第7話 道の値段
隣の店の男が、顔を上げた。
「道、戻ったって?」
炭を買った親父が答えるより早く、エダンが言った。
「戻ってない」
声が少し強い。
男は首を傾げた。
「じゃあ、その炭は?」
「別の道」
言ってから、エダンが口を閉じた。
遅い。
炭屋の親父が笑う。
「別の道があるのか」
「……人が歩けるだけ」
今度はミオだった。
「荷車は無理です」
「馬は?」
「知らない」
「どれくらいかかる?」
「荷物ありで半日より少し短いくらい」
「雨の日は?」
「知らない」
「橋は?」
「ない」
「川は?」
「ある」
「深い?」
質問が増える。
俺は空になった炭袋を見た。
一袋売っただけなのに、道の方がよほど高そうな顔をされている。
隣の男が身を乗り出した。
「地図あるだろ」
ミオの手が腰へ行く。
「あります」
「銅貨三十」
エダンがむせた。
俺も聞き返した。
「三十?」
炭一袋が十四枚だった。
道の線一本が、その倍以上。
ミオは即答した。
「売りません」
「五十」
「売りません」
「早いな」
「値段の問題じゃないので」
男は嫌な顔をしなかった。
むしろ少し笑った。
「じゃあ案内は?」
「それも今は」
「一人十枚」
俺は一瞬だけ計算した。
ミオがこっちを見る。
「何」
「何でもない」
「今、三人なら三十って考えたでしょ」
「考えただけ」
「顔」
とうとう市場でも言われた。
エダンが小声で聞く。
「三十って、炭二袋より高いよな」
「高い」
「道って売れるの?」
「知らない」
俺は本当に知らなかった。
ゲームで地図を売るのは珍しくない。
攻略情報も売れる。
でも、今ここで売ろうとしているのは、攻略サイトに載せる近道じゃない。
向こうには人が住んでいる。
エダンの家がある。
兄が壊した炭車もある。
女将の豆煮込みもある。
その場所へ行く線だ。
「俺が決めていいのかな」
口に出してから、自分で少し驚いた。
ミオは答えなかった。
エダンも答えなかった。
市場は待ってくれない。
炭屋の親父が次の客へ向き直り、隣の店の男は別の商人を呼んだ。
「崩落路の向こう、抜け道あるらしいぞ」
「抜け道?」
「荷車は無理だって」
「炭が来たんだろ?」
「人が背負ってきた」
「村があるって話じゃなかったか」
誰が言った。
俺たち三人が同時にそっちを見る。
知らない男だった。
「村?」
別の声。
「炭焼きの集落らしい」
それは合ってるような、合ってないような。
「茸も出るって」
籠の女が顔をしかめた。
「それ誰が言った」
誰も答えない。
「青い茸だろ?」
「薬になるやつ?」
「高いやつじゃん」
女は籠を抱え直した。
「帰る」
「急だな」
「急になった」
よく分かる。
俺たちが市場へ炭を持ち込んで、一時間も経っていない。
道はまだ細い。
噂だけ先に広くなっていた。
エダンが十四枚の銅貨を袋へ戻した。
さっきまで嬉しそうに三回数えていたのに、今は音を立てないようにしまっている。
「村、言わない方がよかった?」
「言ってない」
ミオが言った。
「でも、向こうから来た人がいて、炭があって、道がある。そこまではもう見られた」
「じゃあ隠せない?」
「分からない」
ミオはそこで止めた。
分からないものは分からない。
第5話から、そこは変わらない。
俺は市場を見回した。
誰も悪いことをしているようには見えない。
炭が欲しい商人。
茸が欲しい料理屋。
新しい道を知りたい冒険者。
知らない場所へ行きたい人。
俺もその一人だ。
だから余計に、面倒だった。
「帰って聞こう」
エダンが言った。
俺とミオが見る。
「何を?」
「村の人に。町の人が来てもいいか」
「お前は?」
エダンは少し考えた。
「俺は来てほしい」
すぐ答えると思っていた。
でも、続きがあった。
「魚あるし」
そこだった。
「あと武器屋もある」
「町を魚と武器で評価するなよ」
「レンは何で町出たの?」
「灰色だったから」
「もっと分かんない」
正しい。
ミオが小さく息を吐いた。
「地図は、村で話してから」
それだけ決めた。
道を公開するとも、隠すとも決めていない。
今日は売らない。
そこまで。
帰る前に、エダンが市場を一周した。
最初は魚の屋台。
次に武器屋。
その次に金物屋。
「これ何?」
小さな鉄の輪を持ち上げる。
「留め輪」
店主が答えた。
「車軸に使う」
エダンの顔が変わった。
「いくら?」
「二枚」
「二枚?」
「二枚」
エダンは銅貨袋を見る。
兄の金だ。
かなり悩む。
「買う?」
俺が聞く。
「勝手に使ったら怒る」
「でも炭車に使うんだろ」
「それでも怒る」
兄なら怒りそうだった。
「じゃあ買わない?」
エダンはさらに悩んだ。
結局、買った。
「怒られるな」
「うん」
妙に満足そうだった。
残り十二枚。
魚串をもう一本見た。
見ただけだった。
成長している。
たぶん。
町を出る前、ミオは一度だけ立ち止まった。
掲示板の前だった。
依頼書が何十枚も貼られている。
角兎の討伐。
薬草採取。
護衛。
荷運び。
その端に、まだ白い紙が一枚ある。
「どうした?」
「別に」
ミオは何も書かなかった。
門を出る。
エダンはさっき買った留め輪を何度も袋の上から触っていた。
籠の女は俺たちより少し前を歩く。
「今日は茸採らないの?」
「採る」
「帰るって言ってたじゃん」
「帰りながら採る」
商売人だった。
森へ入る。
町の音が少しずつ遠くなる。
最初の分かれ道で、ミオが止まった。
地図ではなく、木を見ている。
「何?」
俺も見る。
枝に赤い布が結んであった。
昨日はなかった。
細い布切れ。
目の高さ。
町側から森へ入る人間なら、すぐ見える位置だ。
「これ、誰かつけた?」
誰も答えない。
籠の女が首を振る。
「私はやらない」
エダンも知らない。
ミオが布へ近づく。
触らずに見る。
結び目は新しい。
「もう来た?」
エダンの声が小さくなる。
その時、後ろで枝が折れた。
振り返る。
槍を持った男と、弓を背負った女が立っていた。
どっちもプレイヤーだった。
俺たちと目が合う。
槍の男が、気まずそうに片手を上げた。
「えっと」
少し間を置く。
「村って、こっちで合ってる?」




