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世界リセットなし。~死んだら別人生、それでも俺の歩いた道は残るVRMMO~  作者: ユミヒロ


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第85話 黒枠は、山を止めるために並んでいた

【本文】


朝一番。俺たちは、昨日見つけた細い並行路へ入った。理由は簡単だ。黒枠一と二を横から越えられた。なら、三も同じなのか。


それを確かめる。入口の机でユリウスが木札を読んだ。


「黒枠三まで。主通路へ出ない。黒枠を動かさない。壁も床も外さない」


「分かってるって」


俺が答えると、横でシンが顔を上げた。


「最後の二つ、昨日のレン見て増えたやつ?」


「増やした」


「俺のせい?」


「半分」


「半分は誰だよ」


「ガラン」


少し離れたところで、ガランが鼻で笑った。


「俺は『あいつに工具持たせるな』しか言ってない」


もっとひどい。ミオが木札の余白へ小さく書き足す。


《帰還予定 昼の鐘より前》


エダンは腰縄を確認してから、俺の方へ一本投げた。


「今日は俺が先。昨日、お前ずっと横穴覗いてたから」


「調べてただけだろ」


「顔が先に入ってた」


また顔。俺たちは地下へ降りた。下層広路。黒枠一。その横の、細い人用通路。


昨日つけた白線が残っている。壁の小穴から主通路が見える。黒枠二を越える。操作小部屋候補。そこまでは昨日と同じ。


その先。道はさらに細くなった。肩が当たるほどではない。でも二人並べない。先頭のエダンが、曲がり角で止まる。


「上がるぞ」


階段。六段。七段。その先で床が平らになる。俺は昨日の地図を頭の中で回した。


「これ、黒枠三より高い?」


ミオが後ろで紙を見る。


「たぶん。主通路より半階分くらい上」


「何で上げるんだろ」


「まだ分からない」


いつものやつ。階段の先には小部屋があった。狭い。石台、一つ。壁に縦溝、三本。


床には丸穴。黒枠一と二の横で見た部屋に似ている。ただ。ここには、もう一つあった。壁。


三本の縦溝の横。石へ刻まれた線。一本。その先に四角。さらに線。


また四角。最後に、三角。子どもの落書きみたいに単純な図。俺はランプを寄せる。ミオがすぐ手を出した。


「触らない」


「触ってない」


「触る距離だった」


最近、距離まで見られている。エダンが図を見る。


「道?」


一本の長い線。途中に四角が三つ。今まで見つけた黒枠も三つ。最後の三角。俺たちは黙った。


言いたくなる。でも先に、位置を見る。ミオが紙へ写す。線。四角。


四角。四角。三角。


「向き、合わせてみる」


ミオが今の地図を横へ置いた。地下の主通路。黒枠一。黒枠二。黒枠三。


北側の監視所候補。重ねる。完全ではない。でも。四角三つの間隔が、黒枠の間隔と近い。


最後の三角は、北側の監視所候補がある方向。俺の背中が少しぞくっとした。


「これ、施設の地図?」


「候補」


ミオは言った。でも声が少し低い。いつもより慎重な時の声だ。エダンが石台の前へしゃがむ。


「ここ、削れてる」


石台の上。三本。細長く。何かを何度も置いたような跡。その下の床穴。


ガランが昨日言っていた。梃子か、巻き上げ。俺は壁の三本の溝を見る。三つの黒枠。


「一個ずつ動かす場所?」


「可能性はある」


ミオが答えた。


「でも、ここから全部動かせたかは分からない」


「じゃあ何のための図?」


「操作順かもしれない。位置確認かもしれない。作った人用の目印かもしれない」


「夢がないな」


「間違えるよりいい」


その通り。その時。エダンが、小部屋の奥を見た。


「まだある」


石台の横。壁の下。細い隙間。風。昨日までなら、俺が最初にしゃがんでいた。


今日は三人とも一回止まる。帰還時刻を見る。余裕。床。天井。


崩れなし。ミオが言った。


「見るだけ」


「見るだけ」


俺も言う。隙間は、人が通れるほど広くなかった。でも鏡は入る。エダンが鏡を差す。向こう。


光。


「空間ある」


角度を変える。上。石。下。溝。


右。暗い。左。一瞬。外の光みたいなもの。


「外?」


俺が聞く。エダンがもう一度角度を変える。白い。青い。空。


どこかにつながっている。入口を探す。小部屋を出る。並行路をさらに北へ。十歩。


二十歩。壁が自然岩へ変わる。人工の直角が消える。ただ、床だけは平ら。そこから先。


急に明るくなった。出口。岩の裂け目。草で隠れている。外へ出る。


俺たちは三人とも、しばらく何も言わなかった。高い。白嶺街道が下に見える。北側。あの監視所候補より、さらに上。


遠くまで見える。山脈の北側。街道が細くなって、岩壁の間へ入る場所。そこも見える。エダンが目を細めた。


「ここ、昔から崩れやすい」


「どこ?」


「ほら。あの灰色の斜面。雪解けの後、よく石落ちる」


俺は見る。灰色の斜面。その下。街道。さらに。


こっち側の岩壁。人工的な石積みがある。上からだと分かる。山肌へ埋め込むように。縦に。


何本も。俺は近づかない。代わりにミオが距離を取ったまま、目で追う。


「下の黒枠三の位置と……近い」


「何が?」


「この石積み」


エダンが斜面を回り込む。


「ここ、上に道あるぞ」


細い。人一人分。今いる出口から、その石積みの上へ。俺たちは入らない。地上だけど、勝手に進めば昨日の俺と同じだ。


一度戻る。地下。木札。上。ユリウスが俺たちの顔を見る。


「早い」


「上に出た」


「どこへ」


ミオが地図を広げる。黒枠三横。階段。小部屋。壁図。


その先の裂け目。高所。灰色斜面。ユリウスは一つずつ見る。ガランも来る。


シンも。セドリックも、ちょうど南側から上がってきたところだった。俺が言う。


「黒枠三の横から、山の上へ出られた。そこから北の狭いところが見える」


ガランが壁図を見た。


「四角三つ?」


「黒枠と位置が近い」


ミオが答える。


「一致確定ではないです。ただ、間隔は似ています」


セドリックが図を見てから、俺たちが見た高所の位置を聞く。


「現在の街道からは?」


エダンが答えた。


「普通に登るなら遠い。でも地下からなら近い」


「閉じる設備の横を通って、高所へ出られる」


ユリウスが言った。声は平らだった。


「しかも北から来るものを見られる」


シンが付け足す。


「南も、昨日見えたよね」


ミオが頷く。


「南北双方に監視所候補があります」


その時。ガランが地図の黒枠を指で三回叩いた。


「三つの門みたいなもんがある」


「門って確定?」


俺が聞く。


「動くなら門だ。動くか試してないけどな」


結局まだ候補。ガランは続ける。


「大きい道を三か所で止められる。止めても横道で人は動ける。上から南北を見られる。水は逃がせる」


シンが言う。


「道を壊す場所もあったよね」


第78話で見つけた。地上の崩れ跡。その下の、閉鎖構造候補。俺たちはそこも地図へ置く。一枚の上に。


監視所。黒枠。並行路。操作小部屋。排水。


崩落候補。高所。別々だった点。ほとんどが、街道の周りへ寄っている。セドリックがゆっくり言った。


「通行のためだけにしては、閉じる手段が多いですね」


「災害対策だけにしても、見る場所が多い」


ミオが続ける。


「保守だけなら、閉じた向こうへ人を移動させる並行路がここまで連続する理由は弱い」


俺は地図を見る。言っていい気がした。でも自分で決めたくない。


「……戦うため?」


誰も笑わなかった。エダンが腕を組む。


「山越えて来るやつを止めるなら、便利だろうな」


ガランが言う。


「便利って言い方するもんじゃねえ」


「じゃあ何て」


「怖い」


短い。でも。その方が合っていた。ユリウスが記録へ書く。


《防衛用途を主目的とした施設群である可能性、高》


少し止まる。それから、もう一行。


《街道全体が施設の一部である可能性》


俺はそこを見る。街道そのもの。白嶺を越える道。俺たちは、古い道を直したと思っていた。でも。


道だけじゃなかった。見る場所。閉じる場所。逃げる水。横を通る人。


落とせるかもしれない場所。全部で一つ。山を越えるための道であり。必要なら。山を越えさせないための道でもあった。


午後。ガランとセドリック、それにシンを加えて、高所を地上側から確認した。勝手に石積みへ触らない。見るだけ。石積みの上には、太い溝が三本。


その先。灰色斜面の下へ向かっている。途中で土に埋まっている。ガランがしゃがみ、溝を見た。


「昔、ここに木か鉄の梁が入ってたかもしれん」


「何するため?」


俺が聞く。


「知らん。ただ、この斜面を支える物なら、抜いたら嫌なことになる」


全員、灰色斜面を見る。下には街道。俺の喉が乾いた。


「これ、動かさない方がいいね」


ミオが隣で言った。


「珍しく意見一致した」


「俺だって何でも動かしたいわけじゃない」


「前科が多い」


「動かしてない前科って何だよ」


エダンが笑った。緊張が少し抜ける。でも。その日の帰り。俺は何度も振り返った。


山の中には、閉じる力が残っている。動くかどうかも分からない。本当に戦争用だったか、最後の断定はまだできない。ただ。これを誰か一人が勝手に触っていい施設ではない。


そこだけは。もう、候補じゃなかった。


第86話 見つけた力を、動かさないと決めた


【本文】


会議は、昼飯の後になった。理由。鍋屋のおばちゃんが、


「朝は仕込み。夕方は客。昼なら座れる」


と言ったから。この山の将来より、仕込みの方が時間に厳しい。宿の広間。昨日より椅子が多い。北側の荷運び。


南側の商人。パン屋。鍋屋。ガラン。エダン。


シン。ミオ。ユリウス。セドリック。俺。


それに今日は、北側の村から来た年配の男が一人。名前はロム。炉晶を運ぶ荷車を何度か見たことがある。座るなり言った。


「先に言っとくけど、壊すなよ」


「俺に?」


「お前以外に誰がいる」


初対面に近いのに。評判が悪い。俺は反論しようとした。横のミオが水を飲んでいる。顔を見た。


絶対、笑っている。ユリウスが机へ紙を置いた。


「今日は三つだけ決める」


三つ。助かる。


「地下施設を動かすか。誰が立入を決めるか。今の一週間ルールをどうするか」


商人がすぐ聞いた。


「所有は?」


「今日は決めない」


ユリウス。即答。


「料金は?」


「決めない」


「観光は?」


「決めない」


「名前は?」


俺が聞いた。全員がこっちを見る。


「何」


ユリウスがため息をついた。


「それも決めない」


名前くらいいいだろ。でも、掲示板ではもう古代要塞になっている。決めない方が安全かもしれない。セドリックが昨日までの調査図を広げる。北と南の監視所候補。


三つの黒枠。並行路。操作小部屋候補。排水。地上崩落候補。


高所。灰色斜面。その上の溝。


「現時点で、施設全体が軍事的な防衛を含む目的で構成された可能性は高いと考えます」


セドリックが言った。


「ただし、作成者、年代、実際に戦闘で使用されたか、各設備が現在も作動するかは不明です」


ミオが頷く。


「そこは分けたい」


鍋屋のおばちゃんが地図を見て、眉を寄せた。


「難しい話はいいんだけど。結局、山崩れるの?」


ガランが答える。


「分からん」


「じゃあ触らない方がいいね」


「俺もそう思う」


三秒で一個決まった。ユリウスが紙へ書く。


《黒枠・高所溝・崩落候補構造は作動試験しない》


南側の商人が手を上げる。


「待ってくれ。動くか分からないなら、一度は調べるべきじゃないか? 通れなくなった時に使える設備かもしれない」


筋は通っている。俺も。見たい。正直、ものすごく見たい。黒枠が本当に動くところ。


石台と溝がどうつながるのか。山の斜面が何をするのか。でも。俺が見たいから、で動かせる大きさじゃない。


「調べるのは賛成」


俺は言った。商人が俺を見る。


「じゃあ」


「でも動かすのは別」


自分で言って、少し変な感じがした。前なら逆だった気がする。


「動かさなくても調べられるところ、まだいっぱいある。構造。材質。つながり。下から見えるところ。動かす前にそっち全部やった方がいい」


ガランが一度だけ頷いた。


「珍しくまとも」


「褒め方覚えて」


エダンが口を挟む。


「もし動かすなら、その時は街道止める日も決めないと無理だろ。北も南も荷が来る」


北側のロムが腕を組む。


「炉晶止めるなら先に言ってもらわんと困る。こっちも食いもん運んでもらってる」


南側商人が返す。


「南も炉晶待ちだ。パン屋だけじゃない。宿も乾燥に使い始めてる」


話が施設から生活へ戻る。そこがいい。黒枠一枚より、今日通る荷車の方が困る人は多い。シンが、入口の通行記録を持ってきた。紙束。


昨日。北から六台。南から八台。人だけの通行、三十七。今日の午前だけで、荷車九台。


「今、勝手に一日止めたら、これ全部止まる」


シンが言う。


「地下見たい人より、通る人の方が多い」


パン屋が笑った。


「そりゃそうだよ。道なんだから」


道。施設の前に。道。ユリウスが二つ目を書く。


《調査は非作動を原則。作動試験が必要になった場合は、通行・救助・退避・北南双方の同意条件を別途決める》


長い。俺が言う。


「札に書くなら短くして」


「記録用だ」


「ならいい」


次。誰が立入を決めるか。ここが一番面倒そうだった。でも、意外に早かった。今の登録方式を続ける。


調査班。構造班。記録。地上側。毎朝人数を決める。


ただし。


「レンが入る日は、レンが決める?」


北側のロムが聞いた。俺は首を振る。


「俺も受付」


シンがすぐ言う。


「十七番」


「もうその番号使うなよ!」


皆が笑った。笑われたけど。それでよかった。南側商人が俺を見る。


「見つけた人なのに?」


「見つけたからって、落盤した時に全員助けられるわけじゃないし」


言ってから。第70話。ガランが落ちた時を思い出す。一人で何でもできると思っていたわけじゃない。でも。


最初に見つけた人間が、一番知っている。一番決めてもいい。そんな感覚はあった。今は。一番知っているなら。


一番説明すればいい。決めるのは別でもいい。


「俺は調べる側でいい」


俺は言った。


「意見は言う。でも、最後まで俺一人の場所にはしない」


部屋が少し静かになる。俺はこういう空気が苦手だ。いいこと言ったみたいになる。だから付け足した。


「あと、俺一人だとたぶん動かしたくなるし」


ガランが即答した。


「それが一番でかい」


空気が戻った。助かったような、助かってないような。ユリウスが三つ目を書く。


《地下・監視所候補・高所構造の立入は暫定運営会で日次決定。発見者に優先権なし》


「暫定運営会って何」


俺が聞く。


「今ここにいる人たち」


「名前決めてないって言ったじゃん」


「施設の名前は決めてない」


ずるい。鍋屋のおばちゃんが聞く。


「私も毎日来るの?」


「来なくていいです」


セドリックが答える。


「日常判断は、入口にいる運営担当で。ルール変更だけ、商売側・荷運び側・北側・南側・調査側から一人以上いれば話す」


「じゃあ私、鍋売ってていいのね」


「はい」


「それなら賛成」


制度より鍋。でも、たぶんそれでいい。午後。入口の札を替えた。一週間限定だった暫定ルール。


期限を、三十日に伸ばす。ただし途中変更あり。


《街道通行を最優先》


《地下・南北監視所候補は登録者のみ》


《古い設備は動かさない》


《新しい発見は、その日の運営担当へ》


《事故・危険があれば即変更》


五行。短い。シンが書いた。俺よりずっと読みやすい。その下に、小さく。


《三十日後に見直し》


ユリウスが書き足す。見物人が読む。商人が読む。荷運びも読む。誰かが、


「入れないの?」


と聞く。シンが、


「今はね」


と答える。誰かが、


「誰が決めた?」


と聞く。シンは少し考えてから、


「ここ使ってる人たち」


と答えた。それが一番分かりやすかった。夕方。俺は一人で、地下入口の前に座っていた。入らない。


今日はもう終わり。荷車が北へ一台。南へ二台。子どもが見物場所から、地下入口を覗いている。母親に手を引かれて帰る。


鍋の匂い。串焼きの煙。誰かが靴の泥を落とす音。山の下には。昔の誰かが作った、道を閉じる仕組みが残っている。


俺たちは、それを見つけた。でも。見つけた最初の仕事は。動かすことじゃなかった。動かさないと決めることだった。


その日の夜。宿へ戻る途中。シンが走ってきた。息が上がっている。


「レン」


「何?」


「南から人来た」


「旅人?」


「違う」


シンは紙を一枚持っていた。白嶺の入口で、セドリックが受け取ったもの。南側の役所印。俺は嫌な予感しかしない。


「何て?」


シンが紙を俺へ渡す。


「明日から、北行きの荷を検査するって」


俺は読み直した。地下の力を、動かさないと決めた日。地上の道には。別の止め方が来た。


第87話 自由な道に、検査の札が立った


【本文】


次の朝。白嶺街道の南入口に、知らない机が置かれていた。うちのじゃない。机に、


《通行貨物確認》


と書いた札。その横に男が三人。剣は持っていない。鎧もない。書類。


印。紐。一番面倒そうな装備だった。俺は入口で立ち止まる。


「これ、昨日なかったよね」


ミオが隣で言う。


「昨日あったら気づく」


エダンが後ろから机を見る。


「誰?」


セドリックが先に向こうへ行っていた。珍しく、役人らしい顔をしている。いつも役人だけど。南側から来た三人のうち、一番年上の男がこちらを見る。


「レン殿ですか」


嫌だ。名前知られてる。


「そうですけど」


男は一礼した。


「南側交易監督局のハルドと申します。本日より、北方へ向かう商用荷について、品目・数量・荷主の確認を行います」


ミオがすぐ聞く。


「通行を止めるんですか」


「確認が済めば通れます」


「どれくらいかかる?」


エダン。


「一台につき十分程度を想定しています」


俺たちは三人とも街道を見た。すでに荷車。四台。後ろから五台目が来る。一台十分。


エダンが先に言った。


「詰まるな」


ハルドも街道を見る。


「そのため、こちら側へ待機場所を」


「そこ、昨日見物人どかした場所」


シンが来た。机。札。荷車。三人の役人。


全部一度見てから言う。


「待機に使うと見物人また道出る」


ハルドがシンを見る。


「君は?」


「通行記録やってる」


「役職は?」


シンが少し考えた。


「ない」


即答。俺は笑いそうになった。ハルドは笑わない。でも、馬鹿にもしなかった。


「では、現地運用を知っている人ですね。待機場所はどこが適切ですか」


シンが少し驚いた顔をした。俺も。話は通じるらしい。シンは道の反対側を指した。


「南へ二十歩。前に荷車避け作ったところ。二台までなら入る。三台目からは街道細くなる」


「確認します」


ハルドは部下の一人を連れて行った。走らない。早歩き。ちょっと役人っぽい。戻る。


「二台までですね」


「うん」


「では三台目以降は南側の旧広場で待たせます。誘導員を一人置きます」


シンが頷く。検査は嫌だけど。現場無視の馬鹿ではない。そこが逆に面倒だった。俺が聞く。


「何で急に?」


セドリックが答えた。


「交易量が増えました。炉晶、穀物、豆、乾燥材。あと地下施設の発見」


最後。関係あるのか。ハルドが戻ってきて言う。


「地下については別件です。直接の理由は、北方との商用貨物が継続的になり、南側の市場へ入る品が増えたことです」


「じゃあ税金?」


俺が聞く。


「今日は徴税ではありません」


今日は。その言葉だけ拾ってしまう。ミオも同じだったらしい。


「今日は?」


ハルドは少し間を置いた。


「制度案は検討されています。ただし、まだ決定ではない」


正直。そこは嫌いじゃない。でも。道の札が一枚増えただけで。今まで自由に通っていた荷車が止まっている。


一台目。炉晶。箱三つ。荷主。北側の商人。


数量。印。紐をつける。通る。七分。


二台目。毛皮。干し肉。炉晶の小箱。十一分。


三台目。問題。荷台の奥から、豆袋が二つ出た。ハルドが聞く。


「これは記載にありません」


荷主の男が困った顔をする。


「昨日、北で載せた。南に持ってく」


「商用ですか」


「半分は売る。半分は妹の家」


「荷主は?」


「俺」


「妹さんの分は贈与?」


男が止まった。俺も止まった。何だそれ。男は頭を掻く。


「……妹にやるだけだ」


ハルドが紙を見る。部下を見る。部下も困る。制度が生活に負けている。最初の日から。


俺が口を出す前に。シンが言った。


「その袋二つで何か変わる?」


ハルドがシンを見る。


「商用貨物確認なので、売る物と個人の物を分ける必要があります」


「じゃあ片方に紐つけて、片方は妹って書けば?」


一番単純。ハルドが少し考える。


「……そうしましょう」


その場で書式が一行増えた。


《個人使用・贈与》


初日。三台目で。俺はちょっと笑った。制度ってもっと固いと思ってた。でも作ったばかりなら、まだ柔らかい。


午前。検査は続く。詰まりは、思ったより少ない。シンが待機場所を分けたから。でも。


時間はかかる。荷車を引く人が、


「昨日までなかったのに」


と三回言う。商人は、


「これ南でまた聞かれるの?」


と二回聞く。ハルドはそのたびに説明する。怒鳴らない。偉そうにもしない。だから余計に。


簡単な悪役にできない。昼前。北側から来るはずの荷車が見えた。いつもの便。南へ穀物を持ってくる。


俺は何となく数えた。一。二。三。終わり。


「少なくない?」


俺が言う。エダンが北を見る。


「いつも五か六は来る」


三台。しかも。一台目。荷が低い。二台目。


袋が半分。三台目は、炉晶じゃない。空の樽が積んである。ロムが先頭にいた。昨日の会議に来た年配の男。


顔が悪い。疲れてる。俺は歩いていく。


「どうしたの」


ロムは荷台を指した。


「麦、出せん」


「売らないってこと?」


「ないんだよ」


一言。でも続ける。


「北の二つの集落で、早霜。畑の外側がだいぶやられた。まだ全部駄目って話じゃない。ただ、出せる余分が減った」


ミオがすぐ聞く。


「備蓄は?」


「冬越す分を残したら、ほとんど動かせん」


「大麦は?」


エダン。


「そっちも少ない。豆はまだある」


ロムが俺を見る。


「だから南で買えるだけ買って帰る」


その言葉。去年までなら。北は北で食っていた。今は白嶺を通って南から麦が入る。交易が成功した。


便利になった。北でも南の麦を混ぜたパンを焼くようになった。豆も。乾燥材も。炉晶は南へ。


穀物は北へ。道が働いた。その結果。足りない時。この道が、もっと必要になる。


俺は南入口を見る。


《通行貨物確認》


札。机。三人。今日から。ロムも見た。


「何だあれ」


俺は説明する。商用荷の確認。今は税じゃない。一台十分くらい。ロムの顔がさらに悪くなる。


「今日、南で積んで今日戻りたい」


ハルドがこちらへ来た。話を聞く。早霜。北側で穀物余力が減った。南から買い付けたい。


ハルドは紙を見てから言う。


「北へ戻る貨物も確認対象です」


ロムが眉を寄せる。


「今日から?」


「今日からです」


「何で今日なんだよ」


それは俺も思う。ハルドは言い返さない。


「急ぎであることは理解しました。食料については優先確認にできるか、南側へ照会します」


「照会って何刻かかる」


「早ければ昼まで」


「昼まで待ったら、北着くの夜だ」


声が大きくなる。周りが見る。ロムは気づいて、少し声を落とす。


「悪い。あんたに霜降らせたわけじゃない」


ハルドも小さく頷いた。


「こちらも、止めたいわけではありません」


二人とも悪くない。だから困る。俺は道を見る。昨日。俺たちは、古い黒枠を動かさないと決めた。


誰か一人が道を閉じないように。今日。黒枠は動いていない。でも。紙一枚。


机一つ。それだけで、道は遅くなる。ミオが俺の横で言った。


「レン」


「うん」


「顔」


「今度は何」


「走って南行きそう」


当たっている。


「行ってくる」


「どこまで?」


「セドリックとハルドが照会する先」


ユリウスが後ろから声を出した。


「待て」


いたのか。


「何」


「お前が走って『通せ』と言って通ったら、次もお前がいないと通らなくなる」


止まった。嫌な正論。ロムが鼻を鳴らす。


「英雄様の顔で通る道になったら、それはそれで困るな」


「英雄様言うなよ」


「じゃあ何て呼ぶ」


「レンでいい」


「じゃあレン。どうする」


全員が俺を見る。一瞬。前なら。別の道を探す。規則を飛び越える。


荷を担いででも持っていく。たぶん。今も、その考えは出る。でも。この道は一人の道じゃない。


なら。一人で抜け道を作る前に。今ある仕組みを、今日困っている人に合わせて変えられるか試したい。


「ハルド」


俺は聞いた。


「食料だけ、先に見る順番変えられる?」


ハルドが考える。


「確認自体は必要です」


「抜かさない。別の列」


シンが反応した。


「荷車の待機場所、もう一個いる」


「作れる?」


「北側なら二台。炉晶便と混ぜないなら」


エダンが言う。


「食料だけ分けるなら、袋数見るのも早い」


ミオ。


「記録は残す。後から普通の確認に戻せるように」


ユリウス。


「暫定。今日だけ。理由を書く」


全員、違うところを見る。でも一つの形へ寄る。ハルドが部下と話す。セドリックも。数分。


「正式な免除はできません」


ハルドが言った。ロムの顔が落ちる。


「ただし、食料輸送を優先列に分け、確認項目を品目・数量・荷主・行先に限定します。追加確認は後日」


ロムが顔を上げる。


「それなら?」


「一台三分程度を目標にします」


「やってくれ」


決まる。シンが札を書く。


《食料 こちら》


矢印。雑。俺よりはうまい。北側の待機場所へ立てる。最初の一台。


麦。二袋。豆。四袋。塩。


小箱。三分半。二台目。四分。三台目。


二分。早い。完璧じゃない。でも進む。ロムが南へ降りる前。


俺に言った。


「帰り、たぶん荷増える」


「分かってる」


「道、空けとけ」


「シンに言って」


シンが横で、


「聞こえてる」


と返す。ロムは笑って降りていった。俺はその背中を見る。南へ食料を買いに。北へ戻るために。


白嶺を越える。自由な道。好きに通れる道。その価値は。誰も止めないことだけじゃないのかもしれない。


事故なら止める。崩れたら止める。危ない荷なら確認する。飢えるなら急がせる。何も決めない自由と。


皆が使える自由は。同じじゃない。昼。新しい札が三つ増えた。


《通行貨物確認》


《食料 こちら》


《地下見学はできません》


札だらけだ。俺は見て、ため息をつく。シンが聞いた。


「何」


「自由な道って、もっと何もないと思ってた」


シンは札を一本まっすぐに立て直した。


「何もなかった時、荷車一台落ちたじゃん」


言われた。それもそう。その日の夕方。南から戻るロムの荷車が見えた。五台。


朝より二台増えている。麦。大麦。豆。塩。


乾燥野菜。でも。その後ろ。南側から来た別の役人が、セドリックへ封を渡した。今度は検査じゃない。


紙の一番上。


《北方向け交易手数料案》


まだ案。決定じゃない。俺はそれだけ確認して。紙を閉じた。道は開いた。


だから。今度は、開いた道の値段を誰が決めるかが始まった。


第88話 手数料は、一台だと同じだった


【本文】


交易手数料案は、朝になると机の上に三枚へ増えていた。昨日は一枚だった。増え方が嫌だ。


「紙って増えるんだね」


俺が言うと、ユリウスは三枚を順番に並べた。


「同じ紙じゃない。説明、試算、例外案」


「それをまとめたら一枚にならない?」


「お前が読むならまとめる」


「じゃあ一枚で」


「嫌だ」


何で。宿の長机。朝飯の皿を端へ寄せる。今日は南側のハルドもいる。セドリック。


ロム。昨日炉晶を運んできた商人。シン。ミオ。エダン。


俺。ガランは来ていない。


「金の話は俺がいると長くなる」


と言って、朝から斧の柄を直している。自覚があるなら来てもよかったと思う。ハルドが紙の一枚目を俺たちの方へ向けた。


「まだ決定ではありません。南側で出ている案を、白嶺を実際に利用している方々へ先に共有します」


そこは助かる。決まってから持ってこられるより、ずっといい。俺は一番上を見る。商用荷車一台につき、銅貨四枚。


「四枚」


ロムが先に言った。声が低い。ハルドは頷く。


「貨物確認の人員、記録紙、印、南入口の待機場所整備に充てる案です」


俺は隣のミオを見る。ミオはもう別の紙を見ている。


「大きい荷車も、小さい荷車も四枚?」


「現案では」


エダンが椅子へ深く座った。


「それ、小さい荷が損じゃない?」


南側商人も同じところを見た。


「炉晶一箱だけ持ってくる便でも四枚ですか」


「商用なら」


「麦十袋の荷車も?」


「同じです」


部屋が静かになる。分かりやすい。だからこそ、おかしいところも分かりやすい。シンが指を折った。


「じゃあ、小さい荷車三台で来るより、一台に詰めた方が十二枚安い?」


ハルドが訂正する。


「三台なら合計十二枚なので、一台との差は八枚ですね」


シンは指を見た。


「そういう細かいのは今いらない」


ハルドが少しだけ口元を緩めた。


「すみません」


役人が謝った。珍しい。ロムは笑わない。


「北は大きい荷車ばっかじゃねえ。炉晶も食いもんも、村ごとに小さく出す便がある」


南側商人が続ける。


「一台四枚なら、まとめる業者が強くなりますね」


「まとめたら駄目なの?」


俺が聞く。商人が俺を見る。


「駄目ではない。ただ、小さい売り手が自分で運ぶ意味が薄くなる」


「誰かにまとめてもらう?」


「その誰かに手数料を払う」


また手数料。増えた。ミオが紙へ線を引く。


「一台固定だと、荷の量じゃなくて荷車の数を減らす方向に動く」


ユリウスが言う。


「検査側からすれば、荷車が減るほど仕事も減る」


「じゃあ合理的じゃん」


俺が言うと、ロムが首を振った。


「冬前に一か所へ集める場所があるならな」


北側には、全部をまとめる大きな倉庫がない。少なくとも今は。炉晶を掘る場所も違う。麦や豆を受け取る村も違う。小さい便が多いのは、効率を知らないからじゃない。


土地がそうなっている。エダンが言った。


「白嶺の入口でまとめる?」


ロムが顔をしかめる。


「誰が預かる」


「……それも決めるのか」


「雨降ったら?」


「屋根」


「屋根誰が建てる」


「……増えるなあ」


一個決めると、三個くらい仕事が生える。ユリウスが二枚目を指した。


「だから例外案がある」


読む。食料。医療品。個人使用。少量交易。


減免候補。


「少量ってどれくらい?」


俺が聞く。ハルドが答える。


「決まっていません」


「候補の候補?」


「そうです」


「じゃあ何で紙になってるの」


「決まってないことを決まってないまま見せるためです」


それはちょっと分かる。隠されるよりいい。鍋屋のおばちゃんがいないのに、急に鍋の匂いがした。宿の厨房だ。腹が減る。


俺がそっちを見たら、ミオに紙で視界を塞がれた。


「今食べたでしょ」


「匂いは別」


「話戻して」


厳しい。三枚目。試算。昨日の通行量で、一日いくら集まるか。でも数字が途中で止まっている。


《貨物量変化を反映せず》


《小口便の減少を反映せず》


《北方凶作影響を反映せず》


俺はそこを指した。


「これ、分からないこと多くない?」


ハルドが頷く。


「なので、本来は今日から徴収する案ではありません」


「本来は?」


セドリックが咳払いした。ハルドが少し言いにくそうに続ける。


「南側には、検査が始まったのだから費用回収もすぐ始めるべきだ、という意見もあります」


誰が言った。聞きたくなる。でも、名前を聞いたらそいつが悪いやつになる気がする。たぶん違う。検査する人にも飯はいる。


紙も印も無料じゃない。問題は、誰が払うか。いつから払うか。どう払うか。俺は言った。


「三日、取らずに数えたら?」


ハルドが俺を見る。


「何をですか」


「荷車。大きさ。荷。どこからどこ。食料か。小さい便か。今シンがやってるやつに足す」


シンがすぐ嫌そうな顔をした。


「俺の仕事増やした」


「ごめん」


「先に言って」


「今言った」


「そうじゃない」


でもシンは紙を引き寄せる。書ける項目を見ている。ミオが言った。


「三日で足りる?」


ユリウスが答える。


「制度決定には短い。仮説を壊すには使える」


「何の仮説?」


「一台四枚が公平だという仮説」


ロムが鼻を鳴らした。


「最初から壊れてる気するけどな」


南側商人が笑う。


「数字で壊した方が強いですよ」


そこは商人らしい。ハルドが少し考える。


「南側へ持ち帰れます。三日間、徴収開始を保留し、実通行記録を添えて再協議する」


「保留できるの?」


俺が聞く。


「まだ案ですから」


その言葉。ちゃんと案だった。少し安心する。午前。入口の記録板に、項目が増えた。


《大・中・小》


《食料》


《炉晶》


《その他》


《商用》


《個人》


シンが書いた。最後に、俺へ炭筆を渡す。


「レン、午後交代」


「何で俺」


「増やした人」


正しい。逃げられない。最初の荷車。大。炉晶。


商用。二台目。小。豆。半分商用、半分自家用。


昨日と同じやつだ。三台目。空車。俺は止まる。


「空は?」


シンも止まる。項目にない。ユリウスが後ろで言う。


「その他」


「空なのにその他?」


「現実は項目に合わせて来ない」


嫌な言い方。でもその通り。昼前。小さい荷車が三台続いた。全部、北の別々の家から。


炉晶一箱。干し肉。毛皮。もし一台四枚なら。三台で十二枚。


同じ量を大きい荷車一台へまとめたら四枚。紙の上の差が、道の上に出ている。ロムが俺の肩越しに記録を見た。


「ほらな」


「まだ午前だけ」


ミオみたいなことを言ってしまった。ロムが笑う。


「お前、あの地図の姉ちゃんに似てきたな」


「やめて」


「何で」


「怒られそう」


少し離れたところでミオがこっちを見た。聞こえていたらしい。顔が怖い。午後。俺が記録係。


つまらないと思っていた。意外と面白い。荷を見るだけで、人の生活が少し見える。鍋の修理へ行く銅板。冬用の羊毛。


南の妹へ持っていく豆。北へ戻る空樽。子ども用だと言い張る木馬。どう見ても大人が乗った跡がある。


「個人?」


俺が聞く。持ち主の男が真顔で言った。


「個人」


「誰の?」


「俺の」


正直だった。その他。個人。書いた。夕方。


シンが集計する。ハルドも手伝う。俺は数字が苦手なので、荷車の縄を片づける。その時。南から来た若い荷運びが、入口の札を見て立ち止まった。


《通行貨物確認》


顔をしかめる。荷はない。背負子だけ。


「今日は空?」


俺が聞く。男は少し迷ってから言った。


「北で積む」


「なら今は確認だけで通れるよ」


「……そうか」


妙な間。でも、そのまま通った。気にしなかった。夜。宿へ戻る。


エダンが遅れて入ってきた。靴に、白っぽい土がついている。白嶺の主道の土じゃない。


「どこ行ってた?」


俺が聞く。エダンは水を一杯飲んでから答えた。


「南の羊飼いに呼ばれた。柵、倒れたって」


「直した?」


「半分。暗くなったから明日」


それから。エダンは俺を見る。


「レン」


「何?」


「今日、検査の机通らなかった荷、あるかも」


俺の手が止まる。


「見た?」


「荷は見てない」


エダンは自分の靴を指した。


「羊道に、新しい車輪跡あった」


「羊道って荷車通れるの?」


「普通は通らん」


「じゃあ何の跡」


「細い二輪車。人が引くやつ」


白嶺街道。検査の机。一台四枚の案。まだ一枚も取っていない。それでも。


机を置いたその日に。机を通らない道を探す人がいた。


第89話 抜け道を使ったのは、悪い商人じゃなかった


【本文】


朝。俺は羊を追っていた。何でこうなった。


「左!」


エダンが前で叫ぶ。


「どっちから見て左!?」


「羊から見て!」


「分かるか!」


羊が俺の横を抜ける。ミオが笑っている。声は出してない。顔で分かる。


「地図係、手伝って!」


「羊の位置は地図に残らない」


「今だけ残して!」


三頭。たった三頭。なのに俺より道を知っている。昨日、エダンが見つけた羊道。南入口から少し外れた斜面を上がり、灌木の裏を回る。


白嶺街道の検査机を通らず、北側の旧道近くへ出るらしい。昔から羊飼いが使っていた。秘密の道ではない。ただ。荷車が通る道でもない。


そのはずだった。羊を戻し終えてから、エダンが地面を指した。


「これ」


細い跡。二本。普通の荷車よりずっと狭い。間に靴跡。一人。


ところどころ、車輪が横滑りしている。ミオがしゃがむ。触らない。見る。


「新しい」


「昨日の夕方にはあった」


エダンが言う。俺は道の先を見る。斜面。石。羊の糞。


すごく普通。古代の秘密通路より、見つけにくい。


「追う?」


俺が聞く。エダンは首を傾ける。


「もう昨日の跡だぞ」


「どこ出るか見たい」


ミオが砂器を見る。


「昼までに戻れる範囲なら」


最近、全員こうなった。便利だけど少し寂しい。羊道を進む。最初の百歩くらいは楽。その先。


急に狭くなる。右、岩。左、斜面。二輪車の跡は続いている。


「これ引いたの、相当無理してない?」


俺が言う。エダンが足元を見る。


「ここ、二回落ちかけてる」


車輪跡が斜面側へずれている。石に擦れた木の粉。少し先には、縄の切れ端。ミオが拾わずに覗く。


「荷固定の縄かな」


「何運んだんだろ」


「分からない」


当然。さらに進む。小さな沢。橋はない。平たい石を踏む。


二輪車は水へ一度下りている。反対側へ上がるところで。袋の破れ端。麻布。中身はない。


俺がしゃがむ。匂い。


「塩?」


エダンも近づく。指先を地面へつける。舐めない。


「白い粒」


ミオが言う。


「塩とは限らない」


「でも北へ塩運ぶ便はある」


「ある」


俺たちは顔を見合わせる。検査を避けて。塩。密輸。言葉が頭に出る。


まだ違う。手数料は始まっていない。税も決まっていない。通行貨物確認を避けただけ。でも。


それだけでも問題なのか。俺には分からない。


「先見よう」


道は沢から上がる。そこで初めて、人の声がした。


「待って、待って!」


女。その直後。ガタン。俺たちは走った。曲がった先。


二輪車。昨日の跡と同じ幅。片輪が石の隙間へ落ちている。若い女が一人。年は俺たちより少し上に見える。


荷台には袋。二つ。木箱。一つ。女は俺たちを見て、最初に言った。


「取らないで」


俺は止まった。


「何を?」


女は木箱を抱える。


「薬」


ミオが先に距離を取った。


「誰も取らない。車輪、外れそう」


女は俺たちを見る。疑っている。エダンが斜面側へ回る。


「そのまま引くと軸折れる。荷、少し下ろした方がいい」


「触らないで」


「触らない。自分で下ろせる?」


女は迷う。それから木箱を抱えたまま、袋を一つ下ろした。重そう。俺も手を出さない。袋には印がない。


中身。たぶん塩。白い粒が口から少し出ている。もう一袋。乾燥した葉の匂い。


薬草かもしれない。車輪をてこで上げる。石を一つ。板。昨日まで地下で使っていた道具が、羊道で役に立つ。


十分くらい。車輪が戻る。女は縄を締め直す。俺が聞いた。


「昨日もここ通った?」


女の手が止まる。


「……通った」


「何で街道じゃないの」


女は少し顔を硬くした。


「聞く必要ある?」


ある。でも。言い方が難しい。俺が詰まっていると、ミオが聞いた。


「南入口の貨物確認を避けた?」


女は答えない。エダンが袋を見た。


「北へ?」


女が頷く。


「姉がいる」


「薬は?」


「姉の子」


短い。でも、それで終わらなかった。女は木箱を抱え直す。


「熱が下がらないって昨日聞いた。南の薬師にあるって分かった。朝の街道行ったら、荷を全部見せろ、名前書け、どこへ持ってくか書けって。別に悪い物じゃない。でも、姉の名前まで書く必要あるの?」


ハルドたちは、病人の名前を書けなんて言っていない。たぶん現場で聞き方が増えた。人によって。制度が一日で広がっている。女は続ける。


「昨日は塩。今日は薬。売る分もある。全部隠すつもりじゃない。でも、あそこで止められて、誰に何持ってくかまで話すの、嫌だった」


俺はすぐに返せなかった。悪い商人じゃない。悪い人にも見えない。でも。確認を避けている。


もし中身が薬じゃなかったら。危ない物だったら。それでも同じことを言えるか。ミオが聞いた。


「この道、誰に教わったの?」


女はエダンを見る。


「羊飼いのおじさん」


エダンがため息をつく。


「誰だよ」


「名前知らない。歯が三本ない人」


エダンが顔を上げる。


「ああ、ドーガだ」


分かるんだ。特徴が強い。俺は道を見る。秘密じゃない。検査を始めたから、今まで荷に使わなかった道が荷の道になった。


制度が道を作ったわけじゃない。でも。使い方を変えた。女が二輪車を引く。


「通っていい?」


俺は止められなかった。止める権利があるかも分からない。この道が誰の土地かも。検査の対象が白嶺街道だけなのか、北へ向かう商用荷全部なのかも。


「待って」


言ったのはユリウスじゃない。俺だった。女が警戒した顔で振り向く。


「止めるんじゃない」


俺は言う。


「道が危ない。北まで行くなら、俺たち途中まで一緒に行く」


「何で」


「さっき車輪落ちたから」


女はしばらく俺を見る。


「……金取る?」


「取らない」


「名前書く?」


「今は書かない」


ミオが横から言う。


「今は、って付けるんだ」


「だって分からないし」


正直に言う。女は少しだけ笑った。羊道の北側出口まで。俺たちは一緒に進んだ。途中、狭い場所が三つ。


一つは荷を下ろさないと通れない。一つは二人いないと危ない。沢は雨が増えたら無理。地図に残す。ただし。


《代替路》とは書かない。


《羊道》


今はそれだけ。北側へ出る。白嶺街道の主道から、かなり離れた場所。女は木箱を荷台へ戻す。


「ありがとう」


「姉の子、良くなるといいね」


俺が言う。女は頷く。それから。少し迷って。


「昨日の塩は売った」


自分から言った。


「今日の薬草も半分は売る。薬箱だけ姉の家」


俺は何も言わない。女が続ける。


「だから、私が全部個人用って言ったら嘘になる」


「言ってないよ」


「うん」


「何で教えたの」


「助けてもらったから」


それだけ。女は北へ進んだ。二輪車の音が遠くなる。エダンが言う。


「これ、どうする?」


難しい。羊道を塞ぐ?何の権利で。検査の机をこっちにも置く?羊が困る。


全部自由?危ない荷も通る。ミオが地図を閉じる。


「まず戻って、起きたこと全部言う」


「女の人の名前、知らない」


「聞いてないからね」


「それも言う?」


「言う」


戻る。南入口。ハルドは記録を見ていた。俺たちの話を、途中で止めずに聞いた。羊道。


二輪車。塩。薬草。薬箱。個人と商用が混ざっている。


名前は聞かなかった。荷も開けなかった。最後まで。ハルドは怒らなかった。最初に言ったのは。


「その道、危険なんですか」


そこだった。エダンが答える。


「荷付き二輪車なら危ない。雨ならもっと」


「荷車は?」


「無理」


「人と背負子は?」


「普通に通れる」


ハルドが少し考える。


「検査を逃れたことより、まず事故が出そうですね」


俺は驚いた。


「そっち?」


「落ちて死んだら、検査どころではありません」


当たり前。でも順番がいい。ユリウスが言う。


「次。制度範囲」


ハルドが頷く。


「現在の命令文は『南入口を通過する商用貨物』です」


「じゃあ羊道は?」


「文面上は対象外です」


「抜け穴じゃん」


「そうなります」


役人本人が言った。セドリックが紙を確認する。


「北向け全貨物、と広げれば羊道も対象にできます。ただし、誰がどこで確認するのかが必要になる」


エダンが即答する。


「羊道に机置いたら羊通れんぞ」


シンが言う。


「羊にも名前書かせる?」


俺が吹いた。ハルドまで笑った。少しだけ。ユリウスは笑わない。


「ふざけてる場合じゃない」


「笑った方が考えやすい時もあるよ」


俺が言う。


「お前はいつも笑う側だろ」


否定できない。結論。今日は塞がない。机も置かない。ただ。


危険箇所に札を置く。


《荷付き二輪車 危険》


《雨天時通行非推奨》


検査制度については、南側へ「主道外の既存生活路がある」と報告する。女を捕まえに行かない。名前も探さない。昨日の塩についても、まだ手数料も税も始まっていない。ただし。


商用荷が主道以外へ流れ始めた事実は残す。夕方。俺とシンで羊道入口へ札を立てる。シンが字を書く。俺が杭を打つ。


羊が寄ってきて。札をかじった。


「おい!」


俺が追う。羊は逃げる。シンが腹を抱えて笑っている。


「何笑ってんの!」


「自由な道」


「意味違うだろ!」


結局、札は少し高い位置へ付け直した。夜。ユリウスが記録をまとめる。


《主道外生活路への商用転用を確認》


《現時点で違法性未確定》


《安全上の問題あり》


《制度設計により利用増加の可能性》


最後の一行。俺は何度か読む。検査が嫌だから、別の道を使う。手数料が始まったら。もっと増えるかもしれない。


でも。今日そこを通った人は。悪いやつじゃなかった。たぶん次に通る人も、悪いやつとは限らない。だからこそ。


簡単に閉じるのも。簡単に自由にするのも。どっちも怖かった。


第90話 食料を急がせたら、道が二本になった


【本文】


翌朝。北から来たのは荷車じゃなかった。馬。一頭。乗っている男が、白嶺入口の手前でほとんど飛び降りた。


「ロムいるか!」


声が裏返っている。シンが通行机から顔を上げる。


「朝、南へ行った。何?」


男は答える前に息を整えようとした。整わない。俺が水を渡す。一気に飲む。むせる。


半分こぼす。


「ゆっくりでいい」


俺が言う。男は首を振った。


「ゆっくりじゃ困る」


それから。北側の三つの集落で。早霜の被害が、昨日より広がったと話した。昨日までは外側の畑。今朝。


谷側の低い畑も白くなった。収穫前の麦。一部は使える。一部は駄目。全部なくなったわけじゃない。


でも。冬を越す分を残すと。交易へ出せる余りは、ほぼ消えた。


「食えない?」


俺が聞く。男はすぐ否定した。


「今日明日じゃない。今すぐ飢える話じゃない」


そこは大事だった。


「でも冬の途中で足りなくなるかもしれん。村長が南から買えるうちに買えって」


ミオが聞く。


「必要量は?」


男は革袋から紙を出す。数字。麦。大麦。豆。


塩。干し野菜。三集落分。俺には多いのか少ないのか分からない。エダンが見て、口を閉じた。


「これ、一便じゃ無理」


「何便?」


「大荷車でも四、五。今ある車ならもっと」


シンがすぐ道を見る。今日は北向けの荷車がもう二台待っている。南入口の確認。食料優先列。主道。


白嶺。全部使っても。今日中に三集落分は無理。俺の頭に。羊道が出た。


ミオも同じだったらしい。目が合う。


「二輪車なら」


俺が言う。エダンが首を振る。


「昨日見たろ。あのままじゃ危ない」


「人と背負子」


「量が足りん」


「じゃあ危ない場所だけ直す」


「誰の道か分からん」


止まる。そこ。昨日、女を通した時にも残った。羊飼いの生活路。勝手に広げていい道じゃない。


俺は言った。


「ドーガ探そう」


歯が三本ない羊飼い。名前を覚えた。エダンが即答した。


「朝は南の柵」


「行こう」


「レン」


ユリウス。また止められると思った。


「何」


「先に、今日必要な量を主道でどこまで運べるか出せ」


「羊道は?」


「主道で足りるなら触る必要ない」


正しい。また正しい。腹立つ。でも。走る前に計算する。


これも最近増えた。シン。ロムの代わりに来た北側の男。南側の食料商人。ハルド。


集まる。主道。今日出せる荷車。三台。午後に二台追加できるかもしれない。


一台あたりの積載。白嶺の勾配。日没。結果。今日中に北側入口まで運べるのは、必要量の半分くらい。


明日もう一便。天気がもてば届く。


「天気」


俺が言う。全員、空を見る。白い。雪じゃない。雲。


エダンが山を見る。


「夕方、降るかも」


雨。羊道は雨に弱い。主道は通れる。


「じゃあ羊道使うなら午前だけ」


ミオが言う。ユリウスが紙へ書く。


「まだ使うと決まってない」


「決めに行く」


今度は止められなかった。南の柵。ドーガはいた。本当に歯が三本ない。たぶん。


数えようとしたら怒られそうなので見ない。羊の足へ薬を塗っていた。俺たちを見る。


「昨日、札立てたの、お前らか」


「そう」


「羊が怖がる」


「かじってたけど」


「字が嫌いなんだ」


そんな羊いる?エダンが本題を話す。北の早霜。食料。主道だけだと今日半分。


羊道を、人と二輪車で使いたい。危ない場所だけ板と縄で補助したい。道を広げない。木を切らない。石を動かすなら、羊の通りを残す。


ドーガは黙って聞いた。それから言う。


「誰の道でもない」


俺は一瞬喜びそうになった。でも続きがあった。


「だから好きにしていいって意味じゃねえ」


ですよね。ドーガは羊の足を離す。立ち上がる。


「昔から三軒で使ってる。上の放牧地へ行く道だ。荷で壊したら、羊が困る」


「壊さないようにする」


俺が言う。


「お前が?」


疑いが強い。エダンが横から入る。


「ガランに見てもらう」


「なら話は聞く」


俺への信用。低い。結局。羊道を使っている三軒。全員に話すことになった。


時間がない。でも飛ばさない。一軒目。洗濯中。二軒目。


羊を追っている途中。三軒目。朝飯がまだ。


「食ってからでいい?」


と言われた。いい。急いでるけど。朝飯は大事。三軒の条件。


今日だけ。食料だけ。二輪車は二台まで同時。壊した場所は直す。雨が降ったら止める。


羊優先。最後。


《今後の商用路化は別の話》


ドーガがそこを三回言った。分かった。今日だけ。ガランを呼ぶ。羊道を見る。


「広げるな」


最初の一言。


「分かってる」


「板二枚。杭四本。縄。沢の上りだけ足場」


「それで二輪車通る?」


「荷を半分にすればな」


半分。効率は悪い。でも。ゼロよりいい。昼前。


主道。大荷車三台。麦。大麦。豆。


塩。干し野菜。食料優先列。ハルドたちが確認を短縮する。羊道。


二輪車二台。一台あたり荷は少ない。往復。俺。エダン。


ドーガの甥。南の荷運び二人。ミオは地図と時間。シンは主道。ユリウスは両方の記録。


誰も全部やらない。それが一番速かった。最初の二輪車。沢。板。


一台目。通る。二台目。少し滑る。俺が反射で手を出す。


ドーガの甥が先に縄を張る。


「上!」


俺は引く。エダンが後ろから押す。通る。


「今の危ない」


ミオが言う。


「板一枚増やす」


ガラン。すぐ増える。二便目。雨粒。一つ。


二つ。空を見る。まだ弱い。


「次で終わり」


エダンが言う。


「あと一往復」


俺が言う。


「雨条件、最初に決めた」


「まだ雨ってほど」


ドーガが空を見た。


「止めろ」


一言。止める。昔からここを使っている人が言う。俺たちより重い。二輪車を戻す。


主道へ。雨はそこから強くなった。羊道は、十分後には土が光っていた。止めてよかった。午後。


主道の五台が北へ抜ける。羊道で運べた分は、大荷車一台にも満たない。それでも。塩。豆。


乾燥野菜。軽くて必要な物を先に送れた。北側入口で、朝来た男が荷を受け取る。


「これだけでも先に持って帰れる」


顔が少し緩む。


「麦は?」


俺が聞く。


「主道の荷車待つ」


ちゃんと使い分ける。羊道は万能じゃない。だからいい。夕方。荷車五台。


北へ。食料。全部じゃない。でも今日運べる分。明日もう一便。


俺たちは白嶺入口で見送った。ロムも戻ってきた。荷を見て、俺の肩を叩く。


「間に合う」


「冬全部?」


「そこまでは分からん」


そうだ。一日運んだだけ。凶作が終わるわけじゃない。でも。今日必要な分は動いた。


夜。雨が止む。俺は羊道の入口を見に行った。板を片づけるため。今日だけの約束。


エダンと二人。ランプ。濡れた土。俺たちの足跡。二輪車の跡。


羊。いっぱいある。板を一本外す。エダンが止まった。


「レン」


「何?」


地面。新しい跡。雨が止んだ後についた。二輪車。一本。


南向き。俺たちが最後に使った後。


「誰か通った?」


「記録にはない」


ユリウス側へ戻った二輪車は二台とも南入口にある。これは別。跡を少し追う。沢の手前。泥の中。


赤い紐。拾わない。ランプを近づける。南入口の貨物確認で。確認済みの荷へ結ぶ紐。


今日から使い始めたもの。切れている。エダンが言う。


「確認済みの荷が、こっち通った?」


「それか、紐だけ持ってきた」


どっちか分からない。先へ。暗い。雨上がり。危ない。


追わない。俺たちは戻る。羊道の入口。今日。北へ食料を急がせるために使った道。


一日だけ。食料だけ。そう決めた。でも。道は。


一度、荷が通れると分かったら。俺たちの決めた使い方だけを覚えてはくれない。主道と。羊道。白嶺には。


道が二本になった。


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