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世界リセットなし。~死んだら別人生、それでも俺の歩いた道は残るVRMMO~  作者: ユミヒロ


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第121話 帰る人を、出身地で決めなかった


【本文】

カイルの質問に、すぐ「いい」と答えそうになった。


でも、門の内側には俺以外の人間がいる。第117話で散々やったばかりだ。俺が先に決める話じゃない。


「帰りたい人は通したい。たぶん白嶺もそう言う。でも、北方出身だからって全員まとめて帰すのは違う」


カイルの眉が、ほんの少し動いた。


「違う?」


「ここで店やってる人もいる。家族が白嶺にいる人もいる。北で生まれたってだけで、帰れって言われても困るだろ」


門の脇で聞いていたナディアが、すぐに手を挙げた。

「私は北生まれですけど、帰りませんよ。今帰ったら宿の仕入れ、誰がやるんですか」


「そこ?」


俺が思わず聞くと、ナディアは真顔で返した。

「そこです。戦争でも朝ご飯は出ます」


カイルが一度だけ目を閉じた。笑ったのか、困ったのかは分からない。


「分かった。出身ではなく、本人の希望で分ける」


短い。いつものカイルだ。


ただ、その一言で話が少し変わった。


北へ返す。

じゃない。


北へ行きたい人を通す。


ユリウスが北門まで来た。後ろにミオ、エダン、シン。オルザも少し遅れて南側から歩いてくる。


人数が増えたので、俺は一歩横へずれた。カイルも門の外で少し位置を変える。誰も指示していないのに、自然に輪みたいな形になった。


ユリウスが最初に確認した。

「北側は、民間人通行中に兵を混ぜない。武装した者を民間人として通さない。荷の検査を理由に長時間止めない。この三つを守れますか」


「守る。北門から百歩下げる。受け取りは非武装の案内役だけにする」


「百歩で十分?」


オルザが聞いた。


カイルは南側の軍服へ視線を向ける。

「そちらが南口から前へ出なければ」


オルザはすぐ返さなかった。条件を頭の中で数えている顔だった。


「南側へ避難中の北方民間人を白嶺へ戻す間、こちらも南口外の部隊を現位置から動かしません。ただし、北方兵が白嶺市街へ再侵入した場合は無効です」


「当然だ」


二人とも、握手はしなかった。


でも話は進んだ。


ミオが帳面を開く。

「時間を決める。開始と終了を白嶺の鐘で知らせる。終了時刻を過ぎた人は、無理に走らせない。列の途中なら通す」


「何時間いる?」


カイルが聞く。


ミオは俺を見ない。ユリウスを見る。正しい。


「人数を先に数える」


「南側の避難所分は、名簿があります」


オルザが部下へ合図する。


ナディアも言った。

「白嶺にいる北方出身者は、出身者名簿ならあります。でも希望は聞き直さないと駄目です」


「今から?」


シンが嫌そうな顔をする。


ユリウスが頷いた。

「今から」


シンは空を見た。

「また紙?」


「また紙」


「戦争、紙で殴ってくるな」


エダンが吹き出した。

「剣より軽いだろ」


「枚数が重いんだよ」


そのやり取りの間も、カイルは待っていた。


昔なら、俺とカイルで話せば早かったと思う。


たぶん今も、二人で勝手に決めれば早い。


でも、早いことと、あとで揉めないことは別だった。


白嶺の北荷場、南宿、広場、仮設診療所。四か所で「どこへ行きたいか」を聞き直すことになった。


俺も北荷場へ行こうとした。


ユリウスが言った。

「レンは北門」


「何で?」


「カイルがいるから」


「話終わったじゃん」


カイルが門の外から言う。

「俺はまだいる」


「帰れよ」


「帰還者の条件を決めに来た」


確かに。


俺だけが暇になった。


北門の石壁へ背を預けると、カイルも反対側の道端に立った。百歩は離れていない。まだ停戦時間じゃないから、北方兵は遠くの高所に見える。


しばらく、どちらも喋らなかった。


昔は一緒に洞窟へ入った。

雪の中で荷車を押した。

でかいのも倒した。

今は門を挟んでいる。


「レン」


カイルが先に口を開いた。


「何?」


「道を閉じるのは、本当に白嶺の決定か」


俺は少し考えた。


「条件付きで。反対もいた。今も嫌だって人はいる」


「お前は?」


「……嫌だよ」


自分でも意外なくらい、すぐ出た。


カイルは黙って続きを待った。


「だって俺、ここまで道開ける方ばっかやってきたし。閉じるの、たぶん一番向いてない」


「なら止めるか」


「それも違う。開けたままにした結果、今こうなってるから」


北の旗が風で鳴った。


カイルが道を見る。


「北も、この道で生きるようになった」


「知ってる」


「お前が作った交易でな」


そこは痛かった。


言い返せない。


炉晶を見つけた。

南の穀物を運んだ。

便利になった。

人が増えた。


その全部が、今ここにある。


「だから北の人を先に通したいの?」


俺が聞くと、カイルは首を横に振った。


「先じゃない。同じだ。白嶺の人間も、南の人間も、道が閉じる前に動くなら動かせ。俺が要求しているのは北だけ特別にしろという話じゃない」


また。

嫌なくらい筋が通っている。


「じゃあ二時間」


いつの間に戻ってきたのか、ミオが横に立っていた。


「うわ」


「何、その反応」


「音しなかった」


「普通に歩いてきた」


ミオは帳面を見せる。

「今取れた分。北へ行きたい人、白嶺内と南側避難所を合わせて四十人弱。聞き取り中で増減する。南へ抜けたい人もいる。白嶺に残る北方出身者もいる」


カイルが数字より先に聞いた。

「南へ?」


「南の親族宅へ行く人。商隊に合流する人。北生まれでも今は南側で暮らしてる人。分け方が思ったより面倒」


「だろ?」


俺が言うと、ミオが見た。

「何で嬉しそうなの」


「いや、俺だけ分からないんじゃないんだなって」


「それで安心しないで」


カイルが小さく息を吐いた。

今度は、たぶん笑った。


その後の一時間で、名簿は三回書き直された。


北へ行くと言った人が、娘に止められて残る。

白嶺に残ると言った人が、北の母親が一人だと聞いてやっぱり行く。

南へ行く商人が「荷車も」と言って止められる。

「じゃあ荷物半分」

「半分ってどこから」

「知らない」

そこでまた止まる。


出身地で線を一本引けば、たぶん簡単だった。


でも人間は、地図の色みたいには分かれなかった。


夕方前。


ユリウスが最終案を読み上げた。


明日の正午。

鐘一回で開始。

二時間。

北と南、双方の軍は白嶺の門から指定距離を下げる。

武装兵は民間列へ入らない。

行き先は本人が決める。

出身地を理由に移動を強制しない。

白嶺が列を管理し、北と南は門外で引き渡しだけ行う。

途中で時間を超えた場合、その列は最後まで通す。


カイルは一度読んだ。


「異論はない」


オルザも南側から返した。

「南側も受けます」


決まった。


なのに、誰も喜ばなかった。


二時間だけ。

道を、人のために空ける。


その後で。


俺たちは、その道を壊すかもしれない。


カイルが帰る前、俺を見た。


「明日は兵を動かさない」


「信じていい?」


「信じろとは言わない。見ていろ」


それが一番、カイルらしかった。

第122話 二時間だけ、戦争が道を空けた

【本文】

正午の鐘が鳴る十五分前から、白嶺の南宿前は荷物で埋まった。


人より荷物の方が多く見える。


毛布。

鍋。

木箱。

乾燥豆。

子どもの靴。

なぜか椅子。


俺は椅子を見た。

「それ持ってくの?」


持ち主の老人がむっとする。

「座るから持ってくんだ」


「道で?」


「着いてからだよ」


「じゃあ必要だな」


横でシンが頭を抱えた。

「レン、荷物減らす係じゃなかった?」


「必要らしい」


「お前もうあっち行け」


追い出された。


名簿はミオとナディア。

列の整理はエダンとシン。

南宿から広場までは白嶺守備。

広場から北門は南側兵のうち入域済み部隊が道の外側だけ警戒する。

門を越えた先は、北方の非武装案内役。


北から南へ抜ける人もいるので、列は時間を分けた。

最初の一時間は北行き。

次の一時間は南行き。

途中で混ぜない。


「本当にそれでいい?」


俺が聞くと、ミオは帳面から目を上げた。

「混ぜたら広場で詰まる。荷物で揉める。知り合い見つけて止まる。たぶん喧嘩もする」


「よく分かるな」


「昨日から名簿取ってるから」


経験値の上がり方が地味だ。


鐘が鳴る。


一回。


戦争が止まった音には聞こえなかった。


いつもの鐘だ。

店を開ける時も、火事の時も、会議の時も使う。


でも今日は、その一回で北方兵が見える位置から下がった。

南口外の旗も動かない。


白嶺の道だけが空いた。


「行きます!」


エダンが声を出す。


先頭は、足の悪い女性と、その孫。

白嶺に住んでいた北方出身者で、北の姉の家へ戻るらしい。


孫は俺を見るなり聞いた。

「戦争、終わったの?」


俺は口を開いた。


閉じた。


何て言えばいい。


エダンが先にしゃがんだ。

「今日は道を通れる日。だから今のうちに行こう」


うまい。


嘘じゃない。

終わったとも言っていない。


子どもはそれで納得したのか、祖母の手を引いた。


列が動く。


思ったより遅い。


当たり前だった。


軍の移動じゃない。

老人がいる。

子どもがいる。

足を引きずる人がいる。

家財を持っている。

途中で「紐ほどけた」と止まる。


十人目くらいで、本当に止まった。


鍋の蓋を落とした。


カラン、と石道を転がる。


北門まで静かだったせいで、やけに大きな音がした。


全員の視線が蓋へ向く。


持ち主のおばさんが走ろうとする。

シンが止める。

「俺取るから!」


「それ私の!」


「分かってる!」


蓋一枚で列が詰まった。


ミオが後ろから言う。

「止めない。前はゆっくり進めて。蓋だけ戻す」


シンが拾って走る。


戦争の停戦時間を、一枚の鍋蓋が三十秒くらい使った。


でも誰も怒鳴らなかった。


北門。


門外の百歩先に、北方の案内役が三人。

本当に武器を持っていない。


そのさらに後ろ。

もっと遠くに兵。


カイルもいる。


約束通り、前へ出ない。


最初の家族が門を越える。

案内役が名前を確認。

荷物を持つ。


祖母が何か言った。

遠くて聞こえない。


案内役が頭を下げた。


それだけ。


二人目。

三人目。


しばらくは、何も起きなかった。


だから怖かった。


何も起きない時間って、戦争中は逆に落ち着かない。


三十人近く通ったところで、北側から一人の兵が前へ出た。


百歩線を越えかける。


白嶺守備が一斉に身構える。

南側兵も槍へ手をかけた。


俺も動く。


カイルの声が飛んだ。


「止まれ!」


北方兵の足が止まる。


列の中から、若い女性が泣きそうな声で名前を呼んだ。


兄妹だった。


たぶん。


北方兵は前へ出たかっただけだ。

女性も駆け寄りたそうだった。


でも、ここで兵が線を越えたら全部終わる。


カイルが男の肩を掴み、後ろへ戻した。


怒鳴らない。


何かを短く言う。


男は俯いた。


女性の方も、ナディアが横につく。


「門を出てから会える。今は歩こう」


女性は何度も頷いて、また進んだ。


俺は剣から手を離した。


隣にいたオルザも、槍から手を離す。


目が合う。


「今の、危なかったですね」


「うん」


「止めたのはカイル隊長でした」


「うん」


「複雑ですか」


「いちいち聞かないで」


少しだけ笑われた。


北行きの最後は、ナディアの知り合いの男だった。


昨日まで「絶対残る」と言っていたらしい。

朝になって変えた。


荷物は小さい袋一つ。


「それだけ?」


俺が聞くと、男は白嶺の方を振り返った。


「店の物は置いてく。戻れるなら戻る」


戻れるなら。


誰もそこへ答えなかった。


鐘がもう一度鳴る。


一時間。


北行き終了。


今度は南行き。


北門側で待っていた民間人が、逆向きに入ってくる。


これが思ったより変な感じだった。


さっきまで皆、北へ向かっていた。

今度は同じ道を南へ向かう。


南生まれで北で働いていた人。

北生まれだけど南の親族を頼る人。

白嶺を経由して西へ抜けたい商人。

「どっち側」と聞くほど分からなくなる。


一人の男が、門をくぐったところでミオに言った。

「北方の者だけど、南へ行く。書き方それでいい?」


ミオは名簿を見る。

「本人希望、南。出身、北。これでいい」


「変じゃない?」


「変じゃない」


即答だった。


俺は横から言う。

「昨日は面倒って言ってたじゃん」


「面倒と間違いは別」


なるほど。


終わりの鐘が近づいたころ。

広場に、まだ一組残っていた。


夫婦と、小さな娘。

荷物が多い。

多すぎる。


夫が北へ行きたい。

妻は白嶺に残りたい。

娘は、眠い。


話が決まっていない。


「時間ないよ」


シンが言う。


妻が泣きそうになっている。

夫も苛立っている。


「俺の母親が北にいるんだ。今行かなきゃ、道閉じるんだろ」


「でも店は? 家は? ここで全部捨てるの?」


「捨てるんじゃない!」


「じゃあいつ戻るの!」


娘が、その間で座り込んだ。


眠気に負けたらしい。


俺たちは黙った。


最初にしゃがんだのはエダンだった。


娘を見て言う。

「今日は決めなくていいんじゃない?」


夫が振り向く。

「でも道が」


「今日の列に乗らないってだけ。白嶺に残るなら、残る人として避難させる。北へ行くなら、まだ通告時間がある。装置は今日動かさない」


それは大事だった。


俺たちは道を閉じると決めた。


でも今すぐじゃない。


三地点もまだ開いていない。


夫婦が顔を見合わせる。


結局、その家族は列から外れた。


娘はエダンが抱いて広場の端へ運んだ。

寝たままだった。


終了の鐘。


二回。


北方の案内役が下がる。

南側兵も位置を変えない。

誰も走り込まない。


本当に二時間。

人だけが通った。


カイルは約束を守った。


オルザも守った。


白嶺も守った。


終わったあと、道には落とし物が三つ残った。


布の紐。

木の匙。

片方だけの手袋。


ミオが拾って、掲示板の下へ置いた。


「持ち主分かる?」


「たぶん手袋はさっきの子」


「届ける?」


「北側へ渡す物の箱を作る」


戦争中なのに、落とし物箱が増えた。


夕方。


北門へカイルがまた来た。


今度は一人じゃない。

後ろに二人。

武装はしているが、百歩線の向こうで止まった。


カイルだけ前へ。


俺も門まで行く。


「終わったな」


カイルが言う。


「うん。そっち、兵混ぜなかった」


「そっちも南兵を前へ出さなかった」


「じゃあ一個ずつ信用増えた?」


「増やしてどうする」


「知らん」


昔なら、そこで笑ったかもしれない。


今日は、どっちも笑わなかった。


カイルが北の高所を見た。


第120話で、ミオとガランが言った場所。

古い監視所候補。


「次は、あそこだろ」


心臓が一つだけ強く鳴った。


「何で分かった?」


「昨日、お前たちが地下へ入った。今日、道を閉じる話が町中に出た。北の古い監視所を見ている者も増えた」


隠せていない。


というより、住民で決めると決めた時点で、全部を秘密にはできない。


カイルは続けた。


「民間人の道は空けた」


「うん」


「だが北の道を壊すための場所まで、お前に空けるつもりはない」


二時間だけ空いた道が。


また、戦争の道へ戻った。

第123話 北の鍵は、友達が守ると決めた

【本文】

次の朝、俺たちは北へ行かなかった。


行けなかった、じゃない。


先に確認できる二つを潰すことにした。


「北で揉めてる間に、南と町側が違ったら最悪だから」


ガランの言い方は雑だけど、正しい。


第120話で見つけた三本の連結。


北。

南。

町側。


本当に三地点の安全錠なのか。

位置は合っているのか。

同じ形なのか。


まず町側。


灰色斜面へ、俺、ミオ、ガラン、エダン、シンの五人で上がった。ユリウスは地上運営。オルザは南側解除候補の警戒調整へ回っている。


雨はない。

風だけ強い。


西細道は使わない。

今は避難用として空けておく。


灰色斜面の上には、昔から半分埋まった石柱がある。


俺は何度も見ていた。

たぶん蹴ったこともある。


ガランがしゃがみ込む。


「これ、柱じゃないな」


「何?」


「蓋」


「蹴ったことあるんだけど」


「今それ言う?」


ミオがこっちを見る。


「何回?」


「覚えてない」


「記録しなくていいからね」


珍しく先に釘を刺された。


土を除く。


四角い石の縁。

中央に、丸。

その中に三つの点。


地下操作盤と同じ。


シンが声を上げる。

「あった」


ガランがすぐ止める。

「触るな」


「触ってない」


「言う前に手出てた」


「レンじゃあるまいし」


「俺、今日何もしてないよ」


「今日だけな」


扱いがひどい。


石蓋の周囲だけ掃除する。

開けない。

工具も差し込まない。


外から見える刻印と位置だけ確認。


ミオが地下図へ印を重ねた。


「町側、ほぼ一致。灰色斜面の上端。市街中心からは外れてる」


「一個」


エダンが指を一本立てる。


次。


南。


南口から東へ回る。

南側軍の本隊より少し白嶺寄りに、昔の石積みがある。


オルザが十人ほど下げて、周囲だけ空けていた。


「接触はしない条件で許可します」


「見るだけ」


ガランが言う。


オルザは俺を見る。

「レンも?」


「見るだけ」


「その言葉、昨日ミオさんから三回念押しされました」


「信用ないな」


「実績です」


南側解除候補は、もっと分かりにくかった。


石積みの下。

排水溝の奥。


水を止めるわけにいかないので、シンが腹ばいになって覗く。


「暗い」


「当たり前だ」


エダンがランタンを渡す。


「熱い」


「当たり前だ」


「狭い」


「それは知らん」


俺が言ったら、シンの足が一回こっちを蹴った。


「いてっ」


「近い」


ガランが縄を腰へ巻き、半身だけ入る。

五分。


長い。


「何かある?」


俺が聞く。


「ある。でもお前が聞くたび集中切れる」


黙る。


二分。


ガランが出てきた。

髪に泥がついている。


「同じ丸印。三点。金具も北向きの連結と同じ系統だと思う」


ミオが息を吐いた。


「南、確定でいい?」


「解除点候補として確定。まだ動かしてない。開けてもない。作動するかも未確認」


言葉を細かく切る。


分からないところを、分かったことにしない。


第86話の俺たちなら、たぶん開けていた。


成長した。


たぶん。


これで二つ。


町側。

南側。


残り。


北。


昼過ぎ、白嶺へ戻る。


北門の向こう。

古い監視所候補には、旗が一本増えていた。


カイルの旗だった。


「あからさま」


シンが言う。


「分かりやすくて助かる」


俺は答えた。


ミオが隣で首を振る。

「助からない」


「場所確定するじゃん」


「行けない場所が確定しただけ」


それもそう。


ユリウスが北門の小屋で待っていた。


「カイルから文書」


紙を渡される。


短い。


《北側旧監視所への白嶺側立入を認めない》

《民間避難・負傷者搬送は別途協議する》

《古代設備の操作を目的とする侵入は軍事行動と見なす》


署名。

カイル・ヴァレド。


俺は読み終わって、もう一回読んだ。


「分かりやすいな」


エダンが横から覗く。

「怒ってる?」


「怒ってないと思う」


「じゃあ何」


「決めたんだと思う」


カイルはそういうやつだ。


北方が生きるために必要だと思ったら、嫌でも決める。


第95話でも。

第110話でも。

今も。


ミオが地図を広げる。


灰色斜面の印。

南東排水の印。

北の旧監視所。


三つの位置が、地下の三方向連結とほぼ一致した。


「三地点、これでいいと思う」


「思う?」


俺が聞く。


ミオは頷かない。


「位置はかなり強い。機能はまだ未証明。三つ解除したら中央が動く、までは確認してない」


ガランも同じ。

「だから勝手に一個回すなよ」


「回さないよ」


全員が俺を見る。


「何で?」


誰も答えない。


午後。


カイルへ返事を出した。


《立入禁止は確認した》

《白嶺は北側民間避難の協議を継続する》

《ただし白嶺住民決定による防衛機構使用方針は撤回しない》

《旧監視所が作動上必要と確認された場合、再協議を求める》


返事は一時間で来た。


《協議は受ける》

《立入は認めない》


終わり。


「会話になってるのに進まない」


俺が言う。


ユリウスが紙を畳む。

「交渉は、進まないことが分かった時も進んでいます」


「そういうの嫌い」


「知っています」


夕方。


俺一人で北門へ行った。


一人と言っても、内側の見張りはいる。

外にも北方兵。


カイルは来ないと思っていた。


来た。


旗の下から歩いてくる。

百歩線の手前で止まる。


俺も門の外へは出ない。


「三つだった」


俺から言った。


カイルは少しだけ顎を引いた。

知っていたのか、予想していたのか分からない。


「南と町側は見つけた。北は、あの監視所だと思う」


「だから守る」


「白嶺を落としたいわけじゃないんだろ」


「落としたくない」


「でも入らせない」


「入らせない」


同じ言葉。


腹が立つ。


「道が開いたままだと、白嶺は北と南の軍に挟まれ続ける」


「道を落とせば、北は南の穀物を失う」


「海路も西回りも作るって話してたじゃん」


「今日には間に合わない」


分かってる。


第六章で、北の食料がどれだけ細いか見た。


俺たちが運んだから、持った場所もある。


「じゃあどうしろって」


声が強くなった。


カイルは強くしなかった。


「白嶺を南の軍事拠点にしない。それを保証しろ。街道を落とさず、北と南の兵を退かせる仕組みを作れ」


「今それができないから、こうなってる」


「なら俺も退けない」


遠くで、金属の音がした。


北方兵が杭を打っている。


旧監視所の周り。

防柵を増やしている。


本気だ。


俺も、たぶん顔に出た。


「カイル」


「何だ」


「昨日、民間人は通した」


「通した」


「今日、俺たちを止める」


「止める」


「友達なのに?」


言ったあとで、子どもみたいだと思った。


でもカイルは笑わなかった。


「友達だから、お前が何をしに来るか分かる」


答えが早かった。


俺も黙る。


カイルは続けた。


「レン。俺はお前が嫌いになったからここに立っているんじゃない。北を守る責任があるから立っている」


「俺も白嶺を守りたい」


「知っている」


「じゃあ」


「だから、ここでぶつかる」


風が抜けた。


剣は抜いていない。


百歩ある。


決闘でもない。


でも、今までで一番はっきり敵になった気がした。


カイルが旧監視所の方を見た。


「民間人の帰路は協議する。負傷者も通す。だが、あの場所だけは渡さない」


「取りに行ったら?」


「止める」


「お前が?」


「俺が」


短い。


逃げ道がない。


たぶん、最初からこういう人だった。


一緒に戦っていた時は、同じ方向を向いていたから気づかなかっただけだ。


俺は門の石へ手を置いた。


冷たい。


この道を開けたくて、何年も動いた。


今は閉じるために、その先へ行かなきゃいけない。


しかも。


その前に立っているのが。


一番、話の通じる敵だった。


白嶺へ戻ると、ミオが地図の前にいた。


俺の顔を見て、聞く。


「駄目だった?」


「うん」


「カイル?」


「自分で守るって」


ミオは少しだけ目を伏せた。


それから北の印の横へ、小さく線を引いた。


敵陣。

じゃない。


《交渉継続・立入不可》


「何でそう書くの」


「まだ戦闘始まってないから」


正しい。


嫌なくらい。


俺はその横へ座った。


三つの解除点は見つかった。


二つは、触らずに近づける。


一つは。


友達が、守ると決めた。

第124話 三つの鍵は、同時に外すものじゃなかった

【本文】

「解除点って呼ぶの、いったんやめよう」

朝一番、古代施設の中央制御室でガランがそう言った。石の机みたいな台には、昨日までに取った拓本とミオの地図、それにシンが泥だらけになって写してきた南側の溝の形が並んでいる。

俺は入口で足を止めた。「昨日まで普通に解除点って言ってたじゃん」

「昨日までは、分からんものに名前を付けないと会話にならなかったんだ。今日からは、その名前が邪魔になる」

ガランは炭で黒くなった指を布にこすった。布の方も黒いので、たぶん何も解決していない。

ミオが俺の横から覗き込み、「つまり、三つとも同じ働きじゃない?」と聞く。ガランは町側の拓本を指した。

三本の線。そのうち一本だけ、輪の内側へ折れている。北と南の拓本にも似た印はある。でも折れ方が違った。俺には全部、昔の人が途中で飽きた迷路にしか見えない。

「分かる?」とミオに聞かれ、「全然」と答えると、彼女は少しだけ安心した顔をした。「私も最初は分からなかった。今は少し分かるけど」

「そこは一緒にいてほしかった」

ユリウスが奥から椅子を一つ運んできた。誰も座らないまま壁際へ置いてから、拓本へ身を寄せる。「町側だけ、線が内へ返っています。崩す側ではなく、残す側を指定する構造では?」

「俺もそう見ている」とガランが頷いた。「床下の連結棒も同じだ。北と南は山腹側へ力を送る形で、町側だけは中央から外す方向へ組まれている。少なくとも三つ全部を同時に引けばいい、みたいな単純な装置じゃない」

俺は地図へ目を落とした。白嶺市街、北門、南口、西の細道。その線を追いながら、「町側が、市街を残すための印?」と聞く。

「まだ断定はしない。ただ、現時点では一番筋が通る」

同時に三か所。その言葉だけで昨日から嫌な感じがしていた。北はカイルが守っている。南と町側を取れても、三人が同時に何かしないと駄目なら失敗した時に戻す暇がない。

シンが床へ座ったまま紙束をめくった。「じゃあ順番あるんですか?」

「ある。たぶん最初は町側だ」

ガランの答えに、全員の顔が上がった。

「たぶん?」と俺が聞き返すと、ガランは眉をしかめる。「古代人の説明書を読めているわけじゃない。削れた記号と機械の摩耗から読むなら、そうだと言ってる。町側で残す範囲を決め、そのあと北と南。北と南の順番までは固定されていない。両方が固定されたあと、中央が初めて起動待ちになる」

ガランは町側、北、南、中央の順に小石を置いた。四つの石が並ぶ。

ユリウスが町側の石を指先で少し動かした。「この順番、摩耗でも分かるんですか?」

「ああ。町側だけ、止め位置が二つある。北と南は一つだ。何度も途中まで動かして戻した痕も町側に多い。昔の人間も、先に残す範囲を決めてから先へ進んだんだろう」ガランはそこで言葉を切り、「ただし訓練だったのか、実戦だったのかまでは分からん」と付け足した。

俺は妙にその一言が好きだった。分からないところを、分からないまま置いてくれる。装置の前に立つと、つい全部に答えがある気がしてしまうからだ。

ミオは拓本の端へ小さく《高確度・未作動》と書いた。「これでいい?」とガランへ見せると、「いい。俺が死んでも、その二文字は消すな」と返された。シンが「朝から縁起悪いなあ」とぼやき、ガランは「山の中で古代兵器触る日に縁起を気にするな」と笑った。

俺は何度か見直した。「待って。北か南を一つ触っただけで山が落ちる、とかは?」

「今見えている構造では起きない。局所の棒が動くだけだ。中央へ起動を渡す機構は別にある」

「戻せる?」と今度はミオが聞いた。

ガランは少し長く黙った。その間が嫌だった。「中央を起こす前なら、機械的には戻せる形に見える。ただ百年以上動かしていない。固着して、戻るはずのものが戻らない可能性はある」

「じゃあ、触って試すのは無し」とミオが即答し、ユリウスも「同意です」と続いた。俺にも異論はない。

住民が決めた五条件のうち、五つ目は《条件不成立なら使用を一度停止》。試験のつもりで戻らなくなったら、その条件を自分たちで壊す。

エダンが壁の古い溝を指で追いながら、「中央が起動待ちになる前に、町の人は逃がせる?」と聞いた。

「逃がします。装置の都合で避難順は変えません」とユリウスが答える。「先に避難。残す範囲と細道を確認。その後に町側、北、南です」

俺が「北と南はどっち先でもいいんだろ? なら南を先に――」と言いかけたところで、ミオに止められた。

「レン。今、また攻略の順番で考えたでしょ」

「考えた」

「その前に細道。町側の印が本当に残す範囲を決めるなら、西細道がその外にいるか確認しないと駄目。昨日の地図は線が粗い」

地図の端を指で叩かれる。軍がまとまって通れない、一列の西細道。俺たちが残すと決めた生命線だ。

シンが横から覗き込み、「粗いっていうか、古い方が山の形ぜんぜん違いますよ。ここ、崩れて谷になってるし」と言う。

「百年以上前だからな」とガラン。

シンは紙を持ったまま天井を見上げた。「山も勝手に更新するんだな……紙は更新されたって自分で言わないのに」

エダンが吹き出す。「お前、昨日から紙に恨み持ちすぎだろ」

どうでもいい会話なのに、少しだけ空気が軽くなった。

俺は西細道の線へ指を置く。「現地で合わせよう。古い印が残ってたら拾えるかもしれない」

「今日はレンも紙持って」とミオ。

「何で?」

「人にやらせると無くすから」

「俺も無くすけど」

「知ってる。だから二枚渡す」

ひどい信用だった。

昼前まで、俺たちは中央制御室をもう一度見た。電源は入れない。レバーは動かさない。石蓋も、開いている範囲以上はこじらない。見る、測る、写す。それだけにした。

それでも前より分かる。三つは同じ鍵じゃない。町側は残す場所を決める境界指定らしい。北と南は、街道の両端を閉鎖対象として固定する機構らしい。その二つが揃って初めて、中央が「閉じられる状態」になる。

そして、一つだけ嫌なことも分かった。

北側だけを飛ばす道はない。

「地下から北の機構へ行けない?」と俺が壁の先を見ながら聞くと、ガランは首を振った。「昔は保守路があったかもしれん。だが今残っている横穴は途中で潰れている。掘れば何日かかるか分からんし、崩落区域そのものへ穴を開けることになる」

エダンも地図を見ながら、「上から回るなら旧監視所の裏の崖。二人なら登れる場所はあるけど、下りた先が北方の陣地だよ」と付け足した。

ミオが北の印へ小さな丸を描く。「装置を使うなら、ここは避けられない」

誰もカイルの名前を言わなかった。言わなくても分かる。

俺は二枚渡された紙の一枚を折ろうとして、ミオに手を叩かれた。「折らないで」

「持ちやすくしようとしただけ」

「地図を持ちやすくしないで」

「紙だよ?」

「地図」

そこは譲らないらしい。

昼を過ぎた頃、俺たちは中央制御室を出た。次に確かめるのは西だ。

カイルと戦う方法じゃない。

まず、戦っても山が落ちても、生きて帰れる道が本当に残るのか。そっちを先に確かめる。

第125話 残す道は、地図の線より二十三歩ずれていた

【本文】

西細道へ入って十分で、先頭のミオが急に止まった。俺も止まり、後ろのエダンがそのまま俺の背中へぶつかる。

「急に止まるなよ」「俺じゃない。前」「聞こえてる」

振り返りもしないミオの返事に、エダンが肩をすくめた。

俺たちは一列だった。西細道は本当に狭い。左は岩壁、右は斜面。荷車はもちろん馬も無理で、二人並べる場所もほとんどない。

昨日まで、それが都合よかった。軍がまとまって通れない。だから残す。でも今日は別の理由で来ている。山が落ちた時に、本当に残るか。

ミオは地図を岩へ当て、古い拓本と現在の線を交互に見た。「古代の境界印、もう少し左にあるはず」

「左、壁だけど」

「だから違うの」

後ろからシンが顔を出し、「削れてなくなったとか?」と聞く。エダンは斜面へ目を細めた。

「いや。昔の道がもう少し山側だったんじゃないか。ほら、今の足元より一段上、平らなところあるだろ」

俺には草と土しか見えなかったが、言われてみると不自然に平たい。

「掘る?」と聞くと、ミオがため息をつく。「今日はその質問、正しい」

褒められ方が微妙だ。

持ってきた小さな鍬で土を落とした。五分、十分。途中でシンが「俺、戦争始まってから穴ばっか掘ってません?」と文句を言い、エダンに「向いてるんじゃない?」と返されて本気で嫌そうな顔をする。

土の下から平たい石が出た。線が一本。古代の境界印と同じ形だ。

「あった」とミオが声を弾ませた。けれど、その顔はすぐ真顔に戻る。

石の線は、俺たちが立っている今の細道を横切っていた。

「……まずい?」

ミオは答えず、歩数を数え始めた。俺たちもついていく。一歩、二歩。十九、二十、二十一、二十二、二十三。そこで二つ目の印が出た。

今の西細道は、古代の閉鎖境界を二十三歩ぶん横切っている。

たった二十三歩。でも、その二十三歩が落ちれば道は切れる。

ミオが地図を見たまま言った。「条件二、満たしてないね」

誰も反論できなかった。《軍が集団で通れない民間避難路を最低一本残す》。住民が防衛機構を使う条件だ。

俺たちは、残るつもりで残らない道を見ていた。

「別の道を探すしかない」と俺が言うと、ミオは首を横に振らなかった。「そうなる。ただし今から、新しい道を一本最初から探す時間はない」

そこでエダンが斜面の上を見た。「完全に新しくなくてもいい。昔、ヤギ追う時に使ってた棚がある。道ってほどじゃないけど」

「あの木の下」と指されても、俺には木が多すぎて分からない。「どれ?」「曲がってるやつ」「全部曲がってる」

エダンが俺を見た。「レン、山向いてないよ」

「ここ何年いると思ってんだ」

「年数で木は見分けられない」

悔しいけど、その通りだった。

エダンを先頭に斜面を上がる。細道から十数歩、岩の段へ足をかける。

「これ、道?」と俺が聞く。

「ヤギには」とエダン。

「人には?」

「今から見る」

それ、俺の役じゃない? 少し嬉しくなって先へ出ようとしたところで、ミオに服を掴まれた。

「一人で行かない」「分かってる」「今、行こうとした」「先頭を取ろうとしただけ」「同じ」

四人で進んだ。

棚は確かに続いている。ただし道ではない。足の幅より少し広い岩、手をつく場所がないところ、枝を避ける場所、一度しゃがまないと通れない裂け目。

軍どころか、元気な大人でも荷物を背負って歩くのは面倒だ。

俺が「最高じゃん」と笑うと、ミオに即座に「避難路としては最低寄り」と返された。

「軍は絶対嫌がる」「子どもも嫌がる」

それはそう。

エダンが先で止まった。「ここを下りれば元の細道に戻れる。たぶん境界の外側」

下を見る。高い。

俺が「ロープ二本はいるな」と言うと、ミオは「四本」と訂正した。「上り下りだけじゃなく横もいる。雨じゃなくても石が滑る」

シンが肩を落とす。「また運ぶの俺たちですよね」

「今日は紙じゃないぞ」と慰めたら、「重くなってるじゃないですか」と返された。

白嶺へ戻って、ロープと杭と木槌を持ってきた。途中、ナディアが焼き固めた芋を袋に入れて渡してくれる。

「昼食べてないでしょ」「何で分かるの?」「朝から四人とも同じ顔してるから」

シンは歩きながら一つ食べようとして、ミオに「地図の上へ塩落とさないで」と怒られた。「食べる場所も管理されるんですか」「私の地図の上だけ」「じゃあレンの紙の上で食べます」「俺の紙も地図だから」

珍しく俺が正しいことを言った。

午後いっぱいかけて、棚を人が通れる形にした。ただし、広げない。広げたら軍が使いやすくなる。岩も削りすぎない。削れば別の崩れ方をするかもしれない。

必要なのは、老人と子どもと怪我人が、助けを借りながら一人ずつ通れることだ。

一か所目に固定ロープ。二か所目は横ロープ。三か所目は木の根を使わず杭を打つ。四か所目は短い下り。エダンが何度も往復し、シンが荷物役を引き受け、ミオは古代境界との距離を測る。俺は先へ行ったり戻ったりして、足場が崩れないか確かめた。

夕方前、試しに白嶺の避難係を三人連れてきた。一人は五十代の男、一人は足に古傷のある女性、もう一人は昨日まで診療所で包帯を巻いていた若い守備兵だ。

俺が説明しようとすると、足の悪い女性が先に言った。「説明はいいから歩かせて。無理なら無理って言う」

強い。「じゃあ、お願いします」

三人は時間をかけて渡った。速くない。途中で女性が一度、「ここ嫌い」と言った。誰も励まさず、ロープの位置を十五センチ下げた。

一回目は十三分かかった。二回目は、女性が自分から「もう一回行く」と言い出したので、荷物を三キロだけ持ってもらった。今度は十五分。速くはならなかったけれど、途中で止まった場所が変わった。

「ここ、足じゃなくて手が怖い」と女性が言う。見ると、横ロープが高すぎて肘が上がっていた。俺は低くしようとしたが、ミオに「私たちの身長だけで決めない」と止められ、避難係の男にも握ってもらう。結局、二本目だけ高さを変えた。

紙の上なら線一本だった。実際に人を歩かせると、手の高さも、荷物の重さも、怖い場所も人ごとに違う。俺は新しい道を見つける時より、見つけたあとにやることの方が増えている気がした。

守備兵は裂け目で肩をぶつけた。「鎧だと厳しいですね」

「そのままで」とミオが言う。

「直さないんですか?」

「民間避難路だから。人が通れて、武装した集団が通りにくい方がいい」

その一言で、俺もようやく分かった。

便利にしすぎない。

今まで道は、通りやすいほど良かった。幅を広げ、荷車を通し、橋を強くした。今回は逆だ。通れる。でも、大勢では使いにくい。その不便さを残す。

最後に俺たち四人でもう一度通り、古代境界の印を確認した。新しい迂回は、二十三歩の危険区間を完全に外れている。

完全安全とは言えない。斜面はある。雨なら使えない。大怪我人を寝かせて運ぶのは難しい。でも今の条件なら、一人ずつ逃がせる。

「地図に出す?」と俺が聞くと、ミオは少し考えた。

「避難係と診療所と門の担当には、正確な線を渡す。広場に貼る避難図には入口と出口だけ。細かい曲がりは書かない。使う時は案内を立てる」

「隠すの?」

「必要な人には出す。誰でも持って歩ける形にはしない」

以前なら、見つけた道をどう公開するかで何度も揉めた。今は、渡す相手と使う目的まで決める。

日が落ちる前、ユリウスへ報告した。

条件二――現時点では成立可能。ただし雨天時は再判断。子ども、高齢者、負傷者には補助員が必要。一度に通せる人数は少ない。

ユリウスは「安全です」とは書かなかった。《使用可能。ただし制約大》。そう記録した。

その文字を見て、俺は妙に安心した。安全って書かれるより信用できる。

残す道はできた。

地図の線を信じるだけじゃなく、二十三歩ずらして、人が実際に歩けるところへ。

第126話 敵に見せる地図を、俺たちはもう一枚作った

【本文】

「カイルに見せる」

ミオがそう言った時、俺は思わず聞き返した。「どこまで?」

「そこを今から決める」

白嶺の会議所には地図が三枚あった。

一枚目は、道路、宿、倉庫、水場まで載ったいつもの白嶺周辺図。もう公開されている。

二枚目は避難用。西細道と、昨日作った二十三歩の迂回を含む。正確な線を持っているのは避難係と診療所、門の担当だけ。

三枚目が一番まずい。古代防衛機構の推定図だ。町側の保護境界、北と南の閉鎖点、中央制御室、古代の崩落候補線まで入っている。

「普通、敵には見せないよね」と俺が言うと、オルザが腕を組んだ。「軍人としては、見せる理由がありません。ただし北方軍を崩落候補域から退かせたいなら、危険区域の根拠は示した方がいい。口頭で『山が落ちるから下がれ』だけでは、罠を疑われても仕方ありません」

ユリウスが地図を見比べる。「目的を分けます。北側解除点を奪うための情報は渡さない。退避させるために必要な情報は渡す」

ミオは三枚目へ薄い紙を重ね、その場で写し始めた。北側解除点の正確な位置はぼかす。中央制御室への入口は消す。西細道の細かい線も消す。

残すのは、崩落する可能性が高い帯、白嶺市街の保護予定範囲、そして北方軍の今の陣地のうち危険域に重なる部分だけ。

「敵に見せる地図、初めて作るね」と俺が言うと、ミオの手が一度止まった。

「今までも、敵に使われる地図は作った」

第七章で、ミオが助けるために公開した地図は北方軍にも使われた。攻める道として利用された記憶は消えていない。

ミオはもう一度ペンを動かした。「今回は、使われる前提で作る。だから用途を一つにする」

「退避だけ」

「そう」

エダンが地図を覗き込む。「でもカイルなら、これ見たら北の解除点がどのへんか分かるんじゃない?」

「分かると思う。でももう守ってる場所だから、増える情報は少ない」

情報を隠すか出すかじゃない。相手がすでに何を知っているかまで考える。そこがミオらしかった。

昼過ぎ、北門の外。前回の民間回廊で使った中間地点に白い布を立てた。交渉場所だ。

こちらは俺、ミオ、ユリウス。オルザは門の内側に残る。北側からはカイルと、見覚えのある年配の工兵が一人だけ来た。二人とも剣は持っているが、抜いていない。

カイルは木箱の上へ置かれた地図を見て、予想と違うことを言った。

「ここまで落ちるのか」

指したのは北方軍の今の陣地だった。

ユリウスが答える。「可能性が高い、という段階です。確定ではありません。古代境界印と地形変化を重ねた推定です」

「いつ動かす」

「まだ決めていません」

「決まったら何時間前に知らせる」

俺はユリウスを見た。ユリウスも即答せず、「最低でも北南双方が危険域から退く時間を確保してからです。白嶺の避難完了も条件に入ります」と答えた。

カイルは地図を見たまま聞く。「北の兵を殺すために使う気はない、と?」

「ない」と俺が答えた。「白嶺を守るために道を落とす。北の兵を埋めるためじゃない」

「その言葉を、俺が信じればいいのか」

「信じなくていい。だから地図持ってきた」

横でミオが小さく息を吐いた。たぶん今のは、少しだけ正解だった。

カイルの隣の工兵が崩落帯へ指を置く。「隊長。今の北陣、半分以上かかっています。破砕台車も。移すなら、負傷者と炉晶を先に出して四時間。全部なら六時間は見た方がいいです」

カイルは少し考えてから、俺たちへ顔を上げた。「六時間前に知らせろ」

「退くの?」

「部下を山に埋める理由はない」

あっさりしていた。俺が「もっと揉めるかと思った。撤退したら負けたみたいとか」と言うと、カイルは本気で分からないという顔をした。

「死なせる方が負けだろ」

ユリウスの口元が僅かに緩み、俺も笑いそうになった。こういうところが、嫌いになれない。

でも話はそこで終わらなかった。

カイルが地図の北端を押さえる。「軍は危険域から下げる。民間人も動かす。だが旧監視所は渡さない」

空気が戻った。

「そこ必要なんだ」と俺が言う。

「知っている」

「じゃあ部下だけ下げて、自分は残る?」

「俺だけとは言っていない。必要な人数は残す」

俺は頭をかいた。「そこまで分かって、まだ守るの?」

カイルは怒らなかった。少し言葉を選んでから、「レン。お前たちは白嶺を残すために道を落とす。俺は北を残すために、その道を落とさせたくない」と答えた。

「北の兵は退かせるのに?」

「兵を死なせることと、街道を失うことは別だ」

カイルの指が、北へ伸びる道をなぞった。「凶作は終わっていない。白嶺が止まれば、北はまた食料路を失う。今は備蓄がある。だが次の冬、その次はどうする」

俺は何も言えなかった。第六章で見た。北の倉庫。薄い備蓄。食料便を待つ人。道がなくなった後の北を、俺はカイルほど知らない。

ミオが静かに聞く。「だから占領する?」

「占領したいわけじゃない。北から見れば、この街道を南だけが閉じられる状態にしたくない」

「白嶺が決めた。白嶺は南じゃない」

「分かっている。それでも、北の生存路が消える決定を俺は止める立場にいる」

ミオは少し眉を寄せた。「分かってて止めるの、面倒」

「すまない」

「謝るところじゃない」

会話が変なところで止まった。

北風で地図の端がめくれ、俺とカイルが同時に手を伸ばして押さえる。同じ地図を、敵同士で押さえていた。

俺はそのまま聞いた。「旧監視所を取られたら、北の兵は戻ってくる?」

「俺が生きて命令できるなら、崩落候補域へは戻さない」

「じゃあ戦うのはそこだけ?」

「お前たちが他を攻めなければな」

ユリウスが間へ入る。「確認します。北方軍本隊は崩落候補域から退く。白嶺側が追撃しない限り再侵入しない。旧監視所だけは北方側が保持し、白嶺の接近を阻止する。退避通告は六時間前。負傷者と非戦闘員を優先」

「それでいい」とカイルが答えた。

俺は横で、変な気分になっていた。敵と、戦う場所を相談している。でも関係ない人間まで巻き込むより、ずっといい。

交渉が終わりかけた時、カイルが地図の西端へ目を止めた。「この細い線は?」

ミオは地図を一瞬だけ引いた。「そこは見せない」

「避難路か」

「答えない」

「そうか」

カイルは追わなかった。それで分かるのが腹立つ。でも追わないことも、少しだけありがたかった。

北側へ戻る前、カイルが俺を見る。「部隊は今夜から下げる」

「お前は?」

「旧監視所に残る」

「何人?」

「教えない」

「そこは教えてよ」

「敵だからな」

やっと少し笑った。俺も笑った。

それで終われればよかった。

カイルは背を向ける前に、もう一度だけ言った。「レン。来るなら止める」

「分かってる」

「俺も、お前が来るのは分かってる」

「じゃあ退いてくれれば早いのに」

「それはお互い様だ」

確かに。

白嶺へ戻る道で、ミオが俺の横を歩いた。しばらく無言だったので、俺から「何?」と聞く。

「別に」

「別にの歩き方じゃない。石、さっきから強く蹴ってる」

ミオが足元を見た。本当に小石が一つ転がっていた。

少しして、彼女が言った。「友達と戦うの、嫌でしょ」

「嫌だよ」

「じゃあ、嫌なままで行けば」

「励ましてる?」

「無理に格好よくしなくていいって言ってる」

俺は少し考えてから頷いた。たぶん、その方がいい。

嫌いだから戦うんじゃない。正しいから戦うんでもない。白嶺を残したい俺たちと、北の道を残したいカイルが、同じ場所を必要としている。それだけで十分ぶつかる理由になる。

会議所へ戻ると、ユリウスが新しい予定表を書いた。

白嶺住民の退避準備。西細道の補助員配置。南側への同時通告準備。北方軍の危険域退避確認。町側境界機構の最終確認。南側閉鎖点の確保。

そして最後。《北側旧監視所》。その横だけ担当者の欄が空いていた。

俺は炭筆を取った。自分の名前を書こうとしたところで、エダンが横から言う。「勝手に一人で書くなよ」

「まだ何も言ってないじゃん」

「顔が言ってる」

シンも椅子を引きながら、「今回は俺も分かりました」と乗ってきた。

「そんな分かりやすい?」

ミオが即答する。「かなり」

ユリウスは予定表を俺から取り上げた。「担当は明朝決めます。今日は寝てください」

「寝られると思う?」

「寝られなくても横になる」

「管理が細かい」

「今さらですか」

俺は炭筆を置いた。

北側解除点は必要だ。カイルは退かない。でも北方軍本隊は、崩落候補域から下がる。

戦場は広がるんじゃない。逆に、一か所へ細くなっていく。

道を閉じるための戦いが、旧監視所へ集まり始めていた。


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