にもあった。

それだけで地図は少し本物に近づいた。

でも、本物に近づくことと、すぐ使えることは同じじゃなかった。

第243話 二度出た点でも、まだ道にはしなかった

【本文】

東河港の十袋が着いたのは、その日の夕方だった。

予定より早くも、遅くもない。

荷駄が赤崖を上がる音を聞いて、マルクが受取場から出てくる。

「何袋」

ネドが先頭の荷駄を止めた。

「十。途中で破れなし」

「水は?」

「昨日と同じくらい。舟は出た」

マルクはそれだけ聞くと、一袋ずつ口と底を見始めた。

ティムが横から覗く。

「全部乾いてる?」

「今見る」

「東河港、もう戻った感じ?」

マルクが袋を押す手を止めた。

「何が」

「水位とか、量とか」

「十袋来た」

「うん」

「それ以上、今ここで分かるか?」

ティムが俺を見る。

「またこの流れ」

「聞く相手が悪い」

「レンも同じじゃん」

ネドが荷駄の腹帯を緩めながら言った。

「お前が聞きすぎなんだよ」

三対一になった。

ティムは麦袋へ逃げた。

十袋は受取場へ入った。

今ある分と合わせれば、石窯も炭窯もすぐ困らない。

挽き場も明日の朝から二袋ずつ回せる。

ゼンは板へ書く。

《東河港 十袋 実着》

その下に、次便の欄はまだ空白だった。

俺はそれを見てから、壁際の小さな地図を見る。

昨日まで何もなかった東側に、潮入浦という点がある。

船一隻を実見した。

別の船頭も名前を知っていた。

入口が浅いらしいことも分かった。

大麦が一袋、実際にそこから来ていた。

それでも、今北側へ届いた麦は東河港の十袋だ。

確かな道は、今日も働いている。

ティムが俺の隣へ来た。

「二人知ってたなら、線引いてもよくない?」

「何と何をつなぐの」

「鴎泊と潮入浦」

「ドアンは毎回鴎泊に来ない」

「じゃあ点線」

「点線でも道に見える」

「地図ってそういうものでしょ」

「俺たちがそう使うならね」

ティムは板を眺める。

しばらくして、炭を一本取った。

俺は止めなかった。

何をするのか見ていた。

ティムは鴎泊の点から東へ、ほんの指一本ぶん線を引いた。

そこで止まった。

「これくらいなら?」

「何の線?」

「気になる方向」

思わず笑った。

「地図に気分を書くな」

「じゃあ消す」

指で擦る。

炭がきれいに消えず、灰色の跡だけ残った。

ティムがさらに擦る。

広がった。

「悪化した」

「だから触るなって言う前にやるんだよ」

「言ってなかったじゃん」

「今言った」

二人で布を探していると、ゼンが後ろから来た。

「消すなら湿らせるなよ。板が反る」

ティムが振り返る。

「みんな地図に詳しい」

「板の話だ」

結局、薄い灰色は少し残った。

線ではない。

汚れに近い。

でも俺には、昨日までなかった方向に見えた。

「潮入浦、次どうする?」

ティムが聞く。

俺はすぐ答えなかった。

ドアンを追う必要はない。

船を用意する必要もない。

麦を買う約束もいらない。

それでも、二つ目の情報源は出た。

世界の側から、同じ点が二度こちらへ触れてきた。

「次にまた名前が出たら、その時考える」

「三回目待つの?」

「回数じゃないよ」

「じゃあ何」

「こっちに用事ができるか、向こうからまた何か来るか」

ティムは少し考える。

「つまり、まだ待つ」

「うん」

「レン、待つの上手くなったね」

褒められている感じがしなかった。

「昔が下手だったみたいに言うな」

「昔知らないけど」

知っていたら、たぶん言い直す。

前の人生では、点を見つけたら線にした。

線ができれば、人も荷も増えた。

増えれば強くなると思っていた。

実際、強くなった。

だから止める理由が見えなかった。

今は、東河港から十袋が届いている。

北側は食べられる。

潮入浦は消えない。

急いで線を引かなくても、世界の方が続いている。

俺は地図の潮入浦の横へ、今日の日付代わりの小さな傷を一本だけ入れた。

《船一隻実見+別船頭確認》

《入口浅い/干潮時注意 船種差あり》

そこまで。

鴎泊との間は空白のままにした。

空白があるから、次に何が入るのか気になる。

それでいい。

少なくとも今は、道を作るより先に、道が本当にあるのかを見ていたかった。


第244話 炭窯から来たのは、炭じゃなく「道が落ちた」だった

【本文】

東河港から十袋が届いた翌朝、受取場で急いでいるのは麦じゃなかった。

挽き場へ回す二袋をマルクが選び、残りはそのまま積まれている。石窯も炭窯も、今日中に追加の麦を求めてはいない。俺とティムは空になった粉袋を畳んでいた。

「これ、角そろえる意味ある?」

ティムが三枚目で聞いた。

「積む時、崩れにくい」

「今、積まないよね」

「次に積む人が楽」

「未来の人に優しい仕事だ」

言いながら、ティムの袋だけ角が全然そろっていない。

その時、戸口に影が止まった。

炭窯の男だった。いつもなら炭の匂いを連れてくるのに、今日は手ぶらで、膝から下だけ泥が跳ねていた。

「ネドいる?」

息は上がっている。でも、叫んではいない。

マルクが袋から顔を上げた。

「荷駄?」

「一頭、向こうに置いてきた。人は平気。道の端が落ちた」

ティムが畳みかけの袋を置いた。

「道が落ちたって、全部?」

男は一度ティムを見て、それから床の袋を見る。

「人は渡った。荷を積んだままの荷駄は無理。見りゃ分かる」

説明はそれで終わった。

ネドは荷駄小屋の裏にいた。話を聞くと、最初に聞いたのは道の長さでも崩れた幅でもなかった。

「荷は何だ」

「炭袋、四つ。左右二つずつ」

「荷駄は繋いである?」

「太い木に。暴れてない」

「人は?」

「俺だけ。向こうに誰も残してない」

ネドはそこでやっと頷いた。

「じゃあ走らなくていい」

ティムが小さく言う。

「走って来た顔してるけど」

炭窯の男が自分の膝を見た。

「途中から歩いた」

「泥は走った跳ね方」

「お前、暇なら袋畳んでろ」

マルクが遠くから言った。

ティムは黙った。

俺はネドを見る。

「行きます?」

「行く。荷駄の道なら俺が見る。お前ら二人は……」

ネドの目が俺とティムを一度ずつ往復した。

「邪魔なら帰す」

「基準そこ?」

ティムが不満そうに言った。

「一番大事だ」

マルクは受取場の人数を見てから、俺たちへ顎を向けた。

「昼の挽き分まではこっちで回る。夕方までに戻れそうなら行ってこい。無理なら誰か一人、先に戻せ」

全員で行く前提にはしない。

それも最近は普通になった。

ネドは大きな道具箱を持たなかった。長い木棒を二本と、小さな手斧だけ。崩れた道を直しに行く装備には見えない。

「直さないんですか」

俺が聞くと、ネドは木棒の先を地面へ当てた。

「まだ見てないものを何で直す」

「土持ってった方が早くない?」

ティムが言う。

「土が足りないならな」

「違ったら?」

「運んだ分だけ重い」

ティムが俺を見る。

「最近、何も持たないのが正解の回多くない?」

「今日は棒二本ある」

「そこじゃない」

赤崖とは反対へ、炭窯の支道を上がった。

途中までは何も変わらない。荷駄の蹄跡もある。炭窯の男が戻ってきた跡も、その上に重なっていた。

道が細くなり、斜面が深くなるあたりで、男が速度を落とす。

「この先」

声も少し小さくなった。

俺は前へ出かけて、ネドに肩を押された。

「先に見るの俺」

「はい」

昔なら、道を見つけた側が先頭に立つことを当然にしていた気がする。

今は荷駄の道だ。

ネドが先でいい。

十数歩先に、荷駄が見えた。

道の向こう側。木に繋がれ、耳だけこちらを向けている。左右には炭袋が二つずつ下がったままだ。

その手前の道も、一見すると残っていた。

幅は、人なら歩ける。

土もある。

草まで生えている。

「どこ落ちたの?」

ティムが言った。

炭窯の男は答えず、木棒をネドへ渡した。

ネドが道の外側を突く。

一度目は何も起きない。

二度目。

棒の先が、土の下へすっと入った。

三度目。

俺たちから二歩先の地面が、音もなく沈んだ。

草を載せたまま、板みたいに斜面へ滑り落ちる。

ティムが一歩下がった。

俺も、同じだけ下がった。

道は残っていたんじゃない。

上だけ、残っていた。

第245話 道は残っていた。下だけがなくなっていた

【本文】

崩れたところは、歩幅で三つか四つ分だった。

でも、なくなったのはその幅だけじゃない。

ネドが木棒で外側を探るたび、土の下に空いたところが少しずつ広がっていく。

「水だな」

炭窯の男が斜面の下を覗いた。

ネドはすぐには返さなかった。棒を抜き、今度は道の山側へ差す。そこは固い。

「たぶん。ただ、どこから入ったかは今見えん」

“水で崩れた”と決めてしまわない。

昨日までなら、俺もそこまで考えなかったかもしれない。

ティムが向こう側の荷駄を見る。

「人なら行けるって言ったよね」

「俺は来た」

炭窯の男が言う。

「どこ通ったの」

「山側。横向きで」

男が指したのは、残った道のさらに内側だった。岩と土の間に、靴一足ぶんの固い部分が続いている。

ネドが俺を見る。

「荷物なし」

「まだ何も言ってません」

「もう身体が前向いてる」

ティムが笑いそうになって、やめた。

見透かされると、俺も反論しづらい。

俺は何も持たず、山側へ身体を向けた。

一歩。

左肩が岩に触れる。

二歩。

足の外側が、空いた方へ半分出る。

頭の中では、もう次の足場まで見えていた。

身体がそこへ届くかは別だった。

三歩目で、右足を置く位置が少し遠い。

前の人生なら、そのまま体重を送っていたと思う。

俺は一度、足を戻した。

後ろからティムが言う。

「戻った」

「見えてる」

「いや、レンが」

「分かってる」

足場を変える。

今度は届いた。

向こう側へ渡る。

四歩くらいしかないのに、ふくらはぎが張った。

Lv3の身体は、頭の中の距離をそのまま使わせてくれない。

荷駄は俺が近づくと鼻を鳴らした。

「待ってろ。俺もまだよく分かってない」

言ってから、動物に説明してどうすると思った。

向こう側から道を見ると、崩れ方が少し違って見えた。

外側の土が斜めにえぐれている。上の道幅だけでは分からなかった。

炭袋を一つ外す。

持てない重さじゃない。

ただ、炭は軽いわりに袋が大きい。抱えると足元が見えにくくなる。

「一つ持って戻る」

俺が言うと、ネドが即答した。

「やめろ」

「重くない」

「重さの話だけしてない」

「一回だけ」

「落とすなら炭だけにしろ」

それは許可なのか。

たぶん、違う。

俺は袋を山側の肩へ寄せた。

一歩目は問題ない。

二歩目で袋の端が岩へ当たった。

身体が外へ押される。

足を置く。

置いた土が、靴の下で一握りぶん崩れた。

反射で前へ出ようとして、やめた。

袋を落とした。

炭袋は足元へ転がるだけで止まった。

俺は岩へ肩を押しつける。

息が一つ遅れて出た。

「一回だけって言ったな」

ネドの声が低い。

「終わりました」

「成功みたいに言うな」

ティムは笑わなかった。

代わりに、俺の足元を見ている。

「そこ、さっきより減ってる」

言われて見る。

確かに、靴一足ぶんあった縁が少し細くなっていた。

同じ道でも、通った後は同じじゃない。

俺は炭袋を向こう側へ戻した。

「人だけなら渡れる。でも、荷を持つと別です」

「最初から言ってる」

ネドはそう返したが、怒鳴らなかった。

俺が戻るのを待ってから、木棒で足元をもう一度探った。

ティムは崩れたところではなく、もっと上を見ていた。

「ねえ、あれ何?」

斜面の草の中に、細い筋がある。

道と呼ぶには薄い。

でも、同じ高さで横へ続いている。

炭窯の男が目を細めた。

「昔の切り出し道だな。今は使ってない」

「荷駄、行ける?」

「知らん。俺が使ってないって言っただろ」

ティムがもう一歩上がろうとする。

ネドが木棒を横に出して止めた。

「一人で始めるな」

「見るだけ」

「その言葉、便利だな」

俺はさっき自分が落とした炭袋を見る。

笑えなかった。

四人で上へ回った。

古い切り出し道は、崩れた場所の上を大きく回って、向こう側へ戻っていた。

人なら普通に歩ける。

荷駄も、空なら通れそうに見える。

ただし途中に、根が張り出して幅を狭くしているところが一か所ある。荷を左右へ下げたままでは、たぶん片側が当たる。

ネドはそこまで見て、やっと言った。

「荷を外す。荷駄だけ上を回す」

ティムが崩れた道を振り返る。

「炭は?」

「人で運ぶ」

「四袋」

「数えられるな」

「運べるって意味じゃないよ」

「分かってる」

一つの道で全部を通そうとしたら無理だった。

人が通れる線と、荷駄が通れる線を分ければ、帰れるかもしれない。

“かもしれない”のまま、次を試すことになった。

第246話 荷駄は帰った。でも明日の道までは直っていない

【本文】

最初に動かしたのは荷駄だった。

炭袋を四つ外すと、さっきまで横へ大きく見えていた身体が急に細くなる。

ネドが鼻先を撫で、古い切り出し道へ向けた。

「俺が行く。前へ出るなよ」

これは俺たちへの言葉なのか、荷駄への言葉なのか分からない。

ティムが聞こうとしたが、俺が首を振った。

今はどっちでもいい。

根が張り出した狭いところで、荷駄は一度止まった。

ネドも引かない。

押さない。

少し待つ。

荷駄が自分で首を下げ、山側へ半歩寄った。

それから通った。

ティムが小さく息を吐く。

「俺なら引いてた」

炭窯の男が言う。

「だからネド呼んだ」

誰も反論しなかった。

荷駄が向こう側へ回ったのを確認してから、残ったのは炭袋四つ。

低い方の道は、人ならまだ通れる。

ただ、俺が一度踏んだ場所は少し減っている。

ネドは戻ってくると、そこを見て顔をしかめた。

「同じ足跡踏むな。固いとこ探せ」

「人で運ぶって言ったのネドですよ」

ティムが言う。

「運べる量で、だ」

炭窯の男が袋の口を開けた。

「二つに分けるか」

炭は重さより嵩がある。

袋を半分にすれば足元は見やすい。ただし、空の袋が二枚しかない。

結局、二袋だけ半分に分けた。残り二袋はそのまま置く。

全部を一度に帰そうとしない。

俺は小さくした袋を一つ持った。

今度は胸の前で抱えない。山側の肩に乗せ、足元が見えるようにする。

一歩。

二歩。

さっき置けなかった場所を飛ばし、少し高い位置へ足を置く。

ふくらはぎが震える。

でも、今度は戻らなくていい。

向こう側へ着いた。

「一」

ティムが数えた。

「やめろ。まだ長い」

「数えるくらいいいでしょ」

次は炭窯の男。

その次がティムだった。

ティムは袋を肩へ載せたところで顔をしかめた。

「軽いのに邪魔」

「炭だからな」

男が答える。

「軽いなら楽だと思ってた」

「持って歩くまでみんなそう言う」

ティムは一歩目を慎重に出した。

俺よりゆっくりだった。

二歩目。

袋の角が草へ引っ掛かった。

身体が外へ向く。

「止まれ」

俺とネドの声が重なった。

ティムが固まる。

「袋、置け」

今度は炭窯の男が言った。

ティムは返事をしなかった。

膝を曲げ、袋を足元へ下ろす。

その瞬間、外側の土が少し落ちた。

ざらざらと斜面を滑っていく。

ティムの顔から軽口が消える。

「……今の、俺?」

ネドが足元を見る。

「分からん。触ったから落ちたのか、放っといても落ちたのか。とにかく、その場所はもう使うな」

分からないままでも、次の行動は決められる。

ティムは一度戻った。

別の足場からやり直す。

二回目は渡れた。

向こう側へ来た時、何も言わずに袋を下ろした。

俺も何も言わなかった。

次の袋を取りに戻る。

四人で何度か往復した。

全部を運び終える頃には、俺の肩も腕も炭で黒くなっていた。ティムは頬まで黒い。

「頬」

俺が言うと、ティムがすぐ睨んだ。

「そこ見る?」

「黒い」

「レンも」

炭窯の男が笑った。

ネドだけ笑わず、荷駄の腹帯を締め直している。

炭袋を左右へ戻す。

一度に四つ全部ではなく、二つだけにした。

残り二つは炭窯の男が後で取りに戻すと言った。

「今日、全部運ばなくていいの?」

ティムが聞く。

男は荷駄の背を見た。

「炭は逃げない。荷駄の脚は今日使う」

それで話は終わった。

帰りは、崩れた場所をもう通らなかった。

人も荷駄も古い切り出し道へ回る。

時間はかかった。

でも、誰も落ちなかった。

受取場へ戻ったのは、夕方の挽き分が始まる少し前だった。

マルクが俺とティムを見て、最初に言った。

「粉に触るな」

ティムが自分の手を見る。

「手、そんな黒い?」

「顔も」

「頬まで?」

今日は本当に頬まで黒かった。

井戸へ向かう俺たちの後ろで、ネドがゼンへ話している。

「今日、荷を外せば上の古道を空荷で通れた。積んだままは見てない。下の道は人だけ。端がまだ落ちる」

ゼンが何か書こうとして、ネドが続けた。

「明日も同じとは書くなよ」

筆が止まった。

俺も足を止めた。

今日通れた。

それは今日の事実だ。

崩れた場所の下はまだ空いている。水がどこから入っているのかも分かっていない。

炭窯の男が言っていた。

明日、土を入れれば戻せるかもしれない、と。

でも俺が見たいのは、先にそっちじゃない。

上から土を足す前に、下がどうしてなくなったのか。

直すか、迂回するか。

それとも、明日は別の仕事が先に来るか。

今日は荷駄が帰った。

道まで帰ってきたわけじゃなかった。

第247話 残した炭二袋に、今度はちゃんと用事ができた

【本文】

翌朝、俺たちは炭窯の道を見に行かなかった。

マルクに言われて、受取場の粉袋を挽き場へ二つ運んだ。

東河港から来た十袋のうち、今日挽く分だ。

ティムは二袋目を下ろしたところで腰を叩いた。

「昨日より軽いのに、こっちの方が疲れる気がする」

「昨日も疲れてただろ」

「昨日のは怖い方が先に来てた」

それは少し分かる。

危ない場所では、疲れに気づくのが遅い。

何も起きない道だと、袋の重さがそのまま身体へ来る。

昼前、昨日の炭窯の男が受取場へ来た。

今日は泥だらけじゃない。

「昨日置いた二袋、下ろす」

ネドが荷駄の蹄を見ながら聞く。

「今日か」

「今日。窯の横に置いたままなんだ。次の炭を出す場所が狭い」

ティムが俺を見る。

「用事できた」

「聞こえてる」

男は続ける。

「俺一人で持って下りてもいいけど、あの下の道は使いたくない。上の古道、荷載せても行けそうだったろ」

ネドの手が止まった。

「昨日は空で一回通っただけだ」

「二袋なら左右一つずつだ」

「重さが揃ってても、幅は増える」

男は少し黙った。

「じゃあ、どうする」

そこで初めて、今日行く理由ができた。

道を見に行くためじゃない。

炭二袋を下ろす仕事がある。

そのために、昨日の古道を使えるか確認する。

ネドは荷駄を一頭だけ選んだ。

道具は昨日と同じ木棒一本と、小さな手斧。

ティムが言う。

「昨日二本だった」

「一本置いてきた」

「忘れた?」

「炭窯にある。今日そこ行く」

ティムは納得したような、していないような顔をした。

昨日の崩れまでは、何も変わっていなかった。

少なくとも、遠目には。

下の道へ近づく前に、ネドが俺たちを止める。

「今日は下、使わん。上だけ見る」

「昨日、人は通れたよ」

ティムが言う。

「昨日な」

それで終わった。

上の古い切り出し道へ回る。

昨日、空荷の荷駄が通った蹄跡が残っている。

最初の土は固い。

草も昨日と同じくらい寝ている。

俺は根が張り出した狭いところで止まった。

昨日は空の籠だけだった。

今日は左右へ炭袋が一つずつ下がる。

袋を持ってきて、荷駄の横へ仮に当ててみる。

ティムが根と袋の間へ手を入れた。

「入る」

ネドがすぐ言う。

「手が入るのと、歩いて揺れるのは別だ」

ティムが手を抜いた。

「最近その言い方多いね」

「お前が似たこと何回も言うからだ」

炭窯の男が笑った。

二袋を左右へ載せる。

腹帯を締める。

荷駄を数歩歩かせて、止める。

右を見る。

左を見る。

昨日とは形が違う。

荷駄そのものより、炭袋の方が外へ出ている。

ネドが根の前まで連れていく。

あと一歩。

荷駄の耳が動いた。

右の炭袋の角が、張り出した根へ軽く触れた。

まだ、擦っただけだった。

でも荷駄はそこで止まった。

ネドも動かさない。

俺たちも、誰も「行ける」とは言わなかった。

第248話 空荷で通れた道は、荷を一度降ろす道になった

【本文】

炭袋は根に当たったままではなかった。

荷駄が止まったぶん、少し離れている。

でも次の一歩で、また当たる。

ティムが根を見る。

「削ったら?」

ネドが振り返った。

「誰の道だ」

「……古い道」

「誰の木だ」

「知らない」

「じゃあ勝手に切るな」

手斧を持ってきた本人が言うので、妙に説得力があった。

炭窯の男が荷駄の反対側へ回る。

「袋を少し上げれば?」

「揺れた時に背へ寄る」

ネドが答える。

「ここだけなら、降ろす方が早い」

簡単に言った。

でも二袋ある。

俺と炭窯の男で右を外す。

ティムが左へ手を掛けると、ネドが止めた。

「一人で持つな。レン、そっち終わったら二人でやれ」

「俺も持てるって」

「持てるかじゃない。落とした時、荷駄の脚がそこにある」

ティムは手を離した。

こういう時、前より早く離すようになった。

右の袋を道の山側へ置く。

左も外す。

荷駄の幅が急に小さくなる。

ネドが手綱を持った。

根の前。

一歩。

もう一歩。

今度は通った。

「昨日と同じ」

ティムが言う。

「荷を降ろしたからな」

炭窯の男が先へ行き、再び荷を掛ける場所を探す。

道が少し広くなったところで止まった。

二袋を運ぶ。

昨日みたいな崩れの横移動じゃない。

普通の道だ。

それでも炭袋は腕に持つと大きい。

足元は見えるが、横の草が袋へ当たる。

俺とティムで一袋を持った。

「せーの、って言う?」

ティムが聞く。

「言うなら先に言って」

「今言った」

「それは確認」

炭窯の男が後ろから言う。

「持つ前に揉めるな」

結局、声は掛けなかった。

二人で持ち上げる。

ティムの方が少し早い。

袋が斜めになる。

「待って、そっち高い」

「レンが低いんじゃない?」

「今それ決めなくていい」

高さを合わせる。

根の横を通る。

四歩くらい。

置いた時、腕がじんとした。

もう一袋。

二回目は、最初から高さが合った。

ティムが置いてから言う。

「上手くなった」

「二回目だから」

「成長早い」

「規模が小さい」

荷駄へ二袋を戻す。

ネドは左右の位置を何度か触った。

そこから先は、積んだまま通れた。

古道を下り、受取場へ向かう道へ戻る。

炭二袋は無事に下りた。

でも、昨日の問いに「積載荷駄でも通れる」とは答えられない。

途中で一度、荷を全部降ろしている。

受取場へ着くと、ゼンが話を聞いた。

「旧道、積載通過?」

ティムが口を開く前に、ネドが言う。

「違う。根のところで二袋とも外した。荷駄だけ通して、先で積み直し」

ゼンは書き直した。

《旧切り出し道 空荷通過可》

《炭二袋 根部で積替え必要》

俺は横から言う。

「今日の一回だけで」

ゼンが頷いた。

「そこは昨日から同じ」

今日、二袋は下りた。

道は使えた。

ただし、荷を載せたまま使える道ではなかった。

一か所だけ、荷と荷駄を分ける。

それだけで、昨日より道の使い方は具体的になった。

便利になったというより、面倒の場所が分かった。

ゲームなら、そこに印を付けたくなる。

現実の道には、印が出なかった。

第249話 迂回路にしたかった道に、水の筋があった

【本文】

炭二袋を下ろしたあと、ネドは荷駄を小屋へ戻した。

仕事は終わった。

だから俺たちも、炭窯の道へ戻る理由はなかった。

――昼までは。

炭窯の男が、受取場へもう一度来た。

今度は走っていない。

手には、昨日置いてきた木棒が一本。

「これ返しに来た」

ネドが受け取る。

男はそのまま帰ろうとして、少し止まった。

「下の道、昨日より濡れてたぞ」

ネドが木棒を持ったまま顔を上げる。

「雨、降ったか」

「窯の方は降ってない」

受取場の誰も、朝から雨を見ていない。

ティムが俺を見る。

「水?」

俺は答えなかった。

ネドが先に聞く。

「どこが濡れてた」

「崩れたとこの山側。踏んでない。上から見ただけ」

昨日の推測と、新しい報告が一つつながった。

それでも水の入口は分からない。

午後の仕事が空いたのを確認してから、四人で行った。

今日は炭を運ばない。

荷駄も連れていかない。

現場へ着くと、男の言った通りだった。

崩れた道の山側に、色の濃い土がある。

幅は手のひら二つ分くらい。

水が流れているようには見えない。

でも触ると湿っている。

ネドが木棒でその上を探る。

「ここは固い」

下の空洞とは少しずれている。

ティムが斜面の上を見る。

「上から来てる?」

「たぶんな」

炭窯の男が言う。

俺は古い切り出し道の方を見た。

昨日まで、荷駄を逃がす道としてしか見ていなかった。

上へ回る。

根の張り出した場所を過ぎ、少し先へ行くと、道の山側に浅い溝があった。

最初はただ土がへこんでいるだけに見えた。

でも、何歩か続いている。

底の落ち葉が湿っている。

ティムがしゃがむ。

「これ、排水?」

「まだ分からない」

「自然?」

「それも」

「何なら――」

「昨日言った」

ティムが途中で口を閉じた。

炭窯の男が溝の先へ歩く。

「こっち、下へ曲がってる」

古道の内側を走っていた浅い溝が、途中で道を横切るように消えている。

消えた先は草だ。

その下の斜面に、濡れた土が点々と続いていた。

さらに下には、崩れた現行道がある。

一直線ではない。

でも、方向は近い。

ネドが落ち葉へ手を伸ばしかけて、止めた。

「触らんでおく」

ティムが意外そうに見る。

「詰まってるなら取った方がよくない?」

「詰まってるか分からん。取って水が一気に下へ行ったら、お前受け止めるか」

「無理」

「じゃあ今は見るだけだ」

俺は溝の底を見る。

濡れているところ。

乾いているところ。

葉の重なり。

石の出方。

昨日の古道は、荷駄を逃がす候補だった。

今日見ると、水の通り道かもしれないものまで乗っている。

もし本当にこの溝が下の道へ水を送っているなら、古道を広げる話と、下の道を直す話は別々じゃない。

でも、そこまではまだ言えない。

ゼンへ伝える時も、そうした。

《旧道山側 浅い湿潤溝あり》

《下側崩落部方向へ湿り点在》

《関係 未確認》

ティムが文字を読んだ。

「水が原因、って書かないんだ」

「見てないからな」

ゼンが言う。

「ネドまで感染して、今度はゼンも」

「何が」

「分からない病」

ゼンは筆を置いた。

「分からんものを分からんって書く病なら、全員かかった方がいい」

ティムが珍しく言い返さなかった。

俺も同じだった。

迂回路にしたかった古い道に、水の筋があった。

それが原因かもしれない。

ただの古い溝かもしれない。

今日分かったのは、道を一本選べば終わる問題じゃないことだけだった。

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