第6話 空身なら通れた
朝飯を食べ終わる前に、炭の袋が置かれた。
俺の足元に。
「重っ」
持ち上げる前から分かる。
昨日助けたエダンの兄は、椅子に座ったまま顎で袋を示した。
「町へ行くなら、それ持ってけ」
「誰が町へ行くって?」
「エダン」
見る。
エダンが目をそらした。
「言ったの?」
「別に、絶対行くとは」
「夜中に三回聞かれた。町まで何時間かって」
兄が言う。
「三回?」
ミオが豆を食べながら聞いた。
「二回」
「三回だ」
「最後のは眠れなかっただけ」
「町の時間を聞くと眠れるの?」
エダンが黙った。
俺は笑った。
昨日まで、町は俺たちが帰る場所だった。
エダンにとっては、まだ地図の外だ。
兄が炭袋を爪先で押す。
「道が本当につながったなら、空身で一回歩けたって意味ねえだろ」
それはそうだった。
籠の女――昨日、町側から青笠茸を採りに来ていた女も、食堂の隅でスープを飲んでいた。
「私は持たないよ」
誰も頼んでない。
「茸でいっぱいだから」
「それ売ったら結構な金になるんだろ」
「だから持たない」
筋が通っている。
ミオは地図を開かなかった。
代わりに、炭袋の口を結んでいる縄を見た。
「何キロくらい?」
兄が肩をすくめる。
「持てば分かる」
俺が持った。
分かった。
重い。
ゲームなのに、重いものは普通に重い。
身体は若いし、Lv2になってから少し動きやすくなった気もする。
でも、肩へ乗せた瞬間に全部どうでもよくなった。
「これ、町まで?」
「嫌なら置いてけ」
「持ってく」
言ったあとで後悔した。
ミオが立つ。
「じゃあ今日は、道を見る」
「昨日も見ただろ」
「昨日は人を見る道。今日は荷物を見る道」
俺は炭袋を担ぎ直した。
「地図好きって、だんだん言うこと面倒になるな」
「荷物置いて帰る?」
「行きます」
町へ向かったのは四人だった。
俺、ミオ、エダン、籠の女。
兄は行かなかった。
足を痛めているから、ではなく。
「炭売れなかったら持って帰ってこい」
そう言って椅子から動かなかった。
たぶん足も痛い。
細道へ入って十分で、昨日とは別の道に見えた。
最初の倒木。
空身なら、片足を乗せて跨げば終わりだった。
今日は炭袋が背中で遅れて動いた。
身体を前へ出した瞬間、後ろから引かれる。
「あ」
気づいた時には、倒木へ腹から乗っていた。
まただ。
第1話と同じ格好。
ミオが向こう側から見ている。
エダンも見ている。
籠の女まで見ている。
「何」
「いや」
三人とも同じ顔で目をそらした。
「今、笑った?」
「早く来て」
ミオだけ返事をした。
炭袋を一度下ろす。
それだけで楽になった。
「先に荷物だけ渡す?」
エダンが言った。
「それだ」
縄を解かず、袋の結び目へ予備ロープを通す。
俺がこっちから押す。
エダンが向こうから引く。
袋だけ先に倒木を越えた。
そのあとなら、俺は普通に跨げる。
「一個解決」
「毎回やるの?」
ミオが聞いた。
「毎回は嫌だな」
「じゃあ道としては減点」
地図が開いた。
昨日まで一本の細い線だったところに、小さな印が一つ増えた。
「何それ」
「荷物ありで面倒」
「そんな項目あるの?」
「今作った」
いいな、それ。
自分で遊び方を増やしてる感じがした。
次は木の根が張り出した斜面だった。
昨日は足をかけて登った。
今日は同じように踏み込んだ瞬間、炭袋が横へ振れた。
身体補助が姿勢を戻そうとする。
俺も逆へ力を入れる。
一瞬だけ、両方が喧嘩した。
足が滑る。
「レン!」
地面に手をついた。
落ちはしなかった。
でも、掌に泥がついた。
俺はそのまましゃがんだ。
「今の何?」
ミオが聞く。
「身体が戻そうとしたのに、俺も戻そうとした」
「二人いた?」
「俺の中に二人いた」
「片方いらないね」
「たぶん俺」
エダンが笑った。
腹が立つ。
もう一回やる。
今度は、補助が身体を戻そうとする方向へ逆らわない。
足だけ置く。
荷物が振れる。
その分、腰を止める。
さっきより楽だった。
通知は出ない。
スキル名も増えない。
でも、できた。
こういうのが一番好きかもしれない。
「もう一回」
「先に進んで」
ミオに止められた。
今日は町へ行く日だった。
途中で炭袋はエダンへ渡した。
十歩で返ってきた。
「無理」
「早いな」
「重さじゃなくて肩が痛い」
「それも重さだろ」
籠の女は一度も持とうとしない。
徹底している。
代わりに、青笠茸が群生している場所を通るたび、足を止めた。
一本見る。
周りを見る。
採らない。
「採らないの?」
エダンが聞く。
「小さい」
「売れるんだろ?」
「今採ったら来週ない」
エダンは少し考えて、しゃがんだ。
触らない。
見るだけ。
俺はその横を通った。
昨日なら、三枚と聞いた瞬間に全部金に見えた。
今日は少し違った。
だからって、立派なことを考えたわけでもない。
一本銅貨三枚。
やっぱり高い。
町へ近づくにつれて、道は少しずつ広くなった。
人の足跡が増える。
木の根を避ける場所も、泥の踏まれ方で分かる。
そして急に、匂いが増えた。
煙。
焼いた魚。
油。
馬。
エダンが立ち止まった。
「何?」
「魚」
「そこ?」
「焼いてる」
「町だからな」
「町だと魚焼くの?」
「村でも焼くだろ」
「川ない」
そうだった。
俺にとって当たり前の町が、エダンには全部初めてだ。
門をくぐった瞬間、もっと分かりやすくなった。
右を見る。
左を見る。
上を見る。
人にぶつかりそうになる。
「前」
ミオが腕を引いた。
「……人多っ」
「これでも外れの方」
「これで?」
俺は少し嬉しくなった。
自分が作った町でもないのに。
最初に捕まったのは魚の串だった。
エダンが、だ。
一本銅貨一枚。
財布を開いて止まる。
「高い?」
俺が聞く。
「分からない」
「じゃあ買えば」
「そういうもん?」
「最初は」
ミオが横から言った。
「レンの金じゃないから適当に言ってる」
「正解」
エダンは悩んで買った。
一口食べる。
黙る。
「どう?」
もう一口。
「村でも焼ける」
「感想そこ?」
「でも、魚がいない」
それもそうだった。
炭は市場の端で売った。
籠の女が知っている店へ連れていってくれた。
店の親父は袋を開け、黒い塊を一つ取る。
指で割る。
匂いを嗅ぐ。
「これ、どこの炭だ?」
エダンが答えかけた。
一瞬だけ、ミオを見る。
昨日、地図を閉じた顔を覚えていたらしい。
「……南の方」
俺は少し驚いた。
エダンが自分で止めた。
親父は気にせず炭をもう一つ割った。
「よく焼けてる。袋で銅貨十四枚」
「十四?」
エダンの声が裏返った。
「安いなら持って帰れ」
「売る」
早い。
兄貴に確認しなくていいのか。
親父が笑って銅貨を数える。
十四枚。
エダンは受け取って、一枚ずつ数え直した。
二回。
三回。
「合ってる?」
「合ってる」
ミオが言う。
「兄貴、何買うかな」
「お前の金じゃないぞ」
「分かってる」
言いながら魚串の屋台を見るな。
親父が空になった炭袋を畳んだ。
「で」
俺たちを見る。
「この炭、あの崩れた道の向こうだろ」
エダンの手が止まった。
親父は続けた。
「道、戻ったのか?」
誰も答えなかった。
答える前に。
隣の店の男が、顔を上げた。




